第六話 伯爵閣下
7448年5月6日
「……もういいぞ」
ラルファが出て行って誰もいなくなった部屋。
俺のベッドの陰に向かって声を掛けた。
「相変わらずですね、ラルは……」
ベッドの陰からズールーが姿を現す。
腰にはミヅチの曲刀を提げ、左手はその柄を握ったままだ。
【自己隠蔽率上昇】の室内での効果を確認する意味で今回ズールーに使わせていた。
ミヅチは元々気配を殺すのが上手だし、ズールーが適役だと思っただけだ。
この様子だとかなり効果は高いようだな。
「そう言うな。あれはあれで一生懸命なんだから」
「ははっ、確かに」
そう言いながらズールーは曲刀を剣帯から外すと差し出してくる。
「で、誰がいいんだ?」
曲刀を受け取りながら床に跪く忠実な奴隷頭に尋ねた。
「はい。それなんですが、マールとリンビー……あとはベンとエリーあたりでしょう」
ズールーはまっすぐに俺を見上げて答える。
微妙な間があったのが少し気になった。
因みに、ベンとエリーはソーセージ工場で働かせていた奴隷のうち、マールとリンビーに次いで年齢が高い奴らだ。去年十四歳になったために年明けとともに他の同い年の奴隷と一緒に戦闘奴隷になりたいと申し出てきていた。その一ヶ月後にバルドゥックの街を取り囲むランニングコースを規定の二時間で走ったのがこの二人だったので晴れて戦闘奴隷見習いとして宿をシューニーに移し、毎日剣や槍の素振りとランニングを行わせている。
当然読み書きや数学についてもバストラルが指導してやっている。
それらの学習はともかくとして、体力練成が順調なら秋くらいには迷宮を体験させてやることも吝かではないと思っている奴らだ。
「ふむ。マールとリンビーはいいとして、ベンとエリーはどうなんだ? まだどうなるかわかんねぇだろ?」
マールとリンビーについては年明けからの促成栽培のおかげで、肉体レベルは十一になっている。
それに、去年まで戦闘奴隷では一番下だったということもあって、毎回ボロボロになりながらも文句や不平一つ零すこともなく、一生懸命に迷宮冒険者としての下地作りに邁進している。
少なくともパーティーメンバーや先輩の戦闘奴隷から「突っ込め」と言われたら、どんなに恐ろしいモンスター相手でも即座に突っ込むくらいの糞度胸だけは備わっていると評してもいい。
だが、ベンとエリーについては武器の扱いについて基本的なところしか仕込みが終わっていない。当然実戦の経験なんか子供同士の喧嘩以外にある筈もないし、まだ未知数だろう。
「それがですね、あいつら結構筋が良いんですよ。私もジェスから報告を受けるまではあまり気にしていなかったのですが……。ジェスに二人の出来はどうなのか訊いたら“マールとリンビーよりも才能が有るように思える”って言うんです。で、この休み中にちょっと相手をしてやったんですが、確かになかなかですね。ベンはあの年頃のヒュームにしちゃいい体格ですし力もあります。そして特にエリーの方ですが、あいつは目がいいです」
目がいい、と言うのは相手が防御から攻撃に移る隙を見抜いたり体重移動に合わせて何らかの反応が出来るという事だ。大体は訓練や実戦を繰り返すことでそういった事については誰でも養える能力ではあるが、個人差も大きい。
「へぇ。そうか。来年まで順調なようならそれもいいか……わかった」
奴隷頭であるズールーがOKを出すならそれでいいさ。
「は。お聞き入れ下さりありがとうございます」
畏まるズールーを見下ろしながら地図を広げたままのテーブルに曲刀を置き、すっかり冷めている豆茶を飲み干した。
「ああ、そうだ。それはそうとズールー。お前、俺に何か言うことないのか?」
「は? いえ、特には……」
ズールーは意外そうな顔で答える。
「ふぅん。お前がそう言うならまぁいいや。だが、言いたいことがあれば早めに言えよ? ギリギリだと色々面倒だからな」
そう言うと手を振ってズールーを下がらせた。
……ムローワんとこの奴隷女、どうするつもりなんだろ?
