第百六十八話 フル・モンティ
7446年6月30日
右手でグリップを保持したまま、出来るだけ音を立てないように、それでもそこそこの速度を維持しながら牛頭に忍び寄る。まずはこちらの体がよく見えないうちに有利な位置取りを心掛けるべきだが、真っ昼間のように明るくなった広場ではもう隠れる場所なんかない。
位置関係は俺の右手に五十m程の幅の柱の土壁の表面があり、その壁の中央に恐らく転移水晶の間への入口、そこを守護するように三m程壁から離れた辺りに牛頭のモンスター、多分ミノタウロスが入口に背を向けて立っている。
戦斧を構えながらきょろきょろと辺りを窺っていたミノが向こうを向いている時に柱の角ぎりぎりから手に持っていた石を入口の正面遠くを目掛けて投げた。少し離れた地面に落ちた音を聞いたミノは素早く正面に向き直るとそちらに数歩踏み出した。
こちらに対して真後ろを向かせるのは流石に無理だったが、奴の左斜め後ろからこそこそと忍び寄るのだ。
奴の体高は二mを頭一つくらい超え、その体つきは往年のハリウッドのアクションスター、アーノルド・シュワルツェネッガーを彷彿とさせるような筋骨隆々とした力強さを感じさせる。これで頭までシュワルツェネッガーであれば、彼の出世作である、蛮族の王とダブるところだ。
だが、俺だって今ではそこそこの肉体を誇っている。身長こそ百八十にはギリギリ足りないだろうがね。
しかし、本来はパーティー全員で取り囲んでタコ殴りにすべきなんだろうが、生憎とパーティーから分断された俺はたった一人でこいつをなんとかしなければならない。
透明化の魔術ももうそんなに長くは持たないはずだ。今のところ唯一俺が有利な点は攻撃の直前まで体が見えないことだ。これを活かすため後ろから不意打ちをしたいところだ。
出来るだけ急いで抜き足差し足忍び足。
可能であれば真後ろに回り込んで心臓(人型をしているから左胸にあるだろうと勝手に当たりをつけているがゴブリンやホブゴブリンは右胸が心臓なんだよな)を一突きと行きたいところだ。
仮に心臓でなくても大怪我だろうしな。
真後ろが無理であれば最初に攻撃するのは血管がいい。
それも出来るだけ太いやつ。首の横や鼠径部、脇を深く切り裂けたら最高だが、それはちと無理がある。
あと十m。
牛頭はまだ石が落ちた辺りを窺っている様子だ。
いいぞ。
そのまま動くな。
左脇腹に突き刺して抉ってやる。
運が良ければ腎臓だ。
あと五m。
両手で油断なく戦斧を構えていた牛頭は左手を戦斧から離し、落としていた腰を浮かせた。
定位置に戻るつもりか。
まずい。
振り返って戻るならこっちに背を向けてくれ!
でもあと三m。
銃剣を腰だめにし、前突きの体勢のまま最後の一歩を全力で踏み出す。
スパッと俺の体が透明化から元に戻った。
今まで見えなかった銃剣を持つ俺の手や足先が目に入った。
ええい! ままよ!
喰らえっ!
悪いことにミノはこちら側に振り向いて定位置に戻ろうとしたのだろう。
正面から突撃をかます格好になってしまった。
だが、既に俺の銃剣の切っ先はミノの腹の寸前だ。
根元まで突き刺し抉って引き抜いた。
ミノは突然の攻撃に対して予想外だとでも言うように目を見開いている。
が、すぐに怒りに顔を歪ませると「ヴモオォォォッ!!」と雄叫びを上げながら右手に持っていた戦斧を片手一本でコンパクトに振ってきた。
全力で後ろに飛び退がりその一撃を躱した。
あと一瞬でも遅れていたら俺の体には左腕ごと斧が食い込んでいただろう。
その時は左腕も上腕で切り離されていたろうし、心臓も破壊されていただろう。
冷や汗が吹き出す。
よし、逃げるぞ。
逃げて隙を見て石を投げるのだ。
少なくとも銃剣の刺突により大きな一発を入れられた。
大怪我を負わせたはずだ。
出血もしているだろうし、猛烈な痛みに襲われているはずだ。
距離を取って石をぶつけてやればその内に体力を使い果たして動けなくなるだろう。
白兵戦なんざそれからでも遅くない。
っつーか、両親から貰ったこの体、傷つけたくないしね。
とは言え、背を見せる訳にも行かない。
ミノを睨みつけながらじりじりと後退する感じだ。
ミノはミノで「ヴォゲェ」だのなんだの悪態を吐いて俺を挑発している感じもするが、この際時間は俺の味方だ。
腰を落として右手一本で戦斧を持ち、左手は腹の傷を押さえている。
お前がそのまま突っかかって来ないならそっちの方が有難い。
「バァデエェッ!!」
あ、やっぱそう簡単には行かないか。
ミノが戦斧を両手持ちに切り替えて急に襲いかかって来た。
うおっ!?
