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陰影



バタンッ。


力任せに閉められた扉が会議室の空気を震わせる。 隣でラッセがついたため息をネストリはあえて咎めなかった。 会議の結果が気に食わないからといって扉に当たる様な幼稚なまねをする連中に、ネストリ自身はため息をつく気もおこらない。 


「お見事でした、ネストリ様。」

「相手に救われたな。 マティアスが出て来ていたら、こうはいかなかっただろう。」

「いくら状況が有利だからといってネストリ様相手に二等官を出してくるとは、なめられたものですね。 おかげで、こちらの案件は通りましたから、感謝すべきでしょうか。」

「申告書と一緒に菓子折りでも送っておくんだな。 帰るぞ。」


ネストリが立ち上がると、ラッセも慌てて机の上の資料をかき集めて後に続いた。

これでしばらくの間、式部省ではネストリの陰口がたたかれる事になるのだろう。 相手の準備不足は明白だった。 こちらはこの案件を通すために明け方まで仕事をしていたというのに、前年の焼き直しの様な資料を用意しただけでいつまでも通用すると思っていたら大間違いだ。


 会議室を出たネストリは、窓から差し込んできた光にアイスブルーの瞳を細めた。 会議室の前は中庭を囲む高い吹き抜けの回廊になっている。 床から天井まで続く細長い窓からは午後の光が差し込み、回廊をどこまでも続く光と影の縞模様に染め上げていた。  すれ違う人々が足を止めて頭を下げるなか、ネストリは迷うことなくその美しい回廊を進んでいった。 





「ネストリ様。」


戻るべき部屋まであと少しというところで、後ろからかけられた声にネストリは足を止めた。声を聞く必要すらない、近づいてくるその気配だけでそこに誰がいるかわかっていた。 ネストリがふり返ると予想通りそこに彼女がいた。


「何かございましたか、女官殿。」


ネストリが一礼すると、相手も流れるように美しい完璧な作法で腰を折って頭を下げた。


「お急ぎのところお呼び止めして申し訳ございません。 マテリーナ様からこれをお渡しするようにと言い遣ってまいりました。」

「妃殿下から?」

「会議成功のお祝いだとおっしゃっていました。」


白く細い手が差し出した一通の封筒を受け取るのに、ネストリには珍しく瞬時の迷いがあった事に彼女なら気がついたかもしれない。 王太子妃からの手紙。 質の良い紙で作られたほのかに薔薇の香りがするその封筒の周りに、ネストリの悪い予感を最大限に誘引するものが渦を巻いているのが見える気がするのは目の錯覚ではないだろう。

ネストリは舌打ちしたのを押さえて、手早く受け取った手紙の封を切った。 先ほど終わったところの会議の内容がすでに筒抜けとは、いったいどこで情報を仕入れてくるのかあのお姫様の耳は恐ろしく早い。 顔ばかり良くて頭の空っぽな女性はネストリにとって嫌悪の対象でしかないが、マテリーナに限れば政治になど首を突っ込まず、もう少し馬鹿なふりをして大人しくお茶会にでも精を出していろと言ってやりたいところだ。 


ネストリは封筒から二つ折りになった紙を取り出し、素早く目を走らせた。 途中ネストリの眉が一瞬ピクリと動く。 だが、読み終えた紙を封筒に戻して再び顔を上げたネストリは元の無表情に戻っていた。


「お心遣い痛み入ります、と妃殿下にお伝えしてくれ。」

「かしこまりました。」


無表情のネストリをやはり無表情で見つめていた彼女は、また優雅に一礼するとふわりと踵を返してネストリに背を向けた。耳飾りの宝石がゆれて白い首筋に光の模様を描く。あの細いうなじに顔を寄せるとどんな香りがするか、形の良い耳を食めば彼女がどんなため息を漏らすか、欲望にまかせてそれを確かめたのはまだ昨夜の事なのに、昼間の彼女からはそんな気配のかけらも漂って来ない。

面白い女だと思う。他の女と違って彼女はネストリに媚びることも、気を許すことすらしない。だからだろうか、たまに振り向かせたくなってしまうのは。


「貴方はこの手紙の中味が何かを知っているのか?」


ネストリが後ろからかけた声に、彼女は足を止めふり返った。 さっきまでの完璧な無表情が崩れ、少し驚いた様な顔で瞬き2回分ぐらいの間ネストリを見つめる。 そして、陽射しの中ほころぶような微笑みを浮かべた。


「いいえ、ネストリ様。 存じ上げませんわ。」

「そうか。 引きとめて悪かった。」

「失礼いたします。」




彼女が去ってどれくらい経っただろうか、隣でラッセが止めていた息を吐き出すように大きなため息をついた。


「何を緊張しているんだ、お前は。」

「ネストリ様・・・。僕は平々凡々の一般人なんです。あの女性達を前に緊張せずにやり合えるのは、我ら総務局の中では貴方ぐらいですから、一緒にしないでください。 」


ラッセが恨めしそうな眼をネストリに向けた。 才色兼備な王太子妃マテリーナの女官達。 彼女たちを美しい外見だけで判断して、煮え湯を飲まされた男どもは数知れない。 ラッセが平凡な一般人かという議論は置いておくとして、確かにあんな微笑みを浮かべながら平然と嘘をつけるような女の前では、ラッセの存在など肉食竜に睨まれたトカゲに等しいかもしれない。


「それにしても妃殿下直々のお手紙とは、並々ならぬ気配がしますね。」

「読むか?」

「僕が読んでも大丈夫なのですか・・・いろんな意味で。」


ネストリはまだ手に持ったままだった手紙を引きラッセに差し出した。 おずおずとそれを受け取って読み始めたラッセの顔が一瞬にしてこわばる。


「これは・・・・」


はっと顔をあげたラッセはネストリの顔を見て口をとじた。 ラッセが飲み込んだ言葉は、どこでだれが話を聞いているかわからないこのような場所で、口にだす内容でないはずだ。 


「話は帰ってからだ。 色々と忙しくなるぞ。」

「覚悟はしておきます。」


ラッセがあきらめたように肩をすくめるが、その瞳はこれから来る嵐を見越してむしろ楽しそうに輝いていた。 それにしても、元々仲が良いとはいえない関係だったが、最近のマテリーナには完璧に敵視されているようだ。 ネストリは目をあげてその根源の一端となっている女性の遠い後姿を見つめた。



ティア・トルミ。 いや、そう名乗っている女というべきか。 24歳で目下のところマテリーナ一番のお気に入りの王太子妃付き女官。 宮廷の華と呼ばれる表の顔とは裏腹に、目的のためなら憎む男と寝ることもいとわない冷酷な女。 数多くいるネストリの権力を狙って近づいてくる女の中から彼女を選んだのは、互いの利害が一致したからにすぎない。 だが、それだけでない興味を持ちはじめているのを認めざるをえないだろう。 少なくとも彼女がそこまでして成し遂げようとしている事の結末を見届けたいと思う程度には。

 

どこまでも光と影が続くこの回廊はまるで自分や彼女が進もうとしている人生の様だ。 陰影の中に消えていく真っ直ぐに伸ばした背中から目をはなすと、ネストリは逆方向へと歩き出した。






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