第百六十一話 銃剣
少し追加しました。
7446年4月28日
家を囲う塀の門の中には正面に大きな厩舎があり、その向こうには従士たちの訓練場を兼ねた広場がある。広場を挟んだ奥には俺が生まれる前からある倉庫が三棟並んでいるはずだ。広場を見る形で厩舎の左手には代わり映えのしない母屋がある。母屋の裏側には一時俺が寝起きしていた小さな物置がくっついているはずだ。その向こうには物置や倉庫の間にちょっとした広場があって十歳未満の従士の子供たちの素振りの稽古場となっている。懐かしいな。
「なんだ、帰るなら言っておいてくれよ。何も用意してないぞ」
兄貴はそう言いながらも笑って俺を迎えてくれた。村の中を見回っていた時に俺たちを見かけて馬を飛ばして戻って来たらしい。家の門に先回りして待っていてくれた。
「ごめん、兄さん。でも、今のうちに一度戻っておきたかったんだ。親父とお袋にも話しておきたいこともあるし」
馬を馬房に入れながら兄貴と挨拶を交わした。
母屋からも人が出てきた。親父とお袋だ。二人共笑顔だった。馬具を外すのはエンゲラに任せて、俺はミヅチとグィネを伴って両親の元へと大股に歩いた。
「皆から聞いているわ。貴女がチズマグロルさんね?」
お袋がミヅチを見て微笑む。
シャーニ義姉さんの時もそうだったし、嫌な姑にはならない筈だ。
「はい。初めまして、ミヅェーリット・チズマグロルと申します。着替えもせずに失礼致します」
ミヅチは外したヘルメットを左手で小脇に抱え、右手をお袋に差し出しながら噛むことなくしっかりと喋ることが出来たようだ。
こいつも成長したんだな。
「この子が迷惑を掛けてない?」
「そんな! こちらが世話になりっぱなしです。それに、この度はシャンレイド様、ミルハイア様に私の鎧まで……」
「よく似合ってるわ……ステータスオープン」
お袋は差し出されたミヅチの手を取ってステータスを確かめると微笑んでくれた。
まず問題は無いと思っていたが、これで一安心だ。
「そちらは?」
ミヅチの挨拶を受けたお袋は、続いてグィネの方を見て尋ねた。
紹介する必要、無くなったな。
「あっ、あの、わっ、私はグリネール・アクダムと申します。いつもアルさんにはお世話になっていましゅ」
……お前が噛むな。
和やかに挨拶が交わされている所に、耳をつんざくような高い声が響き渡り、雰囲気が台無しになった。
「ベッキー様っ!!」
男の子の声だ。
「うわあぁぁんっ! またお兄ちゃんが本気でぶったぁ! 父さまにいいつけてやるっ!」
「稽古なんだから仕方ないだろっ! ほら立てっ!」
ゼットとベッキーの修行中だったか……。
「あいつら……! わり、ちょっと行ってくる。アル、すまんが馬を頼むっ!」
そう言うと兄貴は馬の手綱を俺に押し付け、厩舎と母屋の間に向かって駆け出した。俺は苦笑いを浮かべ、両親に「今のはゼットとベッキー?」と聞いた。
「最初の声はアルだ。あいつら、何度言っても勝手に模擬戦の真似事を始めやがる。お前たちと違ってしょうもないワルガキだよ。いや、ミルーもあんなもんだったか?」
肩を竦めながら親父が言う。アル? アルって……アイラードか! そう言えばゼットとベッキーとは同年代だったな。とは言えまだ六歳の筈だ。もう剣の修業を始めてるのか? あ、いや、俺が昔、曽祖父さんを騙って言ったのがミルーが五歳の時だったから、それを引き継いでいるのか? ……俺のせいじゃねぇか。
「姉ちゃんも強烈だったけど、言い付けは守ってたと思うよ」
姉貴の気の毒な胸を思い出し、少しだけ不憫になったので擁護してやった。
「お義父さま、お義母さま、申し訳有りません……」
シャーニ義姉さんが申し訳無さそうな表情で深々と頭を下げた。責任を感じているのだろう。そう言えばシャーニ義姉さんも騎士団では相当鼻っ柱が強かったと聞いたことがある。あれ、義姉さんの遺伝じゃねぇのかな?