まぁ、自分から言い出すまでは俺も特別に何かするつもりはないけど。
こうして今年のゴールデンウィークは終わった。
・・・・・・・・・
7448年5月24日
新米領主となる俺への講義が始まって一ヶ月と少し。
流石に役人たちも自分の仕事が詰まってきつくなって来たのか、単にダレて来たのか、それとも少しでも不明点があると質問攻めにする俺に辟易としたのかは解らないが講義が休みとなることも増えてきた。
まぁ、そりゃそうだよね。
役人たちがする講義って、結局は領地の農業生産力や採掘量などの数字がメインだ。
例えば「去年はカラス麦が豊作だったようで、それ以前の十年間の平均と比較して生産量がどのくらい増えてる」とかだ。
税収から逆算した推測数字だから現実の収穫量とは大きく乖離しているということはないんだろうけど、そんなもん、記録を表にして寄越してくれるだけで充分な内容なんだけど。
要するにデータを読み上げて俺が頭に叩き込めているか確認するだけの、仕事としては子供でも出来る内容だ。
勿論、そのデータはリーグル伯爵領、ひいてはロンベルト王国の秘密でもあるから子供に扱わせる訳にも行かないからそこは仕方ないんだけど。
そんな事よりも俺が聞きたいのは「何故カラス麦が豊作になったのか」とか「豊作を維持するにはどうしたら良いのか」とか「その年、その村の租税対象になった開墾農地の面積は?」という事だ。
因みにこういった質問に対して俺が満足するような答えを返してくれた役人は一人も居なかった。
新規開墾地を含めた農地面積を管掌している役人と税収を管掌している役人が異なる、という点もあるが、そもそも俺に講義してくれている役人は現場レベルの、所謂下の方の人であることが大きい。
自分が関わる部分についてはそれなりに知っているが、少し離れると知らない事が多いのだ。
そして、言うに事欠いて、
「それを考え、臣下の者に伝えて実行させるのがご領主となる閣下のお役目です」
とか言ってんの。
そりゃそうだろうけどもさぁ。
でも、なんとか村でカラス麦の収穫量が増えたならその原因を知りたいじゃない?
単にその年の租税対象となった農地面積の増加に比例しているならそれはそれで問題ない。
当たり前だし。
でも、新しい農法が開発されたとか、耕作人口が増えたとかの可能性もある。
そういうの、重要だと思うんだよね。
あ、因みに税収が前年より減るというのは普通はあまりない。
ロンベルト王国の場合、耕作面積に応じてその耕作地での前年の収穫高を勘案して「このくらいの収穫は見込めるはずなので六割はこのくらいね」という一定の税が課せられる。
豊作なら良し。決まっている一定額さえ納めてしまえば超過分については農地の所有者である従士や貴族が好きにすればいい。
勿論、翌年はその分納税額が増えることになるのでそれについては考慮しておく必要はあるだろうが。
だが、不作でも最初に決めた一定分は無理矢理にでも毟り取る。
収穫量があまりに低いのであれば当然考慮されることもあるが、それは俺にはあんまり関係ない。
不作の時に従士に対する税を軽くしてやるかどうかについては俺が決めることではなく(勿論、決めてもいいけど)、基本的にはその村なり街なりを領有しているその地の領主が決めることだからだ。
