015
「魔力の供給なんて力の出し惜しみをしなければ時間のかかるものじゃないんです。一泊二日でも任務としては楽な部類ですよ?」
逃げるようにグリッドの店から飛び出した俺は、刻印の浮かんだ受領証をザルイークに託し、夕刻の便で魔導都市フォルガントへ向かっていた。その船内でハートレット姉妹と鉢合わせたのである。社交辞令で「一泊二日なんて大変だな」と労ったところ、姉フィリスに頼んでもいない説明をされているわけだ。ちなみにフィリアは使い魔に興味を抱いたらしく、猫のように俊敏に逃げ回る小動物を追いかけていった。
「ロンさん、どこへ行くんですか?」
甲板へ逃げ出そうとした俺にアルマダの高官は疑問符を投げかけてくる。なんとか子守を回避したかった俺は、ほとんど反射的に護衛団長の名前を告げていた。
「ベイリックさんに挨拶でもしておこうと思ってね」
「第三護衛団の団長ですか?」
問い返されてベイリックがアルマダ連邦所属の熊系獣人族であることを思い出した。高級職に就いている者同士として顔見知りなのだろうか?
「ああ。ひょっとして知り合いだったりするのか?」
「ええ、まあ。お互い現場好きの異端者でしたからね」
言いながらフィリスは苦笑を浮かべる。見た目が子供にしか見えない所為だろうか、無理に背伸びをしているような仕種にしか見えない。甲板へ向かう俺に付き従いながら幼女は会話を続けた。
「優秀な生成系魔術の使い手でしたが、どうにも指導より戦闘を好む傾向がありまして、あれよあれよという間に護衛団長へ就任していました」
「確かに戦闘好きの印象は受けたな」
曲がりなりにも理由付けはしていたが、やはり乗客に一騎討ちを挑むのはどうかしている。不意にアルマダ連邦の高官は腕を組んで一考し始めた。歩みを止める気配はないのでそのまま進んでいく。
「確か第三護衛団は今夜アルマダ連邦へ到着するはずです。休日を挟んで定例会に出席する予定ですからね」
「ふーん、それじゃあ、この飛空艇に乗船している可能性は零ってことだな」
他愛もない言葉を交わしながら俺たちは甲板へ上がった。視界に広がる光景に思わず感嘆の声を漏らしてしまう。夜の空とは異なり陽が沈む途中の幻想的な色彩が一望できたからだ。ここまで美しい世界は『グランシエル』独特のものかもしれない。もっとも『人生』において秘境や絶景巡りを経験したことがない俺の発言だけに信憑性は皆無である。
「……すげえ……」
単純な感想を漏らす俺にフィリスは憮然とした。
「山脈地帯の多いアラバスタ共和国~魔導都市ファルガント間より高原地帯の多いアルマダ連邦~魔導都市ファルガント間のほうが美観に優れていますよ?」
幼女は口を尖らせながら解説する。どうやらただの負けず嫌いらしかった。
まあ、負けるが勝ちを実行してくる子供は嫌だからな。強がりや見栄っ張りな部分があったほうが可愛らしい。ふと空を見上げると船室への出入り口となっている場所に少女が鎮座していた。つまり俺とフィリスが抜けてきた扉の屋根部分に腰を下ろしている。
「なにか?」
東方系の軽鎧に身を包んだエルフ族の少女は疑問符を落としてきた。ここで曖昧な返答をしても怪しまれるだけなので、むしろ怪しいのはあなたですよと強気で応じてみる。
「そこでなにをしているんだ?」
「知れたことを聞く奴だな。飛空艇の護衛に決まっている」
腰までありそうな長い白銀髪を後ろで束ねたエルフ族の少女は、鞘に納められた得物を持ち上げて屋根に突き立てる。その態度が気に障ったのかアルマダ連邦の幼女が短い腕を精一杯突き上げて吼えた。
「単なる見張りのくせに偉そうにするなーっ! 乗客を見下ろしながら説明するなんて護衛団失格なんだぞ!」
子供が駄々を捏ねているようにしか見えないのだが、どうやら白銀髪の少女には訴えるものがあったらしい。ゆらりと立ち上がり屋根の上から飛び降りてくる。
「失礼した。不作法を咎められたことは多々あるゆえ、おそらく今回も私の言動に問題があったのであろう」