ぶるるっと馬車を曳く馬の鼻息が聞こえた。門のところで荷馬車が三台、渋滞を起こしたままだったのを忘れてた。馬車の類は厩舎と塀の間に停車することにしている。従士たちも苦笑いだった。頭を下げた義姉さんは馬と馬車を誘導し始めた。馬車は殆ど空荷になっているため、俺たちが門を入ってすぐの所でウダウダしている間に従士たちは馬車から馬を外していた。空荷に近い馬車は人力でも曳けるからね。
馬を厩舎に入れ始めた従士に聞いて、所定の位置に馬具を収めたエンゲラが進み出てきて、両親に跪いて挨拶をした。
「ご無沙汰しております、大旦那様」
親父が鷹揚に頷くとエンゲラはお袋に向き直り挨拶の口上を述べる。
「初めまして、大奥様。私はご主人様の戦闘奴隷、マルソー・エンゲラと申します。以後、お見知り置きを」
「うちではそんなに畏まらなくてもいいわ。私はシャーリー。シャーリー・グリードよ。シャルと呼んで頂戴」
しかし、エンゲラは姿勢を崩すことなく「畏まりました」と返事をすると折り目正しい動きで立ち上がり、俺より一歩下がって目を合わせないよう、再度頭を垂れた。
うむ、いいぞ、エンゲラ。しっかりと躾が行き届いた挨拶になっている。お袋はああ言っているが、そういう問題じゃない。流石は俺の元で長年過ごしてきただけあるな。お袋だって今でこそ田舎者だが、昔は王都でサンダーク公爵の孫という立場だったのだ。きちんと躾けられた奴隷は見慣れているはずだ。親父もうんうんと頷いている。
「……ん? 少し大きいか? ……まぁ、その分なら丁度良いか……」
親父が俺を見て呟いた。
シャーニ義姉さんが持って来てくれた俺の新型ゴムプロテクターはほんの少し大きいことを除けば俺の体にぴったりだった。一応古い奴も持って来てはいる。ジェス(ジェスタス・マンゾッキ)が古いプロテクターに近い体型なのでサイズを測った上で少し調整を頼もうと思っていたのだ。
「そうだ! ありがとう、父さん。この鎧、すごく気に入ったよ」
親父に奢って貰ったプロテクターの礼を言うのを忘れていた。最初に言うべきだったのにな。
「ん……よく似あってるぞ。ところで、今日は一体どうしたんだ? 何かあったのか?」
「はは、何があったという訳じゃないけど、ちょっと約束を果たすついでにね……。あと、ブーツをね、俺の仲間と奴隷の全員分、ちゃんとしたのを作って欲しいと思ってさ。……そう、これなんだけどね。ああ、うん、改良点も伝えるし、それなりに手間はかかるけど新しい軍用のブーツとして高く売れると思うよ。靴職人、雇ったんでしょ? ……それに、去年ケリーの奥さんの鎧見たけど、ああいうのも冒険者には良いかな、と思ってね。こいつなら犬人族だから今の型を使ってちょっと調整すれば作れるだろうと思ってさ」
……こんなんじゃ騙せ無いな。
「……今、俺達はバルドゥックの迷宮の八層に足を踏み入れてるんだ。……で、九層へ行けそうな目処も付いた。だけど、行けるかどうか、ジョージ・ロンベルト一世陛下を超えられるかどうかは分からない。ちょ~っとヤバイ感じもする。俺の仲間や奴隷たちは俺が責任を持って全力で守る。誰一人として死なせやしない。勿論、俺だって死ぬ気なんかさらさら無い。だけど……だけど、今のうちに一度皆の顔を見ておきたかったんだ」
お袋は俺を抱こうとしたんだろう、ピクンと手が動いた。が、すぐに手を引っ込めた。
ありがとう、母さん。
バークッドに滞在する間、俺とミヅチは家の客間に、グィネとエンゲラはリョーグ家に宿泊することになった。よく考えたら家のメイドのソニアは今、リョーグ家に祖父母と住んでいるんだし、ロズラル以下、ウェンディー、ダイアン、ルークの四人が王都に居るから部屋は余っているのだった。
客間で着替え、夕食を摂るときにテーブルに着いた俺とミヅチを見たゼットとベッキーは、知らない大人が二人も食卓を共にしている事に不思議そうだった。俺が家を出たのは彼らが二歳半の時だ。覚えていないのも無理は無い。
兄貴から「ほら、お前ら、ちゃんと挨拶をしろ。アレインだ。俺の弟でお前たちの叔父さんだぞ。それからこちらはミヅチさんだ」と紹介された時の事であった。いきなり現れた叔父さんはともかく、薄紫色の肌で白い髪の女は気味が悪かったのだろうか。
二人はシャーニ義姉さんの両脇に座っていたのだが、食堂に入ってきた俺たちを見ると、目を丸くして俺ではなくミヅチに注目していたのだ。仕方無いんだけどね。
「こんにち、こんばんわ。ゼルロットです」
「レベッカーナ……ねぇ、なんでそんな変な色しびぇっ」
こんガキゃ! 俺の女にそういうこと言うな、凹むだろうが!
