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常闇の魔銃士  作者: 鳥居なごむ
幕間
13/28

-1-

 鳳凰暦七一五年。


 白い紗幕の交差した薄暗い室内。その奥に控える寝台の上には人影があった。


 若干二十二歳にして国王に就任し、僅か五年でラズマタズ教国に革命をもたらした、アレク・デルタ・アシュビーその人である。そこへ忍び寄る別の人影。音を立てないように慎重に歩を進める。寝台の傍らに来ると、懐から小刀を取り出した。すやすやと眠っているアレクにそれを突き立てる。しかし刺さる直前で寝返りを打たれ回避された。


「くっ」


 寝具から小刀を引き抜き改めてアレクを狙おうとしたときだった。


「暗殺に二度目はないよ」


 アレクは素早い動きで刺客の腕を掴み寝台へ引き込んだ。身体を反転させて馬乗りになる。そのまま激しく抵抗しようとする刺客を制圧した。随分と音を立てたからだろう、室内の異変に気付いた近衛兵が声をかけてくる。


「アレク様、なにか御座いましたか?」

「どうやら鼠が迷い込んで来たらしい。悪いが部屋を明るくしてもらえるか?」

「ははっ!」


 近衛兵が端末を操作すると、寝室内の発光管が青白く輝いた。アレクの顔に驚きの表情が浮かぶ。取り押さえた刺客は黒髪に黒い瞳の若い女だった。よく知らない異国の装束を身に纏っている。


「必要であれば我々が鼠を捕らえましょうか?」

「ありがとう。しかしその必要はないよ」

「了解致しました」


 アレクは近衛兵の質問に応じると刺客の観察を再開する。どうも女の格好に見覚えがあるのだ。ぼんやりと思い出した名称を言葉にしてみる。


「遥か東方に位置する国の暗殺と諜報を得意とする忍者――女はくノ一だったかな?」

「殺しなさい」


 くノ一は躊躇いもなく言い放つ。それから常套句のような恨み言を紡いだ。


「だけど覚悟しておくことね。あなたが国王である限り新たな刺客が命を狙いに来る」

「僕の心配をしてくれてありがとう」


 怜悧な視線を向けてくる女忍者にアレクは柔和な笑みを返した。しかしその瞳には悪意が含まれている。まず女刺客の手首を捻り上げて小刀を放させた。それを足で払って寝台の上から弾き落とす。両手を押さえつけたままアレクは優しい声で宣告した。


「君は僕より己の心配をすべきだね。捕らえられた刺客がどういう目に遭うかくらい知っているだろう? しかも君は女だ。あんまり僕の機嫌を損ねないほうがいい」

「卑劣な……それでも一国の王か?」

「一国の王だからこそ温情をかけられるんだよ。君は美しい。素直に従えば飢えた男の群れに裸で放り出すような真似はしないさ」


 ゆっくりとアレクはくノ一の唇を奪った。腕力だけでなく脅迫までされては抵抗できるわけがない。しばらくすると若き王は唇を離して囁いた。


「可愛いよ」


 言いながらくノ一の腕を押さえていた右手を動かして女の頬を撫でる。それから緩やかに下へ向かい柔らかな胸に触れた。自然と女の頬が紅潮する。恥ずかしさなのか屈辱なのかは判然としない。アレクの魔の手は忍び装束の中にまで及んだ。思いのほか大きな胸が掌の中で弾む。


