016
飛空艇の前方部分でフィリスとサクヤが対峙している。両者の熱い視線が交錯する中心、そこから後方へ下がった場所に俺。つまり対戦者二人と立会人で三角形を描いている。さらに甲板の後方部分には、どこから聞き付けたのか好奇心旺盛な乗客が集まっていた。演出の一つと勘違いしているのか、酒杯を片手に賭けを行う連中までいる。とはいえ護衛団長とアルマダ連邦の高官が私情で決闘するとは考えないだろうから、まあ、乗客を楽しませるための催しと受け取ることは自然な流れなのかもしれない。
「俺が『勝負あり!』と宣言したら終わりだからな。それと間違っても本気を出すなよ。互いに怪我でもしようものなら大問題だからな」
俺は立会人として基本的な事項を述べておく。両者とも素直に首肯する。ここで揉めるようなら試合どころではないので当然だろう。
「心配無用だ。加減は心得ている」
言いながらサクヤは鞘から刀を抜いて正眼に構えた。一人で飛空艇の護衛を任されるくらいなので、てっきり索敵に特化した術者と思っていたのだが、どうやら正攻法の剣術にも覚えがあるらしい。
「ふふーん、本気を出すまでもありません」
アルマダの高官は腕を組んで高笑いしている。見た目が幼女なので強がってるようにしか見えない。とはいえ一国の高位魔術士と護衛団長の戦闘が拝めるのはいい機会だ。対魔物に比べて対人戦は心理的な駆け引きの勉強になるからな。俺は対峙する二人の顔を交互に見やり最終確認を取る。
「準備はいいか?」
「無論」
「もちろんです」
確認を済ませた俺は中空を手刀で切りながら試合開始を告げる。
「始め!」
次の瞬間、フィリスは水属性魔術<水槍>を詠唱。構えた右手人差し指の先端に小さな水色の魔術組成式が展開。高濃度に圧縮された水を弾丸のように撃ち出す。しかしサクヤは超高速で飛来する水の弾を刀で切り捨てた。本来なら魔術の痕跡が甲板に落下するのだが、どういうわけか切られた水の弾は跡形もなく霧散する。
「おおーっ!」
最初の攻防だけで観客からざわめきが巻き起こる。無理もない。幼女は高位の詠唱短縮特性を修得しているのか、本来必要な詠唱時間を四割近く省略しているし、白銀髪の少女は華麗な剣技で攻撃魔術を退けたのだ。
「やりますね」
無邪気に感心しながらフィリスは<水槍>を連続で詠唱していく。ほんの数秒で合計十二発の圧縮弾が発砲されたが、そのすべてがサクヤの斬魔刀によって掻き消された。どうやら斬魔刀『焔』には魔術を打ち消す力があるらしい。存在しない職名を無理矢理に付けるとしたら、魔術剣士ではなく退魔刀士といったところだろうか?
「守ってるだけじゃ勝てませんよ?」
幼女は軽口を発しながら雷属性魔術<雷迅鞭>を詠唱。紫色の魔術組成式から生み出された紫電の蛇が白銀髪の少女に襲いかかる。誰もが退魔刀士の対応に注目していたが、俺だけはフィリスの不敵な笑みを見逃さなかった。
「<氷刃弩>」
展開された魔術組成式から氷の刃が放たれる。そして先に発動されていた<雷迅鞭>と魔術反応を引き起こす。まず上層と下層の電位差が拡大して空気の絶縁限界値を超えた電子が放出される。放出された電子は空気中にある気体原子と衝突して電離。それによって生じた陽イオンが逆方向に働いて新たな電子を叩き出す。この二次電子が電子雪崩を引き起こし、持続的な放電現象を生み出して稲妻を発生させる。大電圧と大電流に注意が向けられているが、原形質が引き起こされるほどの熱も油断ならない。
「くっ!」
高速の<水槍>に対応したサクヤだが、超高速の雷撃を打ち消すことはできなかった。即死級とされる六千六百ボルトを一万倍上回る電圧と電流が直撃。しかし前衛特有の強靭な肉体と緊急時に発動するよう仕込まれていた治癒系魔術による細胞蘇生で一命を取り留める。全身に重度の火傷を残しているが白銀髪の少女は気にする様子も見せない。
観客の歓声が悲鳴に変わる。危険を察知した賢い連中は船内へ避難していく。
