第五話 囮任命
7448年5月1日
「……そうですか、残念です」
心の底から残念そうに言うアル。
「何度言われても結論は変わらんさね……済まんの……」
その前で空中停止をしながら少し申し訳無さそうに答えるミラ。
「いえ、謝らないで下さい。皆さんの総意であれば仕方ありません。それに、一度結論を聞いていたにも拘らずもう一度話し合って下さっただけでもありがたい事です」
少し弱々しい微笑みを浮かべるアル。
「折角の申し出を断った身としてはそう言ってくれると気が楽になるの……さて、アルがここに来れるのもあと一回か二回くらいかの?」
「そうですね。最低でもあと二回は来れると思いますが」
そう答えながらアルは今年の秋と来年の正月については恐らく問題はないだろうと予想している。
だが、来年の今頃は既に南方へと旅立っているか、そうでなくとも相当に忙しいであろうことは想像に難くない。
「……二回か。なら今回はこの魔術かの……難しいから二人のどちらかが習得出来れば幸運だと思いない」
少しだけ悩んだミラはアルとミヅチの前で精神集中を始める。
しかし、ミラに魔術を使用して貰っても彼ら二人にはそれがどういった効果の魔術であるのか俄には理解出来なかった。
難しいと聞いて二人も真剣にミラを見つめているが、その顔には困惑の表情が浮かんでいる。
「ああ、この魔術かぁ! これは難しいよ! この里でも使えるのはミラの他には数えるくらいしかいないからね!」
何故か楽しそうにアルの頭の周りを飛び回るカール。
それを煩わしく思いながらも払い退けるようなことはせずにアルは精神集中を続けるミラを真剣に見ている。
魔術が発動し、効果を顕す瞬間を見逃す訳には行かないからだ。
アルとミヅチは息をするのも忘れるほど集中して観察を続けた。
……数分後。
アルもミヅチもミラが披露してくれた魔術を完全に理解することは出来なかった。
「その様子じゃまともに理解は出来なかったようだいねぇ」
少しだけ疲れを滲ませながら言うミラ。
「師匠、今の魔術の名前は……? 灯りっぽいところもあったようですが……?」
「あの……今の魔術は一体どんな……?」
そんな彼女に二人は申し訳なく思いながらも質問する。
「アルでもミヅチでもどちらでもいいから私に触ってごらん……落ち着いての」
まるでいたずら小僧のような笑みを浮かべてミラは言う。
顔を見合わせたアルとミヅチだが、アルがそっと手を伸ばしてミラの足に触れる。
ミラやカールは人形のように小さな妖精族なのであまり強い力で触れるつもりは無いようだ。
「おおっ!?」
アルが着用していた鎧の胸甲の辺りを中心として真っ黒い球体が広がり、急に何も見えなくなって驚いたアルが叫び声を上げた。
暗闇の魔術だ。
「え? これ、暗闇?」
慌てて暗闇の効果範囲から逃れたミヅチからも驚いたような声が出る。
「最後に使ったのは暗闇なのは間違いないさね。でもその前に使った方が今回の魔術だよ。その名を誘発と言う」
ミラの説明によると誘発の魔術とは、直後に使った魔術の発動を遅延させるものであった。
直後に使った魔術を発動させるには誘発使用時に設定した条件を満たす必要があるとのことであるが、設定可能な条件はあまり多くない。
一つは視界内に異常を発見した場合。この“異常”とは「魔物や敵が現れた」でもいいし、「普段良く知っている場所なのに明確に異なっている部分を発見した」でもいい。又は「特定の誰かを見掛けた」でもいいし、もっと範囲を広げて「鳥を発見した」でもいい。普通は魔物や自分に危害を加えて来るような生物の出現を設定することが多いようだ。だが、何かを対象にするような魔術を発動させる場合は、その対象が遅延させた魔術の射程範囲内に存在している必要がある。
もう一つは自己の身体に異常を認めた場合だ。この場合の“異常”とは今回のように「何かに接触された」でもいいし、勿論「攻撃を受け、躱せずに命中した」でも構わない。また、極端な例だが「腹を下した」や「目が見えなくなった」、「気を失った」という条件も設定可能だ。しかし、「空腹を感じた」とか「眠たくなった」など、異常ではない通常の生命維持活動でも起こりうる内容については設定不可能である。
なお、前の条件と同じく何かを対象にするような魔術を発動させる場合は、その対象が遅延させた魔術の射程範囲内に存在している必要がある。今回の場合は「何かに触れられた時、アルの胸甲に暗闇を発動」という設定がなされていたという訳である。
