昔弟子だった勇者が魔王を討伐して私を口説きに来た
「あー……またやってしまいましたねぇ」
私は黒焦げになった庭の地面を眺めながら、のんびりと頬に手を当てました。
本来なら、春の暖かな日差しを浴びて可愛らしいハーブたちが顔を出しているはずの場所。
ですが今、そこには黒々とした禍々しいクレーターが形成されています。
「ちょっと、エルさん! また庭の雑草を爆炎魔法で掃除したわね!?」
隣家のマーサおばさんが、洗濯板を武器のように掲げて怒鳴り込んできました。
「あらマーサさん、ごきげんよう。いえ、これは火球魔法の火力をちょっと、ほんのちょっとミスっただけでして……」
「どこをどうミスったら庭が焼け野原みたいな惨状になるのよ! あんた、そんな強力な魔法が使えるなら、もっと国のために尽くすとか、こう……あるでしょ!」
「ええ~、だって魔法なんて疲れちゃうじゃないですか。今はこうして、だらだらと余生を過ごすのが私の夢なんですもの。強制労働反対です」
私はよれよれになったシャツの裾をパタパタさせながら笑いました。
元七賢者『紅蓮の聖女』エルフレア・ヴァルム。それが私です。
かつて戦場で恐れられたその称号も、今となっては、たまに振り返って「こんなこともありましたねぇ」としみじみする程度の思い出です。
魔王軍との大戦後、私は「魔法はもう飽きちゃいました」という理由で隠居させてもらうことにしました。事実、もう一生分の魔法を放ったはずですし。
後のことは魔王を討伐した勇者に任せるとしましょう。やはり平和な世界を託せるのは勇者だけでしょうからね。若者に役目を譲るのも、上の者の勤めなのです。
別に、後始末が面倒だったからではありません……決して、そのようなことはありませんからね?
「それにしてもお腹が空きましたねぇ。アルスがいたら美味しいスープでも作ってくれたかしら……」
そんなことを考えながら、私はかつての愛弟子、ひょろひょろで泣き虫だったアルス少年の面影を思い出していました。
◇ ◇ ◇
その日の午後のことです。
村の入り口から、何やらガシャンガシャンと騒がしい音が聞こえてきました。
「何事かしら? 商人が村を訪れるには早かったはずですけれど……」
寝ぼけ眼で外を覗くと、そこにはおよそ辺境の村には不釣り合いな、金銀細工の施された豪奢な馬車と、ピッカピカの鎧に身を包んだ騎士団の姿がありました。
「……え、徴税? 私、無職だけど払えるかしら」
昼間から惰眠を貪っている場合ではありません。緊急事態です。
慌てて身なりを整えようとしましたが、時すでに遅し。
馬車の扉が開き、一人の男が降り立ちました。
短く切り揃えられた黒髪に、吸い込まれそうなほど澄んだ青い瞳。
すらりと伸びた背丈は、服の上からでもわかるほどたくましく鍛え上げられています。
「……アルス?」
私の口から、無意識にその名前が零れました。
村人たちが「勇者様だ!」「魔王を倒したアルス様だぞ!」と声を上げる中、その青年は一直線に私の方へ歩いてきます。
家の扉の隙間から様子をうかがっていた私の前に立った青年は、柔らかく微笑みました。
「エルフレア……様」
「あらあら、アルスじゃないですか。まあ、見違えましたね。あんなに小さくて、私の胸のあたりまでしかなかったのに……大きくなりましたねぇ」
私はいつもの調子で、彼を歓迎しようと両手を広げました。
「おいで」と言えば、昔のように照れながらも飛び込んできてくれると思ったのです。
「エルフレア様っ!!」
「っ……!?」
ものすごい衝撃でした。
再会を祝う軽いハグ……なんてレベルじゃありません。
アルスは私を壊れ物でも扱うように、けれど逃がさないという強い意志を込めて、力いっぱい抱きしめてきたのです。
「やっと……やっと見つけた。五年です。あなたがいなくなってから、一瞬たりとも忘れたことはありません」
「ふ、ふぇ……? アルス……ちょっと、苦しいわよ?」
耳元で響く声は、記憶にある高い声とは違う、低くて心地良い低音。
それに鼻腔をくすぐるのは、昔の彼のような「お日様と石鹸の匂い」ではなく、どこか官能的な「大人の男の香り」でした。
「……離しません。二度と」
彼の腕に力がこもります。
私の顔は、彼の硬い胸板に埋もれてしまいました。
そこで私は、ようやく一つの重大な事実に気づきました。
(あら……? この子、もしかして私よりずっと大きくなって……というか、すごく『男の人』って感じがするような……?)