あ、危なかった……。
まだあんな速度で踏み込めるのか。
予想を上回るどころか、予想以上の猛スピードの踏み込みだった。
しかし、痛い。
今の突進を躱すために左に転がって避けたのだが、裸の身で地面を転がるのはダメだ。
擦り傷だらけである。
親父、お袋、ごめん。
地面を裸足で走るのだって楽じゃないってのに……何年もブーツを履いていた俺の足はすっかり軟弱になっており、尖った石でも踏んづけたら一大事だ。
だが、見たぞ。
臍の脇に銃剣を突っ込んだ傷は大ダメージを与えている。
こうしている間にも出血は続き、腰巻を赤く染めているばかりか、左の足を伝って地面に届き始めてる。
心なしかミノの息遣いも荒くなっているように思う。
俺の見立て違いでなければね。
立ち上がりながら銃剣を振り回し、もう一度こちらに向き直ったミノの体勢を崩すと、俺はまた距離をとった。
ミノもすぐに体勢を立て直し、再度突撃の機会を窺っているように見える。
おっかねぇ。
そんなに見るなよ。
照れるだろ。
ふん、こんな事考えていられるならまだ俺は落ち着いているな。
そらそうよ。
先日二十八レベルになったばかりだが、加齢もあって俺の俊敏は五十四だ。本当のところは知らんがな。
半分と見ても二十七はあるし、三分の一でも十八だ。
油断さえしなきゃちょっとやそっとの相手に攻撃を喰らう訳ねぇ。
でも、あの戦斧で一発貰ったら死が見えるな。
またミノがオレに向かって突進するようだ。
用心して少しづつ距離を取りながらミノを観察する。
目は血走り、息は荒く、その色は白い。
涎なんかも垂れている。
確実に弱っている。
しかし、俺だって一発貰えば似たようなものか、もっと酷い状況になることは目に見えている。
三m程の距離を取っているが、こんなもの、ミノにかかれば一瞬で詰められるだろう。
俺も腰を落として踵を上げ、どんな動きにも対応できるようにして銃剣を構えている。
次に突進してきたら華麗に躱し、その余勢を駆って全力でダッシュだ。
そう思った瞬間、突っ込んできた!
ちっ、両手持ちだった戦斧はまた右手だけに持ち替えられており、俺から見て左側から振り被られている。
右に躱し、元来た方へ逃げたかったんだが。
あのコンパクトな持ち方だと振った先で突いてくるだろう。
戦斧の両刃の間には槍もあるようだしね。
仕方ないので体を低く沈ませると左に向けてすっ飛ぶように躱した。
俺の左側に柱の表面があり、元来た方は奴の体が邪魔になっている。
面倒だな。
ミノは悔しげな表情を一つ浮かべると、何か思い付いたのか一つニヤリとした。
改めて思うが、感情があるだけでなく、そこそこまともな思考も出来るんだな。
だからこそ、焦っているんだろう。
流れ出る血液に慄いているんだろう?
どんどんと減っていく命の精がいつ尽きてしまうのか、怖いんだろう?
早く治療したいんだろう?
解るぜ。
そしてまた突っ込んできた。
へっへ。
さっきと同じように構えているからもう俺は左に逃げられないと思っていやがる。
そうは問屋が卸しません。
初めて銃剣を防御に使う。
勿論、あんな戦斧を受け止めようという訳ではない。
カチ上げて少しベクトルをずらしてやっただけだ。
ミノは俺が左に(奴から見て右に)躱したらその体で体当たりし、壁と挟むつもりだったらしい。
俺が右に行けば振り切った戦斧の先で突いたり、もう一度攻撃するなり出来ると踏んでいたのだろう。
事実、さっきの俺はそれを恐れて左に逃げたしな。
だが、俺はまたもや左に大きく跳んだ。
その先には柱の壁。
必ず出来る!