「……あ……」


 くノ一の唇から甘い吐息が漏れた。アレクは悪魔のような笑みを浮かべる。


「ようやく素直になってきたね」


 再び唇を重ねようとしたとき、くノ一の口から冷静な言葉が放たれた。


「ねえ、これってアレクは楽しいの?」

「とても楽しいね」


 アレクは押し倒したままの女忍者に微笑みかける。


「レノアは楽しくないのかい?」

「楽しかったわよ。詳細に設定を決めて刺客ごっこをしているときはね」


 言い終えるとレノアは深い溜め息を吐く。不満げな態度にアレクは慌てて取り繕った。


「愛する二人にも変化は必要だと思うんだよ。特に長女のミシェルが生まれてから、レノアはお姫様の相手ばかりしているからね。もう少し夫である僕も構ってもらいたいのさ」

「それはわかっているんだけど、普段より興奮して鼻息が荒いのはなぜなの? くノ一の衣装を着ただけなのに、アレクの瞳が爛々に輝いていたのはどうしてかしら?」

「そ、それはだね。えーと……つまり、その、なんだ」


 じとっとしたレノアの視線にアレクは超高速で顔を逸らせた。


「そう言えばさ、どうして東方装束がここにあるわけ? まさかこのために取り寄せたとかじゃないわよね?」


 レノアの詰問。アレクは萎縮する。


「国民の血税を自身の欲望を満たすために使うなんて最低を通り越して人族失格よ」

「違う違う! わかった、正直に白状するよ」


 レノアの胸元に差し込んでいた右手を抜いて、アレクは嘆息を漏らしながら仰向けに寝転がった。枕代わりに頭の後ろで両手を組む。


「東方の国から使者が来てね。貿易船の燃料補給をしたいと言うから許可してやったんだ。そしたら勝手に数種類の民族衣装を置いていったんだよ。それを部屋に放置していたらレノアが着てみたいと言い出して、それでこういうおかしな展開になったんじゃないかな?」

「昔、女諜報員とか女暗殺者に憧れてた時期があったのよ」


 数瞬だけ遠い目をしていたレノアの顔が急速に赤くなる。アレクは立場逆転の機会を見逃さなかった。


「せっかく二人きりなんだし、ここは仲直りの意味を込めて夜の営みでもしようか?」

「……少年のような瞳で言わないでよ、断り難くなるから」

「断る気なんてないくせに」


 アレクの意地悪な言葉にレノアは顔を背けて口を尖らせた。


「あらら」


 若き国王は失言を認めるかのように鼻先を掻いた。それからご機嫌斜めな妻にとぼけた口調で囁きかける。


「あー、言い忘れていたことがあった」

「……なによ?」


 レノアは背中を向けたまま問い返した。その背中にアレクの優しい声が届く。


「愛している、世界中の誰よりも」




 かつて大戦の開始に吹かれたという伝説の角笛ギャッラルホルンが描かれた赤い旗――ラズマタズ教国の国旗が最奥の壁に掲げられていた。その下に議場が広がっている。議席には正装の文官や将軍が難しい顔で並び、それぞれ秘書官たちが周囲を慌しく行き交っていた。


「陛下、今なんと仰いました?」

「却下。わかりやすく説明すると『その案駄目だぞー』ってことだね」


 玉座から軽口を叩くアレクに、事実上ラズマタズ教国の二番手であるアンタレス教皇は苦々しい表情を浮かべた。隣に座る部下に修正案を作成するように命じる。要人の一人が次の議題について説明を始めた。


「国民の八十八・二パーセントが読み書き可能になっております。これは五年前に比べ五十パーセントの向上、さらに犯罪発生率の低下にも繋がっております。尽きまして――」

「採用」

「陛下! まだ話の途中ですぞ!」


 理不尽な判決が下され続けることに、とうとうアンタレスは立ち上がり抗議していた。高齢の老体とはいえ教皇にまで登り詰めた男の怒声は、要人たちを震え上がらせるほどの苛烈な迫力があった。しかしアレクは動じない。まるで叱責されたのが他人であるかのような振舞いを見せた。とはいえ返事は必要と判断したのだろう。一拍後、若き王は悠然と立ち上がり静かに語り始めた。


「軍事力を縮小し、その予算を教育と医療に用いる。僕が五年前に採用した議案だ。あのときのことを思い出してほしい。議会は国民を守れない国家に成り下がると議案に対して猛反対した。二年から三年のうちに他国の干渉を受けるという見解もあったかな。しかし五年経った今でも我が国は独立国家を維持している」

