閑話 ネルの冒険 4
王都に到着したネルはその巨大さ、壮麗さに驚いた。
表通りに立ち並ぶ商店の棚には食料品や衣料品が山のように並んでいる。
露店街に出向けば商人達の威勢の良い売り込みの声につい足を止め、話に聞き入ってしまう。
ベンケリシュの街も大したものだったが、この王都ランドグリーズと比較すると流石に数段落ちるだろう。
何しろその人口は十万人以上は確実で、語る人によっては二十万人近いとさえ言われているのだ。
果物や菓子など、露天で売られていた珍しい食べ物を摘み、宿を取った。
最初の一夜が明け、飯屋で粥にオプションで頼んだハチミツを垂らしながら、さて、これからどうしたものかと考え始める。
ネルとしては日本人には特に興味はないし、取り立てて会いたいとも話してみたいとも思ってはいない。
何しろ生まれ変わって二十年。
今まで日本人とは全く関わりなく過ごして来たのであるからして、今更大昔の同郷の人が何をしようがどうでもいいと思っていた。
それよりも元日本人を集め、親衛隊員とやらに仕立て上げようとする動きについて気になったのだ。
幸か不幸か、田舎街でなら自分の治癒院を開業出来る程度の資金も入手している。
いよいよ憧れの新生活を営もうとする矢先に、どうにも妙な情報を聞いてしまったからには気になるのは道理であろう。
王城ガムロイの正門へと続く大通りを監視出来る店に陣取って、日本人らしき人物が通行していないか探してみることにした。
もし居たら帰り道を尾行し、家を突き止める。
その後は……その後は決まってる。
相手の生活レベルを見極めるのだ。
裕福そうであればこちらから出向いて話を聞いてやってもいい。
そうでないのであれば親衛隊員の待遇はあまり良くないと言う事になるので、しがらみがない分、治癒師としてのんびり暮らす方がマシだろう。
その時はランドグリーズからは出来るだけ離れた場所で開業だ。
もし可能なら王太子殿下のお触れの届きそうにない外国に行くのも良いかも知れない。
幸いネルは平民階級なので国内の移動は自由だ。
デーバス王国と外国領のギリギリまでは怪しまれることなく移動が可能だから、越境する時にだけ誰にも見られないように道を外れるというのもアリだろう。
一流冒険者ラビウスのメンバーであった自分にとって数日程度道無き道を行くことくらい何ということはない筈だ。
今度は用心するし。
又は国外へと商いの旅をするような大きな商会の隊商に護衛として紛れ込んでも良い。
そうすれば堂々と街道を通って他国へ行くことが可能だ。
その後は適当な街で行方をくらませば、たかが護衛の小娘一人、ワザワザ費用と時間を使って捜索されることもあるまい。
ステータスには【ノブフォム家次女】と出ているだけなので、出身をその国の適当な田舎町だと偽れば真剣に調査されない限りは外国人だと露見することもまずあるまい。
最悪、適当な男と結婚してしまうという手もある。
貴族じゃないから離婚だって出来るし。
二回結婚すればステータスからノブフォムの表記を消すことも可能だ。
こんなことを考えながらネルは大通りを眺め始めた。
そして数時間後、日も暮れかかった頃についに日本人らしき人物を発見することに成功する。
相手は二人。
中途半端に髪を伸ばしたなかなかの美男子と、頭の後ろで髪を束ねた軽薄そうな表情をした男の二人組だ。
ローブのフードの奥から男達の姿や着ているものを確認するネル。
黒髪黒目が捜索条件の一つだと聞いていたためにあれからすぐにフードの大きいローブを購入していたのだ。
「ふうん……服は結構マシな感じか……」
自称一流冒険者のネルは気付かれないようにそれなりの距離を置いて男達の尾行を開始した。
・・・・・・・・・
「くっ……まぁ、そりゃ別れるわよね……」
尾行を開始して僅か数分。
二人の男はある十字路に差し掛かったところでお互いに手を上げて左右に別れた。
さて、どちらの尾行を続けようか……?
