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手近な武器

 ふと、大学で流れていた噂が意識に上る。盗撮魔の噂。

 この一帯に住む若い女を狙ったもので、その手筋は巧妙。油断しているとカメラを仕込まれて、私生活の全てを覗かれてしまう。逃げ足も速く、カメラに気づいたとしても、その時にはカメラと盗撮魔を繋ぐケーブルは断たれてしまって、足取りはつかめない。警察もお手上げ、との噂だった。

 くだらない都市伝説だと聞き流していたが、自身が被害者になってしまった以上、他人事ではない。

 噂を信じるなら、盗撮魔は足取りを掴まれにくいように、安物のありふれたビデオ・カメラ一台のみを使うそうだ。すると、ソファに座って背を向けていれば、表情を読まれることはないわけだけだ。

 それでも、常に見られているという事実を認識してしまった。背中に他人の視線を絶え間なく受けている。不快なくすぐったさがつきまとい、無視することが出来ない。

 どうにか対処しなければならない。

 カメラを発見した素振りを見せなかったのは、我ながら見事だった。ひとりポーカーで鍛えた私の鉄面皮は伊達じゃない。

 なんとか盗撮魔を出し抜いて、償いをさせる。それも生まれてきたことを後悔させてやるほど。そうでもしないと、気が済まない。

 コヅエの必殺の逆襲だ。全身の皮を剥いで、棒に縛り付けて蟻塚に放置、という拷問がある。敵はそれを受けるに値する。

 今年の夏はクソ暑かったため、人に見られてはならない姿で、人に知られてはならないことばかりやっていたのだ。許すことは出来ない。

 嫌悪感は、私の内側で炎へと姿を変えていた。かっちゃん相手に感じていた燃えるような炎ではない、復讐を意図した、氷のように冷たい炎が燃えていた。

 人間は、本当に怒ったとき、逆に冷たくなるのだ。私は冷え切った頭で、復讐のプランを練る。

 ふと、計画に予測できない因子が含まれていることに気づいた。窓の外からこっちを見ている吸血鬼だ。イレギュラーと呼ぶほかない存在。

 ついさっき、カメラの真ん前であれと抱き合ったりしたものだが、果たして吸血鬼の存在が公になって大丈夫なのだろうか?

「ねえ、吸血鬼」

「なんだ?」

 吸血鬼が嬉しそうに部屋に入ってきた。

「この部屋、ずっとカメラで撮影されてたんだけど、あんた平気なの? 一応、吸血鬼は秘密の存在で、世間の表舞台には立てない、とか設定あるんでしょ?」

「くくく……はっはっは!」

 吸血鬼は身をのけぞらせて大笑した。

「無知な娘よ! 我々偉大な闇の種族が鏡に写らないことも知らんのか!」

「鏡じゃなくてカメラよ、ぼけなす」

 カメラを背にしながら、吸血鬼の襟首を掴んで怖い声を出す。途端に吸血鬼はびくびくしだした。

「ほ、ほら、鏡に写らないということは、我輩の体は可視光線を歪める能力を持っているようで――」

「ああ、それでカメラのような光学機器にも映らないというの。意味をなすわね」

 私は半眼の顔でうなずく。

 そして、私はおもむろに吸血鬼の手首を握った。

「おお、娘よ。ようやく我輩の闇の口づけを受ける気になったか。よし、病院へ行って検査を――」

 吸血鬼が何か勘違いして言っていたが、私は構わず彼を投げた。横隔膜を落として丹田に力を込めると、左足をすり足で進めながら、手首を押さえている腕を床に向けてたたきつける。

 いわゆる、肘当て呼吸投げだ。

 護身術として一時期習っていた合気道の出番だった。

「ちょ……うわっ!」

 私の仕手は大した腕ではないが、吸血鬼は素人そのものだ。容易にバランスを崩して、床の上を転げた。

 私は瞬時に腕を解いて、吸血鬼の尻を思い切り蹴飛ばした。

 狙い通りだった。吸血鬼の体は体勢を崩したまま直進して、壁のカメラの隠してあった部位に激突した。部屋が大きく揺れる。

 吸血鬼の頭は、完全に壁にめり込んでしまった。カメラは大破したことだろう。私はガッツポーズを決めた。

 合気道のすごいところは、怪力だったり大柄だったりする敵に女の腕で太刀打ちできることだ。力学や、敵の反射を利用しているためだとか。

 吸血鬼相手の最高の体術と認めざるを得ない。


 吸血鬼を壁から引き抜く。カメラのレンズは粉砕され、火花を散らしていた。上出来だ。

 吸血鬼はカメラに映らない。盗撮魔が見ていたとしても、突然カメラが壊れたことに腰を抜かしていることだろう。

 一方の吸血鬼の方は目を回している。私は嘆かわしげに首を振った。

「力は強いのかもしれないけど、こうやってどつかれることに耐性ないのね」

 恵まれた環境にいながら、それを生かそうとしない奴に、私は虫酸がはしる。

「もう、帰りなさいな。ベラ・ルゴーシが見たら悔やむわよ」

「だ……誰でふかほれ……?」

「失せろ!」

 私は発作的に吸血鬼の頭をカメラに叩きつけ、双方にとどめを刺した。

 人事不省に陥った吸血鬼のマントを引っ張って、ベランダに引きずり出す。都合のいいことに、この安アパートのゴミ集積所は私のベランダのほんの十メートル下にある。ダストシュートがこちらに口を開けていた。それに吸血鬼を投げ入れるのに、なんの造作もなかった。

「灰は灰へ。ゴミはゴミ箱へ。エイメン」

 私は言い残して、部屋に戻った。


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