010
抱合を合図に前衛四名で矢印のような陣形を構築。熊系獣人族の団長が矢尻の先端、その両翼に二名の人族が控える。猫系獣人は少し離れた後方の位置へ移動すると弓を引くような構えを取った。
「一撃で仕留めるぞ!」
ベイリックは具現化させた槍斧を消失させて新たな魔術組成式を展開。両翼の二名が加わることで魔法陣の大きさが直径十五メートル前後まで拡大した。ここで俺は護衛団の構成と戦術を理解する。これは前衛四人一組で超弩級の遠隔攻撃を繰り出す砲台だ。
「撃ててててててててててぇい!」
団長の指示で猫系獣人の射手は限界まで引いていた不可視の弦を解き放つ。次の瞬間、巨大な土属性の魔法陣から生成された硬質の矢弾が発射。距離が近い上に吐息を出して隙の生じている黒竜の胴体へ見事に突き刺さる。攻撃を受けた傷口から鮮血が飛び散り白い肉を露出させた。
「グォオオオオオオオオオオーッ!」
苦鳴を漏らしながら黒竜の体躯は着弾の衝撃で飛空艇から遠ざかっていく。これなら苦し紛れに暴れられても船体へ届くことはないだろう。もしそこまで計算して攻撃方法を選択したのなら、やはり護衛団の実力は計り知れない領域にある。
「グォオオオオオオオオオオーッ!」
恨めしい雄叫びを上げながら黒竜は夜の海に沈んでいく。やがて視界から完全に消え去る。それを見届けて団長は快活な笑った。
「ぬはははははっ! 不意を突けばいけるものだな」
「あっさりと<風々障壁>が破られそうににゃったときは焦ったにゃ」
「あのときは船内に駆け込んで『お客様の中に高位防御結界を張れる方はいませんか?』って叫びたい気持ちだったわ」
猫系獣人の感想にエルフ族の魔術士は軽口で応じた。すでに戦闘時のような緊張感はなく、護衛団の面々も普段通りの関係に戻っているのだろう。俺は甲板に突っ伏したままの師匠に声をかける。
「師匠、もう大丈夫みたいですよ?」
「にゃにゃにゃ」
ハシュシュは顔を上げて周囲を確認した。それから身体を起こして座る。なにか腑に落ちない表情をしているので質問を投げかけておく。
「どうかしたんですか?」
「珍しく勘が外れたにゃあと思ってにゃ」
確かに師匠が死んだ演技を選択するときは、そう簡単に勝てない敵の場合に限られていた。それに比べると今回の黒竜は楽勝過ぎた感が否めない。
「悪いほうへ外れるよりいいじゃないですか?」
「まあ、確かにそうだにゃ」
ハシュシュは酒樽に空いた杯を潜らせて口へ運ぶ。本当に底が知れない。しかしそれは師匠だけでなく、同席している着物姿の美女にも言えることだった。こちらは黒竜との戦闘中も一人で飲み続けている。
「ロン、新しい酒樽を調達してくるにゃ」
言いながらハシュシュは空になった酒樽を差し出してくる。俺は不承不承に引き受けて船内へ潜った。もう少し暗澹とした空気が流れていると思ったが、この程度はよく起こることらしく、墜落するかもしれないと不安に駆られている者はいなかった。俺は適当な客室乗務員を捕まえて酒を補充してもらう。
甲板へ戻ると団長に叱責される偵察班の姿があった。しかし怒鳴り散らされているというより、警戒範囲やその選定方法について説明されている印象。そんな光景を横目に俺は酒を待ち詫びている二人のところへ戻った。
再開した飲み比べの中で飛空艇ならではの話題が生まれる。
「そういやティアはどうしてアラバスタに向かうんにゃ?」
「旧友に会うためにょりん」
酒杯を傾けながら妙齢の美女は即答した。単純に人族ということを踏まえれば、同郷で友人と再会することもあるだろう。このときの俺はそれくらいにしか考えていなかった。
「それなら俺たちと似たような目的ですね」
「奇遇にょりん。これもなにかの縁かもしれないにょろろん」
もう語尾も人格もよくわからなくなっていた。同意を求められた俺は曖昧に相槌を打っておく。心強いという意味で旅は道連れと使われるが、果たしてこういう場合にも適応されるのだろうか?
