幕間 第二十八話 宗方静香(事故当時26)の場合(後編)
「……はい、これでどう?」
「ああ、ありがとう。お陰で助かったよ、ペギー」
背中の打ち身に軟膏を塗り込んでくれているペギーに従士が微笑む。
村の領主の館の裏手の訓練場。
今日も戦闘訓練に明け暮れる従士たちに混じってペギーの姿がある。
勿論、彼女も木剣や木槍を持っているうちの一人でもある。
彼女は今十三歳。
最初に自分の固有技能に気が付いてから暫くの間、どの程度の力があるのか、彼女は暇さえあれば矢鱈に試していた。そしてすぐに神様と会う事になるのだが、彼女に許された僅か二分の質問時間では碌な事は聞き出すことは出来なかった。
仕方がないのでその後も継続して色々と試していたのだが、彼女の認識では六年も七年もやっていれば【聖なる手】についての能力の内容はほぼ完全に掴んでいる。
固有技能のレベルもMax表記になって久しい。
彼女が掴んでいる【聖なる手】の能力は傷を治癒する力であった。
加えて対象者の身体を活性化させる事で、完全ではないがある程度の病気をも治療してしまう。
この能力は固有技能のレベルが上昇すると共に、その効果も大きくなっている。
今では怪我であれば外傷だろうが骨折だろうが一発で完全に近いところまで治せる。惜しむらくは僅かに痺れるような痛みと外傷があればその痕跡が薄っすらと残るくらいだろうか。
まさに聖なる手と呼ぶに相応しいものであった。
・・・・・・・・・
ここで時間は初めて彼女が【聖なる手】を使った後の数カ月後に戻る。
あの後暫くは(まだ慣れてないからもう限界)と、河原だろうが道端だろうが肥溜めの横だろうが、碌に場所も選ばずに倒れるようにその場で眠り込む事が幾度もあった(遊びに行ったまま帰らない娘を探し当てた家族には厄介な病気かと思われた事もある)が、最近ではまずそんな事はない。
勿論、それは彼女の自制心の賜ではある。まだ人前で使う事自体をしないでいた、ごく初期の頃に気が付いたのだ。
当然ながら魔法という超自然の力が存在するので、この力は比類がない、とまでは言えないだろうが、非常に有効な物である事は間違いない。
(あ、まずい。これって治癒師の仕事を奪っちゃう……。将来的に私自身がこの能力を使って治癒師をやるのはいいけど、この村や近隣の村にまで私の噂が流れたら……目立ち過ぎるわ。恨まれかねない)
そこで彼女は一計を案じた。
神から授かった特別な力である事を装おうとしたのだ。
その為、この固有技能の能力については慎重に見極め無くてはならない。
その当時のペギーは六歳。
【聖なる手】のレベルは四になったばかり。
(レベル四と言えば魔法使いなら充分一人前と言われるレベルよね……冒険者でもない普通の魔法使いは三十過ぎくらいでレベル四になれるかどうかって聞いたことあるわ。なら私の固有技能も一人前くらいの力はあるって考えても良さそうよね)
当初の河原での怪我の治癒に効果を発揮したことで、既に怪我の度合いに拘らず効果があることは確認されている。あれだけ大きな傷でも僅かながら治癒の効果があったのだ。レベルが四に到達した今であればその効果はもっと大きいのではないだろうか。
そう考えた彼女は大きな怪我をしようとして思い切って腿にナイフを突き刺そうとした。
慎重に、多分太い血管は無いだろうと思われる場所にナイフを突き刺そうとしたのだ。
だが、どうしても出来なかった。
単純に怖かったのもあるし、予見される痛みや出血に対する恐怖心も大きかったのだ。
何しろ怖くて我を忘れる程のあの大怪我から一ヶ月も経っていない頃だったのだから。
今まではゴツゴツした岩に膝小僧を擦らせて大して痛くもない細かい傷を作り、それで固有技能の使い方を試したりしていた。精神の一部が既に大人と同等と言っても良い彼女にとっては、その程度の擦り傷、何程の物でもない。が、しかし、ナイフを突き刺すのは全く異なる。
結局、腿にナイフを突き刺すことは出来なかった。
彼女の【聖なる手】カミングアウト計画は頓挫したままである。
・・・・・・・・・
その後も暫くペギーは隠れて【聖なる手】を使い続けていた。
そして、更に数ヶ月が経ったある冬の日のこと。
戦闘訓練の稽古中に長兄が大怪我を負ってしまう。稽古中、と言っても本来の稽古が終了し、家に仕える従士達が全員帰宅した後、居残り稽古で祖父と父親に扱かれていたのだ。ペギーはその傍で素振り稽古の終わった次兄と蟻の巣をほじくって遊んでいた。
もうすぐで七歳になろうというペギーは稽古にこそまだ参加しないが、年が明けてからは稽古中は傍で見ているようにと言い付かっていた為である。この時は本来の稽古時間が終了した居残り時間中なので見学は免除され、同様に居残りではない、素振りを終わらせた次兄と一緒に遊んでいただけである。
「あっ!!」
父親が大声を上げた。
ペギーはその声が響く前から、一応参考になれば、程度の気持ちで父親と祖父の稽古を目の端に入れていた。
本身の槍を使った父親と祖父の約束型稽古の途中、祖父の槍先を父親が弾いた拍子に穂先が抜け、すぐ傍でその見取り稽古をしていた長兄の顔面に突き刺さってしまったのだ!