誤解を恐れずに少し極端に言うと、俺の場合は支配下の村や街の領主に対して、お前は幾ら、お前は幾らと命ずるだけの事なので、領主がきちんと払ってくれさえすれば領内が豊作だろうと不作だろうとどうでもいいと言い放つことすら出来る。
収穫量が低くてもその分をその耕作地を所有する従士が身銭を切って出せば済む話であるということだ。勿論、従士が身銭を切らずともその上の領主が身銭を切ってくれたっていい。
そうでないと俺が国王に対して身銭を切る羽目になる。
余程酷い大飢饉が何年も続かない限りは俺のような領土を領有する大貴族に対しての税が減免されるような事態は起きないからね。
誰だって身銭を切ってまで足りない税の補填なんかしたくはない。
そうなると実際のしわ寄せは小作人である農奴に行く事が多い。
農村部では奴隷に対して給料を殆ど払わない代わりに衣食住全ての面倒を見るという所有者(従士や貴族)が多いのはこのせいもある。
非常時に備えて普段からなるべく現金をプールしておきたいから、出来るだけ支出を抑えるようにするためだ。
簡単に言うと、只でさえ少ない給料をもっと減らすとか、配給する食事の量を減らして質を落とすとか、更には売り飛ばして手っ取り早く現金化するなどだ。
こんなふうに、税が払えないため泣く泣く所有している奴隷を、その家族をバラバラに引き裂いてまで売り払う、ついでにその奴隷は実の弟だった、などというお涙頂戴の話は幾らでもある。
自由民や平民出身、更には貴族出身でも長子以外は家を継ぐのでなければ玉の輿にでも乗らない限りは奴隷になってしまう事は普通なので、誰もが平民の従士(家督者)を夢見る。
殺戮者の皆の喜びようはこれだ。
彼らはそのほとんど全てが家督者ではない(家督者はゼノムだけだ)。
結婚したらその相手が家督者という玉の輿でもない限り、一部を除いては自由民が関の山である。
俺はその夢を実現させ(ほぼ実現していると言っても良いだろうが、俺自身のステータスはともかく、正式な叙任式を経てリーグル伯爵領を任せると国中に宣言された訳ではないから油断は出来ない)、その後も安心して生活を営んで行けるようにしなくてはならない。
それが俺を信じて付いて来てくれた皆に対する責務だろう。
暗記するだけの、ばかみたいに退屈な講義からやっと解放された俺が馬止杭に繋いでいた愛馬に跨がろうと鐙に足を掛けた時、俺に話しかけてきた人がいた。
「おう、グリード君。今聞いたけどあのドラゴン、君が倒したんだってな! 凄いじゃないか!」
第一騎士団のケンドゥス士爵だ!
昨年末でローガン男爵が引退し、今はその後を継いだタクラード・ゲンダイル子爵が団長となっている。
それまでゲンダイル子爵が務めていた第一中隊長は第二中隊長であったヴィシュール・バルキサス士爵が異動し、空位になった第二中隊長には第三中隊長であったこのセーガン・ケンドゥス士爵が異動している。
第三中隊長は姉ちゃんが所属してた小隊の隊長さんであった、マリーベル・ラードックという平民出身の兎人族の女性が士爵位を授かって中隊長を兼務することになると聞いていた。
彼女や姉ちゃん、それに当時第三中隊長であったケンドゥス士爵を含む第三中隊の三分の一くらいは出征していたので、そこの部分の人事だけは発令されたもののまだ実質的には有効に機能していないけど。
「あっ、ケンドゥス隊長! こんにちは」
彼がここにいるという事は!
