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印描師  作者: 風妻 時龍
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4.『拷問』

4.『拷問』


 桃姫の集落に着いてみると、襲撃はひと段落ついているらしく、後始末に追われているという状況だった。

「被害者はなかったのですね。

 ……そうですか、捕虜は一人、捕えられましたか。

 あとは?全員、命を救う余裕もありませんでしたか?」

 襲撃についての話を終えた後、桃姫は風鶴と隼那を、川の上にまたがるように建てられた一軒の家へと案内された。細い川だが、何故か湯気が立っているのが、隼那には気になった。

 家は、床に穴が開けられて、川が見えるようになっていたが、そこに、縄を編んで網のようにして、その一つに一人の女性が川に下半身が浸かるように吊るされていた。他にも、見張りなのだろう、数名の男が立っていた。

「猿轡に、口には詰め物か。手は後ろ手に縛り、指もほぼ動かせない。足も、踏ん張りすら利かないこの状況で、逃げ出すのは困難だろう。裏忍者の訓練を受けていようがな。

 ……暴行は加えていまいな?」

「ええ。罠にはめて捕えて、拘束してこの状態にしているだけです」

「そうか。暴行を加えた場合、猿轡を外した途端、舌を噛み切る可能性があるからな。何の情報も得られなくなる。それをしていないだけで賢明だ。……もっとも、今、外せば、舌を噛み切るだろうがな。そういう訓練と教育を受けているはずだ」

 風鶴を睨む彼女の顔には、『罪』の一字が印として記されている。

 間違いない。裏翠林族の、しかも恐らくは、裏忍者だ。

 隼那も、『罪』の印を直に見るのは、初めてだった。『罰』ならば、たまにある。悪事を行った者の顔に、1年間は消えない印を描かれてしまうという罰だ。その印が消えるまで、その者は翠林族の中では真っ当な扱いを受けられない。食べ物を買うことすら、一般の数百倍の値段を吹っかけられることがあるほどだ。

 そして、『罪』の印の場合、ほとんどは一生消えない。そういう、とても重い罪を犯した翠林族を、特に『裏翠林族』として、差別扱いされているほどなのだ。

「……顔に傷を負っているじゃないか。

 気をつけろ。男ならともかく、女で裏忍者なら、仕事で色仕掛けもしなければならないだろう?自分の価値が下がるぞ」

 彼女の頬の傷。それを、風鶴は撫でた。それだけで、傷は消えた。……周囲の見張りから、感嘆の声が漏れた。

「見ろ。お前、なかなか可愛い顔をしているんだぞ?」

 風鶴は、鏡を腰の皮袋から取り出して、彼女の顔の前に差し出した。……彼女も、目を見開いて驚愕した。

「おっと、済まない。つい、罪の印も消してしまった。戻しておかなければな」

 そう、その鏡には、罪の印が記されていない彼女の顔が写っていたのだ。

「……ん?『悪』の字になってしまったか。まぁ、大差ないだろう。

 ああ、ちなみに、邪な心を持っている限り、その印は消えることはない。逆にそんな心が無ければ、現れないような呪いだ。今、お前は信用されなくても仕方のない心理状況であることの証拠になっている。だから、その拘束から逃れることは出来ないぞ。

 その印を、私以外に消せる者はいないだろう。そして、私は決して消すつもりがない。

 嘘を言う可能性が頭に思い浮かんだだけでも、現れる。潔癖な人間でも、その印が現れないようにすることは難しい。

 ……『罪』の印の方がマシだったことに、気がついたか?」

 彼女の顔が、真っ赤に染まった。怒りと……そして、恐らく羞恥で。

「さて。

 ……精神的な鍛錬は、かなり積んでいそうだ。長期戦になりそうだな。

 桃姫、食事を用意してくれ。ここで食べたい。大勢で。それも、出来るだけ豪華なものを頼む。

 どうだ?出来るか?」

「ある程度は、準備をしておりますが……出来るだけ豪華というのは、今からは難しいです。出来上がり時間を予測した上で、献立の変更をするとなると、その条件を満たす献立の検討は、時間的余裕がありません。

 ここで、ということでしたけれども、せいぜいが十数人分にしかなりませんが、それでよろしいですか?それでしたら、今からでも対応できますし、ここで二十人を大きく上回るような人数で食事を取るのは難しいです。かなり、豪華な食事を用意させておりましたので。一人当たりに必要な広さを考えると……」

「問題ない。それで頼もう。可能な限り、豪華になるよう、変更してもらえると助かる」

「分かりました」

 桃姫の目配せ一つで、見張りの一人が動いた。つまりは、桃姫はここでは、そのくらいの権力を持っている。もちろん、地位点もかなり高いのだろう。負の地位点については、よく分からないが。

 子供の頃に、負の地位点を稼いでしまう者は、多い。歳を重ねてから同じ悪さをするよりは大きな負の地位点にはならないが、負の地位点が全く無い翠林族は、彼らも人間である以上、あり得ない。