ふと西方向の空が明るく輝いた。
間もなく苛烈な熱波が甲板を焼き払いながら通過していく。左翼から船首へ抜けた一閃が吐息の痕跡を残した。弛緩していた空気が一瞬で凍り付く。
「馬鹿な!」
鎧姿の熊系獣人は後方を振り向いて叫ぶ。そこには胴体から大量の血液を垂れ流した黒竜の姿があった。魔術で生成された矢が消失した所為で、傷口からの出血が明らかに増えている。正直致命傷でもおかしくないのだが、これが至上最強種族と称される所以なのだろう。
「グォオオオオオオオオオオーッ!」
雄叫びを上げながら黒竜は高度を上昇させていく。その行動に歴戦の猛者である団長は表情を強張らせた。
「上空から突っ込んでくるつもりか!」
「そんなことをしたら向こうもただでは済みませんよ!?」
「怒りで我を失っているのかもしれない。ともかく衝撃に備えて上空へ防御結界を集中させろ!」
ベイリックは気持ちを切り替えて指示を飛ばした。上空から攻撃を仕掛けられては撃ち落とすわけにもいかない。受け流すような対策を選択するしかないのだった。すでに死んだ演技をしている師匠の予感は、どうやら最低最悪の方向で当たっていたらしい。
「やれやれ」
呟いて俺は現状打破に思考を巡らせる。師匠を連れて飛空艇から脱出するだけなら簡単だが、それは最終的な手段であって今選ぶべき行動ではない。しかし黒竜の急降下を防げるような魔弾を持ち合わせていないのも確かだ。
「我の好敵手を無下に失うのは惜しい」
ゆらりと立ち上がった着物姿の美女は懐からココリの実とククリの実を取り出して口の中へ放り込む。歯で実を砕いてから服用。アセトアルデヒド脱水素酵素がアセトアルデヒドを酢酸へ分解、さらに水と二酸化炭素へ分解して体外へ排出することで素面へ導く。酒飲みの常備薬みたいなもので、低位の回復魔術と似た効果が得られる。
「にょりーん」
不意に着物姿の美女は飛空艇の欄干へ飛び乗った。俺は謎の行動を目で追うことしかできない。悪酔い物質は除去済みなので、なんらかの意図がある行為なのだろう。
「あ!」
呼び止める間もなく着物姿の美女は夜の海へ飛び降りた。護衛団は上空からの攻撃へ備えることに精一杯でこちらを見ていない。真上に展開された土属性の魔法陣から巨大な盾が具現化され始めている。乗客が落ちたと言ってもどうにかなる雰囲気ではない。
刹那――右翼下方から真紅の鱗に覆われた巨大な竜が空へ昇っていく。この異変には護衛団の連中も振り返る。そして想像を絶する状況に言葉を失うのだった。現場を見ていた俺でさえ意味不明なのだから仕方がないだろう。
「ティアマトだ!」
そんな中でベイリックが真紅竜の正体を叫ぶ。それは火属性を極めた魔王――真紅竜王の名だった。戦闘時にしか真の姿を見せないと聞いていたが、なるほど普段は人族に化けているらしい。
真紅竜王は顎を開くと中空に深紅の魔術組成式を描き出した。なにを隠そう魔術はこちら側の専売特許ではない。知能の高い魔物や竜には上手く使いこなせる連中がいる。火属性の超高位魔術<爆灼閃光>を無詠唱で発動。
深紅の魔方陣から赤い閃光が上空へ向けて放たれる。次の瞬間、上方で灼熱の球体が発生。爆裂と六千度に達する超高温が黒竜を蒸発させた。それから真紅竜王は身体を人族に戻して甲板へ舞い降りる。護衛団は魔術組成式を解除することも忘れて呆然としていた。
超高位魔術<爆灼閃光>は強引に魔弾で例えるなら存在しない第十式相当で、数少ない修得者さえ「実戦で使える代物ではない」と口を揃える詠唱時間を要するのだ。それを無詠唱で放たれたら開いた口を塞ぐにも一苦労だろう。
「これは――引き分けでいいにょりん?」
美女の見つめる先には寝息を立てているハシュシュの姿があった。反則技の使用と睡眠の時刻が判明しない以上、この飲み比べの勝敗は次回へ持ち越されるべきである。
「ですね」
俺が鷹揚に首肯すると着物姿の美女は柔和に微笑む。