深々と頭を下げる少女の態度にフィリスは自尊心を保てたらしい。急に大人振って「わかればいいのです」と怒りを鎮めた。このまま別れるのも気まずいので、俺は得意の社交辞令を発動させておく。
「魔導都市フォルガントまでよろしく頼むよ」
「承知している。客人を無事に送り届けることが私の使命だからな」
エルフ族の少女は俺と傍らに立つ幼女の顔を交互に見やる。やがて得心したのか、ぽんっと手を打った。
「不倫旅行だな」
「いろいろ思考を巡らせて一番遠いところを選択してんじゃねえよ! というか変な噂が立とうものなら俺は常闇の魔女に世界で最も残酷かつ斬新な殺され方をするだろーが! あと不倫旅行中の二人を見つけても絶対に不倫旅行とか言っちゃ駄目だからな!」
尋常ではない突っ込みに白銀髪の少女と幼女が怯えたように身を引いた。ほどなくして冷静さを取り戻した俺は猛り狂ってしまったことを謝罪する。
「悪いな……凄惨な未来が脳裏を過ぎったものでさ」
「いや、気にするな。私の軽率な発言に問題があったのだろう」
「こういうときは仲直りの印に自己紹介でもしたらどうですか?」
フィリスが似合わない先生口調で提案してくる。とはいえ名案であることに疑いはない。俺は幼女に感謝の合図を送ってから傍らに立つ少女へ向き直った。
「ロン・ラズエルだ。こっちはフィリス・ハートレット」
「私は第七護衛団のサクヤだ。家名はない」
家名はない――その言葉に過去が蘇る。生まれて間もない俺に名前だけを残して消えた母親。しかし白銀髪の少女は名前さえ与えられなかったらしい。だからどうしたと言われればそれまでだが、俺は出会ったばかりの少女に随分と親近感を覚えていた。
「不幸自慢をするつもりはないが、俺もアラバスタ共和国の孤児院出身だ」
「不要な気遣いだな」
サクヤの瞳に得体の知れない感情が宿る。不穏な空気を察したのかフィリスが話題を変えようと画策した。アルマダ連邦の高官という肩書きは伊達じゃないらしい。
「ところでほかの護衛団の方は休憩中なんですか?」
「いや、今は私しかいない。第七護衛団は交代制なのだ」
「ん、ちょっと意味がわからないぞ?」
俺は直立不動の護衛に問い返した。白銀髪の少女は不思議そうな表情を浮かべる。
「私が休みを取るときは別部隊が乗務し、私が乗務するときは一人で飛空艇を守っている」
「冗談ですよね?」
俺より先にフィリアが反応する。一人で任務に就いていると言われれば、誰もが似たような疑問を口にすることだろう。特に命を預けているような状況なら尚更だ。
「私一人では不服と申すのか?」
「当然でしょう! 作戦行動は最低でも二人組です!」
その後に発せられた「私でも一人任務なんて任されたことがないのに」という呟きを俺は聞き逃さなかった。しかし口論を制する間もなくフィリスはサクヤに噛み付き始める。
「あなたが一人で飛空艇を守っているなんて信じられません!」
「しかし事実なのだから仕方あるまい」
「責任者はどこですか! ちゃんと飛空艇を守れる護衛団を要請してきます!」
幼女は精一杯腕を振り上げて抗議していた。負けず嫌いもここまで来ると逆に清々しいな。しかしそれは受け取る側の問題だろう。そしてもちろんエルフ族の少女はそう受け取らなかった。
「そこまで愚弄されると私も黙っていられぬぞ?」
「へへーんだ! あなたなんて私の魔術で『ぺぺいっ』ですよ!」
幼女は短い手足を慌しく動かしながら挑発する。というか「ぺぺいっ」てなんだ?
それはともかく段々と雲行きが怪しくなってきた。
「ここで引いては斬魔刀『焔』を所持する者の名折れ」
サクヤは鞘に収められた刀を甲板に突き立てて宣言する。
「フィリス・ハートレット。私と尋常に勝負せよ」
「おいおい」
仲裁に入ろうとする俺をフィリスが押し退けた。もちろん力尽くでどうこうなるわけではないのだが、その意思を汲み取って道を譲るのが筋に思えたのである。
「望むところです! ロンさんには立会人をお願いしますね」
幼女は俺を一瞥して片目を閉じた。本当にやれやれである。どうして飛空艇に乗船する度に立会人をしなければならないのだろうか? 俺は盛大に溜め息を吐きながら首肯した。




