孤独だった私
陽が沈んだ。
私の部屋が闇に包まれてからしばらく経つが、灯りをつける気にもならない。
ソファの上、窓の向こうを力なく眺める他、何ら生産的な活動をする気にはならなかった。
言葉に表すことが出来ないほど、巨大な孤独が私を押しつぶそうとしている。
あまりに孤独だった。
私の名前は、町 小杖。
この状況から逃れるには、死ぬしかないのではないのか。そう思い始めたところだ。
カーテンも閉めていない窓の向こうから、外の光が部屋へとさしこんでくる。人工の光だ。
この安アパートは道路一本挟んで繁華街に面しているため、環境は劣悪だった。行き交う車は途絶えず、流れるポップは騒がしいし、売り子が怒鳴る声が部屋にまで入ってくる。ネオンサインのけばけばしい光は、あまりに低俗で、満天の夜空を満たす星明かりと勘違いできるほどのものでもない。
そして、星は街の夜空から永遠に除かれて、戻ってくることはない。
大好きだったプラネタリウムも景気悪化に伴い、とうに閉鎖してしまった。数々の願い事を受け入れ、自分を抱擁してくれた星空は、もはやない。
同時にかっちゃんと手を取り、無邪気に実現不可能な願いを唱えていた初心な自分も死んだのだ。ここに残るのは滓であり、澱であり、抜け殻でしかない。
かっちゃん……客観的に言えば元カレだが、主観的に言わせてもらえば、大罪人に他ならない。
私の心を土足で踏みつけ、一方でこちらからどんなに語りかけても、それとわかる反応がなかった。彼の心の水面は、あまりにねっとりしていて波紋がたたない作りなのだ。まるで、洞穴に向かって叫んでいるようなものだった。
付き合えど付き合えど、関係は進展せず、時間ばかり減って、歯痒さばかりが増えるばかりだった。
孤独感を紛らわせるためでなければ、どうしてあんな男が自分の精神の一部を占めるなんて事態を許しただろう。
そう、全ての元凶は孤独なのだ。
でも、もうプラネタリウムは潰れたことだし、プラネタリウムでかっちゃんと交えた囁きを思い出すのは苦痛でしかなかった。あんな男、膿にまみれて変死すればいい。
かくいう私も、これを機会に、死んでしまうべきだろう。
どんな方法が一便手っ取り早いのか。ネット上で、親切な人が説明をしてくれるかもしれない。ネット上にはありとあらゆる親切な人がいるのだ。
ぶーん、と音がして私の携帯『デカヅエ』が緑色に点滅した。
また屑メールが携帯の受信箱に積もっていく。親から、兄から、その脳なしの嫁から、バイト先から、大学から、そして顔を思い浮かべたくもないかっちゃんから。
あのくそ忌々しい男は、恥知らずにもメールなど送ってくるのだ。直接、私と対面するのが、それほど怖いのだろうか。
熱い怒りが私に力を与え、携帯へ手を伸ばすことが出来た。
「かっちゃんのバカ……人でなし……無神経……ハイパー無神経……」
私はぶつぶつ言いながら、携帯の中に積もったメールを一件一件、丁寧に消去していく。
大昔、携帯を買ってもらったばかりの頃は、スパムのメールを捨てるだけで身を切るような痛みを感じたものだ。だが、もう全てに慣れてしまった。精神は痛みになれ、摩耗され、そして原型を失っていく。
どのメールでも、誰も彼もが口先だけで綺麗なことを並べて、私の気を惹こうとしている。ときめいたり、わくわくするような種などなかった。それに気付くのになぜこんなにも時間がかかったのか、自分でも理解不能だ。
嘘に飾られた文書で目を汚すことなんてない。私はメールを残らず消去した。携帯をがらんっ、とテーブルに放る。
世の中、全てのものの表面が嘘で塗りたくられている。
うーん、とまたデカヅエがバイブする。
「……っさいわね」
ぶーん。
「もう我慢ならないわ」
私は低く唸ると、携帯をひっつかんだ。広くもない部屋を二歩で横切り、窓を全開にする。
腰をひねり、前腕と二の腕の角度を九十度に保ちつつ振りかぶる。
左足をひねってトルクを与え、それからベランダの床を踏み抜くほどに叩きつけ、思い切り携帯を投擲した。
デカヅエは闇の中を一直線に飛んでいき、瞬時に見えなくなった。
「さらばデカヅエ。よき星にて生まれ変わるのだ」
私は呟いて、携帯の消えた空をしばらく眺めていた。
地上がこれほど無駄に明るくなければ、おおいぬ座シリウスの脇に、等級4ぐらいの新惑星デカヅエが見えたことだろう。
ストレス源の携帯が消えたことで、わずかながらすっきりした気分になり、踵を返した。
部屋に戻って、電気をつけなければならない。暗闇で生活していると、異常に化粧が濃くなってよろしくないのだ。
それなのに、足が進まない。私は訳もなく部屋に入れずにいた。
前面に暗黒の自室、背中に外の猥雑な空気を感じたまま動けなくなった。目の前の自室という暗い小空間に戻れない。戻って、胸を締め付けられる気持ちを味わいたくない。不条理なことに、暗い部屋で、音を立てる携帯もなく、ますます味気がなくて、耐えがたく思えた。
ベランダの柵を背中に感じている。これを越えて、不愉快なもの全ての終止符を打つのがどうして難しいだろうか。
私の部屋は、このアパートの三階にある。飛び降りて死ぬのには十分な高さだろう。
私は夜風を受けながら、その行動力が自分の中で成熟するまで、じっとしていた。
やがて、機は熟したと思えてくる。
やるか。柵を乗り越え、わずかな自由落下でことは解決する。あまりに単純だった。