「んおおぉっ!!」
思わず気合と共に口から漏れる叫び。
壁を左足で蹴り、右足は足刀で壁との距離をゼロにしようとする奴の首筋に。
銃剣の銃床部を再度壁に突き、壁への激突を避ける。
そのまま奴の背後に着地すると、猛然とダッシュ。
左側に聳える柱の壁が無くなると同時に壁の影に入るように進行方向を左にずらす。
俺の背中に向けて斧でも放って来るかとの予想もあったが、そこまで馬鹿じゃなかったようだ。
ま、俺に踏み台にされて大きく体勢を崩したはずだし、斧を投げようとしても俺はもう柱の陰に隠れた後だろうしね。
馬鹿は失礼だったね。
柱の影に隠れたまま一番近くに見えていた岩の陰に飛び込んだ。
ミノが俺を追って走ってくる気配は止んでいない。
この岩に隠れるとこ、見られたろうな。
素早く地面に転がっている子供の拳くらいの石を掴み上げると、岩から飛び出してミノに向かって投げた。
距離は十mあるかどうかだ。
石を投げつけようとする俺の姿を認めたミノはそれでも突進を止めなかった。
胸のど真ん中目掛けて投げる。
当然ながら見事命中だ。
この距離で俺に石を投げられて躱せるもんか。
俺にだって無理だろう。
「ヴモオォッ!」っと痛そうな声を上げた。
本当は頭とかがいいんだけど、頭は振れるから躱されることもあるだろうしね。
もっと弱ってから。
すぐにまた別の岩陰に入り石を拾いあげ投げる。
幾らでもやってやる。
ミノの心が折れるまで、何時間でも鬼ごっこだ。
そうやって十分近くもやったろうか。
皆の居る辺りまでミノを誘導して来た。
「アル!!」
「アルさん!!」
「ご主人様!!」
俺とミノの追いかけっこを見た皆から俺の無事を喜びながらもミノタウロスを認めて心配そうにごっちゃになった叫び声が上がる。
こっち側の地面、ライトニングボルトの檻の傍には焼け焦げた石や、炭みたいになった矢が幾つも落ちていた。
くそ、援護は絶望か。
「ナッハッハ! あれ見てあれ!」
噴き出す声が聞こえた。
てめぇ、あとで殺す。
石を拾って投げつける。
「ミヅチがトリス達を引き連れてこの中に入れそうな場所がないか移動した! 相変わらず魔法もダメだっ!」
ゼノムの声がした。あそこに居るのは他にベルとズールー、それに馬鹿だけか。
「弓も通らないの!」
ベルも叫ぶ。
「ご主人様!!」
ズールーが駆け寄ってくるがライトニングボルトの数m手前で止まる。
それ以上は危ないってことか。
「俺は大丈夫だっ!」
あーあ、ベルに射殺して貰おうと思ってたが、無理かい。
また気を引き締め直して鬼ごっこだ。
「ミヅチたちはどっちにっ?」
外部からの援護が期待出来ないのであれば反対方向に行った方が良いだろう。
ざっと見た感じだと入れそうな、ライトニングボルトが途切れていそうな場所なんかなさそうだし。
「あちらですっ!」
ズールーが指差す方とは逆に移動するようにミノを誘い、石を投げる。
「皆そこで待ってろっ! すぐに片付けてやる!」
とは言え、ミノ、何十発も石をぶつけられ体の各所に傷を負いながらもタフだなぁ。
動きは結構鈍っているようだが、それでもまだきちんと動いているし。
まだ時間が掛かりそうだ。
「アル! 石なんか投げてないで一気にやっちゃいなよ!」
うるせーばか。
裸なんで怖いんだよっ!
元々戦うつもりなんか無かったんだ。
偵察を終えてからまた鎧を身につけるつもりだったし。
戦うのはそれからだと思ってたんだよ。
「ラルファ、お前は少し黙っとけ!」
「あいたっ!」
ゼノムがラルファを叱りつける声が聞こえた。
拳骨も落とされたようだ。
ざまぁ。
「だって、アルなら大丈夫でしょ! あんなのに負けるはずないじゃん!」
む、殺すのは勘弁してやろう。
ゼノムに口答えするラルファの声を背に受けて走り、適当な石が目に入るとそれを拾い上げて俊敏に振り返りざま投擲する。
額を狙い、見事命中!
どうだ!
「ぶひゃひゃ! 揺れてる! ぴたーんって!」
やっぱコロス。
「いい加減にしなさいっ!」
「いい加減にしろっ」
ベルとズールーにも窘められた。
ざまぁ。
更に十分後、いい加減弱り始めて動きが鈍くなった所を見計らい、ガンガンと石を投げつけた。
すると、そろそろ限界を感じたのか、ミノは追いかけて来なくなった。
俺を追い掛けるどころか、回れ右をして逃げ出そうとしやがる。
逃がすか。
オラァッ!
見事に後頭部に石が命中する。
「ギューッ!」
情けない声を上げ、それでも俺から遠ざかろうとしている。
ふむ。
少し大きめの奴で膝の裏でも狙ってみるか。
ピッチャー振りかぶって……第百球(適当)……投げました!
「ットライィッ!」
右膝の裏に石が当たった。
「ゴオォドオォォッ!」
顔中腫れあがり、手足も含めて体中に青痣の出来たミノが絶叫を喚げ、ついに膝をついた。
なんだ、まだ結構元気そうじゃねぇか。
まだ近寄るのは危ないな。
おら。
おらおら。
丈夫だね。
それでも何十発も石をぶつけてから頭や首に銃剣を突き刺した。
このやろ、このやろ。
……手間取らせやがって。
ちっとも格好良くないし、泥臭いが勝ちは勝ちだ。
格好良く勝つのは防具を着けている時だけで充分。
気が付くとライトニングボルトの檻は消え、皆が俺を探す声がしていた。
天井から降り注ぐ明かりはそのままだ。
「ステータスオープン」
【死体(小牛人族)】
ありゃ、魔石採る前にやり過ぎたか。
いつの間にか俺も汗ビッショリだ。
気持ち悪いけど、魔法使えないんだよな……。
待てっ! 俺が確認したのはこいつ一匹だけだったけど、まだ居ないとも限らん!
銃剣を構え直し声を上げた。
「俺はここだっ! 皆油断するなっ!」
怒鳴るようにして腹から声を振り絞った。
まずはミヅチの声が聞こえた方に行かなきゃな。
パンツくらい持って来てくれてるよね?




