002
大地を突き上げて巨大な体躯が空へ舞い上がる。緩やかな放物線を描いて再び大地へ落下すると不滅竜は赤い砂を巻き上げた。まるで砂の海を泳ぐように進んでいく。数秒の間隔を空けて優雅な跳躍を繰り返していた。
「……すげえ……」
目の前に広がる光景を眺めながら俺は呆然と感想を吐露していた。傍らに立つハシュシュが怪訝そうな表情を浮かべる。
「交戦中かもしれないにゃ」
改めて周囲を確認してから俺は語尾の所為で緊張感の欠片もない師匠に聞き返した。
「それらしい集団は見当たりませんよ?」
「そうにゃんだけど不滅竜の動きが活発過ぎるんにゃよ」
「普段はもっと大人しいんですか?」
「にゃんとまあ」
俺の質問を完全に無視してハシュシュは素っ頓狂な声を上げた。仕方なく向けられた視線の先を辿ると瞳に人影が映り込む。種族は判然としないが長い黒髪に黒装束を纏っている。魔術あるいは魔導具を使用しているのか、中空を跳ねるような動きで不滅竜を翻弄していた。ひらりひらりと攻撃を避けるだけで反撃に転じるつもりはないらしい。
「どこかへ連れ込んで倒すつもりなんですかね?」
「さあにゃ、常闇の魔女が考えることにゃんてわからにゃいさ」
師匠の口から不吉な言葉が零れ落ちる。口調はともかく鋭い眼光が危険を訴えていた。
常闇の魔女――八英傑の一翼を担う闇属性を極めた魔王アーシェス・バラライカの通称である。七日間で世界を闇に葬り去れる魔力を持つと称されているが、これはもう魔王を表現する際の枕詞のようなもので、果たしてどこまで事実に即しているか誰にもわからない。
「師匠は常闇の魔女と面識があるんですか?」
「あるわけないにゃ。神聖イージス王国の祭典で遠目から見たことがあるだけにゃよ」
「それじゃあ、初顔合わせということで挨拶くらいしておきますか?」
「ふざけるにゃ!」
ハシュシュは地団駄を踏んで声を荒げた。しかしそんな怒声さえも語尾の所為で「あら可愛らしい」といった風情である。他愛ない質疑応答を繰り返していると次第に轟音が大きくなってきた。いくら見晴らしのいい砂漠地帯とはいえ、人影が視認できる距離なのだから、おそらく数百メートル程度しか離れていなかったのだろう。
こちらへ向かってくる常闇の魔女とその背中を追う不滅竜。
「早く死んだ演技をするにゃ! 今から逃げても手遅れにゃ!」
そう言い残して師匠は事切れたように赤い大地へ突っ伏した。超残念可愛い。しかしハシュシュの奇怪な行動を楽しんでいる場合ではなさそうだった。俺は背中の強襲用狙撃魔弾銃を取り出して空薬莢を排出。新たに五十口径の大型第五式魔弾を装填。遊底を引きながら俺は死んだ演技中の師匠に歩み寄る。常闇の魔女あるいは不滅竜の脅威が飛び火したら風速百二十メートルの強風を発生させて文字通り逃飛行だ。
しかしその予定は一瞬で変更を余儀なくされてしまう。なぜなら眼前に着地した常闇の魔女――俺と年端の変わらないアーシェスの顔に見覚えがあったからだ。先の尖った耳に彫刻のような造形美と白磁の肌。怜悧な視線でこちらを一瞥した魔女は長い黒髪を揺らして再跳躍の体勢に入る。
「待ってくれ!」
思考するよりも先に俺の口は言葉を紡いでいた。跳躍を保留した魔女は緩やかに顔を上げる。種族がエルフになっていても面影は失われていない。やっと――見つけた。十六年半もの歳月を費やしてしまった。いや、たった十六年半で巡り会えたのだから俺は運がいいのかもしれない。
「フォオオオオオオオオオオン!」
砂中から顔を出した不滅竜が咆哮する。頭部には硝子の紅玉を填め込んだような伽藍とした瞳。アーシェスは美貌を歪めて舌打ちした。それから言語とは異なる文字の羅列を紡いでいく。次の瞬間、魔女の左腕から黒煙が発生。魔力解放の影響か顔に悪魔のような蠱惑的な紋様が浮かび上がっていく。
アーシェスは左腕を肩の高さまで掲げた。
「<影縫矢>」
中空に黒い魔術組成式――禍々しい闇の魔方陣が描き出される。即時発動型の<影縫矢>は一瞬で不滅竜の影を射抜き拘束した。
