「裏百六十三話」
迷宮都市バルドゥック。
ここはその街で一番規模の大きな宿、シューニーの第五棟の一階、六号室だ。
時刻は草木も眠る真夜中である。
そっと鍵が開けられると部屋の住人を起こさないよう気遣った、慎重な足取りで誰かが部屋に入ってきた。磨かれてはいるが所々毛羽の立つ床を擦るように慎重に部屋に入るとそっと鍵を掛け直した。
ズズズッ、という閂をずらし、鍵を掛ける音が暗闇に響く。
だが、鍵を掛けた人影は別段驚いたり慌てたりする様子も見せずに慣れた足運びでそっと部屋を歩き、左の壁際に置いてあるベッドに潜り込んだ。
暫くは何も聞こえず、暗闇の中で二つの呼吸音がするだけだった。
そのうち片方の呼吸音が乱れ始める。
「おかあちゃん……」
暗闇の中、部屋に二台置いてあるベッドの左側からボソリと呟く声と啜り泣きがする。
もう一台の方のベッドからは規則的な呼吸音のみが続いていた。
・・・・・・・・
「おい、テリー、早くしろよ。行かないと」
目を覚ましたジョンは明かりの魔道具を灯し、同部屋のテリーに声を掛けると自分のベッドに腰掛けてサンダルへ足を通した。サンダルの底に付属しているゴムベルトでサンダルをぴったりと足に密着させる。テリーの方も眠っていた訳ではない。既に目を覚ましており、単にベッドの中でもぞもぞしていただけなので、むにゃむにゃ言いながらもすぐに起き上がり下着をつけ、服を着始めている。
(下着も一週間分、服も三着も頂いた。それに明かりの魔道具まで……いつの間にか当たり前な気になってるけど……)
勿論シューニーには明かりの魔道具が備えられている部屋もある。しかし、少し割高であり、宿の住人の殆どはランプや壁掛け行灯を自前で用意するか、彼らのように性能の低い安価(十万Z以上はするが)な明かりの魔道具を使っている。
ゴムベルトを締め終わったジョンはベッドから立ち上がり、小さなテーブルの水差しからカップに水を一杯注ぐと一息に飲み干した。テリーの方もサンダルに足を通したところだ。
彼ら二人は毎日夜明けの一時間前頃に起きるように目覚ましの小魔法を掛けている。
欠伸を噛み殺しながら宿の敷地を巡回する番人に挨拶をしつつシューニーの本館まで出向き、一晩中誰かが詰めているフロントに鍵を預かってもらう。
待ち合わせの場所はこの本館前だ。
二人が少しの間、待っているとヘンリーやメック、ルビー、ジェスら戦闘奴隷が続々と集まってきた。最後に奴隷頭のズールーが現れると全員揃って「お早うございます、ズールー様」と挨拶を述べ、ボイル亭まで移動する。
「なぁ、ジョン、これさぁ、嫌だよな……」
「ああ……でも、ご主人様のお言いつけだし、仕方ないよ」
奴隷たちの一番後ろにくっついて、ジョンとテリーの二人がぶつぶつと小声で不平をこぼしていた。
二人揃って今の主人であるグリード准爵に購入されたジョンとテリーは、買われてから数カ月後の年明けから毎朝一時間程度走ることを強制されていた。まだ十一歳の二人には辛い運動である。走る意味も理解なんかしていない。命じられたのでただ走っているだけだ。それでも慣れて来たのか、最初は外輪山の天辺まで行って帰ってくるまでたっぷり一時間掛かっていたのだが、最近は僅かながら早い時間で帰ってくることが出来るようになっていた。だからと言って別段何が変わるという訳でもないのだが。
今日もこれから外輪山の天辺まで走り、戻ってくると言う、全く何の意味があるのか解らない単に体力を磨り潰すだけの無駄な作業を強制される。奴隷として最高に近い環境の下に買われた幸運を有り難いとは思っていたが「正直言ってこれさえなければなぁ」と言うのが二人の共通意識である。
ボイル亭の前で暫く待っているとぞろぞろと何人もの冒険者が軽装で集まって来た。全員が冒険者であるグリード准爵の指揮するパーティー、殺戮者の一員である。所用で里帰りしているグリード准爵とその自称奥方であるミヅチ、それから同じ殺戮者の一員であるグィネに戦闘奴隷のマルソー。この四人を加えればいつものメンバーとなる。殺戮者で走っていないのはゼノム、ロッコ、ケビン、ビンスの四人だけだ。