軽薄そうな方は放っておいて、単純に顔の好みから美男子の方を付ける事にした。
当たり前だが尾行に対する注意など何もしていないようで、十m程後ろを付けるネルを気にする様子は全く無い。
尾行を続けること二十分程。
住宅街の中の一軒の家の門を開ける美男子。
家の大きさと比較して門だけは少し大き目のようだ。
家の作りも取り立てて豪華な訳ではないが、かと言ってあばら屋という程酷くはない。
この通りに並ぶ他の家と同様の作りに見える。
家の周囲を覆う生け垣は高く、濃く生い茂っているように見えるがあまり手入れは行き届いていないようで、刈り込みがされないまま放置されているようだ。
しかし、小さいが庭もあるようだし、驚いたことに馬の気配もする。
「馬? 馬を持っているの? しかも二頭も!?」
馬は解りやすく言うと超高級外車並みの財産だ。
親衛隊員は結構待遇が良いのかも知れない。
だが、単に彼が元々所有していただけなのかも知れない。
その辺りを調査するために時間を費やしているのだ。
門を開け、すぐ奥にある家の戸を開ける美男子。
扉には鍵が掛かってはいないようだ。
つまり、一人暮らしではないということか。
ナーミン村のボフィット士爵から話を聞くまで、生まれ変わった日本人が全員同じ誕生日で黒髪黒目ということすら忘れていたネルだが、今は思い出している。
転生者は最初に流し込まれた情報については忘れない(思い出そうと思えば正確に思い出せる)が、その後に神と会話して得た情報は通常の記憶同様に意識して覚えていなければ忘れる。
「二十歳……結婚して子供が居てもおかしくはない、か」
もし家族が居るのであれば食事のレベルや会話の内容から得られる情報も多い。
また、家族の服装や家内の調度品などを目にすることが出来れば更に詳しい事も判る。
生け垣の隙間を探すが見付からない。
それに、手入れがされていないからか、乗り越えられるほど低くもない。
無理をすれば可能だろうが人目に付きやすいし、音も立ててしまうだろう。
どうしよう、と思っている間に門の前を通り過ぎてしまった。
隣の街区まで移動して時間を潰す。
そして、完全に日が落ちてから戻った。
近寄って判ったが家の窓からは既に灯りが漏れていた。
窓の隙間から漏れる灯りには、周囲の家のように全くちらつきが見られないために灯りの魔道具まで所有していると思われる。
そこそこに良い生活レベルだと思われた。
彼の家から数十m離れた場所には崩壊寸前の古い家がひっそりと建っていた。長年に亘って放置され、まるで茂みのようになっている生け垣に囲まれている。浮浪者でも住み着いているかと思ったが、流石にそこそこ治安も良い場所であることと、屋根が完全に抜け落ちていた為に誰かが生活をしていた痕跡はなかった。
その敷地にはここ暫く誰も足を踏み入れていないようだ。
あの家を観察するにおあつらえ向きだろう。
ここまで確認し、この日は調査を打ち切ることにした。
それから数日間。
例のあばら屋に目立たないように潜んで彼の家を観察していると判った事がある。
あの家には少なくとも三人の人が暮らしている。
日本人の、多分双子の男達とオース人の多分奴隷か何かだ。
他に出入りする人も居ないのでこれ以上の人間は居ないと確信する。
ただ、三人を同時に見掛けた訳ではないが……。
特に双子についてはある日の朝、王城に出勤するらしい親衛隊員らしい双子の片割れが出勤するのを見送った後に気が付いた。
いつも通り日本人らしき男が出勤してから数時間が経過した後で、彼が帰宅する前に、どう見ても同じ顔をしたもう一人の男が家から出て厩に向かうのを見たのだ。
餌を要求する馬のいななきに誘われて家を出て来たのだろうが、そのおかげで同じ顔をした人間が二人いることに気が付けたのだ。
最初は朝出かけた方の男が気付かないうちに戻って来たのだと思ったが、夕方帰宅した男の服装は朝家を出た時の服装そのままだった。
それ以上に不思議な事に、馬の面倒は奴隷と双子の片割れが一日交代で見ているようだ。
奴隷が面倒を見る日は奴隷は馬を散歩に連れ出したり、買い物に行ったりなどしょっちゅう外出する事も多いが、双子の片割れが面倒を見る日は全く理解し難いが奴隷すら出てこない。
また、奴隷と双子の片割れが一緒に外出する事はあっても、三人一緒や双子だけで外出することはない。
ネルは、流石に双子だというのは勘違いだったかな、と思った。
しかしある朝、一人が出勤した直後に馬に水をやろうと水桶に魔法で水を出すもう一人を見たのだ。
ネルに気付かれずに戻るのは絶対に不可能であるタイミングだった。
どうやら双子のうちの一人は引きこもりらしい。
都市部に暮らす人には珍しく、外に食事に行くことは滅多にないようだ。
たまに外に食事に行く時ですら双子の片割れは家に居るままだと思われる。
従って留守中を狙って気付かれずに窓の隙間などから家の中を覗き見るのも難しそうだ。
だが、生活レベルについて大体は理解した。
普通以上の生活は出来ているようで、奴隷や双子の片割れが買う食材などもそこそこに高級品が紛れている事もある。
奴隷に対する給金も充分に支払っているらしく、その身なりも奴隷にしてはかなり上等だと言える。
そんなある晩。
腐った床から雑草の生えているあばら屋の中に身を隠していつものようにつまらない張り込みを続けていた。
朝から出勤していた双子の片割れが家に帰って来た。
と思ったら、すぐに出て来る。
例の奴隷を伴っていた。
食事に行くのだろうか。
ならば会話を聞くチャンスかも知れないので尾行しようと腰を浮かせかけた。
しかし、彼女は見てしまった。
奴隷が家に鍵を掛けたのだ。
あの家は今無人なのだろうか?