反射的にキッとベッキーを睨みつけようとした俺よりも早く子どもたちを両脇に座らせていたシャーニ義姉さんがすぱーんとベッキーを引っぱたいた。流石はウェブドス騎士。手が早いなんてもんじゃなかった。
「これっ! なんて事言うのこの子はっ! ミヅチさんに謝りなさいっ!」
「ぶぎゃああぁぁっ! ごっ、ごべなひゃい! ごべんなひゃいいぃぃ! うぇっ、うぇっ……ひっく」
「そっ、そんな! 良いんです! 気にしてませんから! 仕方ないですし……吃驚しちゃったんだよね? 驚かせてごめんね、レベッカーナちゃん」
ミヅチの方が余程慌てたようで、すぐにベッキーに駆け寄ると椅子の上で大声を上げて泣いている彼女の涙をハンカチで拭き取ってやっていた。親父もお袋も兄貴も申し訳無さそうな顔でミヅチに謝っている。食事の用意をして運んでいたソニアまで申し訳無さそうな顔つきで仕事をしていた。
ゼットは初めて見るダークエルフの顔を良く見ようとシャーニ義姉さんの背中の方から覗き込んでいる。俺は一人苦笑いを浮かべているしか出来ることはなかったが、正直な話、俺も少し申し訳無く思っていた。
騒ぎが収まったあと、ちゃんと挨拶を交わし、全員が落ち着いてテーブルに着いた。ゼットとベッキーはやはりダークエルフが珍しいらしく、ちらちらとミヅチを窺っていた。ミヅチは気付く度に微笑んでやっていた。済まないな。少なくとも良い気分では無かったろう。
夕食(当然あまり豪華な物ではなかったが、メニューはかなり改善されているようだった)を摂りながら色々な話をした。姉ちゃんのことや迷宮での冒険、そしてバルドゥッキー。親父が去年来た時に食べて貰ったバルドゥッキーはかなり大袈裟な脚色が加えられて伝わっていたようだ。今回、義姉さんにも食べて貰ったが、少しだけ微妙そうな顔をして、それでも美味いとは言ってくれていたのが引っ掛かっていたのだが、そう言う事だったのか。
ゼットもベッキーも食事をしているうちにミヅチに慣れてきたようで、迷宮での話やバルドゥックでの話をせがむほどになっていた。気がついた頃には時刻はもう十八時半を回っている。今日は女性が風呂に入る日らしいので、シャーニ義姉さんは子供たち(バークッドでは本格的に剣の稽古や、農作業を始める七歳になるまでは男女差なく風呂は毎日入れることになっている)に風呂の用意をして来いと伝えるとお袋とミヅチを風呂に誘う。ミヅチも風呂は楽しみにしていたので当然の如く否やがあろう筈もない。ベッキーはミヅチに手を引かれて風呂まで行きたがっていたようで、ミヅチも喜んで彼女と手を繋いでいた。
多分グィネやエンゲラも今頃風呂に行っているだろう。グィネが風呂を見逃すはずは無いし、バークッドでは奴隷だって風呂に入ることは既に言っているからエンゲラも遠慮はしないだろう。
親父と兄貴、俺は順番にシャワーを浴びたあと、酒を飲んでいた。
「ゼットとベッキーはちゃんと魔法は使えてるの?」
二人共魔法の修行を始めて一年半近くが経過している。ゼットのMPは318、ベッキーのMPは330と誤差のような違いだが、かなり多いことを考えるときちんと修行が行われていることは解ってるんだけどね。ゼットは地と水、ベッキーは水と火と風が使えるようだ。技能レベルは既に三に達している。
「ああ、いい感じだ。魔力量も多いからな。成長も早い」
兄貴はそう言って頷いた。
「二人共才能に恵まれているようで、何よりだ。剣の方もしっかり修行させているしな。叶うものなら二人共第一騎士団に入れたいと思っておるよ」
親父も上機嫌でそう言って王都から持って来たプレミア焼酎の盃を傾けた。
兄貴夫婦にしごかれてるなら大丈夫じゃないかね? 魔法の腕も良ければ姉ちゃんみたいにそれだけでも受かるんだろうけど。
