9.『真の魔王』
9.『真の魔王』
魔王の居城。
そう、ほとんど城に近いものが、森の中央に建っていた。
古い建物のようだが、随分傷んでいる。……否、古いだけではない。やけに真新しい傷もある。
「……襲撃を受けたな。
しかも、十三番目の聖印が、ここにはない」
風鶴の発言に、案内をしていた十数名の翠林族が慌てふためいた。何人かは確実に裏の翠林族だが、数名、どちらかを判別できない者もいる。
「魔王様は、この城を出ることはありません!」
「……奪われた、ということか。
急ごう」
風鶴は、他の者がついて来れないことを承知の上で、空を翔けた。同様の印を使える、桃姫も追う。残る者は、歩みを速めることしか出来ない。
二人に追いついた時、風鶴は玉座に座っていた。いつもの五割増の迫力を放って。
「ご苦労」
風鶴は、質素だが大きな玉座の肘掛に肘をつき、その手で頬杖をついて言い放った。
「私が、新たな『魔王』だ。付き従う者を除き、この場を去れ」
玉座の間の中央には、桃姫が懸命に治療を施す、だが恐らくはもう助からない、一人の翠林族の男。
「「魔王様!」」
案内してきた翠林族が集う。……しかし、桃姫はやがてその死体を横たえ、頭を振った。
隼那は、状況を把握できずにいた。新たな魔王だと言う風鶴。元の魔王が、息絶えたという事実。何のために、風鶴は自らを『魔王だ』などと言うのか。
「虎獅狼」
鵬粋が虎獅狼の胸元を叩く。
「お前を解放する。
私は風鶴様に従う」
「な……!
言ってる意味が分かってんのかよ!
アイツは、裏切ると言ってるようなもんだぜ!?」
「承知の上だ。
私は、あの方以外に救われたつもりはない」
「ああ、鵬粋、言い忘れていたな」
風鶴が、そのやり取りを聞いていたのだろうか、鵬粋に言う。
「桃姫を補佐せよ。私の、最後の命令だ。……従えるな?」
「……当然、ですが、桃姫殿はどうされますか?」
「……私が帰らねば、集落の皆が路頭に迷います」
最後に、魔王のために祈りを捧げる。そして、迷うことなく、立ち去ろうとした。
「隼那も連れて行け。
再び来るのだろう?私はここで待つ。
古き魔王の手下も、望むのなら、桃姫に救いを求めろ。それを私は、裏切りだなどとは言わない。食うには困らないようにしてくれるだろう。
だが、私を『真の魔王』と認めぬのならば、その命を賭す覚悟をしろ」
ほとんどの翠林族が、桃姫の後を追った。そして、すれ違いざまに、巨躯の武蔵族が駆け込んできた。……緋浦だ。
「緋浦殿。一緒に行かれませぬか?」
「……俺に構うな。
俺は、アイツに話がある」
やがて、玉座の間には、風鶴と緋浦の二人になった。死体は幾つも転がっていたが、風鶴が全て焼き払って灰燼と化し、吹き込む風で運ばれていった。この場に残ることを選んだ翠林族は、仲間に魔王の死を報せるため、去っていた。
「……そろそろ、話してくれてもいいんじゃねぇか?」
「……ああ。この瞬間に、駆けつける者はいまい。
やや、計画とは違うが、ようやくこの段階に辿り着いた。
ふぅ……」
風鶴が息を吐き、背もたれに体重を預けた。気を吐いた、と言ってもいいかも知れない。
微笑を浮かべて、風鶴は言う。
「『英雄』を演じるのも、ツラいものだな。
ようやく、『悪役』として動ける」
「……その『悪役』が、『真の英雄』として、この世の破滅の原因を取り除こうとはな。
確かに、全ての聖印を消し去れば、翠林族の全てから恨まれる」
「アレは、存在してはならないものだ」
「……全ての聖印を消し去った後、お前はどうするつもりだ?」
「……」
緋浦には、風鶴がその問いに答えられることが分かっていた。分かっていて聞いたことを、風鶴も分かっていた。そして、未だ答えを見付けられない自分に気付きながらも、ずっと、その答えから逃げていた。
「……聖印を作る技術と同じ技術で作られた、人間、か。
制御は出来るとはいえ、この世を滅ぼす力を持っているのだからな。自分の後始末には困るだろうよ。
だがな。
死ぬのは許さねぇぜ」
「……分かっている」
「ま、時間はじっくりかけて構わんよ。俺も、付き合うぜ。
だがまずは、聖印全てを消し去ることから、か。
アイツらにも、もう一度、来てはもらわねばな」
「……来るだろう。覚悟が決まれば」
「何の覚悟だ?」
「……全てを捨てる覚悟だ」
「そんな覚悟をすると思うか?」
「……しないならば、こちらも努力をせぬだけだ。
別に、自分のために、世界を滅びから救いたいわけではない」
「……破滅の断片を残したまま、死ねるか?」
「私の方が、死ぬのは後だろう。私が『原種』である以上」
「だが、もはや翠林族の地では住めなくなるな」
「ああ。築き上げた地位点が、全て帳消しになるほどの、負の評価点を受ける。
だが、それが何だ?翠林族が、聖印の暴走を防ぐために、護るべく造られた種族なのだ。聖印の始末こそが真の目的などと、知らされてはいないだけ。可愛そうだが、私の役目を果たせば、彼らの役目も終わる。
……いや。もしかしたら、新しい社会を作るために、これから始まるのかも知れないがな」
緋浦が、一つため息をついた。
「……お前、自分の人生を諦めていないか?」
「ああ。諦めている。とうの昔にな。
だがな。
人生は、諦めてからが勝負だ。自暴自棄になり、破滅のきっかけになる選択肢を実行しない限り、やり直しはきく。
取り返しの出来ない過ちを行ってしまうと、自分が大成功する可能性を、自らの手で消し去ることになる。
私は、まだそこまでの過ちは行っていないと信じている。
……だがな。私の生涯でただ一人の伴侶は、千年も前に死んでいるはずだ。他の伴侶を見付けるつもりはないし、子供もいなかった。つまり、子孫もいはしない。
私は、全ての始末が終わったら、自分の残りの人生に、希望を見付けるための旅に出る。
勝負にならなくなるのは、その結果、希望を見付ける前に、命を落としてしまうことだけだ。
それからの人生は、私にとって、ただのオマケだがな」
「……なかなか、難儀なことを考えているな。
大人しく、隼那でも伴侶に迎えればいいだろうに。
アイツは恐らく、お前に少なからず、気があると思うぞ」
「だが、今回の件で、隼那は私が裏切ったと思うだろう。
これこそが私の真の目的であることなど、彼女には話していない。
事情を知らない彼女にとって、今回の私の行為が、裏切り以外の何に見えるというのだ?」
緋浦には、それ以上、語る言葉はなかった。
実際には、まだ、隼那は、事態を正確に把握などしておらず、風鶴の行為が裏切りと言うべき行動であることすら、分かっていなかったのだが。
その隼那は、今、桃姫の集落に向かって、泣きそうになりながら歩いていた。