ある意味で小魔法や無魔法の予約に似ている魔術だが、発動条件が時間ではないところが高い自由度を誇っている魔術である。
「ま、便利は便利だがの。誘発を使った後で条件を変更することは出来んし、変な条件を設定して発動しないまま誘発の持続時間が切れた場合、使った魔力は全く無駄になるからそこは気を付けないね」
説明を聞いて感心する二人に対して忘れずに注意点を指摘するのはミラがしっかりしているところだ。
「この誘発の効果の持続時間はどのくらいなんですか?」
というミヅチの質問に「そこはよく解っとらん。無魔法のレベルにもよると言われておるが、発動させる魔術の難易度によって変わるという見方が普通じゃの。攻撃魔術も使えるけどその場合結構短くなりがちだし、その攻撃魔術が強力であればあるほど短くなるみたいじゃね」と答えるミラ。
「そういったことを理解した上で、次はもう少し真剣に見ているようにの……」
結局この日、ミラは合計三回も誘発を使ってくれたが、二人共習得には失敗した。
アルは魔法全般、特に魔術の習得に対してかなりの自信を持っていた(事実、今まで習った魔術はその日のうちに全て使えるようにはなっていた)が、その自信もこの誘発の前には膝を屈するしかなかったようである。
「アル。ミヅチ。二人共そう気を落とすことはないさ。誘発は俺だって使えないくらい、凄く難しい魔術だからね。まだチャンスはあと二回あるんだろ? その時頑張ればいいじゃないか」
どんよりとした雰囲気を醸し出す二人を慰めるカールだったが、彼もミラに「遊んでいるならお前も一緒に修行せんか」と注意されていた。勿論、カールはすぐに飽きてどこかへ飛んで行ってしまっていたのだが。
「いやあ、師匠に言われたから魔力感知を使って見ていてもよく解らなかったよ……」
「そうね。インヴォケーションの予約と違ってエヴォケーションも混じっているとは言われたけれど……単にそれだけとは思わない方が良さそうね」
暗い顔で話し合う二人。
「ふん。幾らアルの魔力が多いとは言ってもこの魔術まで一日での習得は無理じゃろう。暫く独自に練習することも大切だからの」
ミラ自身もこの魔術の習得には何年もの時間が必要であった事を思い出し、二人に慰めの言葉を掛けていた。
「……次に来た時には我々が誘発を使いこなしている所をお見せしますよ……」
アルの言葉を聞いたミラは「楽しみにしとくわい」と愉しそうに笑って二人を見送った。
翌日の明け方に妖精郷から戻ったアルとミヅチはいつものようにボイル亭とは別の宿に入る。
ミヅチは鎧を脱ぐと部屋のベッドに倒れ込み、すぐに寝息を立ててしまった。
そんな彼女を少し羨ましく思いながら、アルは眠い頭を一つ振ってシャワーを浴び、着替えると愛馬ウラヌスに跨った。
九時には王城に到着しておかねばならない。
バルドゥックから家族が来るからという理由でここ数日間は役人からの講義は休みにして貰っていたのだが、役人たちは「陛下より秋の叙任式までに一通り済ませておくようにとの厳命です」と言って最初は休みすらくれそうに無かったのだ。
・・・・・・・・・
7448年5月6日
夕方に王城から戻った俺は宿に馬を戻すとムローワに向かう。
今日はゴールデンウィークの最終日なので全員がムローワに集合する筈だからだ。
皆に話をするには都合がいい。
店に到着した時には既に半数ほどのメンバーが集まっており、休み中の他愛のない話に興じていた。
「よう、アル。ここんとこ忙しそうだな」
ロッコがジョッキを掲げながら話しかけて来た。
反対の手には串に刺したバルドゥッキーを握っている。
「まぁな。あんたは相変わらず元気そうで何よりだよ」
彼はここ最近、毎朝のランニングでウェイトの量を増やしている。
この前は休み中だというのに戦闘奴隷を率いて迷宮に行くミヅチに頼み込んで同行していたらしい。
ミヅチもどういう風の吹き回しだろうと不思議に思って理由を尋ねたら「小遣いを稼がせてくれ」と言われてはぐらかされたらしい。
やる気になってくれているのは嬉しいが、少し遅いよねぇ。
体を鍛える事自体は素晴らしい事だけど、ロッコの場合はその前に読み書きを完全にすることの方が先だと思うんだよね。
来年には肉体派の冒険者じゃないんだから。
ロッコの隣に座った俺も彼と同じビールを頼んで皆が揃うのを待つ。
今日は食事の後で従士となる連中だけ残し、その旨を説明するつもりでいる。
三々五々集まってきたメンバーたちと言葉を交わし、酒を飲み、飯を食う。
