第二百十五話 作業
7447年2月9日
アンダーセンに誘われて適当な飯屋に二人で入る。店の奥の方のテーブルに向かい合わせで座ると、俺は豆茶、アンダーセンはお茶を注文した。飲み物が来るまでの間は彼女が居なかった間のバルドゥックの話で時間を潰していた。
「それで、妹さん? の話でしたっけ」
豆茶を一口飲んでアンダーセンに尋ねた。この“妹”って、アンダーセン子爵家の妹じゃないよな。父親が同じなだけの別の家の異母妹のことだろう。ちらっとレファイス男爵家のご令嬢、ヨリーレ様の顔が思い浮かんだ。そう言えばどことなく似ている気もしないでもない。
「私の本当の父親はもう知っているのよね? ならいいわ。じゃあ私には八歳以上の弟妹が十三人居ることも知っているわね」
嫡出子が八人。
モーライル妃殿下が産んだ現在二十五歳の長子長男、ロンバルド公リチャードを筆頭にマリーネン妃殿下が産んだ一番年下の男の子が去年の夏くらいに八歳になったはずだ。ロリックから聞いてるから知ってる。確か数年前にわらわらと増殖したのを除いてその子が一番下の筈だ。
その他、知られている庶子が五人。
こちらは比較的年齢が高い人ばかりだ。二年前に処刑されたミッセル・ベイルーンが真ん中くらいだった筈。彼が生きていれば六人だった。
俺が頷いたのを確認したアンダーセンは言葉を続ける。
「その中で一人だけ私と付き合いのある子が居るの。ああ、他の子は私の存在は知らない筈よ。え? それは言えないわよ。でも、これだけは教えてあげる」
お茶を飲んで喉を湿らせたアンダーセンは更に低い声で言葉を継ぐ。
「私も去年知ったんだけどね。もう動き始めてるみたいだからグリード君のところにも動きがあったんでしょ? その子は私にも理由まで教えてくれなかったから全部は知らないけど、庶子のうち女性ばかりが三人、数年前から騎士団に入団させられているわ」
あ、それ、聞いたことあるな……。
「騎士団でも扱かれてるらしいけど、不思議なのは所属する騎士団の垣根を飛び越えてご長男までもが彼女達のご指導をしているんだって。内容は少人数での戦闘訓練に限ってるらしいわね」
へー。ってことはあのリチャード殿下も一枚噛んでたって訳か。
ああ、去年の夏のあの時の国王たちの話、このことか。ちゃんと訓練してるんだろうなって確認してたような……。
しかし、固有名詞は避けた方が良さそうだね。
「知ってるって顔つきね。じゃあもう話はここで止める。全部は言う必要なさそうだし……。三人の妹には相当な餌までチラつかせて……るかどうかまでは流石に知らないけど、何にせよかなりお尻を叩かれてるみたいよ」
どうもそうみたいだね。直接俺のとこに顔を出してきたのは真ん中のヨリーレお嬢様だけだけどさ。アンダーセンの妹達で、庶子のうち女性は上からノイルーラ・ジーベクト。二十二歳。真ん中がヨリーレ・レファイス。十九歳。一番下がミマイル・フォーケイン。十六歳とそれぞれ三歳づつ離れている。一番上のノイルーラにしても俺とは現時点で四、いや、あと数日で三歳違いなだけだから結婚したとしても年齢的な問題はないとも言える。
しかし、相当発破を掛けられてる、か。
やっぱな……。
去年の夏、ヨリーレお嬢様と話をした後でそれなりに調べては見たんだが、そこまでは判らなかった。通り一遍の事しか調べられなかったんだよ。ある程度予想はしていたけど、その根拠なんかあの時の僅かな会話しかなかったしね。まぁ、ちょっと訊いてみるか。
「アンダーセンさんの見立てではどうなんです? お三方のうちどなたが一番お父上の寵が深いのですか?」
元々色々言う気だったみたいだし、こっちから訊く分にはいいだろ。
アンダーセンは俺の目を見たあと、薄い微笑みを浮かべて言う。
「翠の瞳の子よ」
ぐっ、解かんねぇ。髪や瞳の色まで調べてなかった。ヨリーレお嬢様の瞳は……何色だったっけ? 翠だったような気もするが、覚えてねぇ……。
「髪の色は……青」
アンダーセンは少しばかりニヤついて言った。
くっ、そっちも解かんねぇよ。だが、ヨリーレお嬢様は除外してもいいのかな? 前回会った時は青い髪だったが、ありゃ俺の好みに合わせて染めてるって話だったと思うし。
っつーか、この姐ちゃん、俺が髪や瞳の色を知らない事に気付いて愉しんでやがる。
「もう、そんな顔しないで。下の子よ。彼女の母親には昔ちょっと縁があってね……あのオヤジ……あたしと四歳しか違わないファールンさんと……くそ」
ふーん。後半は聞こえなかったことにしよう。
しかし、ってことは第二騎士団に居た時分の頃かね?
