幕間 第二十八話 宗方静香(事故当時26)の場合(前編)
本当、どうしようもないやっちゃな。あれは手間が掛かりそうだわ。難敵ね……。
宗方静香は昨夜の出来事を思い返して独り毒づいた。
彼女は勤め先の転勤命令で北関東から東京は新宿の本社に異動となった。折角なので子供の頃に住んでいた神奈川県の地方都市にアパートを借り、そこから通うことにした。新宿まで乗り換えなしで行けるのも魅力の一つだ。
昨日今日は異動日なので出社はしなくても良いのだが、後は届いた荷物のうち、急には必要のない細かいものの梱包を解くだけなので、この昼過ぎから遅い出社をして会社の机の方を先に整理しておきたかったのだ。
実は静香には今のアパートに居を定める理由があった。子供の頃、大家一家と家族ぐるみの付き合いがあったので家賃が安いことも理由の一つではあったのだが、もう一つは会うのを楽しみにしていた人物が居たためである。
大家一家は本業として小さな酒屋を営んでおり、そこの息子と同い年だったのだ。子供の頃はよく一緒に遊び、一緒に寝たり、風呂にまで一緒に入っていた。幼稚園の時に野良犬を追い払ってくれた事があり、その背中が非常に頼もしく思えていた。小学生の時は静香を虐める心ない子供から庇ってくれ、苛めっ子達に果敢に立ち向かい、お陰でこの街での静香の小学生時代は大過なく過ごせたと言ってもいい。
残念ながら小学四年生の途中、静香が十歳になったばかりの頃、静香の父親の転勤に伴い、離れてしまった。最初は手紙の遣り取りをしていたが、一年程でどちらともなく止めてしまっていた。その後、高校卒業と同時に静香は東北の国立大学に進学し、幼馴染は商業高校を卒業後、そのまま家業である酒屋の仕事を手伝っているとは聞いていた。
昨日は荷物の搬入をしたり、懐かしい、近所の人達に挨拶回りをしたりしていて碌に会う時間もなかった。仕方ないので大家には夕食がてら彼と居酒屋にでも行きたいと言っておいた。それで行ってみたのだが……。
・・・・・・・・・
「けっ、居酒屋で晩飯だぁ? 大学出ていい会社に就職した奴はおめでてーな」
「はぁ? なにそれ? 今日会えなかったから久しぶりに話でもしようとしてるだけじゃない? なに、その言い草? あんた、喧嘩売ってんの?」
「別に」
店の裏にある玄関で言い争う声を聞いたのか、母親が出てきた。
「しずちゃん、ごめんねぇ……この子、中学生くらいから捻くれちゃってねぇ……ほら、たかし、謝んなさい! 行ってきな」
しぶしぶと言った体で幼馴染の隆は家を出て静香に付いてきた。
「で、どこがいいのよ?」
「は? お前が誘ったんだろ? 知らねぇよ。俺、外ではあんま酒、飲まねぇから」
これを聞いて(こいつ、なんでこんなに変わっちゃったんだろう)と静香は少し残念に思った。昔はいつも優しくしてくれていた記憶しかなかった。だから、今はもう彼女くらいは居るだろうし、デートだってそれなりにするだろうから、おしゃれとは言わないまでもそれなりに美味しい店くらい知っているだろうと思っていたのだ。
仕方なく、駅前のチェーンの居酒屋に入り(個人経営の居酒屋には酒を卸している関係でどうにも顔を出しづらい、と言うのを聞いて尚更呆れた)飲み食いしながらいろいろと話を聞いた。暫くしてお互いに打ち解けあい、昔のようにかなり気軽に話せることも確認できた。
そうしているうちに静香は何故、隆がこんな性格になってしまったのかを朧気に理解した。原因は隆の友人にあった。静香は知らなかった(予想はしていた)が、静香を虐めから救い出した隆はその後も虐めをよしとせず、毅然として立ち向かっていた。そんな中、高校で出会った虐められっ子と卒業後も交流を深め、今でも付き合いは続いているらしい。高校卒業後にそのまま実家の手伝いを始め、同年代との交友関係が激減した隆はその友人の影響を大きく受けてしまっていた。
隆自身はその友人のことを「社会情勢を始めとして、色々な物事を良く知っているし、頭もいい。そして何より物事の本質を見抜く力には感心する」と評していた。だが、話を聞いた静香は(単なるネクラのネットオタクじゃない。しかもニートの)としか思えなかった。
二人は鳥の唐揚げをつつきながらビールのジョッキを傾ける。
「あ、おい、何勝手にレモン絞ってんだよ?」
「レモンかけたほうが美味しいでしょ?」
「か、勝手な事を……」
唐揚げは新たにもう一皿注文された。
次に、刺し盛りが運ばれてきた。
「あら、やっぱ向こうとは違うわね」
「小田原が近いからな、神奈川だって結構魚旨いだろ?」
「ここ、チェーンよ。どこの仕入れか解らないでしょ」
「そう言えばそうだった……」
シロコロの長焼きが来た。この地域では昔からある豚の大腸のホルモン焼きで、生のまま味付けされ、ぶつ切りで焼いて食べるのが一般的だ。この地域の昼食を供する定食屋には必ずと言っていいほどメニューに有る。蕎麦屋にもシロコロ定食はメニューにあるくらいだ。長焼きはぶつ切りにせず、全長一mに達する。それを客がハサミで丁度良い大きさに切って食べるのだ。