俺は急いで鐙から足を外して挨拶をする。
やはりたった今、ダート平原から戻ったところで、報告のために騎士団本部へ出頭したところだそうだ。
「はは、安心しろよ。グリード卿も無事だ。まだ城門で他の奴らとドラゴンを見てると思うぞ。行ってやるといい。喜ぶだろう」
それを聞いたらいてもたってもいられなくなった。
挨拶もそぞろに城門へと向かう。
城門に着くと姉ちゃんの他に十人以上もの第一騎士団の人たちがいて、わいわいとドラゴンの頭を囲んでいる。
城門警護の第三騎士団の人にもいろいろと質問を浴びせているようだ。
「すっげぇな。これ、あのグリード会長のチームが倒したのか!」
「ミルーも鼻が高いでしょ?」
「えへへ。いやぁ、私の仕込みが良かったってことでしょうね」
「流石だな」
「頭がこの大きさだと、体全体だとどのくらいなんだろうな?」
「そりゃ、こーんなにでっかいだろ!?」
「いや、もっとでかいと思うぞ」
「おい、貴様。これ、先月からここに飾ってるのか?」
「は、一応毎日夜にはしまいますが、朝には宮廷魔術師に頼んで氷を追加したうえで飾り直します。去年のワイヴァーンの時はすぐに引っ込めちゃって、一目見たかったって苦情が殺到したらしいですから……」
「え? ワイヴァーン?」
「ご存じないので?」
「知らないぞ?」
「皆さんはいつから……」
「あ~。確か七月の頭だな」
「それじゃあ、ご存じないのも無理はありませんね。ワイヴァーンが仕留められて飾られたのは七月の中頃でしたし」
「それも見たかったな」
「このドラゴンよりはかなり小さかったですよ。それでも立派なものでしたが」
「そうか、ならドラゴンが見れたからいいか……」
「ところでそのワイヴァーンもひょっとして?」
「そうです、このドラゴンと同じくバルドゥックの迷宮でグリード閣下が仕留められたそうです」
「ちょっと!? 閣下ぁ?」
「そりゃグリード閣下は貴族ですしね」
「そりゃそうだけど、貴族って言ってもあいつ、私と同じ准爵よ?」
むひひ。
ウラヌスの手綱を引きながらゆっくりと近づいて行く。
「やぁ、これは第三中隊の方々ではありませんか。此度のご出征、誠にお疲れ様でありました」
わざとらしく声を掛ける。
「え? アル?」
「お! 会長じゃないか! 今聞いたんだが、凄いなこれ!」
「やっぱドラゴンは相当に強かったのかい?」
「是非話を聞かせてくれ」
「そうだそうだ、ローキッドに河岸を移そうぜ!」
「いいな、それ!」
「ちょっと、本部への報告は?」
「そんなもん、くされ隊長がやってくれるよ! 一日くらい遅れたって構うもんかい? なぁ?」
あっという間に取り囲まれてしまった。
「あ、これは姉上。ご機嫌よろしゅう。私はこの度、リーグル伯となりました」
胸を張って言う。
伯爵様のご威光に打たれて少しは畏まりやがれ。
「おお?」
「伯爵ぅ!?」
「何だって?」
「グリード会長が伯爵になったんだと」
「リーダルとかリーグルとか……リーグル!?」
「え? リーグルってことは領地も?」
「すごいね。おめでとう!」
「伯爵閣下かぁ。こりゃ大変だ!」
はっはっはっ。
気分いいね!
「リーグル伯領って、あそこか?」
「今回俺達が行ってたランセル伯爵領の西だな」
「ダート平原か……」
「ダート平原か……」
「ダート平原か……」
なんだよそれ、気分悪いな。
「ちょ、皆! ちょっと待って!」
姉ちゃんが大声で騒ぐ騎士たちを黙らせた。
「すみません。大声出して。でも、少しだけ弟と話をさせて下さい」
そう言うと姉ちゃんは俺の手から手綱をもぎ取って手近な騎士の一人に預ける。
そして俺の手を掴んで引っ張る。
「ちょっと来なさい」
「え? なんだよ? 頭が高ぇ」
「黙れ!」
「はい」
あまりの形相に気圧されてしまった。
俺はそのまま城門裏の人気のないところにまで引っ張られていく。
「ステータスオープン……」
なんだよ、いきなりステータスを見やがって。失礼にも程があるぞ?