いつまでも子供だと思っていた愛弟子が、いつのまにか私を丸ごと包み込めるほどの「雄」になって帰ってきた。
その事実を突きつけられ、私の心臓が魔法の暴走よりも激しくドクンと跳ねたのでした。
◇ ◇ ◇
「さあ、エルフレア様。お行儀が悪いですよ。背筋を伸ばして」
「はーい……。あ、でもアルス。そのお野菜は柔らかくしてくださいね」
「わかっています。貴女の好みは、すべて把握していますから」
かつて七賢者と呼ばれていた者の隠れ家とは思えないほど散らかった家。
その台所で、魔王を討伐した人類最強の勇者がエプロン姿で包丁を握っています。
トントントン、と小気味よいリズム。
私が魔法で無理やり炭化させていた食材たちが、彼の魔法のような手捌きで見る間に美味しそうなシチューへと姿を変えていきます。
「あらあら、勇者様にお料理をさせて、世界中の人々に怒られちゃいますね」
私はテーブルに肘をつき、だらしない格好のまま彼を眺めました。
かつて魔力操作すらおぼつかなかった泣き虫の少年が、今や背中で語る立派な男。
けれど、ふとした瞬間に見せる、私を気遣うような優しい眼差しは変わっていなくて……。
「……エルフレア様。覚えていますか? 五年前のあの日のこと」
不意に、アルスが手を止めました。
振り返った彼の青い瞳が、まるで肉食獣のように鋭く私を射抜きます。
「あの日? ええ、もちろん。あなたが鼻水を垂らしながら『行きたくない、師匠と離れたくない』って私の腰にしがみついて離れなかった、あの日でしょう?」
「……否定はしませんが。その後に貴女が言った『約束』のことです」
「約束?」
私は首を傾げました。
そういえば……旅立つアルスがあまりにも大号泣するものだから、少しでも元気づけようと適当な……いえ、慈愛に満ちた言葉をかけたような気がします。
私は目を閉じて、五年前のあの日のやり取りを思い返してみました。ぽわぽわぽわわーん……。
【五年前の回想】
「うわあああん! 師匠ぉ! 嫌だ、俺、一人で魔王なんて倒せません! ずっとここで師匠の面倒を見ていたいですぅ!!」
そうそう、五年前は魔王軍の大侵攻が始まり、七賢者である私は、前線に出るようにと王命を下されてしまったのです。
まだ小さかったアルスを連れて行くわけにもいかず、だからと言って他に預けられるツテがなかった私は、王都にある勇者学校に愛弟子を任せることにしたのでした。
もちろん泣き虫アルスに勇者の素質を見たわけではありません。
ただ安全な場所にいてほしかった。それだけのつもりでした。
「よしよし、アルス。泣かないでください。いいですか? あなたが立派に魔王を倒して、私を守れるくらい強くてかっこいい男になったら……」
私は、彼の涙を指先で拭って、冗談めかして微笑みました。
「その時は、私と結婚してあげてもいいですよ? ……だから、頑張ってきなさい」
「……えっ!? け、結婚……!? ほんと……? 師匠、俺と、結婚してくれるの……?」
「ええ、ええ。約束です。指切りげんまん、ね!」
【そして現在へ戻る】
「……あ、あははー。ありましたねぇ、そんな冗談。子供を励ますための、いわゆる『お姉さんとの約束』的な? アルスも大人になったんだから、あれが方便だってことくらい──」
ドォォォォォォンッ!!
「ひゃいっ!?」
テーブルが激しく揺れました。
アルスが、私の目の前に叩きつけたのです。
何って? それは、禍々しい魔力を放ち、鈍く黒光りする……巨大な一本の角でした。
「これ……まさか……」
「魔王の角です。一騎打ちで叩き折ってきました」
やっぱり! アルスが魔王を倒したのは、嘘でも間違いでもなかったんですね……。
正直に白状すると、勇者が選定されたと聞いても、ずっと同姓同名の別人かと思っていました。
だって、あのアルスが……あの泣き虫アルスが魔王と戦うなんて想像できないじゃないですか!