長兄の名を叫びながら駆け寄る父と祖父、何が起きたのか今一理解していない様子でそれを眺めている次兄。そして、一部始終を見てしまっていたペギー。
今こそあの【聖なる手】を使うべきであろうか。
ペギーは迷った。
彼女にとって【聖なる手】は、この危険なオースでこれから先、唯一頼りに出来る切り札である。
だが、迷ったのはほんの一瞬であった。
全速力でダッシュして、驚いた祖父をすり抜け、父親が慎重に抜こうとしている穂先を横から無造作に引き抜くと放り出し、すぐに兄の傷口に手を当てる。
手は白く輝き、長兄の傷はみるみるうちに塞がった。
既に僅かにその痕跡を残すだけであり、じっくりと見ても「かなり前の古傷かな?」という程度に治癒してしまった。
これには当の長兄だけでなく現場でそれを見ていた父親、祖父の両人も腰を抜かさんばかりに驚いた。「魔法か?」と尋ねられるもペギーは首を振る。
(思わず動いちゃった……でも、お兄ちゃんが死ぬよりはいいよね……あ、そうだ。前に考えた事を……)
この【聖なる手】についてペギーは「夢に出てきた神様から不思議な力を授かった」と家族に説明した。信じて貰うために暫くは限界まで能力を示し、家族を納得させた。だが、予め今日から一週間が経つと「本当にこの手の力が必要な時しか神様は力を貸してくれない」「見るからに酷い重傷を負い、命が危険に晒されている人にしか神の奇跡は示されない」と言っておいたのだ。
ついでに「濫りに話したり、家族に特別な人が居ると自慢したりすれば天罰が下る。天罰は様々な事柄に於いてこの地に降りかかるだろう」と言う事もしっかりと付け加えておいた。
文明が発展しておらず、多種多様な迷信が罷り通っているオースでは効果的だろうと思ったのだ。
これについてはその時、すぐ上の次兄があとでこっそりと親しい友人にペギーの事を自慢しようと思った瞬間、たまたま遠雷が鳴り響いた事で本当であると信じられた。実は両親を始めとする他の家族にも彼女の発言を疑う気持ちがあった事も関係している。ペギーとしてはあまりにも出来過ぎたような偶然の出来事に感謝するより他はなかった。
とにかく、実際に顕現された神の力と、天罰の予兆を感じさせる雷が鳴ったことにより、この瞬間から家族のペギーに対する対応が変わった。
元々、年齢の割には大人びたところのあった彼女だが【聖なる手】を打ち明けたことで末っ子の長女は下にも置かぬ扱いを受けるようになったのだ。
そして、月日は過ぎた。
長兄も次兄もそれぞれ十四の春に地元ヨーライズ子爵の郷士騎士団へと入団し、先年、長兄の方は入団後三年近く掛かって正騎士の叙任を受けた。次兄の方は入団して二年が経過しているが、正騎士への昇進は未だ見えていない。
ヨーライズ子爵領は高さ数十m程の深く木の生い茂った丘陵が沢山ある、連続した平地の少ない土地である。当然ながらあまり裕福ではなく、騎士団の装備品にも事欠く有り様で、剣も槍も鎧も入団者が自前で用意せねばならなかった。長兄と次兄の二人分に及ぶその負担はジーベックス准男爵家に重くのしかかっている。ペギーとしては軍人になる事について否定的な気持ちも持っていた為、自分は騎士団の入団試験を受けるつもりはない、と言っている。しかしながら、魔物がうろつくような土地柄であるため、最低限自衛の為の技術を学び、稽古をするのは必須であるとも思っていた。
彼女としては、固有技能を活かせばこの先の生活に困ることも無いであろうことから、騎士団への入団を希望する理由も無かったことが一番大きな理由であったし、両親にもそう説明していた。両親も便利だが厄介な力を授かった娘については本人がそれで良いというのであれば否やは無い。心の奥底では娘を畏れる気持ちがあった事も否定出来ない。
ペギーとしてもそういった両親の気持ちについて敏感に感じてもいたため、ある程度自活の自信が付いたら、また適当に神の言葉を騙ってどこか大きな街にでも行けば何とかなるだろうと思って気にしないようにしていた。
また、【聖なる手】の方だが、戦闘訓練で怪我を負った家族を治癒した時に軽い皮膚病までが一緒に治ってしまった事で、ある種の病気にも効果があることを予想して別の方法でも確認したり、アブに刺され、暴れた軍馬を抑えつけようとして大怪我を負った祖父の治癒をした後に、薄かった髪まで微妙に生え始めたことに気付いて仰天したりしていた。
慎重に効果の確認を行っているうちに、軽い病気程度なら一緒に治せることも解った。この辺りでペギーは(ひょっとして手で触った相手の時間を少し戻せる?)と予想したこともあった。