なぜ彼らは走るのを免除されているのだろう? ジョンは以前そう言って疑問を呈したことがある。テリーは「奴隷じゃないからだろ」と返事をしていたがそれで正解かどうかはわからなかった。
「よし、行こう!」
カロスタラン准爵の掛け声で一斉に走りだした。
・・・・・・・・・
「はい、いいわよ、気をつけてね」
キャシーが挽き肉機に二度挽きを詰めながら言った。
「はい、大丈夫です」
テリーが元気よく答え、挽き肉機のハンドルを回し始めた。口金で見えないけれど、口金の奥では穴の空いたプレートからもりもりと細かく裁断された豚肉が押し出されている筈だ。それを漏らさないように、口金にあてがった豚の腸をケーシングとしてバルドゥッキーを製造しているのだ。
キャシーはすっかり慣れた手つきで口金に縮めて装着しているケーシングを送り出している。ハンドルを回すテリーに声を掛けながら挽き肉の出の速度を調節し、一定間隔でケーシングに捻りを入れて長さを揃えているのだ。ケーシングには時折小さな気泡も混じるが、これはあとで針で突いて空気を抜いてやれば良い。
今作っているのはノーマルタイプ。
三度にわたって挽き肉機に荒く刻んだ豚肉を通してペーストに近い状態の挽き肉を作り、それを腸詰めにしたものだ。味付けは僅かな塩胡椒のみ。このバルドゥッキーの開発者であるサージによると全ての基本となる究極の腸詰めだそうだ。ハンドルを回すテリーも大好きな一品である。
隣ではもう一台の挽き肉機でジョンが額に汗を浮かべながら豚肉を挽いている。挽き肉機のプレートの下には大きなボウルが置いてあり、出てきた挽き肉はそこにどんどんと溜まっていく。
こちらは後で、一度だけ軽く挽いたカゾットと呼ばれる植物性のアナログチーズと良く混ぜ、再度挽き肉機に通して腸詰めを行う。カゾット入り腸詰めのタネを準備しているところであった。
今ではこれらの他に歯応えの良い粗挽きの胡椒味の腸詰めや、さっぱりとしたレモングラスを混ぜた香草入りのもの、高級な調味料であるチレ(唐辛子)を混ぜた辛口のものなど数種類の味付で腸詰めを製造販売していた。但し、仕入れルートの関係で牛肉は手に入っていない。
現時点の製造量は日産で約五百本を誇っている。生産量の六~七割は飯屋などへの卸売販売であり、残りが夕方頃に入り口広場で屋台売りするものである。なお、バルドゥッキーを知った王都の商会から卸売販売をして欲しいと矢の催促を受けているが、こちらには全く対応出来ていない。
業者からは「この味、この価格なら十分に多く(一日で千本以上)の需要が見込める」と増産の要求は高いが、挽き肉機はともかく、燻製などの作業場の問題でそれらの要求については全て断らねばならないのが辛いところであった。毎月大量に届く防腐剤はちっとも減らず、バストラル夫妻の悩みの種になりつつある。真剣に倉庫を借りることについて検討を始めたくらいだ。
だが、七月の半ばから八月を目処にきちんとした腸詰めの製造工場を王都に開く事が計画されている。グリード准爵の経営するグリード商会からは、工場の従業員となる奴隷の選定のため、出入りの奴隷商であるロンスライル商会に大雑把な奴隷の調達の依頼が出されている。
六月頃に、集めて貰った奴隷から購入採用する者を選定し、ざっと教育を施した後、キャシーを通いの工場長にしてジョンとテリーと共に工場へ送り込む計画だ。キャシーは殺戮者が迷宮に入っている間、王都に住まいを移し、戻って来る日に合わせてバルドゥックへと帰る、忙しい生活になる。
キャシーとしてはサージやグリード准爵に対する信頼感からその生活には全く不満も無いため(何しろ乗合馬車の交通費や王都に滞在する費用は商会で持って貰えるとの話だったのだ)、空き時間で熱心に読み書きや計算について勉強を欠かさなかった。
