第八十八話 貴重品1
7444年8月28日
地上の転移の水晶棒の脇の部屋へと戻ってきた。
「あ~、シャワー浴びたい。髪にかかった返り血の匂い取れないんだよね」
ラルファがもううんざり、という感じで言った。
六層の探索を終え、五層に戻った時には既にギベルティが荷物を纏め終わっていたからさっさと戻ることを優先してシャワーは宿で浴びる事にしていた。
「私も~。アルさん、今回一日早く出たけど四連休になるの?」
グィネも追随して言った。
なんでチミはそういうことを言う時に首を少し傾けるのかね? あざとい。
「ああ、明日から四連休だ。次は九月三日からな」
「今夜は何処行きますか?」
トリスが聞いてきた。
「私、お肉食べたい」
ベルが我儘を言った。
兎のくせに肉食か。
まぁ別にいいけど、俺は魚食いたい。
持ち込めばいいか。
「肉ならムローワが良いな。あそこの豚串は旨い」
ゼノムが舌なめずりをしながら言った。
うんムローワか。
あそこならイボディーやケイスァーゴもあるからOKだ。
だけど、今日の俺の胃は鮃なんだよ。
最近覚えたんだが、醤油無しでも白身なら塩で刺身もイケるんだ。
前世の頃はシャレオツな食べ方しやがって、と小馬鹿にして頑なに醤油と薬味で食うのに拘っていたが、酒を飲むとどうしても刺身が欲しくなる。
実はこの食い方はマリーに教えて貰ったんだが、これがまた結構いい感じだ。
因みにゼノムやズールーを始めとする生まれついてのオースの人たちには生臭いと気持ち悪がられている。
キールにあったビンスイルの店でもマリーとクローがケイスァーゴやウォコーゼ、ミーヴァルと言った白身魚に塩やカボスに似た柑橘類の汁を付けて食べていたが、誰も注文なんかしてなかったらしい。
ふん、この旨さが解らないなんて揃いも揃って気の毒な舌の持ち主共だ。
生魚を食う野蛮人と罵られてもやめる気は毛頭無い。
「あー、じゃあドルレオンにしよう。俺は魚屋寄ってペイラム買ってくわ。ムローワは持ち込み出来ねぇからな。ドルレオンの肉料理ならゼノムも文句ねぇだろ? ラルファ達は先に行ってシャワー浴びてろよ」
にこにこと頷くゼノムと一緒に地上に向かう階段を上りながらそう言うと、
「あ、ペイラムですか。いいですね。私に目利きさせて下さいよ」
とトリスが答えた。
最近、トリスも魚の旨さに開眼したようで俺が魚を食うときには大抵付き合ってくれる。
いつか一緒に釣りに行きたいな。
「お、そうか。ペイラムは活きがいいだけじゃダメだからな。釣って二日後が熟成されて旨いんだ。しっかり見極めてくれよ?」
そう言って地上に出た。
迷宮を出るとミヅチが近くにいるのを感じた。
一週間近く前、迷宮に入る直前にはかなり距離が離れている事しか解らなかったが、入口広場に戻った瞬間、彼女を感じ取れた。
距離は約一㎞。
方向は南西か。
ボイル亭の方だな。
もう宿に居るんだろうか。
自然と顔に笑みが浮かぶ。
待たせちゃったかな? でも本当に丁度良かったな。
「じゃあ、行こうか。あ、ギベルティ、先にドルレオンに行って席とっといてくれ」
月に一回くらいドルレオンを利用するから奴隷のギベルティでもあの店は問題なく席を取っておいてくれる。
まぁオーナーの次男を救った殺戮者だからだろうけど。
三手に別れた。
ギベルティの荷物を持たせたズールーとエンゲラの組と、店に先行させたギベルティ。そして俺達六人だ。
途中、魚屋に差し掛かった時に、シャワーを浴びたがっていたラルファとグィネ、保護者のゼノム達は先に行かせた。
俺とトリスは店先に並べられた魚からペイラムを探す。
地上にいる間のベルはトリスから離れる筈もないから当然俺達と一緒だ。
魚屋にはペイラムは二匹しかなかった。
選択の余地がねぇ。
買う時はいつも一匹しか買わないからさっき言ったにも拘わらず選ばせもしないで二匹とも買う俺をトリスとベルが不思議に思ったらしい。
「ん、今日は特別な。店に着いたらすぐ捌いてやっから。ベルも『縁側』なら食うだろ?」
折角だしな。
魚屋の主人に二匹分の代金の一万Z(銀貨一枚)を支払うと口からエラに紐を通してもらってぶら下げた。
ペイラムはオースでも超高級魚だ。
下々では一生口に入らない奴も多いだろう。
普通はムニエルで食われることが多い。
オース広しと言えども刺身で食おうとするのは転生者くらいじゃないか?
