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過去も未来も頭の中にしか存在しない。目の前にあるのはいつも現在だけだ。
ルオニト・マギ「ある朝の光景」鳳凰暦七○一年
この世界に生まれて十六年半の月日が流れていた。
この日、俺は運命の再会を果たすことになる。
アラバスタ共和国の南西に広がる砂漠地帯。
大地は見渡す限り赤い砂に覆われている。一部の生命体しか生息できない不毛地帯だ。一陣の風が吹くだけで視界は完全な朱に染まるだろう。そんな砂漠の中を俺は無我夢中で駆け巡っていた。一歩踏み出す度に戦闘用長靴が赤い大地に飲み込まれていく。目標と遭遇してから数分しか経っていないのに息が上がり始めていた。どうやら砂地での激走は想像以上に体力の消耗が激しいらしい。
「巨大砂蚯蚓も倒せないようにゃら、単独で世界を旅するにゃんて夢のまた夢にゃ」
大きな岩の上に腰を下ろした猫系獣人族の女――ハシュシュ・ミラケッタは起用に尻尾を使いながら林檎を齧った。胸元と下腹部を布で隠すだけという露出度の高い格好をしている。戦闘不参加の意思表明なのか、それとも別の思惑があるのか判然としない。顔立ちと長身痩躯な体型は魅力的なのだが、頭に生えた猫耳と腰の尻尾、おまけに言葉の節々に「にゃ」と付けるので馬鹿っぽい印象を受ける。元魔銃士の孤児院保母で俺の師匠と呼ぶべき存在だ。
魔銃士。
魔術が封入された魔弾を撃ち出す銃の専門家である。主に中距離から長距離を得意とし、攻撃から補助まで状況に即した行動が可能だ。魔弾には口径によって第一式から第七式までの階級があり、数字が高くなるほど強力な術式が封入されている。第三式までの小口径は両腰に提げた回転式と自動式の魔弾銃を使用し、第四式以上の大口径は背中に担いだ強襲用狙撃魔弾銃が必要となる。
「砂中から引きずり出さない限り勝ち目はないにゃ」
「そんなことは言われなくてもわかってますよ!」
俺はハシュシュの助言に文句を返しながら後方を振り返った。赤い砂を舞い上がらせながら標的が地中を猛進してくる。ぎりぎりを見計らって俺は迫る砂塵を横っ飛びで回避。その流れで前方へ一回転して素早く起き上がる。右手で帯革に装着した回転式魔弾銃を引き抜き砂中へ発砲。着弾と同時に封入された第三式の風属性魔術が発動する。
刹那――巨大な砂柱が天へ向かって舞い上がった。俺は六発目を撃ち終えた魔弾銃から空薬莢を排出。風属性の魔弾を専用器具を用いて六発同時に装填する。撃鉄を起こして初弾を薬室へ送り込みながら周辺への警戒を強めた。
不意に近場の赤い大地が大きく盛り上がる。その中から獲物を丸飲みにする巨大な口と無数の牙だけを有した巨大砂蚯蚓の頭部が姿を現した。粘着力の強そうな涎を滴らせながらこちらに敵意を向けてくる。
「ひゅう~」
口笛を吹けないのかハシュシュはそれっぽい声で発音する。無言で座っていたら画になる美貌だけに残念だ。俺は魔弾銃を構え直して巨大砂蚯蚓と対峙する。いきなり襲いかかって来ないのは魔物にも本能的な警戒心があるからだろう。
ここは先手を取るべきかもしれないな。
ゆっくりと俺は左手で自動式魔弾銃を帯革から抜き取る。派手な演出を望んでいるわけではなく、魔術を扱えない魔銃士にとって二挺提げは珍しくない。唯一無二の武器である銃と弾薬の数がそのまま生死を分けるからだ。愛銃一丁で魔物に挑むのは銀幕の中の主人公だけでいい。
まずは左手に構えた自動式魔弾銃で火属性の魔弾を放つ。それから右手の回転式魔弾銃の引き金を絞り風属性の魔弾を発砲。中空で術式を展開し始めた火属性の魔弾に風属性の魔弾が絡む。二つの術式は魔術反応を引き起こして紅蓮の炎を錬成。巨大砂蚯蚓の醜悪な容貌を渦巻いた灼熱の炎が焼き払う。
「ブォオオオオオオオオオオーッ!」
大地を震わせるような咆哮を発しながら巨大砂蚯蚓は砂中に潜り込む。消火目的か怒りで我を見失っただけなのか判然としない。俺は神経を研ぎ澄ませて警戒に集中する。赤い砂を盛り上げて再び姿を現した標的は、唐突に巨大な口から粘着性の高そうな唾液を吐き出した。
「うおっ!」
