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常闇の魔銃士  作者: 鳥居なごむ
序章
4/28

004

 深い闇の中で目を覚ました。


「…………」


 ぼんやりと意識が回復して後頭部に痛みを覚え始める。患部に触れようとしても腕が妙な位置に固定されていて動かせない。どういう状況に陥っているのかも理解できないまま時間だけが過ぎていく。周囲は真っ暗で目が慣れても視界は黒から変化しない。しかし置かれている環境は少しずつ解けてきた。まず俺の身体は四本足の椅子に着席させられた状態で縛られている。両足は左右それぞれ椅子の足と結ばれていて、両腕は背凭れの側面に沿うように固定されていた。


 どれくらい経ったのだろう。


 室内に光が照らされて明るくなった。特に眩しかったわけでもないのだが、反射的に顔を逸らして瞳を閉じてしまう。そんな俺を嘲笑うかのように声が降り注がれた。


「あらあら、こんなところで一体なにをしているのかしら?」

「正直なところ俺自身が一番よくわかっていない」


 俺は声の主に素直な感想を返した。木製の椅子に身体を固定されているので、いつものように肩をすくめることさえできない。俺を監禁した犯人は長い黒髪がよく似合う美少女だった。


「そろそろ俺の置かれている状況を説明してくれないか?」

「そうね」


 言いながら身動きの取れない俺の姿を楽しむように声の主はゆっくりと周辺を巡回する。こういう弱者を虐げる状況を楽しめる奴の思考もよくわからなくて怖いのだが、どちらかと言えばそういう演出が似合い過ぎていることにより強い恐怖を覚えてしまう。露骨に胸を強調した服装に身を包んだ美少女は妖艶な笑みを浮かべた。


 ちなみにこの美少女――桐原彩奈は俺の彼女である。


「ぐわっはっは、私は闇の世界から刺客として送り込まれた暗殺者だったのよ」

「そんなご都合主義が許されてたまるか! というか完全に棒読みじゃねえか! せめて騙してやろうという意気込みくらい見せたらどうなんだよ!」

「あらあら、身体の自由を奪われても突っ込みの自由は許されるというわけね」


 そんな台詞を紡ぎながら彩奈は俺の背後に立った。もういろんな意味で嫌な予感しかしない。妙な沈黙が不安を煽り立てていく。捕虜の精神状態というのはこういう感じなのだろうか?


「えい」


 それはとても可愛らしい声音だった。しかし背中を強く押された俺は抵抗することもできず床に顔面を強打する。しかも椅子に固定されているので、その後も額と両膝で身体を支えるという格好だ。なんとか身体を横に倒して話のできる体勢に持っていく。


「……説明もしてくれないのかよ?」


「それは強制膝枕マシーンよ」というどうでもいい説明をされた。

「強制という言葉の所為で膝枕という魅力的な単語がまるで活かされていないぞ! あと木製の椅子にマシーンとか機械的な呼び名を付けるな!」

「そんなことはどうでもいいのよ」


 すべてを否定する発言を済ませてから、彩奈は床に転がる俺の頭を持ち上げて膝の上へ導いた。本当に強制膝枕マシーンだったらしい。ともあれ飴と鞭を使い分けられている今の状況が本気で意味不明だ。


「意味がわからないという顔をしているわね」

「そりゃそうだろ! この状況を理解できる奴は存在しない!」


 喚く俺の頭を撫でながら黒髪の美少女は言葉を紡いでいく。


「冷蔵庫の中で私の帰りを心待ちにしていた焼きプリンを食べたでしょう?」


 俺は記憶の引き出しを無我夢中で開け捲くる。


「……確かに食べた。それで俺を拉致監禁したのか?」

「食べ物の恨みは怖いって言葉知ってるかしら?」

「まあな」


 そして今現在、激しく体験している。


「二時間も並んで購入した焼きプリンを食べられた私の気持ちがわかる? 家に帰るのが楽しみで楽しみで柄にもなくマンションの管理人さんに『こんばんわ』とか挨拶しちゃったのよ」

「…………」


 返す言葉もない。というか挨拶は普通にしようよ。


「ともかく今度は俺が並んで買ってくるよ。それを彩奈が食べるってことでどうだろう?」

「それは駄目よ。だって蓮に次なんてないんだもの」

「次がない?」


 俺は意図がわからず言葉を繰り返した。一体どういうことだろう?


「文字通りの意味よ」


 言いながら黒髪の美少女は椅子ごと俺の身体を起こした。癒しの時間が終了したのかもしれないし、単純に膝枕が疲れただけなのかもしれない。ともかく俺は椅子に着席して拘束されているという初期の状態に戻った。


「蓮を殺して私も死ぬわ」

「いや……あの……彩奈さん?」


 俺が彩奈の名を呼んだのは発言に文句があったからではない。なにを思ったのか黒髪の美少女は固定された俺の膝の上に跨ってきたのである。つまり俺の眼前には見事に実った禁断の果実が二つあった。