でも、俺の顔はだらしなくニヤけていたと思う。
ほれ、もっとよ~く見ておくんなまし。
「……っ!」
姉ちゃんの顔は俺の左手近辺に開いているであろうステータスウィンドウと俺の顔との間を何度も往復している。
「どういうこと?」
姉ちゃんは兜の目庇の下から俺を睨めつけるように見上げて言う。
ふっ……こんなところでも俺の成長を感じてしまうな。
「どういうこととは如何に? それより伯爵閣下に対して頭がた痛っ!」
す、脛を蹴りやがった!
「早く言いなさい」
「……門番の人から聞いたろ。去年の夏、迷宮でワイヴァーンを仕留めた。その鱗を加工して鎧に仕立てたら魔法の鎧が出来た。固有名付きのな。それを献上してグリムソン子爵のように爵位と領地を褒美に」
「本当なのね?」
「嘘言ってもしょうがねぇだろ」
「おと……お兄ちゃんには?」
「先月、納品に来た時に見せてる」
「違うわよ。爵位と領地の方」
「そりゃ一緒に話をしたさ」
そこまで話をすると姉ちゃんは右手を俺の頬に当て、優しく微笑んでくれた。
「頑張ったのね……偉いわ」
……姉ちゃん。
姉ちゃんはこうして素直に褒めてくれる時もある。
むぎゅ。
姉ちゃんは左手も伸ばして俺の頬を両手で挟む。
口がタコみたいに尖る。
照れくさいんだろうが……ふっ、止せよ、皆が見ている。
伯爵閣下の顔を潰さないでくれ。
「でも、伯爵だからって私に向かって頭が高いとは何様のつもりよ!」
伯爵様でんがな。
ほっぺたが潰れて痛いです、お姉様……。
「ふひぇ、嫁き遅れにょくしぇに……」
「あ゛!?」
今度はほっぺたを両側に引っ張られる。
「ひた、ひたいっ! ひたたたっ」
「何だって? もう一度言ってみなさいよ!」
姉ちゃんは目を三角にして怒鳴る。
「ふぉりぇ、結婚ひたもんね。おしゃき~」
限界まで引っ張られたほっぺからパチンと音がして手が離れる。
お~、痛ぇ。
「くっ……アルに先を越されるとは……」
姉ちゃんは悔しそうな、なんとも形容のし難い顔をして言う。
「……姉ちゃんも髪でも染めて気分変えてみたら?」
グロホレツ卿に振られた件についてはいい加減に吹っ切っているだろうが、ひょっとして心の奥底ではまだ引き摺っているのかも知れない。
気分転換に髪の色を変えてみるのも良いんじゃないかと提案した。
女性は髪の色や髪型を変えると気持ちも変わるって昔聞いたことがあるような気がしたからなんだけど。
姉ちゃんの場合、髪は短い方なので髪型を変える余地はあんまりないから、せめて染めてみたらどうかと思ったんだ。
「ふん、私はこの色が似合ってるの。豪華で綺麗な金がね」
……不本意ながらそれには同意する。
確かに金髪は姉ちゃんに似合ってると思う。
「……ミヅチは元気なの?」
「ああ」
「今度連れて来なさいよね」
少しだけさっぱりしたようだ。
でも、また難癖を付けて苛めそうだし、もう会ってるんだし、誰が今更連れて来るもんか。
ま、一応本人には伝えとくけど。
なお、その後第三中隊の人たちにローキッドへと担いで行かれた俺は、隙を見て姉ちゃんに「俺んとこの騎士団長やんねぇ? それなりの給料は出すし、貴族位だってそのうち……」と言って勧誘したんだけど「今大切な時だから無理」と、にべもなく断られてしまった。
どうやら小隊長の席を狙っているらしい。
小隊長なんか、リーグル伯爵騎士団の団長と比べたらさぁ……。
……第一騎士団の小隊長の方が箔はあるよね。
わかってたさ。
・・・・・・・・・
7448年7月21日
「……つまり、犯罪の捜査に指紋は活用されていない。指紋が個人で違うことは知られているから、これは指紋採取が出来ないからだろうな」