今度は俺が悲鳴に近い声を発して逃げることになった。気持ち悪いだけならともかく、巨大砂蚯蚓の唾液には硫酸と似た性質がある。つまり水と混合すると超高熱を発生させるわけで、構成要素の七割が水分の人体には怖ろしく危険な代物だ。
さっきまで俺のいた場所に唾液が撒き散らされる。俺は砂の上を横転しながら作戦を練り直していく。持久戦は体力が持ちそうにないので却下。短期決戦なら巨大砂蚯蚓の弱点である風属性の第五式魔弾を使うべきだろう。経費削減も命あっての物種だ。
俺は立ち上がり回転式魔弾銃と自動式魔弾銃を帯革に差し込む。その代わり背中に担いだ大口径魔弾銃を取り出して両手で構えた。有用と判断したのか巨大砂蚯蚓は再び口内から唾液の塊を吐き出してくる。
超反応で横へ倒れ込んで液体を回避し、俺は砂の上に伏せた状態で大口径魔弾銃の引き金に指をかける。絞り切る直前に両腕下の赤い砂が盛り上がり銃口を撥ね上げられた。尻尾? 強制的に軌道修正を余儀なくされた第五式魔弾は中空で無数の風による刃を形成して空の彼方へ消えていく。好機と判断したらしい巨大砂蚯蚓は赤色の砂を巻き上げながら距離を詰めてきた。
「糞っ垂れが!」
俺は愚痴りながらも素早く身体を起こした。標的は無数の牙が生えた大口を開いたまま襲いかかってくる。勝利を確信しての怠慢な攻撃なら心外だった。
「悪いな。俺の武器は魔弾銃だけじゃないんだよ」
俺は帯革に提げた手投げ用魔榴弾を巨大砂蚯蚓の口中へ向けて投擲。次いで風属性の魔弾が込められた回転式魔弾銃を抜き取り発砲。強烈な突風が俺と標的の位置を引き離した。
その直後、標的の体内で第四式魔榴弾が火属性の術式を展開。高熱の炎が瞬間膨張して巨大砂蚯蚓の頭部を吹き飛ばした。周辺に気持ちの悪い肉片と体液を撒き散らし、指揮系統を失った胴体は鈍い音を立てて砂上へ崩れ落ちていく。舞い上がった赤い粉塵が心なしか俺を祝福しているように見えた。
「ふーっ!」
盛大に息を吐いて俺はその場に座り込んだ。見学していたハシュシュが岩から下りて近付いてくる。猫系獣人族特有の褐色肌としなやかな肉体美が年齢を感じさせない。俺の記憶が正しければ三十路前だが、二十歳と言われても疑う者はいないだろう。師匠は御座なりな拍手をしながら感想を口にする。
「この調子にゃら期日に旅へ出られるかもしれにゃいにゃ」
そう――俺は一刻も早く大人になりたかった。
この世界では十七歳が一人前の条件とされている。十七の誕生日を迎えれば酒も煙草も賭博も自由だ。世界を股にかけて冒険することも本人の意思に委ねられる。あと半年の辛抱で俺は大人として彼女を探す旅へ出ることができるのだ。
「しかし魔銃士は金がかかり過ぎるのが難点ですよね。節約しているつもりなんですけど、一向に旅の資金が貯まらないんです」
「あたしに愚痴を零されても困るにゃよ。それに各地で賞金のかけられた魔物を倒しながら進めば魔弾の補充と旅費くらい出るにゃろ?」
「他人事ですねえ」
「他人事にゃからにゃ」
俺は師匠の無計画さに憮然としてしまう。恩返しも兼ねて緩んだ頭の螺子を締めてあげたい。
突如――遠くから轟音が聞こえた。アラバスタ共和国内の工業地区なら気にも留めないが、この見渡す限り赤い砂に覆われた砂漠地帯ではそうもいかない。
「なんですか今の?」
「にゃにゃにゃ、ひょっとすると不滅竜かもしれないにゃ!」
「不滅竜?」
俺の疑問を無視してハシュシュは額に手を当てて遠くを見やる。尻尾が上に向かって伸びているので相当興奮しているのだろう。俺は立ち上がり魔弾銃から砂を振り払って背中に担ぎ直した。なんとなく師匠の眺めている方向へ視線を移しておく。
再び遠くで轟音が響いた。
「間違いなさそうにゃ。不滅竜が暴れているにゃよ」
「だから不滅竜ってなんですか?」
「この赤い砂漠の主にゃ!」
ぴくぴくと耳を動かしながらハシュシュは告げる。相変わらず残念可愛い師匠だ。
不滅竜。
全長五十メートルを超える巨大な砂蛇。不死を連想させる名は討伐しても数日後には目撃されることに由来しているらしい。簡潔に説明を終えたハシュシュは真剣な面持ちで問いかけてくる。
「どうするにゃ?」
「行くしかないでしょう」
「近付くだけでも危険にゃよ?」
「それなら尚更ですよ」
おどけるように俺は肩をすくめた。