また、キャシーがバルドゥックに居る間は工場の操業は停止するのが収入的に痛いといえば痛いが、それは今も似たようなものなので、今の数倍に生産量が上がり、それに伴って売上や利益が向上すれば結果的には今の何倍かの金を得ることが出来るだろうと見込まれていた。
「……テリー、終わり?」
腸詰めをしていたらタネが出なくなったためキャシーが顔を上げてテリーに尋ねた。
「はい、終わりです」
挽き肉機の肉詰めポケットを覗きながらテリーが答えた。
「キャシーさん、こちらの準備は終わりました」
ジョンがキャシーに声を掛けた。
「最後のカゾット入りだっけ? あ、テリーは今のうちにそれ分解して洗っておいて。こっちが終わったら今日の分は終わりだし、燻製しながらお昼にしようね」
キャシーがにこにこと笑いながら言った。同時に口金からケーシングも引き抜いて余った部分をナイフで切った。それをもう一度指に押し込めて縮め、今度はジョンの方の挽き肉機の口金に押し込む。
「はい。あの、今日は僕、香草入りがいいです」
テリーが挽き肉機の万力を緩めながら答える。
「あ、あの、僕は今作ってるカゾット入りがいいです」
ジョンも挽き肉機の上部に左手を添え、右手でハンドルを握りながら言う。
「はいはい、好きなものを食べて頂戴。私はやっぱり粗挽きね。……さ、いいわよ、やって」
ジョンがハンドルを回転させ始めて少し経つと口金からカゾット入りの挽き肉が押し出されてくる。キャシーは先程と同じように器用に縮められたケーシングを押し出し、腸詰めを作り始めた。ジョンも挽き肉が出る速度が一定になるように心掛け、慎重にハンドルを回すスピードを調節していた。
・・・・・・・・・
夕方四時過ぎにはバルドゥッキーの納品も終わる。
納品先は今のところ四店舗しかないが、晩飯時に間に合わせる必要が有るため、ジョンとテリーはここでも時には十㎏にもなる重い荷物を持って全速力でバルドゥックの街中を走り回るハメになる。
それから入り口広場に出向き、簡易な屋台で串を打ったバルドゥッキーを焼いて売るのだ。
ノーマル以外は三百五十Z、チレ入りのものは四百Zという、比較的高い価格設定にも関わらず、バルドゥッキーはいつも飛ぶように売れる。因みに卸値はそれぞれ百Z引きだ。しかし、卸した店で食べるとこの屋台の倍近い値が付けられている。尤も、店では一本丸々ではなく半分に切られて供されることが殆どなので価格は一緒だ。
いつもの場所で屋台を組み立て始めるとだんだんと待ちきれない客が集まってくる。
バルドゥッキーの味を知った人はかなり多くなっており、手軽に食べられ、それなりに満足出来る(一本百gちょっともあるのだ)バルドゥッキーの人気は鰻登りだった。コンロの魔道具に乗せたフライパンに薄く油を敷いてバルドゥッキーを焼き始めると少しずつ待ち人は増え、ちょっとした人だかりが出来る。
「はい、そちらさん、香草と粗挽きね。七百Zよ。銅貨七枚か大銅貨一枚でお願いね」
キャシーがにこにこと笑みを振りまきながら愛想よく売りさばく。勿論トレードマークとなった黒シャツとタオルを頭に巻いたいつもの格好だ。
「バルドゥッキー五本、カゾット三本、チレ二本上がりまーす!」
ジョンが叫ぶように威勢よく言うと、すぐに焼きあがった品がテリーによって皿に移される。
「はいよっ! お次」
串を打たれ、切り込みを入れられた新たな品がテリーによってフライパンに並べられる。
「えっと……これが香草、ここまで粗挽き、こっちがバルドゥッキーね!」
テリーが少し串の間を空けてフライパンに並べるのを見てジョンは心得たとばかりに頷き、フライパンを揺すって満遍なく表面に油が行き渡るようにした。
「きゃっ! お、お客さん! 止めてください!」
「な、ええやんか、減るもんじゃなし」
