第五十七話 五層へ
7443年8月23日
何だかよく解らない強敵を倒し、かなりの戦利品を手に入れた俺たちはその後どうするか小休止しながら話し合っていた。
……流石に今回はまずかった。
まさか切り札を切ることになるとは予想していなかった。
いや、正確には四層程度で使う事になるとは思っていなかった。
五層や六層、もっと深い階層で使う可能性があるかも知れない、と思っていた程度で、正直言って舐めていたとしか言えない。
トリスの傍に奴が飛び降りてきて一秒後くらいには鑑定していた。
多分その後五~六秒くらいで分解したが、一分以上も戦っていた気分だ。
ちらっと見ただけでよく覚えていないが、ヴァンパイアと言うのと、魔法を含めた特殊技能が山のようにあったことは覚えている。
HPなんかも二〇〇以上あった筈だ。
あんなのがまた出てきたら今度こそまずい。
俺のMPは三七〇〇位しか残っていない。
咄嗟に二〇〇倍で使ったが、やりすぎた。
流石に一〇〇倍で足りるかは奴のボディービルダーのような立派な体格から言って微妙なところだったが、それでも一三〇~一五〇倍くらいで充分だったろう。
その証拠に奴の下半身の周囲の氷まで分解の余波で消えていた。
ギリギリを狙う必要はないが多すぎるのも問題だ。
MPで七五〇は節約出来ただろう。
四〇〇〇以上残っていれば迷わず継続の決断は下せた。
「……戻った方がいいんじゃないか?」
トリスの声が聞こえる。
「でも、ここは未踏破エリアよ。鉱石とか採れるかも……」
ラルファか。
「確かに、ここまで来て地上に戻れた奴がいるかは怪しいだろうな。散らばっている骨は全部あいつにやられたんだろう」
ゼノムが重々しく言っている。
「ちょっと色が悪い普通の人に見えただけですけど……モンスターだったのかな?」
これは、グィネか?
「解らないな。だが、ご主人様の石槍の魔術を同じ魔術で逸らしたのを見た。とても普通の人に出来る事じゃないことは確かだろう」
ズールーの声は落ち着いていた。
「あの男は生きている感じがしませんでした。肌はやけに青白かったですし……目は赤く光っていました……」
エンゲラも遠慮した感じで言っている。
「……アンデッドの巣か……吸血鬼だったのかもね……」
ベルがボソリと言った。正解だよ。
「グィネ、ここまでの地図を書け。ベルとラルファは武器類の重量が同じくらいになるように人数分で纏めろ。ゼノム……ん、この剣を使ってくれ。ラルファはゼノムの手斧を使え。ズールー、向こうの通路を警戒してくれ。エンゲラはこっち側だ。あまりここから離れるなよ、北の部屋にいたグールを呼び寄せても面倒だ。ゼノム、トリス、ちょっと来てくれ」
ゼノムに今回得た武器のなかで比較的マシな歩兵用の剣を渡し、トリスと一緒に傍に呼ぶと、四層の地図を広げた。
武器を失ったのは予想外だった。
俺がいるからそうそう武器を失うようなことにはならないだろうと、荷物を軽減する意味で予備の武器を用意させていなかった。
まさか俺が塵にまで分解しちまうとはな……。
「今朝五時半ころに四層に来てからもう四時間以上だ。歩いた距離から計算して、今回転移してきたエリアはここかここのどちらかだろう。後でグィネの書いた地図と重ねればはっきりわかるだろうけどな。と、すると五層の転移の水晶棒の小部屋には繋がっていない可能性が高い。よくある独立したエリアなんだろうな。で、だ」
俺は二人の顔を見て言葉を続けた。
ゼノムが面白そうな顔をしている。
トリスは真剣に聞いていたが、ちょっと不思議そうな表情を浮かべた。ふうん。
「さっきはびっくりして結構魔力を使っちまった。だが、もう一回くらいならさっき最後に使った魔術なら何とかなる。グィネが地図を書き終わるまで何とも言えないが、こっちのエリアなら狭いから先に進もうと思う。だが、こっちのエリアに嵌る様な形だとしたらかなり広い可能性がある。その場合はここで戻ろうと思う。意見を聞かせてくれ」
「今回、こんなに装備品を手に入れられたんだ。儲けは大きいでしょう。俺は安全なうち、余力があるうちに戻るべきだと思いますね」
トリスが言った。
なかなか慎重派だな。
「それもいいが、ここにさっきの奴が巣食っていたのならこの先は完全な未踏破地域だろう。だとすると何か得られるものがあるかも知れん。次にいつ来られるかもわからんしな……」
ゼノムめ、わざと言ってやがる。
俺の考えはお見通しってとこか。
「それは解りますが……しかし、さっきの奴ってそんなに強かったんですかね? 俺も急に飛び降りてきてびっくりしちゃいましたけど……そもそもモンスターだったんでしょうか?」
トリスがゼノムを見ながら言った。
「見た感じの形は普人族だったな。尻尾もなかったようだし。だが、あの肌の色はあまりにも不自然だ。マルソーも言っていたが目も赤く輝いていた。それに……これは単なる俺の勘だが、あいつはまずい。かなりやばい奴な感じだった。
