10.『裏切り』
10.『裏切り』
桃姫の集落に着く頃、ようやく、隼那は風鶴の裏切りに気付き始めていた。
……きっと、裏切る機会を窺っていたに違いない。
風鶴が『新たな魔王』と言っていたことが、最初から風鶴の計画の一部だと気付いた。
「……許せない。私は……けっこう、本気であなたのことが好きだったのに」
ギリギリまで、信頼を築くため。そのために、悪事を行っていなかったのだろう。風鶴の地位点が高いことを、最大限に活かすために。
桃姫は、何も語らない。
鵬粋も無言。
虎獅狼ですら、言葉が少ない。
集落に到着してから、桃姫は民に指示を出す。かなり先のことまで、細かく。
「私は、再び風鶴殿に会いに行きます。
あなたたちはどうしますか?」
一通りの指示を終えてから、桃姫は三人に言った。
「……風鶴さんが、ああいう行動を取ることは、神託にはなかったのですか?」
「神託はありました。
しかし、神託は、『決して変えてはいけないこと』しか報せてくれないのです。
変えても問題のないことは、神託では下りません。
私の行動も、ここまでは、神託に従った通りのことです。
……この先については、言えません。下された神託の一面だけを見て、その未来を変えるべきと思う方には、正しく神託を扱うことは出来ませんから」
「俺は……」
虎獅狼が呟くように言った。
「アイツが、俺らと勝負して、負けて命を落とすことを望んでいるようにも見えたぜ」
「……残念ながら、風鶴殿が死を望んでいることは、否定できません」
半ば涙目で、桃姫は俯く。
「……で?
俺には、アンタが、アイツを救いに行きたいように見えるぜ」
「それは、もちろんです」
迷うことなく断言したことを、隼那は信じられなかった。一瞬の迷いも無かったことに。
「裏切ったのよ!?なのに……どうして救いたいだなんて――」
「何をどのように裏切ったのですか?
私には、風鶴殿には風鶴殿の考えがあると信じます。
一見、裏切りに見えるかも知れません。ですが、神託と同じです。
一面だけを見て、単純に『裏切り』の一言で片付けないで下さい」
「なら、違う見方があることを、一つでも言ってみせてよ!」
「……例えば。
私は、風鶴殿が聖印に何らかの考えを持っていると思いますが、私は、聖印が『聖なるもの』と、盲目的に信じることは出来ません」
「……え?」
それは、翠林族の教えを、根本から揺るがす疑問に等しい。
「……はっきり言ってやれよ。
俺は、聖印に込められた力ってぇのは、強すぎて、『邪な力』にしか思えねぇぜ」
その疑問を持ったことのある翠林族というのは、恐らく少ないのではあるまいか。隼那も、一度も疑ったことはなかった。聖印が、『聖なるもの』であるという教えを。
「私は、一人でも向かいます。そして、必ず風鶴殿を、この集落に連れ帰ります。でなければ、私はここには戻りません。私がいなくても、この集落を維持できるだけの指示は与えました。
私は、風鶴殿を信じます。
……あなたには、信じられないのですか、隼那さん?」
「それは……」
隼那には、即答することは出来なかった。否定の言葉すらも出せず、ただ迷いだけがあった。
「私も行こう。
虎獅狼、お前もついて来るな?」
「お前が行くなら、行くさ。
俺も、翠林族の教えよりは、風鶴という男の方が信じられる」
「みんな……裏切りだとは思わないの!?」
隼那の迷いの理由。風鶴という男の信用性と、『裏切り』の事実の対立。
「だから、何を裏切った?翠林族の教えを、か?俺には、翠林族の教えを盲目的に従う理由がねぇし、俺を解放してくれたのは、あの男だ」
「……私も、風鶴様に救われた」
隼那の視線が、桃姫に注がれる。
「……桃姫さんは、どうして風鶴さんを信じるのですか?」
桃姫は、普段にも増して真剣な眼差しを隼那に向けた。
「私が信じる理由は、いずれ明らかにするでしょう。
……隼那さんは、自分が信じられないような男に惚れたのですか?」
心に突き刺さる言葉だった。
全幅の信頼。それも、一つの惚れた理由だった。……しかし、裏切られた。だから、もう好きではいられないという気持ちもある。
「あなたが残るのならば、それもいいでしょう。
行きましょう。風鶴殿は、きっと待っています」
「……私のことも!」
隼那は、心の片隅に、捨てられずにある『風鶴への想い』に突き動かされて、言い出さずにはいられなかった。
「私のことも、風鶴さんは待っていてくれるでしょうか!」
「……少なくとも、聖印の守護者であるという事実だけでも、風鶴殿があなたを待つ理由としては十分ですよ。
あなたの言葉で、確かめてきたらいかがですか?何故、裏切るような行為を取ったのかを」
……確かめたい。自分の耳で。自分の言葉で。
「……私も、行きます」
「それが正しいと思いますよ」
桃姫は微笑んだ。
「あなたが聖印の守護者である限り、あなたの身は狙われていて、あなた一人の力では、その身を護ることも出来ないのですから」
今になって、ようやく気がつかされた。
最初から、隼那には選択肢は無かったということに。
ついて行かなければ、身の危険を自分では対処できない。
色々と誘導されて、納得してついて行く気持ちになれたことに、隼那はただ桃姫へ感謝の気持ちを抱いた。