「もう、触らないで下さいよ!」
「へっへっへ、逃げなはんな、そんなんよりわいのを食わせたるさかいな? あんじょう味わってや」
稀にこういう客がいる。売り子を務めるキャシーにちょっかいを出そうとする困った客だ。今回は獅人族を筆頭に普人族と犬人族の荒っぽそうな、一見して二十歳前くらいの三人組だった。
「あー、お客さん。これ、見えないすか?」
だが、テリーは落ち着いて看板を指さす。そこには「殺戮者の店」と書いてある。
「なんや!? 小僧! 殺戮者ゥ? ンなもん知らんがな! なんぼのもんじゃい!」
客は新参の冒険者のようであった。こんなのを相手にするのは月に一~二回くらいあるのでもうすっかり慣れっこだ。いきなり剣を抜かれでもしない限りはまだ慌てる時間ではない。
「いいんすね? その人、サージさんの奥さんすよ?」
ジョンがフライパンの上で串をくるくる回してバルドゥッキーに均等に熱が通るようにしながら声を掛けた。
「なんや、この小僧共! 殺戮者なんか知らへんし、サージなんて野郎はもっと知らへんねん! 悔しきゃこの黒竜の疾風ストング様を止めてみせんかい!」
「……黒竜の疾風って……さっき決めたばかりやし。……姉ちゃん、ストングに目ぇ付けられたら終いや。諦めぇな。ストングは虎人族やろうが猫人族やろうが見境ないさかいな。……ヒック、うぃ~」
「違ぇねぇ! へっ、そいつを寄越しな。ほう? 旨ぇじゃねぇか」
どうも酒が入って気が大きくなり過ぎているようだ。ドッグワーの男はテリーからバルドゥッキーを一本奪うと金も払わずに勝手に食い始めた。プンとすえたような酒臭い匂いがライオスの男の口から吐き出されるのを感じたキャシーは更に眉をひそめる。
「やめてって言ってるでしょ、酔っぱらい! あんた、ウチの亭主どころか殺戮者を知らないなんてド新人でしょ!」
騒ぎが始まり、善良な市民は屋台を遠巻きに眺めるばかりであった。
「おい、お前。その辺にしておけ。ここは行政府の管理する場所だ。揉め事は困るぞ」
迷宮の入り口で税吏を警護するバルドゥック騎士団の若い騎士だか従士だかが見かねて止めに入った。彼が警護する入り口から三十mも離れていない距離なのだから嫌でも目に入る。屋台は許可制なのでしっかりとショバ代を払い、身元が確かな納税者の危機を騎士団は見逃さない。だからこそ入り口広場は露天商の天国なのだ。野次馬もすぐに事態は沈静化するものと見てホッとした表情をしていた。
「なんやっ!? ぬぁんやぁ~コラ!?」
凄みつつ注意した騎士を睨みつける酔漢。その時、ゾロゾロと迷宮の入り口から出てきた集団がいた。
「おおっ! 今日は間に合ったじゃんか」
「やれば出来るじゃないの、よっ、さすがリーダー! ロンベルト一!」
「えひゅひゅ」
「バルドゥッキー! バルドゥッキー!」
「いいねぇ、俺はチレ入りがお気に入りだわ。多めに買って一杯やろう」
「この前はリーダーがうんこしたいとか言うから遅れて食いそびれちまったからな」
「わいかてやるときゃやるやろ? な?」
「何その顔、うぜぇ、死ね!」
「本当、その顔つきがうざいよね。香草入り、まだ残ってるかな?」
「最近グィネが居ないからなぁ……士気落ちるわ」
「本当、これでバルドゥッキー食えなきゃやる気ゼロになるよ」
「そうやねん、グィネはんも早よ戻ってこんかな……お?」
黒く染め、各所にオレンジ色の炎の装飾を施した革や金属製の鎧を着込んだ山人族だけで構成された冒険者の一団が迷宮から帰還した。
迷宮都市バルドゥックに煉獄の炎ありと謳わるトップチームの一角であった。表面を黒に染められた重ね札の鎧を着込んだリーダーのヘッグス・ホワイトフレイムは異変を感知するとゴキブリのような素早さで人の間を縫い、即座に現場に到着した。
「なんやぁ、喧嘩やと思ったのに……つまらん……あ、カゾット入り一本おくれや」