彼らは明日からまた迷宮に潜るので暫くはこのようなまともな食事を摂ることが出来ない者が半数以上を占める。
救済者だけはギベルティが同行するのでそうでもないが、それ以外の者達はルビーやジェスが作る、あまり洗練されていない料理となる。
明日以降のチーム分けについて話し、いよいよ今日の本題に移る。
俺たち殺戮者のメンバーが集まる晩は他の客は居心地が悪くなるのか、大抵この時間は貸切状態になっているから人払いの必要はない。
店員や経営者であるムローワの親父についてもここで話される内容について漏らしたらどうなるかについてくらいの想像力はあるのでまぁ安心出来る。
それでも人事情報についてはこの店では話さない。
先に述べた通り、恐らく漏れるようなことは無いだろうがそういう問題ではなく、これから「俺の貴族」として、また「その配下」となる者達に対する教育でもある。
これから先もこういった情報については安易に話して欲しくないからだ。
「そろそろ終わりだな。じゃあゼノム、ジンジャー、ビンス、ロリック、カーム、トリス、ベル、バストラル、それから奴隷たち以外の全員はこれから俺の部屋に来てくれ。これからのことについて話すから。あまり長くならないようにするから狭いけどそこは我慢な」
俺の言った内容を聞いて薄々感づいた奴もいたようだ。
中にはあからさまに落胆の色を隠せない者も居る。
え? ラルファだよ。決まってるじゃんか。
ムローワから俺の部屋に場所を移し、それぞれの村の位置や誰がその村で領主をすることになるのかを説明した。
「そういう訳でグィネとケビンはゼノムの従士として、ヒスはビンスの従士として、サンノとルッツはロリックの従士として、キムとロッコはカームの従士として、それからミースとジェルはトリスの従士として働いてもらう事になる」
正式な従士として貴族に仕えるということは成功者の部類だ。
特に世襲以外でそれが叶うという事自体、そうあることではない。
名前を呼ばれた皆は歓声を上げて喜んでいる者が多い。
「へへっ、ファイアスターター家当主か……やったぜ! しかもゼノムさんの領地とはツイてる! お? グィネ。そんなとこに居たのか。宜しくな!」
「こちらこそですよ、ケビンさん!」
「ロリックに付いて来て良かったな」
「ああ、来年からは俺達も正式な従士様だぜ!」
「ふっ、故郷を飛び出して苦節十余年……遂に、遂に俺は……」
「気分出してるとこ悪いが俺達が村出たのって、七、八年前じゃ……?」
「黙らっしゃい! サミュエルガーさん」
「何だよ、急に?」
「従士様だからな。これからは俺、いや、私の事もクミールと呼び給えよ」
「……」
「……わ、私は? あれ? 名前出てない気が……アルさんや? 誰かお忘れじゃありませんかね?」
「なぁ、ミース。ランスーン家とラミレス家、二つだぜ、二つ! 子供二人に継がせてやれる!」
「……そうね。でもそれは貴方と結婚したらでしょ?」
「え? え?」
「うふふ」
「な、なんだよ、脅かすない」
「私……独りか……。でも、ビンスも居ることだし寂しくなんかはないか。……ね、フェード」
「ロッコ、また暫くはあんたと一緒みたいね」
「ああ、そうだな。……うん、俺にしては上出来だな、こりゃ」
「あったりまえでしょ? 何あんた? もしかして士爵になれるとか思ってたの?」
「え? い、いや、さすがにそこまでは思って、無かったぞ。うん」
「……どうだか」
流石に煩いので手を上げて静まらせた。
「まだ名前を呼んでいない者も居るし、少し静かにしてくれ。まだもう少し続きがあるんだから」
「あ、うん! そうよね」
「ラルファ、煩い」
全くこいつは……。
「あ、ごめんごめん。てへへ」
「……さて、続きだ。クロー、それからマリー。あと、皆もよく聞いとけ」
部屋の隅で肩を竦めながら、喜ぶ皆を見ていた二人に声を掛ける。
「お前たちはリーグル伯爵騎士団に入って貰う。俺も形だけ団長をすると思うが暫くそっちは碌に見れないと思う。大変だろうがそこは頼むな」
「ああ」
「任せといて」
二人共に予め話はしているから妙に喜んだりはしない。
気負いのない返事をしてくれた。
当然、騎士として経験の少ない彼らだ。
いきなり指揮官クラスという訳には行かない。
だが、将来の幹部候補として熨斗を付けて送り込むことくらいは造作も無い。
騎士の作法や騎士団経営の勉強って、再来月くらいに始まる予定だったよな、確か。
領内の警察機構でもあるし、領主の持つ直接的な軍事力だ。