しかし、色々な例を目の当たりにするにつけ、流石にその突拍子もない考えは捨てざるを得なかった。例えば急激に発症して重い腹痛を訴え、転げ回るような見るからに重い病気や、生まれつきの病。例えばある程度の治癒魔術でも治せない程症状が進行した熱病。例えば初期ならともかく重度に進行した伝染性の疾患などには治癒魔術同様に気休め程度の効果しかなかった。
遠雷が轟く度にビクビクとする家族や村の人々を目にする度に申し訳ない気持ちにはなるが、重々しく「誰かが軽々しく考えているみたい」とか適当なそれらしい言葉を呟けば全員の気が引き締まる。
極めつきは村に来る隊商の中でも極稀にしか来ないような商人の一団が村を出てから隣村に向かうまでの間に魔物に襲われて食い殺される事件が発生した時だ。
こういった事件は珍しいかと言えば珍しいが、子爵領内では毎年のように何処かで発生している。だが、その事件が知れ渡った後で村の従士の一人が領主の館にやって来て、例の商人に、ついペギーのことを喋ってしまったと青くなって告白したのだ。
領主である父親もそれを聞いて青くなりながら従士に鞭打ち二回の罰を与えた。
この時、ペギーはしまったと思った。
自分のせいでなんの罪もない従士に必要以上の罪悪感を抱かせてしまったばかりか、謂れのない鞭打ちすら……と思ったのだ。従士にも申し訳ないが、それを行わざるを得なかった父親にも申し訳ない気持ちで一杯になった。
(ずっと黙ってれば良かった……お兄ちゃんを治してからどうなったとしても……ううん、仕方ない。あの時ああでも言わなければ本当にどうなっていたか……でも……)
忸怩たる思いを抱えつつそんな事を思ってみても後の祭りであった。
・・・・・・・・・
そしてペギー十三歳、従士の手当をしているところに戻る。
「あなた! ちょっといい!?」
母親が母屋から父親を呼んでいる。
従士の手当が終わったペギーは、木槍を握って再び稽古を始めた。
その日の夕方近くなって、領主の館では客を迎えていた。
三時間ほど前に母親が大声で呼んでいたのは、その客一行の先触れの人が村に到着し、宿泊を依頼したからであったのだ。
ペギーにも客が来ているので挨拶をしろということだ。
客は南の方から来た士爵一行で、当主である士爵とその息子が母屋に宿泊し、護衛達は従士の家に分泊するようだ。
商人と比べると貴族の客は珍しいが、年に二~三回はある。
そういう客のために家には客間も用意されているのだ。
客である士爵たちは犬人族のようだ。彼女も狼人族であり、なんとなくドッグワーには他の人種と比較すれば親近感を持っている。
挨拶するときに相手の子供の方の顔を見て強い違和感を覚えた。
懐かしい、東洋人の血が色濃く出た顔付き、黒い髪、黒い瞳。
それに、どことなく見覚えのある顔だったのだ。
どこで見たのかは思い出せなかったが。
向こうも少し驚いたような顔付きであった。
「どうした? ウォーリー。准男爵閣下の娘さんに見とれてるのか?」
士爵が息子をからかうと息子の方は顔を赤くして否定した。
ペギーにしても息子に見とれていたので、慌てて意識を切り替えた。
勿論、言うまでもなくお互いに相手の容姿を気に入って見とれていた訳ではない。
・・・・・・・・・
夕食までの間、どうやって不自然ではなく二人きりで話が出来るだろうかとペギーは頭を捻る。
客を交えた夕食の際、ペギーは思い切って行動に出た。
まずは合図だ。
事あるごとに意味深そうな視線を送ったりしたが、ウォーリーという男の子は悉く無反応であった。怪しまれずに声を掛けようと意味深そうな視線を送り続けていたペギーとしては男の子の鈍さを訝しんだ。
(あれ? 日本人じゃないのかしら……?)
そう思うと、余計日本人に見えてくる。
仕方なく最終手段に訴えることにする。メイドがお茶を運ぶのを自分がやると言って、わざと男の子のカップにお茶を注ぐ時に零したのだ。
「ごめんなさい! 火傷しませんでした!?」
慌てて詫びを言いながら用意しておいたハンカチを出して汚れを拭おうとするペギー。
そのハンカチには炭でメモが書いてある。メモには日本語で『真夜中、家の裏百mの空き地』とあった。
「いや、大した事ないし、気にしないで下さい」
実際、大した事はなかった。
ウォーリーという男の子は太腿を拭いてくれようとするペギーから優しくハンカチを受け取ると丁寧な仕草で汚れを拭いつつ僅かの間ハンカチに視線を落とし、書かれている内容を読んだように見えた。そして、素早く自分のポケットからハンカチを出して、ペギーのハンカチにくるんで渡してきた。
ペギーの意に了解したということなのだろう。
夕食後、一人になったペギーはハンカチを広げる。自分のハンカチにくるまれたかのハンカチには『深夜以降、見られない場所を教えて欲しい』と日本語で書いてあった。
新たな運命の扉が開いたのを感じた。




