孤独を知った人々の意思
パソコンのディスプレイの明かりが失せ、またどっぷりとした闇が部屋を沈めた。
私がこの部屋でやったあらゆる行為、そして口にしたあらゆる言葉は電気的な情報となってネットに広まってしまった。
かといって、この部屋が光り輝いて見えることもない。
ネット上の警察のような組織に通報して、迅速に対応してもらうことが出来るかもしれない。
でも、もう私のプライドや羞恥心関連の鎧は粉々だし、通報したところでさらに多くの人間が好奇の目を注いでくることになるだろう。ニュースなどに取り上げられたら、人生が破滅だ。
孤独は耐え難いが、こんな状況はわたしが望んだものと、あまりにかけ離れている。
求めるものと得るものは、ずれていくばかりだ。まるで、求めることが罰だと言わんばかりに。
捨て置けばいい。
常識的に考えて、私の生活なんて、誰が見たがるというのだろう。
ネットはどうせ、無数のゴミ情報が覆われていて、私の情報などたちまち風化して消えていくことだろう。
「ったく、なにが希望よ」
盗撮魔の申し出を反芻した。その言葉には心を動かされたが、盗撮魔の実態は下劣そのものであり、私の求めるものを得ることの出来る確率はあまりに低く思えた。到底、試してみる気にはならない。
いくら孤立して、本流の人間から疎外されようと、精神性まで社会の底レベルに合わせることはない。魂だけは高潔に保たねばならない。
私はここで強く認識する。
その点、どれほど発達しようと、ネットは軍事のために生まれて、ポルノのために発達したクソの結晶じゃないか。大きくなれば、どんなものでも立派に見えてくるが、そんなものに救ってもらおうと思う私ではない。
「見くびらないでよ……」
私は言った。もう、それに反応する声もなかった。
ベランダに出ると、鉄柵にもたれて、両腕を絡ませた。
でも、自分は嬉しかったのだろうか? 他人による本当の注目の的となれて。
くだらない。私は思いを断ち切った。所詮は確かめる術もない、他人の言葉だ。
私は夜空を見上げ、いつものように星が見えないことを確認した。
そして、センスの欠片もない、ネオンの明かりへと目を下ろした。
「え?」
ネオンの明かりは消えていた。目をこすってみるが、間違いない。繁華街は真っ暗になっている。
「なに……? 停電?」
震災復興を意図したものだろうか? いや、もう電力供給は十分なはずだ。
私は目をこらす。大嫌いだったネオンの明かりは慎みを学んだかのように沈黙していた。車の音も、騒がしいポップの音楽もない。静まりかえっている。
喜ぶべきことなのだろう。
でも、ないと、なんだか不安になってくる。
どうしてどうして、代償なしで手に入るものがないからだろう。労せず手に入れたと思ったら、指をすり抜けている。世の中はそうやってバランスをとっている。
何が起こったのか、ニュースを調べるべきだろう。だが、もう少しだけここにいたかった。
「星が戻ってこないかしら」
私は、空と地平線まで埋める建物の境界を眺めた。
きらりと光るものがあった。
一番星? 私は嬉しくなる。さらに光が生まれて、星が増えていく。
いや……。
何かがおかしい。
星のきらめきは増えている。しかし、空の上にではなく、地上に星の光が増えているのだ。
だとすると、それは星ではない。
光はどんどん数を増し、こちらへ近づいてくる。心臓が訳もなく、どきどきした。
音が聞こえる。規則正しい重音は、大勢の人間の足音にしか聞こえない。
圧倒的な数だ。なにか、途轍もなく大きなものが接近してくるのを感じる。なにか、間違ったものが。背中を冷たいものが流れて、呼吸が意図せず速くなった。
町の灯りは消え、静かになったが、闇が来たのだ。闇の向こうから悪いものが。
口の中はからからだった。
ついに、星の光の先頭が、私の安アパートの下にまで到達した。
「マチ・コヅエ~! いるか~!?」
知らない人間の叫び声が聞こえた。私を呼ぶのは誰なのだ。
星の光に見えたのは、人間が手にする灯りだった。懐中電灯、ランタン、提灯、松明。一つ一つの灯りが、人間なのだ。星の数ほどの人間がこちらへ向かってくる。私のアパートの下に人が集まり、叫び始める。
「ここだ! ここがコヅエの家だ!」
「マチ・コヅエ、姿を見せてくれ~!」
「コヅエ-! 俺だ―! 一つになろう!」
「コヅエ! もう孤独は嫌なんだ!」
次々と人が集まり、私の名を叫ぶ。私を求めている。
「嘘でしょ……」
目が回った。
ありえない。何かの悪い夢だ。
こんなことが起きる理由がない! ……いや……もしかして。
「まさか」
盗撮魔の言っていたことが頭をよぎる。ネット上に流れた、私の全ての情報。
それが人々を呼び寄せてしまった……?
「ないないっ! そんなのありえない!」
とても信じられず、私は激しく頭を振った。それでも、現実にどんどん人が集まってくる。
とうに百人を越え、一秒ごとに人は増えていく。すでにアパートの前の道路は一杯で、塀の上、電柱、街路樹、屋根の上にまで人が貯まっていく。
狂気じみた喧噪に押されて、私はよろめく。膝が面白いように笑っている。
この群衆が自分に何を求めているのか想像もつかない。だが、私の望む何かではないことは確かだ。
確かに、私は孤独を嫌った。人に見てもらうことを求めた。その結果だというのか? 報いだというのか?
星に願い事をするつもりで、無邪気にも私はよい環境を望んできた。
しかし願いは、私の意のままになることなどなく、暴走して、ついには私本人を食い殺そうとしている。
「コヅエ―! 下りてきてくれ-!」
「どこにいるんだ! 俺たちみんながコヅエと同じ気持ちなんだ!」
「一つになろう! 永遠に孤独を捨て去ろう!」
「コヅエ! 下りてくるんだ! 下りてこなくちゃだめだ!」
「みんなコヅエを待っているんだよ~!」
「待ちきれない! 誰か梯子を持ってこい!」
今にも群衆はここに上がってきて、私を引きずり下ろすだろう。
私は部屋に入り、ぴしゃりと窓を閉める。こんなガラス一枚が何の防御になるだろう。そとの騒音をわずかに曇らせる程度の厚みしかない。
怖い。怖くてたまらない。
私に焦点を合わせたあまりに巨大な力に、私は恐れおののいている。