この辺りの勉強についてはそれなりの期間が予定されていた。
どうせならこの二人も同席させたいところではあるが、それは許されていない。
特別な講習を受ける権利があるのは領主など本当に一握りの貴い人に限られると言われちゃったのだ。
だから、必死に覚えて俺が指導する他は無い。
畜生。
「そうか! 騎士団ってのもいいな」
「従士なんだからその気になりゃ入れるだろ」
「あ! 私も騎士団に入るの? こりゃあ、私も槍の練習しなきゃならないわね!」
「そうか! 正式な従士なんだし、そりゃそうだよな!」
「従士様な上に騎士様かぁ!」
また煩くなってきた。
「あ~、他の皆は騎士団入りについては当面諦めてくれ。尤も、仕える主人が良いと言ったら構わんがな。でも、いきなりそんな許可を出すような奴を士爵にしたつもりはないからな」
彼らも領地を掌握するために力は欲しいだろう。
奴隷を買っている奴も居るが戦闘奴隷を買っているのはまだまだ少数だし。
「それに、騎士団に入ったら誰が農地の面倒を見るんだ? 開墾の指揮は誰が取るんだ? はっきり言ってこの中から騎士団員になれるほど若いうちに余裕が出来るのは数える程しかいないと思うぞ?」
皆もそれなりに歳を食っている。
騎士団に入団するのは遅くても二十歳前が普通だ。
勿論、入団にあたっての年齢制限などは無いが、あんまり年食ってからの新規入団ってのは普通居ない。
「確かに……」
「言われてみれば……」
「ウィードもそれなりの農地がありそうだし、私も騎士団は無理か……」
「でも、息子か娘なら……」
「め、名門従士になるのか……ゴクリ」
「あとの細かいところはそれぞれのお館様と相談してくれ。それと、まだ正式に決定した訳じゃ無い事を忘れるなよ? あんまり自慢気に言いふらすと自分が恥を掻くかも知れないぞ」
そう言って締めた。
ぞろぞろと皆が俺の部屋を出て行くが、一人だけぶすっとした顔で動かない奴が居る。
「あと、ラルファ。少しだけ残ってくれ」
最後になっちゃったが彼女にも言い含めておかなきゃならない。
俺が忘れずに声を掛けた事でラルファの顔がぱあっと明るくなる。
相変わらず解りやすいなぁ。
「うん!」
部屋を出て行く皆を見送りながらラルファは上機嫌だ。
全員が部屋を出たところで扉を締めた。
「ラルファ。あんまり露骨にがっつくなよ……」
はっきり言って、ラルファが不満そうにする度に皆はがめつい奴を見る目でいた。
気が気じゃなかったわ。
「えへへ……。で、私は……やっぱお父さんの従士? グィネと一緒がいいよね」
「何言ってんだ。お前は自動的に准爵だろ?」
「あ! そう言えばそうか!」
ラルファは胸の前で両手を打って納得顔だ。
こいつ、さっきまでのは本気で……!?
「……呆れて物も言えんわ。お前はゼノムの後を継ぐの。大きな問題さえ起きなければ将来のウィード領主の男爵……女爵なの。なんですぐに思い当たらないの?」
「だって……みんな正式な従士とか言って喜んでたじゃん。私だけ何もないのかなって……」
「はっきり言うけどな。それ解ってなかったのお前だけだぞ? まぁいいや。で、ゼノムだって当分元気そうだからな。お前にはお前の役目がある。それを今から言う」
期待を込めた目つきで見られる。
「想像はついてると思うが、当面はグィネと一緒に領内を見て回って正確な地図を作って貰う必要がある」
「それはそうだね」
この程度は予測していたらしい。
「見ての通り、名前と僅かな評判程度しか判らない領主の村が九つに、ゾンディールの街があるだろ?」
地図を見せ、ベグリッツとウィード、もう一つの街であるゾンディールや領内にある村々を指して言った。
「うん」
「グィネと二人で地図を作るときに徹底的に調べろ。それと気付かれても構わない。むしろそっちの方がいいからな。領主の暇を見て正式に挨拶に行っても良い」
それを聞いたラルファはニヤッと笑って頷く。
「ふふふ。凄腕女スパイコンビ。ラルファとグィネ誕生って訳ね」
……なんかどっと疲れた。
まぁでも、二人の実力を信頼しているからこそでもあるんだけどさ。
お目付け役に誰を付けようかな。
ズールーはなぁ……。
マールかリンビーあたりでも付ければそう無茶はすまい……かな?
……だといいなぁ。
遅くなって申し訳ありませんが、ご指摘を頂戴している誤字脱字や表現の修正など、明日には少し時間が取れそうです。
また、多数頂戴しておりますご感想などについての返信も(少しですが)出来るかと思います。