「うん、ふっわふわ。相変わらず美味しいね」
ふわふわのマシュマロでも食べているような口触りがなんとも言えない感触を与えてくれる。少し脂が乗って、味噌だれの濃い味付けがされているこれがビールと非常に良くマッチングするのだ。勿論ご飯のおかずにも良い。静香は子供の頃、シロコロを使ったホルモン焼きが大好物だったことを思い出した。転居先の肉屋では売っていなかったか、たまに売っていても全て割かれてボイルされた見た目も食感も全く異なるものばかりであったのだ。
生のまま流通しているのはこの地域だけであった。転居先でシロコロと言っても通じず、買ってこられなかった母親を見限って自分で買いに行ったものの、やはり通じずにとぼとぼと帰宅し、母親に謝ったことを思い出した。
「マルチョウならここより長野屋の方が美味いぜ」
「ならなんで長野屋にしないのよ……」
そして更に酒が回った二人は段々と深い話になって行く。
「ん~、俺は今の生活で結構満足だよ。お得意様もいるし。そりゃあ、店の売上も微妙に落ち気味だけど、このご時世、仕方ない。配達やなんやで忙しいし、きついけど、時間も結構融通利くしね」
「売上が落ち気味って……大問題じゃない。コンビニとかにする気はないの? あのあたり、コンビニ無いじゃん。どっか出てきたらもう間に合わないよ?」
「コンビニなぁ……話は来てるんだ。親父もお袋もお前の好きにしろとは言ってくれてるけど……。サトシが言うにはコンビニはフランチャイズ加盟料をふんだくってその後売上が落ちても結構知らん振りするって言うし、そのくせ売りたいもののノルマもキツイらしいしなぁ……」
「またサトシかよ」
「え? なんか言ったか?」
「いんや」
先細りの現状になんら対策を打つ訳でもなく、諦観を漂わせたその姿に静香は幻滅した。
「俺も家なんか継がなきゃよかった……どっか会社に就職でもしてたらまた違ったんだろうな……でも会社勤めは給料以上に働いても意味は無いし、何よりリストラがあるしなぁ」
という台詞には殺意さえ覚えた。そりゃあ隆が就職していたらまた違った人生になったろう。余剰人員の首切りは別にしても再構築だって会社にとっては当たり前の話だ。だが、このような男が就職をしたとして、一生窓際の平社員で終わりそうな気もする。静香の会社にもそういう人は居る。適当に給料さえ貰えればいい、と一生懸命に働く人を横目に腹の底では自分の小さな、しかも目先の人生しか考えられないような奴だ。
このご時世、しゃかりきになって働いても給料は雀の涙、景気が悪くなったら会社は従業員の都合などお構いなしにポイ、だ。それならそんなに一生懸命に会社に尽くさなくても良いではないか、と思っている輩のなんと多いことか。
静香は「仕事は会社のためだけに行っている訳ではない」と思っている。ポイされたくなければそうされないように己を磨けば済むだけの話であると思っている。会社に首を切られない人材になれば良いだけなのに。
なんでこんな小さな事を言う奴になっちゃったんだろう。今日だってお得意様の個人経営の居酒屋にすれば客との付き合いも親密になれるし、酒が捌けるのに、と思って悲しくなった。
「なぁ、静香。東京に転勤で戻るにしても、何もこんな離れた場所で暮らさなくたって良かったろ? なんでわざわざ……? あ……」
(隆、今絶対勘違いしてる)
「別に。“おじさんやおばさんのお陰”で家賃が安いからね。あ、私、彼氏いるから」
彼氏云々は嘘だった。
・・・・・・・・・
電車に乗ったら途中でギターケースを抱えた軽薄そうな男が乗ってきて静香の隣に股を開いて腰掛けた。彼のイヤホンから音楽が漏れ聞こえてくる。結構席は空いているが席を移るほど我慢出来ない訳ではない。なにより、自分の携帯電話にも電子音楽プレイヤーとしての機能もあり、それを聞けば済むだけの話だ。
静香も好きな音楽を耳にし、いつの間にか目を閉じていた。
次に目を覚ますのは事故の瞬間。誰かの鞄が静香に突っ込んで来た時だ。
・・・・・・・・・
静香が新たな生を受けたのはヨーライズ子爵領の森と畑に囲まれたケルサミッシュという、規模の大きな村だ。人口は二千人を超えるので街と言った方が適切かもしれない。子爵領第二の都市、サミッシュにほど近い、水の便にも立地にも恵まれた場所だ。
この村の領主であるジーベックス准男爵の長女として彼女はマーガレットと名付けられた。愛称はペギーである。長女と言っても上に長男と次男が居り、家督を継ぐことは難しいであろう。
彼女が命名の儀式を受けたのは他の人より多少遅く、一歳も半ばを過ぎた頃だ。当然彼女もその後暫くして己の固有技能に気付いた。
【マーガレット・ジーベックス/3/7/7429】
【女性/14/2/7428】
【狼人族・ジーベックス准男爵家長女】
【特殊技能:超嗅覚】
【固有技能:聖なる手】
(なんだこれ?)