アンダーセンの姐ちゃんは今年三十四歳になる。
確か成人と同時に第二騎士団に入団したとどっかで聞いた。
今十六の子であれば時期的にはその頃だと思う。
しっかり聞こえてた。
「で、今日話したかったのはそんな事じゃないわ。まぁ関係はあるんだけど」
はい?
「グリード君、あなた一体何をしたの? 幾ら私の父親が……その……あれでも、例えあなたが優れた冒険者であっても、文字通りとてつもない偉業を達成していても、それだけであの人が娘に発破を掛けるとは思えない」
アンダーセンは急に厳しい目つきをして俺に尋ねた。別に自らあちこちで吹聴している訳ではないが、俺は自分の国を作りたいという夢を幾人かには話している。殺戮者のメンバーでも旧日光のメンバーを含めてそれを知らない奴は居ない。
話した時には驚かれたり笑われたり納得されたり色々な反応があった。
でも、そうか、軽々しく話したりはしていなかったのか。
もし話していたのであれば今更アンダーセンが知らないなんて事はあるまい。何しろヴィルハイマーと二人、俺の情報を国王に売ってやがったんだから。見逃しゃしないだろ。あ、いや、知っていた上で「自分の国を建国するなんて現実的じゃない」と思い、それと庶子の娘を嫁入りさせることについて結びついていないだけの可能性が高い気もする。
または「そんなの夢物語。どうせ笑い話でしょ」と思って最初から信じていなかったとしても不思議はない。むしろこっちの考えの方が当たりかも知れない。勿論俺としては面白くはないが笑いたい奴は笑っていればいい。それでも俺は努力を止めるつもりは無いしな。
「それは私の方が聞きたい事ですが……」
アンダーセンは俺の言葉を聞くと宙を仰いだ。そして、
「それもそうよねぇ……。だからよく解んないのよね……あの子も何か知ってるようだけどそこまでは言わないし……」
と、ぼんやりとした口調で言った。
「それはそうと、ロックワイズさんでしたっけ? 新しい魔法使い。彼女はどうなんです?」
「ああ、ミーム? ん~、そこそこかなぁ……。でも、アタッカーがなかなかねぇ……」
黒黄玉に先日加入した魔法使いについて訊いてみると、あまり色よい内容ではなかった。どうにかこうにか四層に顔を出す程度の二流パーティーからの引き抜きだしな。元のパーティーの桜草の方は確か三層の転移水晶の間で野営するときに何度か見かけている。レベルも覚えちゃいないけど、その程度の魔法使いが一人加入したところでいきなり黒黄玉の実力が元の水準に戻るなんて都合の良い事はないよねぇ。
「ま、当面、四層か五層で慣れて貰うしか無いわね。あ、そうだ。グリード君の戦闘奴隷、暫く貸してくれない?」
「やですよ」
「だよねぇ……戦闘奴隷買おうかな……」
ま、手っ取り早く戦力アップを図るにはそれしか無いだろうね。
・・・・・・・・・
7447年2月14日
バルドゥックの迷宮に入って二日目。三層の転移水晶の間で目を覚まし、転生者の皆は俺も含めて十九歳になった。普人族は俊敏の上限(?)が一ポイント伸びただけだが他の種族の奴は微妙に異なる。
しかし、もう十九歳か。年を取ると一年が短く感じて嫌だねぇ……俺の主観では一年間、という時間は俺の人生において二%も占めていないのだ。前世、子供の頃はもっとずっと長く感じたもんだが……。勿論、こんなのは単なる俺の感傷であって、誰にも、どんな年齢でも等しく同じ一年間であることは理解してはいるんだけど、どうしてもあっという間に過ぎ去るほどに短く感じてしまうことは否めない。
誕生日なんてもう六十回以上経験しているから珍しくもなんともないわ。むしろ、時の流れを再認識させられるあんまりいい日じゃないって気持ちの方が強い。
気を利かせてくれたギベルティが少し上等な食材で飯を作ってくれていた。先日の買い出しの時にお菓子の材料なんかも買わせておいたから今晩はちょっと甘いものを振る舞ってやれる。まぁ、このように理由をつけて少し食事に変化を持てる日だな。