ヘッグスは騎士に腕を掴まれている酔漢を見て、少し落胆した顔をしつつもテリーに向かって平然と注文した。
「ああ、はい、ホワイトフレイムさん。今日はまだ大丈夫っすよ! 三百五十Zです。焼きたてっすよ!」
テリーも全く慌てる素振りも見せずに応対している。騎士も来たし、もう安心であった。
「おひゅひゅ、わい、これ好っきゃねん!」
ヘッグスは甘いものを目の前にした幼児のような顔で金を払うとテリーの差し出した串に手を伸ばした。
「ちょっとあんた、食べたのなら代金を払いなさいよ!」
「ああン? こりゃお前の奢りだよな? 坊主」
「そんな訳無いでしょ!? 痛っ! いい加減離してよ!」
「うはは、ほうれ、暴れると転んじまうぜぇ? わいが支えてやるさかい、ほぅれほぅれ」
「ちょっ、止めてよ、どこ触ってるの!?」
「おい、お前、いい加減にせんか!」
「騎士はぁん、あんまり固いこと言わんといてぇなぁ。禿が増すでぇ~、ウイック」
「ふざけるなっ! 纏めてしょっ引くぞ!」
このままでは埒が明かないと思った騎士は、力を込めてストングの腕を掴みキャシーから強引に引き剥がそうとした。騎士としては揉め事は困るが、この程度では単なる食い逃げであり、詰め所で頭を冷やさせてから説教をかまし、代金を払わせて済まそうと思っていた。
「放しなはれやっ!」
「あ」
騎士に掴まれた腕を酔漢が振り払った拍子にその腕がヘッグスに当たり、バルドゥッキーを落としてしまった。上に載せたマスタードが飛び散り、バルドゥッキーが入り口広場をコロコロと転がっていく。
「な……な……!」
ヘッグスの顔が絶望に染まる。
「おおー、なんか揉めてるぞ?」
「あれリーダーじゃない?」
「抜け駆けして先に食おうとしたんだろ?」
「意地汚ねぇな……」
「今に始まったことじゃないでしょ?」
人混みを掻き分けてきた煉獄の炎のメンバーが集まってきた。
「おう、あんさん、あんさんが腕振り回すさかい落としてもうたやないかい!」
みるみるうちに頭に血が昇ったヘッグスの形相を見てジョンとテリーは「ひっ!」と一声発して怯えていた。
「あ、あんた……ほ、ホワイトフレイム……煉獄の炎の……」
ヘッグスの顔を見た騎士の顔面も急速に渋い顔になる。騎士は内心で取り締まりのノルマ稼ぎが出来たと思っていたのだ。だが、冒険者同士の争いについては基本的には見て見ぬふりをする。下手に手を出して巻き込まれ、怪我でもしたらバカバカし過ぎるからだ。まして片方は泣く子も黙るトップチームの煉獄の炎のリーダーである。若い騎士には引き下がるくらいしか出来ることはなかった。
「おう、御役目ご苦労はん。あとは任せや」
騎士の方を見ずにヘッグスは言い、一歩踏み出すと下から酔漢三人組を睨め上げた。
「なんじゃい、おっさん! あとから来て口出しすなや!」
普人族の酔っぱらいが凄むがヘッグスはそれをどこ吹く風と受け流し、あくまでも腕が当たったライオスの酔っぱらい、ストングを睨みつけていた。
「弱い奴ほどよく吠える……ってな、弁償せんかい!」
この時点で争いは購入した商品を台無しにされたヘッグスが弁済を求める形になり、騎士としても訴え出られない限り放っておくしかなくなる。
「あぁん? なんだ、このチビ」
ドッグワーがそう言った瞬間、周囲から「あ」とか「まずい」とか「逃げろ」とか声が上がり、煉獄の炎のメンバーは屋台やジョンとテリーを持ち上げ退避した。キャシーも急に真っ青になって素早くストングの腕を振り払うと退避した。勿論、ヘッグスのことを良く知る若い騎士もである。ただ、職務に忠実なのか「ここでは殺すなよっ!!」とだけ言い置いていた。
「後はもう放っておけ。あ、俺チレ入りくれ。三本」
「あたし、カゾット入り」
「俺粗挽き二本」
「俺は香草と普通のバルドゥッキー」
「こっち、カゾット入りと粗挽き三本」
「あ、はい。ちょっと待ってて下さいね」