気付いた時には訳が分からなかった。しかし、“聖なる”とあるので悪いものではなかろう。そう考えた静香はその固有技能とやらを使ってみたかった。既に特殊技能については知っていたからだ。
だが、どうやっても一向に使うことは出来なかった。
彼女が自分の固有技能の使い方を学んだのは六歳の頃だ。川の岩場で遊んでいて転び、脛から膝にかけて大きな怪我をしてしまったのだ。一緒に遊んでいた子どもたちは領主の娘に怪我をさせてしまったことで動転し、慌てるばかりだ。
ペギーも痛みと出血でパニックを起こしかけていた。
「だ、誰か治癒魔法を使える大人を呼んで来いっ!」
ガキ大将格の男の子がそう言うと他の子は蜘蛛の子を散らすように村の中心部に向かって駆けて行ってしまった。
「い、痛い、痛いよぉ……ビル、痛い……」
「ああ、ペギー……いま傷を洗ってやる」
ビルと呼ばれたガキ大将格の男の子は川から水を汲むとペギーの足を洗い始めた。肉が裂け、骨が見えそうな程大きな傷だった。折角洗ってもみるみると血が溢れ、再び傷を覆い隠してしまう。
(痛い痛い痛い。早く魔法を覚えたい。それよりそんな消毒もしてない川の水で洗うな、汚いから)
傷に手を当て、歯を食いしばって痛みを堪えるペギー。
「ビル、そこの道まで出て。大人が来ても場所が判らないかも知れないから」
溢れだす感情の裏に、大人である静香の思考が走りぬけ、少し冷静に考えることが出来た。
ビルは突然冷静に判断したペギーの顔を見て少し驚いたようだが、すぐに川沿いを走る道に向かって駆け出した。
とは言え六歳児。すぐに不安になってしまう。必死に(落ち着け、この程度で死にはしない)と心を落ち着かせ、少しでも出血を止めようと腰帯を解いてそれで太腿を縛る。力が無いので満足に縛れては居ないが何もしないよりはマシだったのだろう。傷口を押さえる手に当たる出血も幾分減ったようだ。
その時、天啓のようにペギーの脳裏に閃いた。数年前に使おうと一生懸命になって取り組んだが、結局使えずに諦めてしまったものだ。
(固有技能……聖なる手?)
「あっ!」
傷を押さえる手が真っ白な光を発した。光っている時間は短かったが、確かに白く光っていた。
同時に傷の痛みが僅かに和らいだのを自覚した。
完治には程遠いが、確かに傷がほんの少し小さくなっている!
さっきは脛のここから膝のここまで、十五㎝も裂けていたのだ。
だが、絶対に今はほんの少しだけど小さくなっている!
(なに? 私の固有技能って……)
もう一度聖なる手を使ったペギーはまた僅かに傷が小さくなったことを自覚した。そして、その直後、ぞくり、と背筋を這い登ってきた圧倒的な恐怖感に囚われてしまった。
ペギーは大声で泣き喚き始める。何故だか彼女にも疑問だったが、どうしても傷への恐怖心を抑えることが出来なかったのだ。泣き喚きながらも(さっきはなんとか落ち着けたのに……)と一瞬だけ思ったがそこまでだった。とにかく怖い。このまま血が止まらず死んでしまうのではないか、という考えが頭を支配する。
いつの間にかビルが戻ってきて彼女の側につき、あやすように落ち着かせてくれようとしていたが、そんなものはお構いなしにポロポロと涙を零し、あらん限りの声を立てて泣くペギー。
大人が駆けつけるまでの数十分もの間、ビルは泣き喚くペギーを困ったような顔であやし続けていた。
読者様よりご助言を頂きましたので余計な部分(居酒屋の件大部分)を削除しました。