だいたい、こんな迷宮の奥で装備もなしに裸でいるだけでもおかしいだろう? それらしい武器一つ持っていなかった。あそこでアルが皆に声を掛けて少しでも距離を取らせて氷漬けにしてなきゃ恐ろしいことになっていた予感がする」
ゼノムがそれに答えて言った。
これは多分ゼノムの本音なんじゃないだろうか。
演技とはとても思えない真剣な声音だった。
「だったら尚更です。あんなのが今回は一人でした。二人以上同時に出てきたら……アルさん、流石にまずくないですか?」
トリスが途中から俺を見て言った。
うん、まずい。
次からは一人はディスインテグレイトで有無を言わさず消し飛ばすか、安全なら特大のファイアボールで木っ端微塵にしてやるが、その間にもう一人が魔法を使う可能性が高いだろう。
下手したら誰か殺されてしまうかもしれない。
手足や胴の重要ではない部分に当たったくらいなら俺のストーンジャベリンを逸らした程度のストーンジャベリンなら死ぬ事はないだろうが、顔や胸なら下手すりゃ即死の可能性もある。
俺が返事するよりも先にゼノムが言った。
「そりゃそうだが、そうと決まったわけでもないだろう。あんなのがそうそういるとも思えん。この先に足を踏み入れた奴がいないのなら宝石や金銀の鉱石が得られるかも知れんしな」
役者やのう、ゼノム。
「ですが、」
「ゼノムの言うことも尤もだ。だが、買える安全は買うんだよ。俺は。この先に確実にお宝でもあることが判ってりゃ別だがな。帰るぞ」
トリスは合格だ。
・・・・・・・・・
俺たちが初めて足を踏み入れた四層のエリアの踏破速度は、だいたい平均して時速一・三~一・五㎞程だ。
去年迷宮に初めて足を踏み入れた時よりは大分速度は上がっているが、それでも速度自体は知れたものだ。
競争している訳じゃないので他のパーティーがどの程度の速度で進んでいるのかはどうでもいいし、既に興味自体殆ど無いから関係ない。
どうせ俺たちの方が圧倒的に速い筈だし。
先ほど指し示した四層の二つの大きな空白エリア以外にも細かいエリアがいくつも空白として残っている。
グィネの地図を重ねると予想通り合計で五つの空白エリアに重ねることが出来た。
そのうち二つは迷宮の中心と言われている転移の水晶棒のある小部屋にも最終的に接続している可能性がある。
ざっとではあるが、今日ヴァンパイアと戦闘するまでに踏破してきた距離は五㎞くらいだろう。
帰り道はそれなりの荷物を全員で運んで二時間程度だったし。
直線という訳でもないが、それなりの大きさだ。
トリスに対して俺は四層の地図の中ではその中で大きな空白エリア二つのみを指し示していた。
それを見たトリスは表情から言って不自然だと思ったのだろうが、あの場でそれを表明するほど愚かではなかった。
そして、もっと大きな獲物を狙える可能性が高いことを示しても動じた様子を見せなかった。
お宝より安全を取った。
生きてさえいられれば再度のチャンスは巡ってくるのだ。
人によっては臆病だと言われるかも知れないがそれでいい。
俺は臆病だとは思わない。
慎重だと思うだけだ。
かつてないほど大量の戦利品は一一〇〇万Z(金貨十一枚)を超えた。
二二万Z(銀貨二二枚)づつのボーナスを奴隷を除く五人に配り、皆で飯を食って酒を飲んで早めに休んだ。
明日は土曜だから午前中は連携訓練、午後は休みだ。
・・・・・・・・・
7443年9月4日
頭が痛い。
偏頭痛だろうか。
余程大事を取って休もうかと思ったが無理しなければ問題ないだろう。
朝飯を食いに宿を出たら偏頭痛は嘘のようになくなっていた。
やれる、問題ない。
・・・・・・・・・
7443年9月5日
四層を突破し、五層を覗いてみた。
見た感じは四層とそう変わりはない。
だが、事前情報では動く石像や黒い炎が燃える祭壇のようなものが確認されているとのことだ。
これらは恐らく部屋に設置されているんだろう。
部屋に行くのは今はやめておこう。
五層の通路に出てくるモンスターを何種類か確認したら帰るべきだ。
何しろ、この階層から例のアイスモンスターとやらが出るんだ。
きっとアイスモンスターも部屋の主なのではないだろうか。
ちなみに四層の転移の水晶の小部屋には誰ひとりいなかった。
しかし、野営の跡は幾つか残っていたから、トップチーム連中がちょこちょこ来ているのは改めて確認出来た。
五層の通路で出てくるモンスターは四層とあまり変わらず、アンデッドが主体だ。
ただ、通路にグールも出てくるようになった。
正直ゾンビと並んで腐乱した死体がウロウロしているのを見るのはぞっとしない。
部屋を避けて暫く歩き回ってみたがほかに出くわしたモンスターはいなかった。
もう帰るか。
・・・・・・・・・
7443年9月8日
思い切って五層の部屋を一度見てみた。
初めてスカベンジクロウラーの部屋に行った時のように緊張しながらじりじりと部屋の中を覗く。
ここはトップチームも抜けられていないという五層だ。
油断なんか一欠片だって出来はしない。
………………。
…………。
……。
なんだ、あれ?