この転移水晶の間で野営していて合流したラルファが思い出したように「あ! 誰か根絶者の係変わって?」と言っていたが、誰も反応しなかった。ズールーもエンゲラも今回の迷宮行では良い食事が出来ることは予想していたんだろうしな。元々長くなる予定だから少しでもストレス軽減のために食材は良いのを用意してんだよ。そもそも立候補したの、お前だし。
「未練はありますが仕方ないでしょ、ラルさん。さぁ、行きましょう。明後日からは一回地上に戻って補給物資を運ばなきゃいけないんですから。ほら」
ロリックにそう声を掛けられたラルファが引きずられて行き、四層に消えた。
じゃあ俺達も行くかね。
今日も無事に六層に辿り着けますように。
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7447年2月16日
昼前に九層の転移水晶の間に到着した。勿論守護者である七匹のミノは再び網撃ち銃のお世話になって処分した。なんで昨日のうちにここまで来なかったかと言うと、八層に用意しておいた銃の製造関連の荷物を運びやすいように纏めるのに時間を食われたためだ。
このあと、少し休憩して昼食を摂ったら晩の食事の用意を始めるギベルティを残して八人で十層に行くつもりだ。どうせミノが復活するのは十八時間後、明日の未明だろうし。
明日からはちゃんと銃の製造や改良も行うつもりだ。網撃ち銃がきちんと効果を発揮することが証明されたので、銃の製造や改良についても九層の魔法が使えないエリアの外まで行ってやることにしたのだ。まずは予備の網撃ち銃を作る必要があるが、九層に着いた初日くらいは面倒くさい銃の改良は忘れたかったんだよ。
ところで、今回はゼノムもラルファも居ないから十層に行ってもモン部屋には行くつもりはない。これは全員に言ってある。流石にあの二人を欠いてしまうと前衛は俺が入らない限り結構厳しい。今までは何度も戦ってきたモンスターを相手取っていただけなのでそれも修行の一環として考えることも出来たが、流石に後衛から俺が抜けるのは初見の相手には怖い。
「じゃあ行こうか」
昼食を終え、少し休憩した後で十層へと出発した。
以前に来たことはあるが、十層の様子は八層、九層と比べても殆ど変化はない。迷宮内の通路の幅や壁の様子も同じだ。ついでに、各所に転移水晶があって、恐らくだけど八層だの九層だのの今まで足を踏み入れたことのないエリアにも転移しているであろうことは想像に難くない。
夕方頃までうろつき回り、適当に通路で出会うモンスターを殺して魔石を採ってから引き上げる。
こんな感じのスタートで何日も過ぎていった。
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7447年2月30日
流石にそろそろ頃合いだろう。
なんたって今日は九層の転移水晶の間に籠もり始めて十五日目、二週間半だ。
今回の迷宮行で最初の時を含めて合計二十回も九層のミノの集団を倒したのだ。合計百四十匹だぜ。以前の戦果と合わせりゃ……何匹だっけ? とにかく沢山殺した。食料の補給にも六回も行った。こんなに長期間に亘って天井のある迷宮に閉じ籠もり続けるのも精神衛生上、非常に良くない。第一、銃の改良のための火薬の材料の綿が尽きた。
お陰で、銃の方は網撃ち銃についてはそこそこ満足の行く仕上がりとなった。一丁は八層の転移水晶の間、適当な板の上に置いておく事にする。これについて説明するには少々脱線することになる。以前、シャワー室なんかを作ったことから判っていたのだが、迷宮の中に置いておく工芸品や工作品は使用しない時間が一定以上あると地上よりもかなり早く壊れる。
シャワー室なんかだと全く使っていないと二週間くらいで櫓を結んでいるロープが緩む。一月も経つとロープが完全に解けてばらばらになる程だ。だが、数日おきに使っていれば経年劣化以外ではまず壊れない。植物部品だけで構成された桶や、単なる革鎧、金属部品の使われていない空のリュックサックなどを地面に放り出して誰も触らないまま時間が経つと、こちらも同程度の時間で壊れる、と言うか品物を構成する各パーツがばらばらになる。