 風鶴は、大人になってから翠林族との関係性を持ったので、それが無いだけのことだ。普通なら『大和族』というだけで、負の地位点がつけられてしまうが、最初のきっかけが『聖印全てを取り戻した』なのだから、特例を認められて、一切、負の地位点を与えないまま扱われ、その後の負の地位点が無いことに関しては、風鶴の日頃の行いによるものだ。

「さて。少し休憩を入れようか。着いてすぐは、私も少ししんどい。

 隼那。聞きたいことがありそうだな。今のうちに聞いておくぞ」

 急に話を振られて、隼那はたじろいだが、まずは、一つ、聞いておかなければならないことがある。

「……『罪の印』は、そんなに簡単に消せるものではないと思うのですが」

「簡単に消しただけじゃない。しっかり、暗号化された印の情報を読み取り、分析してあった。

 幸い、既知の法則での暗号だったから、これだけ早かっただけだ。それも、かなり簡単な法則だった。消せると知っていれば、頑張れば消せる次元だ。頑張っただけでは消せないものとは、話が違う」

「……でも、この集落には、『罪』や『罰』の印が顔に刻まれた人が、随分といる……」

「ああ。裏翠林族を受け入れている集落だからな。桃姫の方針だ」

「……この娘は、受け入れられないのですか?」

「裏切る可能性がある限り、無理だ。一度、この集落を襲撃した以上。

 庇えば、この娘が原因で、この集落が再び狙われる。……過去に何度もその経験のあるこの集落でなければ、それだけで受け入れ難いだろうな」

「……受け入れられる、という意味にも取れましたけれど」

 隼那はチラッと裏翠林族の女性を見た。明らかに、動揺している。裏翠林族のほとんどは、もう普通の翠林族の集落に受け入れられることは無いと諦め、犯罪によって身を立てることを覚悟し、そういう人々の集いの中で生きなければならないと、翠林族の中では必ず教えられるからだ。まさか、その裏翠林族を受け入れる集落があるとは、隼那も初めて知った。

「……コイツに、その意思があると思うか?

 あると言ったとしても、それを信じる根拠は?今、助かるために嘘を言う可能性を、考えるなと?

 コイツには、負の評価を消すほどの信用を積み重ねることすら許さぬ。その余地を与えれば、目の前の藁を掴むため、少し泳げば辿り着ける岸まで泳ぐ努力を放棄する。

 裏翠林族は、そのくらいに追い詰められた人間の集団だ」

「……問題意識を、持っているようですね」

「問題意識については、私より桃姫の方が強く持っているだろう。

 だから、私財を擲って、こんな集落を作る」

「……本当は、助けるつもりがあるんじゃないですか?」

「あっても無駄だ。コイツ本人に、本気で助かりたいという意思が無い限りな。

 その時、助けるのは私じゃない。桃姫だ。

 私は助けるつもりはない。聞きたい情報を、全て聞き出すだけだ。……そういう仕事だ」

 隼那には、少し納得がいかない。口ではああ言っているが、助けるために動いている可能性を否めない。しかし、恐らくは交換条件が、『全ての情報を、正しく吐き出すこと』なのだろうとも思ったが……それは、彼女の前では言うべきではないと思った。