「なにかしら?」


 結構な金額が発生する大人の店でしか行われていないような過激な体勢をしているくせに、彩奈は澄ました表情を崩さないまま俺の肩を掴んで身体を後ろへ反らした。


「この体勢は……どうにかならないのか?」


 いろんな意味で正常な判断が下せなくなる。しかし黒髪の美少女は気にする様子もなく告げた。ある意味でこいつはとんでもない大物なのかもしれないな。


「最期くらいデレておくべきでしょう?」

「いや、これはもうデレじゃなくてエロだ!」

「デレを一足飛びしてエロということでいいじゃない? どうせ蓮の最終目的は『ピーッ!』を『ピーッ!』して『ピーッ!』したいだけでしょう?」


 酷い放送禁止用語の連続だった。


「結果より過程が大事なんだよ!」

「その過程が長々と牛歩展開になったら怒るくせに身勝手だわ」


 鋭い指摘だった。だがそれがいい――にも限度はあるからな。


「……そうですね」


 白旗宣言。これはもう勝てる気がしない。所詮俺なんて単なる童貞野郎ですよ。


「俺を殺すのはともかく、彩奈まで死ぬ必要はないんじゃないか?」

「なにを言っているの? 蓮のいない世界に未練なんてないわ」


 視線を合わせた彩奈の瞳に曇りはない。本当に嬉しいことを言ってくれる。しかしそれならどうして俺の殺す必要があるんだろうね。


「なんか矛盾してないか?」

「そうかも」


 随分と気楽な口調が返ってくる。だから俺は説得を試みることにした。


「俺と違って彩奈は両親や親戚がいるんだから、突発的な行動を起こして迷惑をかけないようにしろよ」

「蓮」


 俺の名前を呼んでから彩奈は悪戯な笑みを浮かべる。


「こういう常軌を逸した状況で、そういう常識的な発言は非常識だわ」

「…………」

「でもまあ、非常識な提案をしているのは私だから謝る必要なんてないわね」


 確かにな。


「それにしても――蓮は死が怖くないの?」


 明らかに黒髪少女の声色が変化していた。真剣な質問なのだろう。だから俺は正直な気持ちを吐露しておく。


「桐原彩奈が惚れた神崎蓮は――こういうとき見苦しく命乞いする男じゃないだろ?」

「なにそれ……超格好いい」


 そんな恋する乙女みたい瞳で俺を見るな! 恥ずかしいだろーが!


「あのさ、自殺とか殺害の方法は考えてあるのか?」

「睡眠導入剤を使って、それから致死量の薬を飲むわ」


 即答だった。どうやら準備万端の本気らしい。


「しかしあれだな。焼きプリン一つで殺されるなんて攻略不可能もいいところだ」

「あら、その認識は間違っているわ。私は焼きプリンさえ横取りしなければ簡単に攻略できるキャラよ。たった一つしか存在しないバッドエンドのフラグを立てるなんて驚きね」


 本当に口の減らない女だった。俺を貶めるためなら自らの価値さえ下げるんだよな。


「少し時間を頂戴」


 そう言い残すと彩奈は俺の膝上から下りた。そして不敵な笑みを浮かべながら隣の部屋へと歩いていく。あーもう今さら感が半端なくて切り出し難いのだが、このマンションとは明らかに異なる監禁場所は一体どこなんだろうね? しばらくして戻ってくると、どういうわけか手に角材が握られていた。


「準備完了よ」


 宣言しながら黒髪の美少女は豪快な素振りを披露した。なんか甲子園とか普通に連れていってくれそうな雰囲気がある。


「いや、あの、彩奈さん?」

「なにかしら?」と再び素振りをする彩奈。

「睡眠導入剤はどこですか?」

「失礼。睡眠導入材の間違いだったわ」


 したり顔の彩奈だった。俺としては全力で突っ込むしかない。


「上手いこと言った感じになってんじゃねえよ! 単に角材で俺を殴り殺すだけじゃないか! 違うっていうならなにか反論してみろよ!」

「まあ、それについては否定しないわ」

「否定しろよ!」


 再び突っ込む俺に対して黒髪の美少女は優しく微笑む。


「好き好き大好き超愛してるという気持ちの裏返しで、ついつい他者に対してどれだけ辛く当たれるかを蓮で試してしまうのよ」

「違う! 他者に対して辛く当たるための免罪符として好き好き大好き超愛してるとか言ってるだけだ!」

「…………」と沈黙する彩奈さん。

「だから否定しろよ!」

「生まれ変わったら健気な性格になっちゃってたりして?」

「うーん、それはそれでつまらないかもしれないな」


 退屈で堪らなかった毎日から俺を救ってくれたのが彩奈だからな。


「私の身勝手に付き合わせてごめんなさいね」


 ぼそりと消え入りそうな声が聞こえる。それから彩奈は「もし文芸部の女子高生がスラッガーになったら」とか言い放ちながら俺の後頭部を角材で振り抜いた。それって単純に野球部の男子が自己嫌悪に陥るだけだろと無我の極致で突っ込みを入れておく。


 こうして俺は人生に幕を閉じた。彼女がこの世界において「未来視」という能力を有していたと知るのはもっともっと先の話である。


 しかしなんというか事故死や病死に比べてれば、愛する人に撲殺された俺は幸せなのかもしれないな。いや、そう考えてしまう時点で根本的な部分が間違っているのだろう。それでもまあ、幸せの形なんて人それぞれということで理解願いたい。 

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