「持ちますよ」
「おう」
ペイラムをトリスに預け、百mくらい先にまで進んだゼノム達の背中を追う。
しばらくトリスとベルと話しながら歩いていたが、T字路の突き当たりにあるボイル亭の門前でゼノム達が足を止めていた。
小僧と何か話しているようだ。
ミヅチが言付けでもしたんかな? あの傍にいる筈だけど。
俺たちからは建物が邪魔になって見えない左の方を向いたラルファのけたたましい笑い声が響いた。
・・・・・・・・・
門の左の方に馬を連れ、腰くらいまでの短めのローブを着たミヅチが居た。
わざわざ門前で待っていてくれたのか。
それはそうと、ラルファ達もミヅチと会話してたんじゃないんならさっさとシャワー浴びに行けよ。
トリスとベルも言ってるじゃんか。
「おいラルファ、お前達が先にシャワー浴びたいって言うから……よう。思ったより早かったな」
俺がそう声を掛けながら左手を挙げると、
「貴方!」
ミヅチが馬の手綱を離して俺に向かって走り出した。
「「あなたぁ!?」」
ラルファとグィネ、ボイル亭の小僧……それから俺の声が響く。
何それ、貴方って……。
確かに先日迷宮の中でミヅチと話した時にそう言われたことはあるが……おいおい、もう女房気取りかよ。
そりゃあ少しばかり気が早いってもんじゃね?
「ぶぎゃっ!」
駆け寄ってくる途中でミヅチは道に落ちていた馬糞を踏んづけると盛大にコケた。
勢いよく滑ったので馬糞の上にコケなかったのは運が良いことだ。
ブーツの裏には馬糞が付いてるだろうけど。
「「……」」
コケた勢いで後頭部を打ち、頭を抱えるという、あんまりな姿に誰も一言すら発することは出来なかった。
バルドゥックの喧騒が遠くから聞こえてくる。
泣きそうな顔のまま放って置くのも忍びないので近づくとミヅチに向かって手を伸ばし、立たせてやった。
「あ……」
一言だけ声を出したミヅチは腰から鞘ごと剣を外すと丹念に観察した。
簡素な鞘だが、鍔と柄は上質なもののようだ。
「良かった……汚れてないし、傷もない」
小さく呟くと再び丁寧に鞘を剣帯に装着し、俺を見た。
「貴方!」
「「そっからかよ!」」
・・・・・・・・・
唖然として目を丸くする小僧に言ってミヅチの厩を用意させた。
なぜか知らんが意気揚々と馬を厩舎に連れて行くミヅチの後ろ姿を見ていると、おずおずとした遠慮がちな声がかかった。
「あの……アルさん。あの女性は……?」
一言もなく黙りこくっていた雰囲気に耐えられなくなったのか、ベルが切り出してきた。
「アルが前に言っていた昔の部下だったという闇精人族だろう?」
ゼノムが俺の代わりに答えてくれた。
「うん、そう。後で皆にも紹介するよ」
「結婚してたのか?」
「まさか。俺はまだ独身だよ」
「「じゃあ何で!」」
ラルファとグィネが声を揃えた。
実はさっきも思ったのだが、似てない双子か、お前ら。
「ん……まぁ、いずれ、な。するかも」
なんか照れくさいね。
「「な!?」」
うん、なるほど。
チミ達の気持ちは充~分に解る。
特にラルファ、お前、俺と同じ普人族という事に妙な安心感さえ持っていたろう?
チミとは良い友人だったがチミの性癖がいけないのだよ。
冗談はさておき、
「なんだよ?」
なんか文句あるわけ?
「「…………」」
「フッ。とにかく、また一人仲間が増えるというわけだな? 歓迎しようじゃないか」
ラルファとグィネに呆れ顔のゼノムが手斧をくるりと一回転させる。
「ラル、グィネ。さぁシャワーでも浴びて来なよ」
余裕たっぷりの声で左肩に置かれたトリスの右手を自らの右手でパイスラしつつ触りながらベルが促した。
しかし、いつ見ても素晴らしいな。
ところでお前、さっきのおずおずはどこ行った?