ともあれ俺は驚愕を禁じ得なかった。
まず詠唱を要しない魔銃士の専売特許である魔術反応を魔術士に使用されたことが挙げられる。これは二重魔術という手法を用いるのだが、理論上はともかく実際に扱える魔術士を初めて見たからだ。次いで不死身を想起させる退魔刀士の生命力と治癒系魔術の組み合わせに唸らされる。これはもう対人戦の域を遥かに凌駕しているだろう。
「次は私の番だな」
言うが早いかサクヤは柄を顔のやや右に持ち上げて構えを八双に変更。どの方向から攻められても対応しやすい反面、素人目にも明らかな正面の隙が弱点となる。反撃に徹するかと思いきや甲板を蹴り付けて一気に距離を詰めた。
「花蓮」
退魔刀士の放った一閃に花弁を散らしたような組成式が発生。異形の魔法陣にフィリスは眉を顰めた。白銀髪の少女は身体を反転させて第二の太刀を振るう。
「鳥飛」
突系の剣技を幼女は風属性魔術<風々障壁>を発動させて防御。竜の吐息さえ凌ぐ風の結界を前にしては強烈な剣圧も無力である。しかし鳥の羽根が舞う組成式が展開し、それから魔術反応を起こしたような現象が発生。炸裂したように大気が瞬間膨張して衝撃波を引き起こした。フィリスは大きな瞳を見開く。どちらかの肩を持つつもりは毛頭なかったのだが、ほとんど反射的に俺は把握した情報を口にしてしまう。
「魔術反応を剣技で起こしているのか?」
もし事実なら魔術剣士とは根本的に性質が異なる。魔術を宿らせて技を放つ魔術剣士に対して、サクヤは技を放つことで魔術に似た現象を引き起こしているからだ。そしてそれを連携させることで物理干渉を発生させている。
「ご名答。斬魔刀『焔』は魔術を殺し、私の剣技は魔術を錬成する」
エルフ族の少女は解説しながら悪鬼の如く笑みを浮かべる。次の瞬間、下方から半円を描くように刀を軌道させた。
「風祭」
組成式である黄緑色の突風が上空へ吹き上がる。そこから強力な電磁場が発生。魔術反応の規模が明らかに拡大強化されている。おそらく「悪魔の遺産」と呼ばれる魔弾銃で高位魔弾を魔術反応させたような状況に近いだろう。フィリスの表情が子供から高位魔術士のそれに変化した。
「<堅獄檻>」
雷属性に優位な土属性魔術<堅獄檻>を発動させて防御に徹する。本来なら敵を閉じこめる魔術だが、その堅牢さを臨機応変に利用したのだろう。電磁場によって高密度に集束された電子が共鳴しながら周囲を漂う。それは強力な赤外線に等しく、触れた者を灼いて溶解させる威力を持つ。
そこでふと俺は我に返った。この戦いは決闘であって殺し合いではない。
「おい、二人ともそこまでだ!」
しかし俺の声は二人に届かない。白銀髪の少女は次の連携技を放とうとしている。アルマダ連邦の高官も迎え撃つ気満々の表情を浮かべていた。とはいえ立会人として放置できる状況ではないだろう。
「糞っ垂れ」
潜在意識を呼び起こした刹那、世界が停止したかのように静まり返る。しかし実際に止まっているわけではなく、俺の処理能力が限界まで加速されているだけだ。ゆえにこうしている間にもサクヤとフィリスの距離は縮まっていく。俺は全力で駆け出して二人の合間に身体を捩じ込む。剣技が繰り出される前に漆黒の魔弾銃で刀の軌道を制し、空いた手でなにやら詠唱中らしい幼女の口を塞いだ。実際の時間に換算すれば一秒以下の世界だが、それだけでも心臓にかかる負担は半端ではない。
「二人とも落ち着け。本人は六分の力で遊んでいるだけかもしれないが、観客にとっては命懸けの見学になってるみたいだぞ」
俺は可能な限り気楽な口調で説得した。俺の存在に白銀髪の少女と妖精族の幼女は驚愕の表情を象る。しかし強い自尊心と負けず嫌いな精神がそうさせるのか、それぞれ周囲を確認して、それから本気で戦っていたわけではないという素振りを見せた。
「引き分けで構わないな?」
俺の質問に両者は素直に応じる。これで一件落着ということにしておこう。