「風鶴殿」

 声をかけた桃姫が、すっと手で示して、食事の用意がされたお盆を持った十数人が控えていることが分かった。

「よし。食事にしよう。

 桃姫、隼那。二人は当然として、賑やかに食べたい。面子は桃姫に任せて構わないか?」

「はい。見張りを完全に無くすわけには参りませんが、三人ほどに任せて、他の見張りに、この機会に食事を済まさせようと思います」

「頼む」

 隼那の前にも運ばれた、その、大きなお盆に載せられた食事に、驚きを隠さずに居られなかった。

「えっ!?お米を、こんなに沢山!?」

 茶碗にいっぱいのお米。それだけでも隼那には驚きだったのに、それだけでは済まなかった。

 まず、恐らく鹿肉だが、調理法が違う。挽き肉にした上、固めて焼いている。

 生の野菜。それに、胡麻の香りのする何かで味付けがされているようだ。翠林族は、あまり野菜を生では食べない。

 そして極め付けが、汁物。

 隼那はまず、そのお椀を持ち上げて、匂いを確かめた。

「……お味噌汁は初めてでしたか?」

「え……オミソシル……?」

「武蔵族の作る、調味料をお味噌と言うのですが、それで作ったお汁物です。

 今回は、鮭でおダシを取りました」

 鮭は、翠林族のよく食べる魚だから、その匂いは分かる。しかし、未知の調味料……隼那の興味を引くには、ちょっと刺激が強すぎるぐらいだった。

 まず、一口啜る。

「……美味しい」

「緋浦殿は、お味噌の作り方も、工夫されていますからね。特に美味しいお味噌の作り方を教えていただいています。

 ……分かりますか?この村は、餓死者を出さないための努力をしています」

 桃姫が、裏翠林族の娘に向かって微笑みかけた。

「但し、本来の翠林族の教えには、かなり背いていますよ。

 ある程度の森林を伐採し、そこを田畑にしていますから。……必要最小限に、管理して行ってはおりますけれど。

 裏翠林族にまでなった人々でなければ、躊躇ったでしょうね。

 しかし、私は翠林族の教えを完全に守るために、餓死者を出すのは間違っていると思いますので。……信念のために死ぬというのでしたら、まだしも。

 信念を貫くための他に、仕方の無い死に方以外の死は許せません。子供の餓死者など、もってのほかです。

 ……信念も芽生えぬうちに、ただ押し付けられた翠林族の教えのために、死ぬだなんて……」

 桃姫の悲しみの断片が見えた。少なくとも、隼那はそう思った。

「命だけを最も尊いというのも、また極端な間違った考え方だと思うがな」

 風鶴が、ぼやくように呟いた。味噌汁を啜りながら。

「命のためなら、何でもしていいと解釈する人間が多数現れてしまう」

「でも!命が無ければ、何も出来ません!」

「命がそんなに大事か?生きている間に成し遂げることの方こそが、本当に尊いのではないか?」

 風鶴は、お椀を桃姫に突き出した。「お代わりだ」と言う。そして、桃姫がそれを受け取る際に、こう言う。

「私の考える、人生の究極命題は、『幸せな人生を送ること』だ」

 そういえば……

 隼那は、風鶴と桃姫の関係性を考える際に、勝手に風鶴を『兄』、桃姫を『妹』と決め付けていたが、大和族と翠林族の寿命を考えた場合、年上は桃姫であるはずなのだ。少なくとも、風鶴は見た目は若い。相当な歳でなければ、桃姫の年齢を上回ることはないはずだ。……なのに、受ける印象が『兄と妹』。恐らく、精神の成熟度が違う。隼那から見て、桃姫でも大人だと思うのに。

「さて……」

 風鶴は立ち上がり、裏翠林族の娘に近づく。

「旨そうな匂いだろう?辛かろうな、空腹に苦しめられた人生を送った人間にとっては」

 そこまでが、彼女の限界だった。腹の虫が鳴る。顔が朱に染まる。

「苦しいだけの拷問なら、耐えられただろう。

 だがな。

 苦しい人生を送った人間に、そんなことは当たり前なんだ。

 ……さて。

 死ぬにしても、この食事を、一度は腹いっぱい食べてから死にたかろう?」

 彼女は首を力いっぱい横に振る。風鶴を殺意まで込めて睨みつける。それが、彼女の最後の強がりに見えた。

 やがて、風鶴の元へ、味噌汁のお代わりが持ってこられてから、こう言った。

「人生が苦しかった人間にとっては、希望が見えた時の方が、自分の人生のツラさが思い出されて、ツラい。人生が、苦しければ苦しかったほど。

 ……少なからず、同情はする。

 しかし、これとそれとは話は別だ。

 桃姫。二人ほど貸してくれ。……力の強い奴がいい」

 桃姫の視線の動きだけで、見張りの二人が動く。

「コイツの、頭を押さえてくれ。出来るだけ、動かないよう。但し、必要以上の力は込めないで欲しい」

 二人は頷き、抵抗する裏翠林族の女性の頭を押さえる。力の強い男が二人がかりだ。彼女に、抵抗の余地はなかった。

 風鶴は、匙で味噌汁を掬い、彼女の猿轡の布に染み込ませるように、味噌汁を運ぶ。しばらくは暴れようとしていた彼女だったが、やがて味噌汁の味が舌に届いた時だろう、一気に脱力し、抵抗の様子を見せなくなった。

「もういい」

 風鶴の合図で、二人は彼女を解放する。

「……今、もしもお前が望むのならば、自害せず、再び捕縛されることを条件に、この食事を食べたいというのであれば、それを信じよう。

 望むのならば、首を縦に振れ。腹いっぱい、食わせてやるぞ」

 遂に、彼女の精神は瓦解した。ゆっくりと、だが確実に、彼女は首を縦に振った。

「よし。いいだろう。

 桃姫!一通り、お代わりを用意してもらおうか!」

 お代わりについては桃姫に任せ、風鶴は裏翠林族の猿轡を外した。

「……お前、名前は何と言う?」

「……鵬粋ほうすい

「鵬粋、か。

 悪いが、これ以上は拘束を解かぬ。まずは味噌汁を食わせる。……ゆっくりとな。

 遠慮はしなくていい。食いたいだけ食え。……今まで、それすらほとんど望めなかっただろう?」

 ゆっくりと味噌汁を匙で掬い与え、しばらくしてから、「美味いか?」とだけ聞くと、「美味しいです」と鵬粋は涙を流しながら返答した。

 普段、大した量を食べられていなかったのだろう。半分ほどを食べたところで、「もう十分です」と鵬粋は言い、そしてすぐに、「何を話せばよろしいでしょうか」と、彼女から言い出した。

「今日はいい。

 だがな。助かりたいのなら、助かりたいと言え。桃姫なら、何とかしてくれる。全てを正直に話すのならな。少なくとも、食うには困らん」

「……助かりたいです」

 もう、号泣だった。隼那は、裏翠林族の人たちが、自分の想像を絶する苦しみに耐えているのではないかという考えを、ふと頭に思い浮かべた。

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