「綺麗な人じゃないですか、アルさん」
ペイラムをぶら下げながらにこりとトリスが笑った。
「どういうこと?」
「部屋とってない……」
「あんなポッと出……」
「不潔……」
「あんな向こう傷……」
「治せるほどの魔力無いんでしょ?」
「じゃあダメじゃん」
「勝った」
「あんた、胸ないじゃない? 負けよ」
「ラルだっていいとこBでしょ?」
「それでもあんたよりマシ」
「色なら私だって……」
ラルファとグィネがブチブチ言うのがベルの耳に入ったらしい。
「私もトリスと同じ部屋よ!」
と言うと、彼女は俺を見て笑った。
いや、ミヅチには部屋別に取らすよ?
同じ階に空き部屋はないから別のフロアになるだろうけどさ。
ゼノムは俺の尻を一度だけ軽く叩くとラルファとグィネの後を追ってボイル亭に入って行った。
ミヅチが馬具を外して戻ってきた。
心なしか傍に付いてサドルバッグを持っている小僧がそわそわしているようだ。
対してミヅチは左肩に掛けた鞍と幾つかの袋を抱えながら高慢ちきな顔つきでいた。
俺はトリスとベルの方を向いて言う。
「紹介するわ。こいつはミヅェーリット・チズマグロル。この前言った迷宮の奥深くで会った昔の俺の部下だ。今は俺のおん「妻でございます。じぶ、私のことはミヅチとお呼び下さい。いつもこの人がお世話になっております」
……。
ミヅチは丁寧な言葉遣いで俺の言葉を遮った。
なんだよ、お前喋り方結構練習したのか?
言葉遣い自体からはだいぶ違和感が消えているぞ。
俺はミヅチの頭に拳骨を落とすと言った。
「結婚はしてないから俺に妻はいない。それから無理に丁寧に喋らなくていい。アクセントが変だぞ。田舎もんが」
『ええ? そうですか? 結構練習したんですけどね……』
『いいよ。喋り易いように喋れば。少しづつ直しゃいい』
「初めまして、ミヅチさん。私はトルケリス・カロスタランと申します。トリスとお呼びください」
笑みを浮かべるトリスの歯に夕日がきらりと反射した。
トリスの差し出した手を握ってミヅチが答える。
「はい、これから宜しくお願い致します」
「初めまして、私はベルナデット・コーロイルです。でも数年後にはベルナデット・カロスタランになります。私の事はベルと呼んでください」
「あら……左様ですか。それは……此方こそ宜しくお願い致します」
頭を下げているがミヅチはベルの胸に目を奪われていた。
腰でも抜かせ。
「あー、聞いての通り、こいつの出身はど田舎でな。喋り方が変なのは諦めてくれ。『日本語』なら問題ないから面倒ならそれでもいいよ」
ミヅチの部屋を取るためにフロントに向かって歩きだした。
・・・・・・・・・
ドルレオンには既に俺とミヅチ、トリスとベル以外の全員がいた。
俺たちが遅れて店に入るとズールーとエンゲラ、ギベルティがすっ飛んできた。
「「おめでとう御座います。ご主人様」」
にやにやとにやけながら頭を下げるミヅチにまた拳骨を落とすと、
「まだ結婚なんかしねぇよ」
と言って席に着いた。
六人掛けと四人掛けのテーブルの六人掛けの方に座った。
ラルファとグィネは四人掛けの奥に二人で並んで腰掛け、妙な目つきで俺を見ている。
まぁ今日くらいはその無礼な態度も許してやろう。
ラルファとグィネの向かいにエンゲラとギベルティが腰掛けた。
ズールーとトリス、ベルは俺の正面に腰掛け、俺の左にはミヅチとゼノムが腰掛けた。
「じゃあ、改めて紹介する。ミヅェーリット・チズマグロルだ。ポジションは……多分俺と同じように補強専門になるだろう。一応、本来は明日まで迷宮のはずだったから、明日の午前に訓練をやるつもりだけど、多分変わらないだろうな。あと、言葉遣いが変だけどそこは許してやってくれ。田舎者なんだ」
そう言って俺がミヅチを紹介すると今度はミヅチが立って挨拶した。
「皆の衆、ミヅェーリット・チズマグロルです。自分の事はミヅチとお呼び下さい」
と言って頭を下げた。
「ぷっ、聞いた? 皆の衆、だって」
「うん、自分、とか言っちゃってる」
ラルファとグィネがひそひそと話しているが、思いっきり聞こえてる。