もはや誰もストングやヘッグスに気を配る者はいなかった。キャシーも戻り、また元気の良い三人の声が屋台から響いてくる。移動した屋台に野次馬となっていた客も付いていく。いつの間にか若い騎士も事態の推移を見守っていた相棒や税吏の分もバルドゥッキーを購入して持ち場に戻っていった。
・・・・・・・・・
迷宮都市バルドゥック。
ここはその街で一番規模の大きな宿、シューニーの第五棟の一階、六号室だ。
時刻は草木も眠る真夜中である。
そっと内側から閂がずらされると部屋の住人を起こさないよう気遣った、慎重な足取りで誰かが部屋を出て行った。磨かれてはいるが所々毛羽の立つ床を擦るように慎重に部屋から出るとそっと鍵を掛け直した。
ガチン、という鍵を掛ける音が響く。
だが、鍵を掛けた人影は別段驚いたり慌てたりする様子も見せずに慣れた足運びでそっと部屋を出て、廊下を進む。突き当たりにある厠に入ると両目に腕を当て額を壁に押し当てた。
暫くは何も聞こえず、窓から差し込むごく僅かな星明かりの中で呼吸音がするだけだった。
そのうち呼吸音が乱れ始める。
「おとうちゃん……」
宿の隅、厠の中からボソリと呟く声と啜り泣きがする。
六号室の左側のベッドからは規則的な呼吸音のみが続いていた。
煉獄の炎のリーダーのヘッグスのモデルはプラモが好きな宇宙海賊の副長の人です。
■明かりの魔道具について
多くの種類があり、性能や価格はピンキリです。
一般的にそれなりの収入のある都市部の家庭では5W豆電球くらいの一番安価で低性能の物が使われています。発光部は色々な材質で有ることが多いですが大抵はざっくりと丸や四角く整えられた、直径などが5cm程度のなんの変哲もない石ころです。価格は10万~20万Zくらいです。ランプや行灯と比べ燃料である油と比較して魔石の方が明かりのランニングコストが多少(平均して二~三割)劣っています。盗難防止のため、天井には吊るさず、柱時計のようなちょっとした家具のように大きな筐体を持つものが多いですが、中身はスカスカで、使用する魔石もせいぜい数万Z程度の物を使うことが多い(勿論もっと高価値の物を使うことも可能です)です。
田舎でも領主の館や平民の家に有ることは珍しくありません。魔石が勿体ないのでアルの実家ではそう気軽には使用されていませんでした。これは動物性の脂肪や大豆油、胡麻油、菜種油が豊富に、安価に入手可能な田舎の農村のためです。田舎では輸送コストも絡みますので油より重量も軽く小さな魔石が高価になりがちです。ロンベルト王国で流通する魔石のうち、四分の一くらいが迷宮産です。最近は主人公の活躍により三割を超えているかも知れませんね。
また、五十万Zを超えるような価格のものは大抵が明度可変機能を持っています。
5W豆電球から60W白熱球くらいまで明るさを調節できます。勿論明るい方が魔石を多く消費します。飲食店やちょっとした貴族家でも使用されることが多いです。最低光量で比較すると油と魔石の消費量は確実に油の方に軍配が上がり(火事の心配がないこと差し引いても三~四割もの違いがあります)ます。
これも柱時計のように大型のものが殆どですが、上記と合わせて小型の物を無理やり分解しつつ大きな家具状にしている物が殆どです。本来はミドル~フルタワーのデスクトップパソコンくらいの大きさで、重量も10kg程あります。稀に小型軽量のものもあり、こちらは野外で活動する冒険者に重宝されていることもあります。携帯できるほど小型のものはかなり価値が高くなる傾向にあります。
もっと価値のあるものはなかなか入手が難しいです。大きな貴族家や王族などが使っています。場合によっては高級なお店(飲食店など)で使われることもあります。ですが、シャンデリアのような感じではありません。単に光量が大きいだけです。豪華な照明の演出はやはり大量のロウソクやランプで、それらの光量を補う感じで使われます。