今週学んできた内容を殺戮者の迷宮行が休みの時にクローとマリーを中心に説明する。今回はクローとマリーの他にミヅチ、ゼノム、トリス、ベル、カーム、ビンス、ロリック、ジンジャーが参加している。
「指紋採取?」
耳慣れない言葉に首を捻る者も出た。
なお、契約書や販売証明なんかで拇印をつくのは一般的なので指紋が個人個人で違っているということはそれなりに教養のある人たちを中心に知られている。
何かを触ったりした場合に指紋が付く事を簡単に教えてやると訝しそうな顔をされた。
指紋が付いたところでどうやってそれを確かめるのかが解らないようだ。
「俺達の前世ではものすごく微量の汗なんかでも判るようになってるんだ。なんだっけ? あの、粉をポンポンやるやつ」
ロリックが言う。
そう言えば前世、テレビドラマなんかで警察の鑑識の人がそんなことやってるの見たことがあるな。
「ああ、それ、粉は何でもいいんですよ。本当はアルミの粉がいいらしいんですが、一番大切なのは『セロハンテープ』です。それに、指紋を採取しても『写真』なんか撮れませんから記録が難しいでしょうからね。『データベース』を作れないし、あんまり意味無いでしょう」
トリスが詳しく説明してくれた。言われてみれば粉自体は指紋として付着した体液にくっつくものだし、それを写しとる透明なテープがないと確かに厳しいよな。
「話の腰を折らないで、トリス。アルが言ってるのはそんなんじゃないでしょ。えーと、なんだっけ? ……あれだ。『科学的捜査』については碌に行われていないって事でしょ」
……口がぽかんと開いてしまった。
ベルか、ミヅチあたりだと思ったろ?
でも、今の言葉を言ったのはラルファなんだぜ?
勿論、日本語が解る転生者の全員が目を見開いて俺の部屋の隅に座っている彼女を振り返っていた。
実は勉強会には珍しく、おまけでラルファとグィネも居る。彼女たちは「警察機構としての騎士団について」という主題を聞いて「凄腕美人スパイには必要な知識だ」と言って参加してきたのだ。凄腕女スパイがいつの間にか凄腕美人スパイになっていることはともかくとして、勉強会への自主的な参加を拒む理由はないので放っておいていた。
トリスとラルファの言った事について、ベルがゼノム達にも分かりやすい言葉に直して言っていた。
「お、おう。すまん……アルさん。続けてください」
トリスも居心地が悪そうな顔で言う。
「……ラルファの言う通りだ。犯罪の捜査は聞き込みや人間関係の調査、目撃情報が重要視される。中でも事件の関係者である貴族の証言が最も重要だ……」
ふと見るとグィネは真剣な顔でメモを取っているではないか!
首から画板のような薄い板を下げ、そこに何やら書き込んでいる。
どうせお味噌だと、この二人には今まで碌に興味を払っていなかったので気付かなかった。
紙は結構高価だし、こいつら本気で……?
「犯罪の証拠としての重要度は第一が貴族の証言。これは複数の証言が食い違った時は爵位の高い方が正しいとされる。位が高いほど優秀な血筋だからな。また、同格の場合は、家系が新しい方が優先される。新しい貴族家を興せるくらいに優秀な者の血が濃いとされるからだ」
貴族の証言が最も重要視されることは皆が知っていたがそれが食い違った際の判断基準については初めて聞いたようだ。俺も最初に聞いた時、少し驚いたが貴族というそれだけで貴いとされるのであればある意味で自然な解釈かも知れないと思い直していた。それでも家系が新しい方が優先されるという理屈には妙な気もしたけどね。
ま、そういう考え方もアリだろう。
それはそうと、ウチの小娘コンビの情熱がいつまで続くのか、これは見ものかな?
トリスとベルの結婚については別に書きます。