「陛下、よろしいでしょうか?」


 饒舌なアレクに釘を刺す声が上がった。若き国王は視線を声の主へ移してから首肯する。


「もちろんだよ、最高軍事司令官殿」

「陛下の想い描く国家が実現すれば、まさに我々の望む理想郷でありましょう。しかしそれは頭の中で描かれた世界でしかありません。安全かつ絶対に傷付かないところで思考された夢の世界。ところが現実は違います。戦場の最前線に立たされる兵士たちは、いつ敵国に攻め込まれるかと戦々恐々なのです。現状の武力では戦争にもならないでしょう。各国が最新兵器を開発実用化している中、我が国は五年前より退化し続けているのですからね」

「グラットン司令殿、いくらなんでも口が過ぎるのでは?」

「構わない、続けてくれ」


 非難の声を制して、アレクは先を促した。恭しく頭を下げてグラットンは続ける。


「陛下の理想は高く、この国を変える救世主に成り得るかもしれません。しかしよくよく考えてもみてください。もし陛下一人で救えてしまうような国なら、それは陛下以外を必要としない糞っ垂れな国だと証明するだけです」

「いい加減にしろ! そのような暴言許さんぞ!」


 アンタレス教皇が机を叩いて激昂した。どよめきが議場に広まる。グラットンの演説は進言の範疇を逸脱しており、明らかに喧嘩を売っているようにしか思われなかったからだ。しかも富国強兵推進派を煽り立て謀反を企てるつもりかと疑われても仕方がない内容である。


「確かにグラットン司令殿の進言は無礼でしょう。しかし苛烈な生存競争を勝ち抜くためには、武力を切り捨てられないのも実情であります。陛下は戦争が起こったとき、武力以外の手段を用いて他国の脅威から国民を守る案をお持ちか否かをお聞きしたい」


 要人の一人が口火を切った。耳が痛くなるような静謐を若き国王の声が裂く。


「勝ち目のない戦争はしない」


 アレクの瞳には強い意志が宿っていた。しばし気圧された要人だが、それでは解決にならないと反論する。大きく息を吸い込んだ若き国王は決然と言い放った。


「負けるが勝ちという諺がある。戦争を起こした場合、自国と相手国の生産力は極端に低下する。その中で物資や資金を大量に消費しなければならず、結果として第三者たる隣国や同盟国が富むことになる。それに戦争で勝利しても手に入るのは疲弊した領土だけだ。周辺国の脅威に曝されることになるし、終戦直後の国力は戦争開始前を下回る可能性が高い。ここまで異論はないかな?」


 要人たちの顔を見回したあと、一人納得したようにアレクは語を継ぎ足した。


「例えば統治者を挿げ替えるだけで戦争を回避し、現状の暮らしを維持できるとしたら、それはそれである種の勝利にならないだろうか? 国民視点に立って平和を考えれば簡単なことだ。国民にとって国王が誰であるかは重要なことじゃない。問題なのは安定した暮らしと戦争の起こらない平和な環境だからね。私の命と引き換えにラズマタズ教国を貴国の自治区として扱ってほしいと願い出たとしよう。一切の被害を出さず一国が手に入る。戦争による損害を逆手に取れば、案外あっさりと承認される気がするんだよね。自治権を認めても自国の領土が増えることに変わりはないわけだからさ。それでも戦争を起こしたがるような先見の明がない国なら諦めるしかないけど――」