大体三~四日くらい誰も触らず、且つ使っていないと緩み始めるようだってことが解っている。だが、不思議なことに桶に水でも貯めておけば使用していることになるらしく、水がすべて蒸発しない限りは問題は見られない。干し肉なんかを入れておいても大丈夫だ。
それに、コンロや時計などの魔道具についてもそういう事はない。食器なども木製の削り出しや、陶製のものであれば分解する要素がないので全く問題ない。当然ながらナイフやフォークも木製の柄がついていようが、飾りがついていようがこちらも同様に全く問題はない。
更に有難いのは、桶も箍が金属でしっかりと作られているものは水が入っていなくても、二週間程度では変化が感じ取れないほど結構長持ちする。包丁やお玉についても問題は見られない。
つまり、部材を組み合わせていない単純なもの、金属製の加工された部品が使われているもの、魔道具、使用中であると思われるものであれば地上と同じ程度でしか劣化しないが、加工されていても繊維類や皮革加工品など自然物だけで構成されている品物は異様に早く劣化する。
劣化と言っても構成部材の品質の劣化ではなく、品物の形状が維持できない、と言う方が適当かも知れない。勿論、これらの事象は俺達が発見するまでもなく、迷宮で野営をする冒険者の間では半ば常識だ。
そうした中で恐らく俺達が発見したことは、地面に直接置いておかなければいい、というごく単純なものだった。例えば、ちゃんとした金属製の箍を嵌めた桶や盥の中に、籐などで作られた箍を嵌めた桶を入れておくならば一月経っても大丈夫だ。
今回の収穫は、大量のミノを殺せたことは勿論だが、ちゃんとライフリングを刻んだ銃身を備えた、弾丸を発射するタイプの銃について本格的な試験を開始出来た事だろう。今までも全くやっていなかった訳ではないが、網撃ち銃の銃身部を交換する程度であり、全てを専用に作った物では無かった。
網撃ち銃同様に、未だ複雑な構造を持たず、ボルトアクションですらない完全な単発銃である。しかし、やはりシンプルな構造故に故障については考慮すらする必要もなく、精度もかなり高い銃となった。
銃についてはこれで合計三丁。
古い方の網撃ち銃と通常の単発銃については九層の転移水晶の間に、新しい改良型の網撃ち銃については重量も多少軽くなり、それに伴って持ち運びがし易くなっているため、八層の転移水晶の間に保管することにした。
当然弾丸や空砲については今は適当な桶に並べて入れているが、そのうち専用の保管箱も作る必要があるなとは思っている。入れ替え戦が行われる四月中旬迄には九層を難なく通れるようにしたい。来月中旬を目処にサイズを指定して専用の木箱を注文しておこう。携帯出来るような弾薬箱が必要だろう。
最近ではズールーもエンゲラも銃の発射音について大分慣れてきたようで全く怯える様子は見せなくなった。特に弾丸を発射する本物の銃の試射を何度も見ていることで、弓とは比較にならない威力と破壊力について興味もあるようだ。転生者にとっては当たり前に近い認識だが、彼ら二人とここには居ないが、ゼノムも相当に興味をそそられている様子を見せている。
しかし、転生者を除けば未だに誰一人として「自分にも撃たせて欲しい」とは言ってこない。当初の弾薬製造時の事故を目にしていたことも大きいようだ。また、弾薬や火薬類の扱いなどについて口が酸っぱくなるほど口煩く言ってることも大きいのかも知れない。
最初は物珍しがって射撃をしていたミヅチやトリス、グィネ、バストラルも最近は飽きて来たようで、一生懸命試験射撃を続けているベルや俺の補佐を務めることが多くなっている。
そんなベルや俺もそろそろ辛くなってきたのは確かだ。
「流石に地上が恋しくなった。一度戻ろうか」
「「一度!?」」
そうだよ。またこの位の期間潜るさ。今回の銃の試作でかなり自信がついた。次回はボルトアクションライフルの試作を行うつもりだ。材料も必要だし、綿や黄色染料も買いに行かなきゃならない。あ、黄色染料はともかく綿についてはもうボイル亭に届いてるかな?
地上に戻る途中、未だに八層の部屋の隅に積まれたままで、地上に持って行っていないトレント材を目にした後、色々と考えを巡らせていた。




