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常闇の魔銃士  作者: 鳥居なごむ
第三章
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026

 黒髪の少女は懇願するような視線をこちらへ向けてくる。それまで見せていた蠱惑的なものではなく、まるで捨てられた猫が立ち去る主人へ向ける視線そのものだった。


「心配しなくていい。君はもう奴隷じゃないんだ」


 そう発して「君」という言葉に違和感を覚えた。俺はまだ目の前にいる少女の名前を知らない。奴隷を買うような連中は所有物であることを明確にするためにも名を付けそうだし、なにより主人と奴隷の関係でもなにかしら呼び名がないと不便だろう。


「名前を教えてくれないか?」


 俺は少女を指し示しながら「どう呼べばいいか」を身振り手振りで表現する。もちろん偽りの笑顔と沈黙しか返って来ない。次の対応を思案していると不意に扉が開いた。


「ふむ。やはり性行為には及んでいないらしいな」

「サクヤ……俺はお前がなにを考えているのかさっぱりわからないよ」


 扉を開けたまま突っ立っている白銀髪の少女に俺は辟易しながら突っ込みを入れた。


「失礼な奴だな。ロンが天竺山ラクシュミへ登っているときに私は奴隷少女を専門の魔術士に診てもらっていたのだ。その結果を知らせにきたというのに酷い言われようではないか?」


 反論するより先に俺は憤慨するサクヤへ駆け寄る。手にした羊皮紙を確認しながら診断結果を催促する。黒髪の少女は寝台の上で不安そうな表情を浮かべていた。


「逃げられないよう足の腱を切ったり騒がないよう声帯を潰したりする例もあるみたいだが、あの子に関しては肉体的損傷は一切見られなかったらしい」

「つまり喋れないのは精神的な事情か?」

「さすがはロンだな。専門の治癒系魔術士によれば、虐げられるうちに精神が壊れたらしい。あるいは環境に適応するために脳が陵辱されることを苦痛に感じなくさせたのだろう」


 凄惨な事実に俺は唇を噛み締める。白銀髪の少女は端的に診断書を読み進めていく。


「再生ということに限れば肉体損傷のほうが百倍簡単らしい。精神の治療は長期的に行う方法しかなく、無理に短期間で行えば様々な弊害を引き起こすそうだ」

「完治までどれくらいかかる?」

「わからないそうだ。劇的に回復することもあれば永遠に完治しない可能性もあるらしい」


 サクヤの言葉に俺は語を継げなくなる。永遠に完治しないなんて冗談でも笑えない。


「あの子――ふむ。代名詞で呼ぶのも面倒だな」


 思案顔を作りながら白銀髪の少女は腕を組む。奴隷少女の呼び名に苦労していたのは俺も一緒なので一つ提案しておく。


「本人が呼ばれていることを自覚できるような名前ってないか?」

「よくある可愛らしい名前ならララやサラであろうな」


 俺は不安そうな黒髪少女へ向き直り告げた。


「今日から君はララだ。俺はロン。以後よろしく頼むよ」




 サクヤにララを任せた俺は混浴の大浴場へ足を向ける。本来なら荷物を置いて直行する予定だったので、随分と長い時間風呂へ入るのが遅れてしまった。脱衣所に数名の男女、浴場にも数人の先客がいた。俺は視線を壁へ一点集中させながら移動する。混浴なので女性の裸を見ても構わないのかもしれないが、挙動不審な反応をしてしまうことが目に見えているので、それなら最初から見ないように工夫しておくのは当然のことだろう。


「おお、常闇の魔銃士カルナバルではないか! 不審者にしか見えない動きをするから誰かわからなかったぞ!」


 俺の努力を台無しにするな。しかしまあ、その通りなのだろう。


「ベイリックさん、本日もご厄介になります」

「サクヤから話は聞いている。なにやら面倒な子を連れ込んでいるそうじゃないか?」

「ええ、まあ」


 俺は板に腰を下ろしながら相槌を打つ。それから桶に湯を溜めて身体にかける。大柄の熊系獣人も隣に座り身体の汚れを洗い流していく。直後にベイリックは後ろの湯船に向かったが、俺は髪と身体を綺麗に洗ってから湯船へ向かう。


「常闇の魔銃士を気に入っているのか単独行動を好むサクヤが随分と饒舌に語っていた」

「どうせろくでもないことでしょう?」


 湯船に身体を浸しながら俺は愉快そうな表情を浮かべる団長へ視線を向けた。


「いやいや『どんな料理を作れば食べてもらえるかな?』とか『後ろで縛るより髪を下ろしたほうが可愛く見えるかな?』とか他愛のない話さ」

「恋する乙女か!」

「冗談だ」


 言いながら熊系獣人は巨躯を震わせて豪快に笑う。周囲から迷惑そうな視線を集めても一切気にしていない。まあ、いつものことなのだろう。俺は嘆息を漏らしながら形式的な突っ込みを入れておく。


「死ぬほど似合わないからそういう冗談はやめてください」

「ならば早速本題に取りかかるとしよう」


 切り替えの早いことだ。俺は肩をすくめて先を促しておく。


「サクヤは自身と対等あるいは上回る力を持った奴としか親しくならない。おそらく過去の因縁が関係しているんだろう。自身を守ることはできても仲間を救うことはできなかった――それくらいしか一人を好む理由がわからないからな。旅先での出来事を詳しく聞くつもりはないが、やはり簡単に払拭できるような因縁ではなかったみたいだな」

「……どういうことですか?」

「奴隷少女を専門家に診せると言っていたとき、お前もついでに診てもらえという状況だったからな。送り返されたことに腹を立てているわけじゃないことくらい察するさ」

「…………」


 俺は絶句することしかできなかった。迂闊な行動が少女の傷跡を抉ったのかもしれない。


「まあ、サクヤのことはいい。それより黒髪の少女をどうするつもりだ?」


 ベイリックの言葉が重く圧しかかる。確かに重要なのはララと名付けた報われない少女の今後についてだ。俺は素直な気持ちを吐露する。


悪魔の石像ガーゴイルに殺されそうになったとき、奴隷少女たちは恐怖に顔を歪めていたんです。それなのに俺の前では笑顔を崩さない。だから余計にやるせない気持ちにさせられるんですよ。死に物狂いの形相で魔物から逃げるか、安全地帯で男に身体を差し出して笑顔を振る舞う。どちらに転んでも地獄じゃないですか?」

「ふむ」


 熊系獣人族の団長は太い腕を組んで口を引き結ぶ。やや間を置いてから提案してくる。


「特殊な環境で培われた習慣を矯正する施設がある。もし利用するなら俺が手続きしておくが?」

「専門家に任せるのが確実なのは理解ですけど……うーん」


 煮え切らない俺にベイリックは訝しげな表情を向けてくる。


「なにか引っかかる点でもあるのか?」

「それで本当に救われるんでしょうか?」

「俺に聞くなよ」


 団長は両手を上げて首を左右に振る。反論の余地もない正論だった。俺は顔の半分を湯に沈めて一考する。自分で蒔いた種くらい自分で回収すべきだろう。ぐるぐると堂々巡りの繰り返す中で、不意にある人物の顔が頭の中に閃いた。


「少し考えさせてもらってもいいですか?」

「ああ。それは構わないが、どこか当てがあるのか?」

「ええ、まあ。頼りにしていいのかよくわからないんですが、こういうとき頼りになりそうな人がいるんですよ」


 応じながら俺は故郷の孤児院の保育士を思い浮かべる。

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