「正気ですか?」


 鋭い眼光でアレクを射抜いたのはグラットン司令である。


「残念ながら正気だ。私の理想のために皆の命をくれと言うつもりはない。賭けるのは私の命だけで十分だ」


 議場の雰囲気が変わった。ざわざわと不穏な空気が漂う。


「それはつまり――我々に陛下を売れと申しているのでしょうか?」

「端的に言うとそうなるな。保身のために王を売るような腰抜け連中なら謀反の心配もないだろうと敵国に安心感を与えられるかもね」


 空気が張り詰めた。


「確かに理論的に考えれば敵国に戦争を起こす利益がなくなる」

「一人の犠牲者で現状を維持できる妙案」


 議場がアレクの策を認め始めたとき、机を激しく叩いて一喝したのは、憤怒の表情を露わにしたアンタレス教皇だった。


「静まれ馬鹿どもが! 国王を差し出して保身を図るなど恥を知れ! 陛下もお戯れが過ぎますぞ? 我々の命は陛下に預けているのです。どうぞ懸命なご決断を」


 恭しく一礼するアンタレス教皇に、アレクは反省の色を微塵も見せずに答えた。


「ならばその預かっていた命を返却しよう。では次の議題に進んでくれ」


 呆気に取られた教皇を横目に、要人の一人が次の議題を切り出していた。会議は滞りなく進行し、予定の時刻に終了する。要人たちが退室していく中、アンタレス教皇がグラットン最高軍事司令官を呼び止めた。珍しい組み合わせである。誰かに聞かれると困る内容なのか、皆が出払った議場の隅でアンタレス教皇は切り出した。


「グラットン殿、陛下への発言について教えて頂きたい。なにか意図があってのことなのか? それとも――」

「陛下を疎んじているアンタレス教皇に忠言されるとは思いませんでしたな」


 発言を遮るようにグラットンは陰惨な笑みを浮かべた。


「ふざけるな! どのような人物であろうと主君に忠誠を誓うのが臣下たる務めだ。二心は許さんぞ。返答次第では軍法会議にかける」


 怪訝そうにアンタレスの表情を覗き込んで、しかし次の瞬間、グラットンは柔和な笑みを湛えていた。まるで心が入れ替わったかのような変化である。


「どうやら賢しい芝居ではないらしいな」

「当たり前だ! 一体なにを考えている?」

「王族と教会の不仲は折り紙付きだからな。真意を話すつもりはなかったんだが――まあいい。少しだけ俺の昔話を聞かせてやろう」


 遠い目をしてグラットンは顎鬚を撫でた。アンタレスは無言のまま聞き入る。


「戦の最前線は常に非常だ。弱い奴から死んでいく。他人を信じた奴も死ぬ。殺し合いに感情は不要。俺たちは敵国の王を追い詰める駒の如く扱われるだけだった。そこから抜け出す術は一つしかない。武功を収めて上に這い上がる。最前線に立ちたくなければ、後方から指示を飛ばすだけの指揮官になるしかなかった。つまらん人生さ」


 グラットンの凄惨な過去にアンタレスは息を飲んだ。人命の尊さを訴える教会が愚かしくさえ思えてくる。眼前の人物が急に大きく感じられた。


「ある日、ふと思ったのだ。俺たちが命をかけて戦っているとき、守るべき王は何をしているのだろうかとね。美味い酒を飲んでいるのか、女を抱いているのか、それとも前線で戦う俺たちを気にかけてくれているのか? 意味のない詮索だ。答えがなんであろうと俺たちは戦うしかない。王の価値など駒にはどうでもいいことだ」


 言ってからグラットンは苦笑する。


「王にとって駒の命などさらにどうでもいいことだろう。アンタレス教皇、俺は知りたいのだ。百万人の命を犠牲してまで守らなければならない命など存在するのだろうか?」


 アンタレス教皇はなにも答えなかった。いや、答えられなかったのである。


「その逆も然りだ。たった一つの命で救われる百万の命などありはしない。いや、あってはならないのだ。もしそんなことが可能であるなら、俺は死んでいった仲間たちにかける言葉を失ってしまう。自らの命が国の礎になったと信じている仲間たちに、人の命は等価ではないと残酷な現実を告げろというのか?」


 鬼の形相を象るグラットンに、アンタレスは深い哀しみを覚えた。


「されど貴殿は待ち望んでいたのではないか? 国民のために自らの命を賭けるような主君を、武力以外で争いを封じられる理想郷を――」

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