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孤独を大声で叫んだ私は去って行く

「彼らはおまえの叫びに呼応してしまった」

 窓ガラスに身を押しつけて、息を喘がせている私の耳朶を、落ち着いた声が打った。

 この声、窓の向こうからではない。部屋の反対側の、玄関の扉からだ。

 あまりに聞き慣れた声。一時期は、その声を聞くことを何よりも楽しみにしていた。ずいぶん昔のことだ。

「ネット上のあらゆる場所でおまえを見かけたから、すぐに分かったよ。おまえは社会レベルの力学の基石となりつつある。人々の意思のモメンタムが、結合を求めているんだ」

「外のあれは、私を、どうして? 何で起きてるの?」

 私は尋ねた。パニクった頭が、うまく言葉を形成しない。

「ここ数十年で、社会の形は随分と様変わりしてしまった。この新たな環境に、人類は適応しようと努力はしている。それでも、我々は物質的に豊かになったものの、精神的な孤独はかつてなく強まってしまった。あらゆるテクノロジーが投じられたものの、十分な効果は出ず、人々は無意識下で巨大すぎる虚無感を感じていた」

 窓ガラスの向こう側、人々のエネルギーが空気をびりびりと振動させている。

「それがおまえの発した言葉に刺激されて、社会の表面に噴出したんだ。人々は自覚してしまったんだ。自分たちがいかに不安定で誤った状況に置かれているのかを」

 私の言葉だなんて、そんな。

「私は独り言を言ったのよ! 外の世界を変えるつもりなんかなかったし、勝手に盗撮されたのを広められたのよ!」

 私は叫んだ。

「その声は意図せず増幅されて、響き渡ってしまった。社会なんて、脆いものだよ。ほんの何気ない一言で、表と裏が入れ替わってしまう。この世界では、声を潜めて、騒ぎを起こさないように生きるしかないのに、おまえは大声で孤独を叫んでしまったんだ。そして、待ち構えていた集合の無意識にとらえられてしまった」

 私はそんな不条理受け入れられない。私は震えながら、頭を振り続けている。

 外の喧噪は信じられないレベルだ。すでに数万人、あるいはそれ以上の人間が集まっているに違いない。

「いまや人類は変わろうとしている。孤独に耐えられなくなった人々は、新たなビジョンを得てしまった。おまえを中枢として、ここに新たな集合知性が目覚めようとしている。人類の新たな段階への進化を示唆しているに違いない。幼年期の終わりだよ」

「そんなの知ったことじゃないわ! 私を巻き込まないでちょうだい!」

 扉の向こうの声が笑った。

「火付け役なのに、無責任だな。いいのか? 永遠に孤独を感じずに済むんだぞ」

「冗談じゃないわ!」

 私は声の限りに叫んだ。叫んで、起ころうとしていることを拒絶した。

 孤独を感じることが出来ると言うことは、生きているということ。

 それを避けるために、個を消滅させて、集合した知性になる? なんでそんな方向へいくのだろう。とてもついて行けない。

「それなら、こっちへ来い、コヅエ。無神経な俺は、他人の心につながる糸をよけて歩く方法を知っている。このような脅威に怯えることないように、俺が守ってやれるんだ」

 扉の向こうの声が、強い口調で誘った。

 それでも、私は動かなかった。

 背後に感じるガラスの震えを感じている。いまにも何万人もの人間が私を捕らえに、なだれ込んでくることだろう。だけど、こういうときこそ、私は考えなければならない。

 考えをやめてはダメなのだ。

 外の群衆に取り込まれるのは堪らない。誰かにこの危機を救って欲しい。かといって、扉の向こうの男に救ってもらうことは選べない。再び他者を頼り切ってしまい、抜け出すことも出来ず、ひどいしっぺ返しに滅ぼされることになる。

 第三の選択を歩むしかないのだ。

 意気地のないことに、この期に及んで私は誰かに依存して、支えてもらい、守ってもらおうとしている。

 まったく、私は学ばない。弱っているときに、ちょっと優しくされると、すぐなびきそうになる。とんでもない女だ。

 私は嬉しい気持ちになろうとする自分を許さない。泣き出すなどもってのほか。易きに流れて落ちていこうとする自分を、徹底的に否定する。

 あまりに痛くて苦しい、独力で歩むという道を歩かなければ、私はダメなのだ。

 自分の内面に目を向ければ、かつて他人にかけた言葉が全て自分に返ってくる。自分を作っていく。

 なぜ、私は甘い誘いの言葉を断ってきたのだろう。

 強い孤独の念がやってくる。さながら巨大な波のような孤独。容易に押しつぶされる。

 苦しくてたまらない。胸が締め付けられる。苦しくないはずがない。それが正常な反応なのだから。

 だが、この感覚を大切にしなければならない。これを否定することに意義はない。

 代償なしでおいしい思いをしようと考える時点で、敗北者なのだから。


 私は窓ガラスから身を離した。

 得る努力もせずに、失うことを恐れていたコヅエは、ベランダから落ちて死んだ。

 そのコヅエと、今の私は別人で、接点もない。取るに足らない記憶の残渣なのだ。

「見くびらないで、かっちゃん」

 私は口を開いた。扉の向こうの男へかける言葉も自ずと決まってくる。

「あなたごときに守ってもらわなきゃ行けないほど落ちぶれてないわ。あなたこそ、他人の感情に触れることも出来ない臆病者の腰抜けよ。それをたたき直して、少しはマシな世界を作るのに役立てる。それができるのが私よ」

 喋るうちに、声から震えが消えていく。

「私には力がある。どんな脅威だってはね除けるし、障害物は叩き壊すわ。私が一言呟けば、動物でも怪物でも世界の裏側の人間だって動くのよ。そして、それがあなたのために力を注ぐ。それになにか文句でもある?」

「互いに互いを支えあう。素晴らしい相互援助。ウィンウィンシチュエーション」

 扉の向こうの声が歌うように言った。ドアノブが滑らかに回転する。

「交渉成立だよ、コヅエ。また一緒だ」

 扉が開いて、暗い部屋に光が差し込む。闇になれきった私は思わず目をかばった。

 かっちゃんがドアの枠にもたれかかって立っている。逆光で影になっているが、その顔に愉快そうな笑みが浮かんでいるのが分かる。

 不覚にも、その笑みにぞくっとなってしまう。そんな自分がますます嫌になった。

 私は歯を食いしばり、意思に反して流れる涙を腕でぬぐった。

「ひどいな、コヅエ。さんざん電話したのによ」

「くたばりやがれ」

「このタイミングでツンデレはないだろ」

 私は拳を握りしめると、ずんずん歩いてこいつの三十センチ前に立って、睨み付けた。

 プラネタリウムが潰れてから、ほとんど間断なくこいつの死を願ってきたのに、ぴんぴんしてやがる。

「ここを去ろう。外の群衆に気取られないよう、こっそりとな」

 かっちゃんはそう言って、私の肩を抱いた。

 いいわ。私を好きに動かせばいい。耐えることに関して、私は玄人だ。

 今この場では彼に従おう。後で私の望む状況下で、じっくりいたぶってやる。借りは全て返済してやる。私が苦しんだ分だけの孤独を、こいつに支払わせるのだ。かっちゃんの後悔は長いことになるのだ。

 判事が温情によって、減刑を与える気分になり、それが愉快だった。

 随分長いこと闇に包まれていた心で、夜が明けたような気分だ。

 かっちゃんが後ろ手に扉を閉めた。

 すると、外の喧噪も聞こえなくなった。







「星が見たいわ」

「見えてるさ。星はどこにも逃げはしないんだ」

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