「親父、よしてくれよ。そうやって甘やかすから今日だって模擬戦の真似事なんかしてるんだ。あいつらにはまだ早過ぎる」
「ファーン、何度も言うが、ミルーだってあの年頃にはお前相手に模擬戦の真似事始めてたことは知ってるぞ。多少の怪我をしたって治癒魔法の修行にもなる」
えっ、そうなんか!? 知らなかった……俺、稽古で模擬戦を始めたのなんか十歳になってからだぞ……。それまでは素振りと型しかやらせて貰えなかったってのに……。初めての模擬戦を許された時のことは未だによく覚えている。あの時の弱い者いじめを楽しむ糞姉貴の顔は一生忘れないだろう。何度腕や肋骨を折られたことか……。
「治して欲しい? ねぇ、治して欲しいの? そんな目じゃ解らないわ。ちゃんとお願いしますって言いなさいよ」
ああ、糞。思い出したら少しムカついた。あの頃は骨折みたいな重傷を負ったら魔法が使えなかった。打ち身くらいの軽い怪我なら大丈夫だったけどさ。あの頃、姉ちゃんは悪魔かと思っていたくらいだ。それでも親父や大人の従士と姉ちゃんが模擬戦をしているところを見て、手加減はされていたことは解ってたけどさ。
その後半年くらいで騎士団から戻ってきた兄貴や義姉さんに姉ちゃんが扱かれ始めた時はいい気味だと思ってニヤニヤと眺めていた。俺も同じセリフを言ったんだった。
「痛くて泣いてて第一騎士団に入れるの? こういう時、なんて言うんだっけ? プリぐえっ「馬鹿言ってないでさっさと治せ。時間が勿体無い」
すぐに兄貴に殴られたけど。不公平だと思ったもんだよ。
ところで、風呂から帰ってきたミヅチは興奮して風呂について語っていた。湯殿ではやはりグィネやエンゲラとも一緒になったようで、彼女たちも興奮していたらしい。だが、流石に芋洗いのように多くの人が居たらしく、ゆっくりとは浸かれなかったようで、後でもう一度示し合わせて行くらしい。
だが、少し詳しく話を聞いて驚いた。注ぎ湯の浴槽は相変わらず一つのようだが、浴槽は一つ増えて二つが並べられているらしい。体などの洗い場はその間になっているようだ。同時に四十人が入浴可能な大きさになっているようだ。
十五分くらいに入浴時間を区切れば一時間半もあれば充分にバークッドの住民の半数が入浴可能だろう。尤も、半数くらいの人は昼から順番に入浴したりしているのでもう少し長く入浴時間を取っているんだけどね。ミヅチもグィネも久しぶりの風呂だから心ゆくまで浸かりたいんだろう。
バークッドは農民ばかりなのでこの時期は遅くても十九時半には殆どの人が寝てしまう。二十時過ぎならまず人は居ないし、ゆっくり浸かれるよと言っておいた。注ぎ湯もまだ十分に温かいと思うし、いざとなったらミヅチは自分でお湯を作ることも出来るしね。
・・・・・・・・・
7446年4月29日
翌朝、起きた時にはソニアが出勤しており、朝飯の用意がされていた。食事を済ませミヅチやグィネとランニングに行こうとしたら呼び止められた。兄貴も行くから準備するまで待っていてくれと言われたのだ。まだ続けてたのか。だが、兄貴はまだ走りながら魔法を使うことは出来ないようだ。子供の頃の俺ですら四年も掛かって習得したのだ。俺よりも魔力量が圧倒的に少ない兄貴であれば同じ四年でもそりゃ無理だろう。
むしろ、四年でそこまでされたら流石に凹むわ。
グィネやエンゲラは朝食を済ませるとすぐに家の門まで来て待っていたらしい。
「あ、アルさん、お早うございます」
「お早うございますご主人様」
「おう、おはよう」
「あの、お風呂! はぁ~、生きてて良かったですよ!」
「私も驚きました。グィネがあまり素晴らしいと言うからどんなものかと思っていましたが……予想以上の気持ち良さですね」
