報復への道
「はあ……」
なんだかくたびれる。がっくりと身を折り、額に手を当てた。
事態は好転しない。他人に見てもらうといっても、私の尊厳を踏みにじる形での盗撮など、許容できるはずがない。
孤独感と、言葉に出来ない絶望感は強まるばかりだ。不必要に傷口をつついて悪化させるようなもので、物事が悪い方向へとしか進もうとしない。もう嫌になる。流砂の中でもがいてる方がまだ有意義だろう。
猫が足下にやってきて、気遣わしげに鳴いた。
それを抱き上げ、猫ちゃんの額に唇を押しつけた。
「心配してくれるの? 優しいのね」
私は囁いた。こういう無償の愛の提示ほど嬉しいものはない。
でも、なんだろう。妙な寒気というか、変な感触がさっきから徐々に強まっているのを感じている。
私の調子は悪かった。あまりに強い孤独が、私の体をむしばんでいる。
それにしても、気分が悪い。全身に嫌な感触が走る。痛みとも寒気とも違う……これは痒み? もしや、食中毒だろうか。でも、別に最近拾い食いをしたわけでもないし、古い食材にチャレンジした記憶もない。
「私……どうしちゃったんだろう?」
涙が止まらない。鼻水まで流れ出す。さらにくしゃみが十回ほど立て続けに出る。絶対におかしい。
なにか、途轍もない記憶の欠落がある気がしてならない。わかりきった答えがすぐそこにあるのに、出てこない感覚だ。私は戸惑いながらも、どうにか考えをまとめようとする。
猫ちゃんの顔を見つめた。金色の瞳が私を映している。
私は猫が大好きだ。その事実に誤りはない。
では、どうして猫が大好きなのに、今日までこうやって間近で触れ合ったことがなかったのだろう?
記憶の中で自分の泣き声や、親の厳しい声がこだました後、私の頭の回路が繋がった。
「あ……」
思い出した。
思い出してしまった。
「私、猫アレルギーだったわ」
私は言った。
腕の中で猫が固まる。
時間そのものが凍り付いたように、しばらくなにも動かなかった。でも、すぐに腕の中で猫の心臓が激しく動き始めた。
私の惚れていた金色の瞳が、動揺して揺れ動く。そして、猫は叫んだ。
「思い出すの、遅っ!」
的確な突っ込みありがたい。だが、私たちの友情は終わりを告げていた。
私は窓を全開にすると、猫を思いっきり夜空に向けて投じた。
猫は、ぎにゃーっと悲鳴を引きずって消えた。猫は高いところから落ちても平気だし、もともと野良だ。逞しさにかけては、私などが及ぶものではない。元気にやっていけるだろう。
「さようなら。次に飼い主のところで、幸せになるのよ」
私は言った。
動物を飼っていると病院など、とにかくお金がかかって大変だと聞いていた。それに、お金をかける前にたぶんこっちがアレルギーで死ぬだろう。
避ける方法はなかった。
悲しい。心で同調できると思っても、体の方がそれを許してくれないなんて。
いや、それだけではないだろう。私は、自分がどれほど苦しかろうと、猫と一緒に過ごすことは選択できた。
だが、自分で気づいてしまっている。自分で利用するために、猫を呼んだという意識が消えてくれない。
盗撮魔に見られていることを無視できないのと同じく、私は過去の自分の考えをぬぐうことが出来ない。
どさりとソファに身を投げた。
他人に慰めてもらおうという考えそのものが、私を裏切っているというわけだ。
どのみち、あらゆる動物はエサでも、異性でも争い合うように作られている。猫ちゃんとのひとときなど、数少ない例外でしかない。
種族的レベルで、絶対的に孤独。その事実に誤りなどないのだ。
これから逃れる解決策は命を絶つことしかないようだ。
「ようやく死ねるのね」
私は言った。
ぱちっ、と壁からスパークが散った。それへ目をやる。それの意味する結果をもう一度考える。
気がつけば、思い切り唇を噛んでいた。血の味が口の中に広がっている。私の顔は般若のそれへと化していく。
「死にきれんわぁ!」
片付けなければならない仕事が残っている。
かっちゃんの件があってから、永遠に純血の処女で生きようと決めていたのに、私は盗撮され、プライバシーは粉砕され、清めることできないほど穢された。これは血で清められなければならない。
カメラを破壊したなんて生ぬるい。ぬるすぎる。盗撮魔にとって、痛くもかゆくもないだろう。
償いが必要だ。盗撮魔は万死に値する。絶対に、生皮剥いで蟻塚だ。
復讐のチャンスはまだあるかもしれない。敵は私にカメラを発見されたかどうかは確証がないはずだ。カメラが単に技術的な問題で壊れたと考えたならば、敵は私の留守中に忍び込んで、カメラを交換して盗撮を続けることだろう。
私は盗撮魔にとっての獲物なのだ。そう簡単にあきらめるとは考えにくい。
吸血鬼というイレギュラーな存在を武器にカメラを破壊した私は、優位に立てるかもしれない。
穴の開いた壁を探る。薄い壁を除けて、潰れたカメラを捨てると、奥から青いケーブルが出てきた。
「つかまえたわ」
敵の尻尾だ。すでに切れた尻尾なのかどうか、確かめてやる。
私は自分のアイブックを持ってくると、このケーブルを接続した。すでに私は、便利なインターネット通話用のフリーソフトを所有している。私は歯を剥きながら、それをダブルクリックした。
『Kodueさん、こんにちは! Skypeへようこそ! どこへ通話しますか?』
「このケーブルの向こう側よ。繋いで。今すぐ」
『通話のためには相手先の番号もしくはアドレスが必要となります』
「そんなの知らないわよ! 職業なら分かるわ……盗撮魔」
それを打ち込んで、エンターを押す。だが、記入必須部位の入力ができていないとの返答しか返ってこない。
私はアイブックに付いているウェブカメラを睨み付けて、
「ねえ、すでに通話したい相手とケーブルを繋いでいるのよ。前世紀の電話はもちろん、糸電話だってそのぐらい繋げて当然よ! それを天下にその名を聞こえた、最先端ITテクノロジーの寵児であるあなた達が通話を拒否するというの!? 糸電話にも劣るということを、ここで証明したいわけ? ジョブズがあの世で泣いてるわよ!」
『別にジョブズ氏とskypeは関係ありませんが』
「いいわ。私、残りの一生、糸電話で生きるから。糸電話でネット作って、あんた達がいかに役に立たないか、死ぬまで言いふらしてやるから」
『こちらにもプライドがあります。いいでしょう、そこまで言われたら繋がないわけにもいきません』
プー、と相手にコールしている音がたつ。
『これからもskepeのご贔屓を』
「はいはい、ご苦労様」
ちょろいわ。
さあ、敵は電話に出るか。あるいは、すでにこの回線は破棄して、二度と私の手の届かないネットの深みに消えたか。