ほら、ミヅチが赤くなっちゃった。
俺の前に座っていたベルが、
「やめなさい」
と言って窘めている。
だが、まぁ、多少笑われるくらいは仕方ないだろ。
俺は一つ息をつくとトリスからペイラムを受け取り、
「捌いてくる。刺身でいいよな?」
と言って立ち上がった。
「あ? 『鮃』ですか? であれば、丁度良いですね。一尾は『ムニエル』に出来ますか?」
とミヅチが言った。こいつ、ラグダリオス語で『鮃』も『ムニエル』も知らないのか。
「え? まぁいいけど。なんでだよ?」
「『鮃のムニエル』なら自分がソースを用意出来ます」
ふうん。ま、いいか。ミヅチの歓迎会のようなものだし。
厨房に行った俺はいつものことなので店の料理長に包丁を借りるとさっさと二匹のペイラムを五枚に下ろした。
黙って見ていたミヅチは「頭と中骨のアラ貰っていいですか?」と言うので渡してやった。
すぐに湯通ししてから出汁を取るらしい。
俺は二匹分、八本の縁側を取ると一口サイズに切り分け、一尾分の四枚を丁寧に薄造りにしていく。
「肝も一尾分頂きますね」
と言うが早いかさっさと肝を持っていき、これも湯通しすると裏漉しし始めた。
あーあ、鮃の肝刺しはすごく美味いのに……。
だが、出汁と裏漉しした肝でムニエルのソースを作るのか。普通じゃねぇか。
すぐにミヅチは一尾分、四枚の鮃を適当な大きさに切り分け、軽く塩コショウをすると薄く小麦粉を振っている。
フライパンに油を敷き、ムニエルを炒め始めた。
じゅうじゅうと音を立てて全て片面だけ炒めると一度フライパンから全て皿に上げ、別の小さなフライパンに鮃から流れ出たエキスと油をあけた。
そこに、最初にアラから取った出汁を加え、ワインと焼酎も少し入れたようだ。
小さなフライパンでソースを煮詰めるのだろう。
この時点で半分ほどをお造りにした俺と、店の料理長が興味津々でミヅチを見ている。
小さなフライパンでソースを煮詰めつつ、もう一度大きなフライパンに薄く油を垂らすと、皿からムニエルを戻して炒め始めた。
暫くは面倒を見なくてもいいのだろう。
腰に下げた袋から直径一〇㎝、高さ一五㎝くらいの小さな瓶を取り出すと小さな石のようなものがいくつか入っているのがわかった。
コルク栓を開けて白っぽい薄茶色の石を一個取り出すと、料理長が驚きの声を上げた。あれがなんだか知ってんのかよ、おっさん。
慣れた手つきで石をスライスすると今度は細かく刻み始めた。
石じゃないらしい。芋か?
「い、一個。白サレンルッジを一個丸ごとだと!?」
料理長が目を回しそうな声で呟いている。
白サレンルッジとやらが何者かは知らないが、貴重なものらしい。
ミヅチはすっかりと全部細かく刻んだ白サレンルッジを小さなフライパンのソースに加え、更に裏漉しした肝ペーストも加えてヘラで混ぜながら大きなフライパンの面倒を見ていた。
ぷ~んと非常に食欲をそそる、得も言われない良い香りが厨房に充満している。
はっ、見とれている場合じゃねぇ。
俺もお造り作らないと。
薄造りにした鮃の刺身を大皿に盛り付け、真ん中に縁側を小山のように無造作に重ねた。
あとは岩塩の粉とかぼす汁を小皿に貰えば終わりだ。
ミヅチは皿にムニエルを盛り付け、小さなフライパンで作ったソースをかけている。
どうやらあっちも出来上がりのようだ。
「あ、あの、フライパンに残ったソースを頂いても宜しいでしょうか?」
料理長がミヅチに声を掛けた。
おいおい、バルドゥックの一流店ドルレオンの名が泣くぞ。
貧乏臭い真似はよせよ。
大体、素人料理だぞ。
顔をしかめた俺を他所にミヅチはにっこり笑って「こんなものでよろしければ、どうぞ」とか言っている。
やれやれ、付き合ってられねぇ。
出来上がったお造りを持って行く。
既に皆腹を空かせて待っているようだ。
「へい、お待ち。ムニエルもすぐに来る。なんか旨そうだった」
テーブルに大皿を置いて振り返ると両手に皿を一枚づつ持ったミヅチと、後ろに付き従うボーイが厨房から出てくるところだった。
「ふも゛ぁっ!!」
料理長の叫び声が聞こえた。