犬か?
ドーベルマンのような輪郭が幾つも見える。
【鑑定】するとゾンビドッグだった。
嗅覚が失われているのか、特殊能力は【赤外線視力】と【麻痺】を持っているに過ぎない。
【赤外線視力の方は生前から持っていたのかどうかは知らないが、【麻痺】はアンデッドと化してから得たもののような気がする。
知らないけど。
床面から厚さ三〇㎝くらいで部屋全体を氷漬けにした。
俺は振り返って皆に頷きかけ、銃剣を構えて部屋に入る。
全員が俺の後に付いてくる。ひのふのやの……十二匹のゾンビドッグが涎に見紛う腐汁を口の端から垂らして唸り声を上げたり吠え声を上げたりしているが、生きている犬とは異なり濁音混じりな嫌な吠え声だった。
「足を氷漬けにされて動けないようですね……」
ズールーが言った。
「ああ、そうだな。手近な奴からタコ殴りにして始末しようか」
それに俺が答えた時だ。
「グォアルルルゥ!」
ゾンビドッグの一匹が咆吼したかと思うとこちらに《《飛びかかってきた》》!
! よく見ると四肢がちぎれている。
オークだのホブゴブリンだののゾンビと異なり、足が細いので自ら引きちぎったのか!?
咄嗟に構えていた銃剣で、俺目掛けて飛びかかってきた一匹の頭を正面から断ち割った。
一定距離まで近づくとゾンビドッグ共は自らの足を引き千切りながらも次々と飛びかかってくるが、ちょっと身を引いてやると氷の上に落ち、藻掻くばかりでちっとも脅威ではなかった。
落ち着いて対処すれば全く問題はなかった。
だが、万が一躱せないと危ないのでグィネの槍とベルとラルファの魔法で全てもう一度殺してやり、魔石を回収した。
・・・・・・・・・
7443年10月8日
「……ん、これでいいだろ。ポイントはあの辺な」
俺の投げた大島仕掛けのウキをあごで指した。
防波堤には百人あまりの人がいて、思い思いに釣りを楽しんだり、軽食を摂ったり、会話を楽しんだりしている。
ここは伊豆大島の岡田港の堤防の上だ。
防波堤にいる人たちは全員ウチの会社の社員とその家族だ。
当社には社員旅行の制度がないので、夏の適当な週末のどこかで釣りクラブの活動と併せて、ちょっとした小旅行をしている。
前日の金曜の夜、仕事を早めに上がり、浜松町から八時間かけて大型客船で大島に来る。
朝六時くらいに大島に到着するが、昼食くらいまではそのまま港に残って釣りをして遊ぶ。
適当な店で昼食を摂って宿に入ったら、海水浴でもよし、再び釣りに戻ってもいい。
夕方まで楽しんだあとは釣った魚を肴に軽く宴会をして温泉に浸かって休む。
翌日は昼まで好きに過ごし、昼過ぎのジェットフォイルで二時間とかからず浜松町の竹芝桟橋まで戻れる。
社員旅行とか大層な名前をつけると全員強制参加と取られかねないので、あくまで宿泊を伴った釣りクラブの活動としている。
来たい人だけ、都合のつく人だけが参加すればいい。
小さな子供や普段釣りをしない人でも楽しめるよう、船釣りではなく、堤防で簡単に釣れるような場所を選んでいる。
本州沿岸の魚と違い、離島の魚はスレていないのでアジやサバ程度なら初めて釣竿を握った子供でも釣れる。
運がよければシマアジだってかかる。
そこそこの遠投とコントロールに自信があるなら俺のように大島仕掛けを使えば堤防から真鯛やメジナだって釣れないことはない。
船に弱い女房の仕掛けにオキアミをつけながら(大島ではオキアミ餌しか売っていない)、「えっ? どこよ?」と言う女房にわかりやすいようにポイントを指し示す。
「川崎さ~ん、これでいいっすかぁ~」
少し離れたところで若手の社員が俺に声を掛ける。
そちらを見るとあまりにも下手くそな餌のつけ方だった。
「それじゃ釣れないよ、尻尾から針を通してアミの腹から針先を出すんだ」
そう言って側に寄って一つ付け直してやる。
