6.『虎獅狼』
6.『虎獅狼』
虎獅狼の食欲は、止まることを知らなかった。
肉は鹿一頭分、米は五合、野菜もこれでもか!という量を用意していたのに、ほとんどを平らげるのではないかという勢いだった。……実際には、半分も食べていないが、よく腹の中に収まったなという量にはなっている。
「美味かったか?」
「ああ。生まれて初めて、満足するまで食った気分だぜ」
腹はもう、食べる前より一回り膨れている。隼那は、自分の集落でそんなに食べられたら、餓死者がどれだけ増えるか心配になるほど食べられたが、平然とした桃姫の様子を見て、こちらの集落の豊かさの片鱗を見た気がした。間違いなく、翠林族の集落で、一番裕福であろう。……少なくとも、食糧に関しては。
「さて。俺の役目を教えてくれねぇか?何の用も無しに解放したわけじゃあるまい?」
「しばらく、旅に出る。そのうち、役目は生じると思うが、当面は荷物持ちを頼みたい。
狩りは得意か?お前の食べる量は、運べない。現地調達になる。お前が食べる量が半分と考えると、お前に狩りをしてもらいたい。
嫌だと言うなら、元に戻ってもらうが……」
「まさか。自分の食い扶持ぐらい、自分で責任を持つ。……俺の食いたい量の倍の量を用意すればいいんだな?熊でも一頭狩れば、腹は満たされるだろう。問題ない」
コイツは本当に、緋浦のようだと、隼那は思った。恐らく、二人が会えば、一度殴り合いの喧嘩をした後、意気投合するに違いない。
「……で?英雄さんの目的は、何だ?」
「さてな。
そのうち明かす。今は時期ではない」
「当面はどうなんだ?何の目当ても無しに彷徨うわけではあるまい?」
「……聖印、だな。もしくは、聖印の守護者と共に、全て集めたい。
場合によっては、聖印が全て失われるかも知れぬ」
「ふぅん……。
俺なんぞは、聖印なんぞ、無い方がいいんじゃねぇかと思ってんだがな。
だって!そうだろ!
誰も制御できない力だぜ!?そんなものが、十二個も転がってんだ!
あんなの、放っといたら、世界が何度も滅んじまうぜ!」
「ほぅ……面白いことを言う」
風鶴の唇の端が、少し持ち上がったように、周囲には見えた。
「翠林族の常識は、良い意味で持ち合わせていないようだな」
「普通に考えたら、当たり前だろ!?」
桃姫は平然とした表情だったが、隼那には不満が無いわけではない。しかし、良く考えてみれば、『教え』だからと言って、何の疑問も持たずに聖印を神聖視していたのには、少し考えを巡らせてみても良かったのではという反省もあった。
「で?何で聖印を集めるんだ?
アンタだからと言って、聖印全てを持ち続けることに、納得しない連中も多いと思うぜ?」
「……被害者を減らすため、と言っておこう。
幾つかの集落が、聖印を奪われる過程で全滅している。
奴らも、聖印の場所を感知する手段は得た、ということだ。
防げるものなら、防ぎたい」
「……本音とは思えねぇな。
言えない事情でもあると思っておこう。
どうせ、逆らえば閉じ込められるんだ。大きな不満が無い限り、盲目的に従うぜ。
……っと。直にアンタに従うだけじゃダメだな。
コイツ……鵬粋、だったな。彼女に従おう。
どうせ、アンタは鵬粋に指示を出すんだろう?
ただ、アンタと鵬粋の意思が矛盾したら、鵬粋の意思に従うぜ。
アンタが言い出したことだ。文句はあるまい?」
「問題ない。だが、鵬粋のことは頼むぞ。そのためにお前を解放した。
私のことは、私自身がどうにかする。男として、当たり前だ。
……さて。
子の印から順番に集めるとするか。
となれば……まずは南だな。
長旅になる。各自、準備を怠らないようにしてくれ。
早ければ、明日には出発する。そのつもりでいてくれ」
「……寅じゃダメなのか?
俺、一応、寅の聖印の守護者の一族の血が流れてんだが」
虎獅狼の提案に、風鶴はしばし考え込む。
「……考え方によっては、寅というのも好都合だな。
虎獅狼、お前にも法筆を持ってもらう。鵬粋もだな。
確か、寅の聖印は、法筆を作る手続きの出来る集落で管理されていたはずだ。
そうそう、落とされるような規模の集落ではないから、急ぐ必要性は感じていなかったが、都合が重なるなら話は別だ。
距離的にも、子の聖印を取りに行くより近い。……方角も、そう変わらない。ついでに寅の聖印を回収してから向かう、という形になるな。
よし。その方針で行こう。
異議はないな?」
隼那も桃姫も頷く。鵬粋は異論を唱えるつもりは端から無く、虎獅狼は自分で提案した話だ。
「なぁ……」
虎獅狼が腹を撫でながら風鶴に声をかけた。
「幾つかの集落が、聖印を奪われる過程で全滅したと言ったな?
アンタの口ぶりでは、アンタは聖印の場所を正確に知ることが出来る。
……何故、ソイツらの本拠地を叩かない?」
「それが最終目標ではないからだ」
何の躊躇いもなく答えた風鶴。その発言に、隼那が驚いた。
「どうして!?
被害者を減らすために、聖印を集めるんじゃないの!?」
「それが被害者を減らす最善の方法である根拠を説明できるか?」
隼那とて、深い考えがあって言ったことではない。少なくとも、風鶴には、隼那以上に深い考えがあったことは確実だ。しかし、それでも、今の発言には異議を唱える。
「今、防げる被害を、どうして防がないのですか!?」
「……事態が、そんな生温い状況ではないからだ」
桃姫は、黙ったまま。表情もほとんど変えない。隼那には、それも理解が出来ない。
「……何を隠しているんですか?」
確信と言うほどのものはない。しかし、どう考えても、自分の知らない情報がある。そこに、隼那はようやく考えが至った。そして、その隠されているという情報は、隼那の想像を絶する重要さがあるようだ。
「何もかもを知って、どうする?
お前には、真実全てを解決する手段があるというのか?」
「……風鶴さんには、あるんですか?」
「私の知り得る限り、私が命を賭してやり遂げなければならないことがある。
それに対して、協力は必要だが、他人には背負わせられない。
……希望を全て、見失う。
それにお前は、耐えられるのか?」
「……」
隼那は、返すべき言葉を必死で探した。しかし、知りもしない情報について、知っている人間より深い考えを持つことなど出来ない。そのことに気付いた時、ようやく、言うべきことに気付いた。
「私に、何が出来ますか?」
「そのうち分かる」
隼那はふと、桃姫がつらそうな表情をしていることに気付いた。
風鶴の、悲しげな表情を見つめる、桃姫。
……多分、彼女も、何かを知っている。
今、ここではないどこかで、隼那は桃姫に聞くことが、出来る限りの全てを知る術であることに気付いた。
そして、それを聞くことが、強い覚悟を持たなければならないことにも。
……風鶴の、心の深淵に踏み込む覚悟。
恐らくは、それが必要なのであろうと。