無人だとしたら内部に忍び込まないまでも厩の裏にでも隠れて帰りを待つつもりだった。
帰ってきた時には灯りを灯すだろうから、そうしたら窓の隙間から中を観察出来るチャンスもあるかも知れない。
その後は全員が寝静まるまで待ってそっと抜け出せばいい。
この家の観察を始めてそろそろ十日近い。
もう飽きたし充分だ。
ネルはこちらの調査は今日で終わりにして、もう一人の軽薄そうな男の方に移るべきだと考えていた。
そちらもこの程度の生活が出来ているようであれば、親衛隊員というのは田舎街で治療院をやるよりは少し上等な生活である可能性が高い。
宮仕えの気苦労と交換可能かどうかについては慎重に見極めるべきだろうが、サンプル数は多い方が良いのだ。
最後に家の中を少しだけ覗き見して調度品などを確認だけしておこうと考えた。
退屈極まりないが、どうやら食事に出たらしい双子の片割れと奴隷の帰りを待つとしよう。
周囲を見回してからそっと家の傍まで寄ってみた。
門に鍵が掛かっていないのは既に判明している。
引きこもりの方は既に寝ているのか、家に灯りも点いていない。
厩の裏にそっと身を潜めた。
果たして二時間ほどが経過した後。
双子の片割れと奴隷が戻って来た。
奴隷が持っているであろう行灯が門の前で止まったのだ。
ネルも含めて、魔法が使えるからと言ってひょいひょいとライトの魔術を使うような者はまず居ない。
便利なことは確かだが、効果時間の五分おきに多大な精神集中を必要とされるライトの魔法なぞ普通は誰も好き好んで使わないからだ。
『ふい~呑んだ呑んだ』
『結構呑んでたな、兄貴』
初めて聞こえたが日本語だ!
今迄食事の際に尾行して会話を聞こうとしていたが、距離が離れていてさっぱり聞こえなかったのだ。
解ってはいたが、やはり日本人……しかし、兄貴?
あまりの懐かしさに涙が浮かびそうになる。
だが、双子が揃っていないこの場に不自然な言葉がネルにそれをぐっと堪えさせた。
そして更に聞き耳を立てる。
『だってよ、明日からレーンとベンケリシュだろ? 今日飲まなきゃ暫く飲めないぞ』
『そりゃ確かにな……』
家の扉の鍵を開けたようだ。
扉が開き、バタンと閉まる音がする。
ガコン、と中から閂が掛かる音がした。
外側から掛ける簡易な鍵と異なり、内側に人がいる場合は大型の閂を鍵代わりにすることが多い。
ネルは予めアタリを付けておいた壁の薄そうな場所にそっと耳を押し付け、内部の音が聞こえるか確認した。
人が床を踏む足音がする。
相変わらず何か会話をしているのは判るが内容までは判明しない。
ちっ、と小さく舌打ちして上開きの窓の下の隙間に目を近づける。
部屋に明かりが灯る。
細い隙間だったが部屋の中はそれなりに見える。
部屋にある調度品類はそう高級そうではない、極々ありふれたものばかりだった。
『延長すんの?』
『ん……それもいいけど、酒飲んでるからな。嫌だけど酒の抜ける朝まで戻っとくか』
何を言っているのか?
「おぐっ! ぐぐぐ……ぎっ……」
奴隷はいきなり苦しみだした。
一分間程も苦しんでいたが、双子の片割れはその格好の良い眉を少しだけ顰めて見やったあと、気にした風もない様子で椅子にだらしなく腰掛けて寛ぎ始めた。
そして、ネルは思わず声を立てそうになる。
両腕で己を抱きかかえる様に苦しんでいた奴隷がスッと上げた顔を見たのだ。
その顔は今迄この家では見たことのない男のものであった。
ふと気がついたら身長や体付きも僅かに変わっている様にも思える。
何だ?
一体何なんだ、あれは?
化粧とか変装とか……そんなレベルでは絶対にない!
ネルは興奮を抑えるのにかなり苦心しながらも一言も聞き漏らすまい、見逃すまいと周囲に用心しつつ眼と耳に全神経を集中させる。