二人は昨晩のミヅチのように朝っぱらから興奮したように捲し立てた。
「だよね! 本っ当~に気持ち良かった……」
お前もかよ。昨日散々聞いたよ、それ。兄貴も笑ってる。
「そうですよねぇ、あんなに綺麗なお風呂に入ったのなんか何年ぶりだろうって思いましたよねっ!」
「今までの疲れが全部抜けるようで、天国でした。あれが風呂ですか……私などに勿体無い事です」
「アル、アクダムさんは自由民なんだろう? 風呂に入ったことがあるのか?」
「ああ、王都には公衆浴場もあるんだ。浴槽は家のよりちっちゃいし、垢が浮いてるけどね。その日の最初の方に入らない限り、汚いから誰も浴槽には浸からないらしいよ」
俺も王都の風呂屋に行った事はあるが、どう見ても何週間も風呂に入っていないのに、体を洗わないで入る奴が多くてもう二度と行かないと心に誓っていた。娼館にも特殊浴場は付いて無いしな。
兄貴も含めて五人で畑の畦道を走り始めた。農奴たちも畑に向かい始めている。普段と違ってプロテクターを着けないばかりかウェイトも背負っていないので俺にとっては軽い運動にしかならなかった。
ランニングから戻ったらゼットもベッキーもMPを使い果たして眠っていた。
起きるのは昼飯の時だろう。順番にシャワーを浴びて……と思ったら兄貴に風呂に誘われた。
昨日は女性の日だが、今日は男性の日。
湯殿には専用の係もいて、早朝から風呂に入れるようになっているらしい。すげーな、と思ったらお湯を作るのは俺の役目だった。俺が居ることを見越して昨日のうちから今朝から湯殿を開放するように係に命じていたらしかった。兄貴と二人でゆっくりと風呂に浸かり、久々の風呂を堪能した。そばのゴムの作業小屋では既にドンネオル家の皆を中心にして作業が始まっていた。作業小屋は増築されて倍くらいの大きさになっていた。もう小屋じゃないな。工場だ。
「じゃあ、俺は見回りに出てくる。ブーツや鎧で頼みたいことがあれば言っておけ。皆、もうかなり熟練して来ているからな。多分お前の思い通り動いてくれると思うぞ」
ミヅチたちと合流し、ゴムの作業小屋に顔を出した。ラッセグとその妻のミリーを頭に二十人程が作業をしていた。テイラーは相変わらず作業の中心だ。エンベルトも、ミュンも居る。
「アル様! まぁ! まぁ! 大きくなられて!」
いち早く俺に気が付いたミュンが駆け寄って来てくれた。
抱きしめて両頬にキスをしてくれたミュンのつむじが見える。
「今晩、いつもんとこ」
ぼそっとミュン以外には聞こえないくらいの声で呟くと「ミュン! 久しぶりだな」と言って俺もミュンを抱きしめた。
「北の外れで」
ミュンも小声で返事をしてくれた。ま、村の外れのほうがゆっくり喋れるね。
すぐに他の職人も皆寄ってきて俺はもみくちゃになった。兄貴や隊商の護衛に付いて来た従士たちから俺の冒険者としての評判も聞いているようで、皆口々に話を聞きたがる。あとでゆっくり話してやるからさ、人気者は辛いね。
やっと解放され、ドクシュ一家向けに作っているプロテクターをエンゲラのサイズで作ってくれと頼んだ。ブーツについては靴職人のバールという男が作っているらしいのでそちらに行くことになるが、兄貴が話を通してくれているから問題はないだろう。
ミヅチもグィネもエンゲラも初めて見るゴムの製造について興味津々のようだが、王都の作業場とは比較にならない硫黄や樹液の匂いには閉口しているようだ。だが、ほぼ全ての作業員が魔法を使って作業をしていることについて感心していた。村で魔法を使える人のうち、半数近くが集まっているのだ。桶の中で撹拌され、魔法で粒子を選別された木炭の粉を練り込んでいるところや、硫黄を加えて加熱しながらの加硫工程を興味津々に眺めていた。