「フォオオオオオオオオオオン!」
動きを封じられた不滅竜は再び咆哮する。魔女は優雅な所作で両腕を左右に広げた。それぞれに描き出された二つの魔術組成式を頭上に移動させて連結。アーシェスは口の端を上げて悪戯な笑みを浮かべる。
「<亜空間消滅>」
闇属性の超高位魔術を無詠唱で発動。不滅竜の背後に現れた仄暗い時空の歪みが次第に拡がっていく。生み出された円形の無は直径十メートルまで大きくなると強烈な引力を発生。不滅竜の巨躯を赤い砂と一緒に飲み込んでいく。俺は師匠の身体を抱き寄せながら魔女の腰に手を回して無から生じる引力に耐えた。
これが八英傑と称される魔王の魔術。
無が不滅竜を飲み込む光景は地獄絵図に等しかった。
すべてを無に還すと時空の歪みは消失。
緊張から解放された俺は胸を撫で下ろした。
「私の身体に無断で触れるなんて随分と大胆ね」
「いきなり危なっかしい魔術を使うからだろーが! 一歩間違えたら俺と師匠まで死ぬところだったぞ!」
蠱惑的な紋様の消えたアーシェスは不思議そうに小首を傾げる。ほとんど背の高さが変わらないので妙な圧迫感を受けた。
「私を呼び止めたのはあなたでしょう?」
「うぐ」
正論を返されてしまった。確かに俺が呼び止めなければ起こらなかった騒動である。
「まあ、いいわ。私は寛容だから許してあげる」
「…………」
本当に寛容な奴はそんなこと言わないけどな。
「なんとか不滅竜を生け捕りにしたかったのだけど、それはまあ、次回以降の楽しみということにしておきましょう」
アーシェスは赤い大地を見渡しながら呟いた。
「悪かったな。予定を狂わせてさ」
「予定は未定だから楽しいのよ」
俺は苦笑するしかない。少し陰湿そうな性格まで誰かさんと瓜二つだった。
ともかく俺は傍らに立つ魔女を改めて見やる。白銀髪が多いエルフ族の中では珍しい黒髪。八英傑の一角を担う闇属性を極めた魔王。他人の空似というには条件が揃い過ぎている。しかし事実を語り聞かせたところで信じてもらえないだろう。
だから俺は正攻法で気持ちを伝えることにした。
「あと半年経ったら俺は旅に出る。世界のどこかで、また会ってもらえるか?」
「どうして私に会いたいのかしら?」
「常闇の魔女に一目惚れしたんだ」
「あら、随分と嬉しいことを言ってくれるのね」
くくくと含み笑いをして魔女は語を継ぎ足した。
「これから一年半後、八英傑の集結する祭典があるわ」
旅に出られるようになってから一年後の世界である。
「その場所へ向かえば会えるわけか?」
「そうね――ただ覚悟は出来ているのかしら? ほかの八英傑が私のように温厚とは限らない。ただそこにいるという理由だけで殺されるかもしれないわ」
「覚悟なら生まれる前から出来ているさ」
俺は長年抱えていた想いを吐露した。そう――今ここにいることが覚悟の表れだ。
「あなた見込みがありそうね。私と契約して専属の奴隷になりなさい」
黒衣の魔王アーシェスは堂々と宣告した。
「えーっと……意味がわからないのですが?」
思わず敬語になってしまった俺を一体誰が責められよう。
「簡単に惚れたとか言う人族を信用できないわ。でも命をかけられるなら話は変わってくるでしょう?」
宣告者の口元には悪魔のような微笑。俺は傍らで死んだ演技中の師匠を見やる。ハシュシュは寝息を立てながら居眠りしていた。この状況で眠れるとかどんな神経しているんだよ!
しかしまあ、そんな些細な出来事はどうでもいい。
私と契約して専属の奴隷になりなさい。
理不尽極まりない無茶苦茶な要求。なにより魔王というのが性質の悪さを象徴している。そこだけ避けてくれれば上手くやれる自信はあったのだ。だからこそ俺は確信を持って断言できる。
これが俺と彼女の記念すべき再会だった――と。
「わかった。もう好きにしてくれ」
項垂れる俺に常闇の魔女は満足そうに微笑む。
「あらあら私としたことが――あなたの名前を聞いていなかったわ」
「ロンだ。ロン・ラズエル」
まずは十六年半前――今となっては昔話にしかならない出来事を語るとしよう。