その向こうでは小学生くらいの兄妹がサビキでアジを釣り上げてはしゃいでいる。
向こうでは入出庫管理の新人の女の子とその彼氏だろうか、若いカップルが小学生と同じようにアジを釣り上げて喜んでいる。
「いや~、生きてる! 私、触れな~い」
おうおう、可愛いことですな。
俺は全員の様子を見て歩き、困っている人がいないかチェックしていた。
再び女房のもとに帰ろうと堤防の先端から踵を返そうとしたとき、話しかけられた。
「ちょ、川崎さ、ちょっ」
椎名だ。
こいつは一人で参加してた筈だ。
若いんだから連れがいないのは寂しかろ。
奴の竿が大きくしなっている。
フカセ釣りをして防波堤を歩き回っていたはずだが、こんなとこまで来てたのか。
「おっ、いい感じじゃないか! 落ち着け! 頑張れよ!」
タバコに火をつけながら声援を送る。
椎名は慌てながらも落ち着きを取り戻し、慎重なやり取りをしている。
傍で来月結婚するという彼女を連れて釣りをしていた井上からタモ網を受け取って椎名の脇からくわえタバコでタモを海中に入れた。
おお、ビール瓶みたいなでかいアイナメじゃないか。大物だ!
(…………の……い………………わ…………)
?
・・・・・・・・・
ベルに起こされた。朝五時くらいになったらしい。ここは三層の転移の水晶の小部屋だ。
(なんか楽しい夢見てた気がすんだよな……。残念だな)
「うっし! さっさと四層を通り抜けて五層に行くか!」
元気よくそう言って水魔法で水を出して顔を洗う。
桶にも水を作り、ついでに氷も浮かべる。
皆も冷たい水で顔を洗い、サッパリとして出発の準備だ。
・・・・・・・・・
7443年11月29日
五層の地図も四割近くが埋まっており、俺たちも押しも押されもせぬトップチームへと成り上がった。
まだ一つもマジックアイテムを発見できないのは痛いが、こればかりは運だ。
だが、エメラルドの原石を一つ、金の鉱石を一つ、銀の鉱石を二つ見つけている。
金の鉱石は四層で、残りは全て五層で発見した。
宝石の原石と金の鉱石はそれぞれ一〇〇〇万Z(金貨一〇枚)を超える値がついた。
銀の鉱石は一〇〇万Z前後だった。
これらの戦利品に加え、迷宮行きの度に二〇〇~三〇〇万Zという、大量の魔石を獲ってくる殺戮者は時間の問題で魔法の品を獲得出来るだろうと言われている。
勿論俺もそう思っている。皆もそう思っている。
だが、決して俺たちは油断も慢心もしない。
誰かにその兆候があればすぐにお互いがそれを戒めあった。
いい感じだ。
正直な話、一年半くらいでバルドゥックの冒険者のトップに食い込めるなんて上出来だ。
それに、俺たちが一番正確な地図を持っているだろう。
油断しないでしっかりと冒険を継続すれば誰よりも早く六層へ到達出来るようになる筈だ。
そうなればほぼ手付かずのお宝を独占出来る。
遅かれ早かれトップチームの奴らも六層には来るだろうし、俺たちが六層に最初に足を踏み入れたその時こそ多少無理をしてでも財宝を得るために危険を冒す事もあると思っている。
それまでは焦らずに今までのように少しづつ前進すればいい。
何度も繰り返して誠に恐縮ですが、リアル生活で年度末になっており、感想への返信が厳しくなっております。
誤字脱字のご報告くらいにしか直接お礼は出来にくいです。
折角ご感想やコメントを頂戴しているにも関わらず、きちんとお返事できないのは大変に心苦しいのですが……本当に申し訳ありません。ごめんなさい。なお、当たり前ですが頂戴したご感想は全て拝読させて頂いています。
今後は活動報告の内部で、気になったり、補足しなきゃいけないな、と言うようなご感想について返信する「かも知れない」程度にお思い頂けますと幸いです。
たまに活動報告もご覧になっていただけますと幸いです。