「アルさん、ゴムの鎧って幾らです?」
ついにグィネが口にした。
「従業員価格で二千万Zだ」
社割で三十三%引き。このくらいが良いところだろう。俺の儲けはゼロだけど。むしろ直販価格だから俺を通す必要は無い。あとで俺が代金を立て替えて兄貴に渡しとけばいいだろ。
「後払いでも?」
「勿論いいさ」
「じゃあ、私にも一着お願いします」
「俺やミヅチ、騎士団みたいに汎用の奴にするか? それとも、エンゲラに作るみたいに新型の奴にするか?」
「魔物が相手だし、新型がいいかな?」
はい一名様ご案内。エンゲラと一緒に採寸に回ってくれ。その間に俺は全員分の足型を持って靴職人のバールの所まで出向き、編み上げの戦闘靴の相談をすることにした。
その後は午後にゼットとベッキーやアイラードの相手をしてやったりして時間を潰した。同年代で、トーバス家の跡取りということもあってアイラードも剣の稽古には早くから参加しているらしい。彼のMPは当たり前だが二だった。そう言えば俺、アイラードには銃剣を渡したんだよな。目釘で先っちょを外せるやつ。なんで使ってないんだろう?
知りたかったが聞かなかった。ひょっとしたらまだ渡されていないのかも知れない。だが、将来的にも使うのであれば型だけでも見せておいてやりたい。多分ちゃんと教えられる人は誰も居ないだろうし。
米軍やソ連軍でも銃剣は採用されているが、今では基本的には刺突以外の型は無いと聞く。銃剣の長さもナイフ程度のものらしいし。と、言うか、ナイフに着剣装置を付けていると言った方が正確だろう。元々刀の文化が根ざした日本軍の流れを汲む自衛隊では、戦後に出来た銃剣道は別にして斬撃を始めとして受け、払い、など体系化された技もある。勿論、銃床や弾倉を使った攻撃方法もあるが、あくまで銃「剣」であるのだ。
持って来た俺の銃剣を使って型を見せた。ゼットやベッキーは銃剣を見たのは初めてらしく、珍しそうな顔をしていたが、アイラードは違った。やはり、少なくとも見たことはあるようだ。彼は俺の動きを食い入るように見ていた。
しかし、なかなか「アル」とは呼び難いな。被らないように短縮形じゃなくて愛称にしといてくれよ……アーヴとかアックスとかさ。大抵そうだったじゃんか。
・・・・・・・・・
深夜、ミヅチを起こした俺は二人でそっと家を抜けだした。俺はトイレに行くふりをして、わざと「少し涼んでくる」とミヅチに声を掛けて外に出る。ミヅチは持ち前の隠密のような音を立てない動きで窓から抜けだした。ミヅチは二人分の靴と武器まで抱えている。流石にプロテクターは持ち出せないが、問題はない。
そのまま靴を履いて、北の外れに向かった。
ミュンと話すことや、ミュンにミヅチを紹介したかったこともあるが、そもそもはシュリーカーというモンスターを狩りに行くことも家を抜け出した目的の一つだった。シュリーカーの身はゴヅェーグルさんの薬を作るのに必要な材料の一つなのだ。俺がまだちびの時にミュンと一緒に狩ったこともある。
ひたひたと北のゴム畑を抜けて村の外れ近くまで来た。
まだミュンは到着していないようだ。
そのまま三十分程待っていた。
ミュンが来た。
何故かアイラードも一緒だった。
まだ小さな彼には大きい銃剣も持っていた。
そう言えば、アイラードはミュンから【偽装】は受け継いでいなかったな。
彼には必要のない特殊技能だ。
受け継いでいたら生まれた時に騒ぎになっていた。
当時、ミュンは「多分大丈夫だと思っていました」と事も無げに言っていたっけ。
サグアル家の男性からの遺伝が殆どらしいからな。
しかし、アイラードを連れて来るとはな……。
旦那のボッシュは知っているのだろうか?
ミュンならミヅチみたいに身のこなしは軽いから大丈夫なのかな?