アルスは私の目の前に跪き、私の両手をその大きな掌で包み込みました。
逃げ場を塞ぐような、圧倒的なプレッシャー。
彼の青い瞳には、冗談の欠片も、方便を受け入れる余地もありません。
「俺はあの日から一秒たりとも、あれを冗談だと思ったことはありません。貴女に相応しい男になるためだけに、地獄のような戦場を生き抜いてきた。……エルフレア様。俺は、貴女を守れるほどに強くなりましたよ」
「あ、アルス……? 顔が、顔が近すぎますよ……」
あの可愛かった弟子が、まるで別人みたいに凛々しい顔で迫ってきます。
「約束通り、貴女をもらいに来ました。返事は『はい』以外認めませんよ」
ちょ、ちょっと待って!?
可愛い愛弟子が、いつの間にか「逃がさない」という執念に満ちた、独占欲の塊みたいな肉食獣になってるんですけど!
「……エルフレア様。顔が赤いですよ? もしかして、俺を男として意識してくれましたか?」
至近距離で、アルスが不敵に、そしてひどく艶っぽく微笑みました。
この子、私が教えた『魔力操作』を、私を口説くための『色気操作』に転用しているわけじゃありませんよね!?
◇ ◇ ◇
翌朝。アルスが作ってくれた完璧な朝食(ふわふわのオムレツ!)を堪能し、幸せな気分で二度寝を決め込もうとしていた時のことです。
「……嫌な気配ですね」
ズボラな隠居生活を送っていても、元七賢者の勘は錆びついていません。
村の境界線の外側、森の奥からどろりと重い魔力が溢れ出していました。
「魔王軍の残党かしら。しぶといですねぇ。せっかくのお昼寝タイムを邪魔するなんて……万死に値します」
私はよれよれのシャツの上から適当なローブを羽織り、サンダルをつっかけて外へ出ました。
村の広場では騎士たちが迎撃態勢を整えていますが、相手はなかなかの大物。三つの頭を持つ魔獣、ケルベロスの変異種のようです。
「あらあら、あれはここにいる騎士団の子たちには荷が重いようですね。……よしっ。久しぶりに師匠らしいところを見せて、アルスに『やっぱり私は守られる側じゃないのですよ』ってわからせてあげなきゃですね!」
私は指先をパチンと鳴らし、紅蓮の炎を編み上げようと一歩前へ出ました。
「みんな下がってください! ここは私が──」
「……いいえ。エルフレア様は、そこで見ていてください」
凛とした声が、私の言葉を遮りました。
気づけば、私の横を風が吹き抜けていました。
黒いマントを翻し、一振りの剣を携えたアルスの背中。
「アルス? ダメよ。村や騎士団に被害が出るのを黙って見過ごせないですもの。ここは私の魔法で……」
「必要ありません。貴女のその綺麗な指先を、煤で汚す必要なんてないんです」
アルスは振り返りもせず、静かに断言しました。
次の瞬間、空気が震えました。
彼から放たれたのは、極限まで練り上げられた『魔力操作』による身体強化の波動。
──速い。
魔力で強化した私の動体視力ですら、彼の残像を追うのが精一杯でした。
「ガッ……!?」
魔獣が悲鳴を上げることすら許されませんでした。
抜剣の音。そして、一閃。
魔力の奔流を纏った剣筋が、巨大な魔獣の三つの首を同時に、紙を切り裂くよりも容易く刎ね飛ばしたのです。
静寂。
ドサリと崩れ落ちる巨体を背に、アルスは血の一滴すら浴びることなく、悠然と剣を鞘に収めました。
「…………嘘でしょう?」
私は呆然と立ち尽くしました。
かつて木の枝を振るうだけで精一杯で、魔法の理屈を教えても「えーん、師匠~。わかりません!」と泣いていたあの少年が……?
今や、魔法の最高峰である七賢者の私ですら息を呑むような、純粋な「武」の極致に達しています。
ああ、そっか。
この子はもう、私の後ろをついて歩く泣き虫ではないのですね。
私がいなければ何もできなかった、可愛い「お弟子さん」ではなくなっていました。
「……エルフレア様」
いつの間にか、アルスが目の前に立っていました。
戦闘の昂揚が残っているのか、その瞳は少しだけ熱を帯び、私を捉えて離しません。
彼は私の肩に手を置き、逃げられないようにそっと、けれど力強く引き寄せました。
「言ったでしょう。俺は、貴女を守れる男になったと」
至近距離。心臓の音が聞こえそうな距離で、彼は私の耳元に唇を寄せました。
「これまでは貴女が俺を守ってくれた。……でも、これからは俺が貴女を一生守る番です。拒否権なんて、どこにもありませんよ?」
低く甘い、熱のこもった囁き。
あの日、冗談で「結婚してあげる」なんて言った自分を、今すぐ爆破して消し去りたい……。
耳の奥まで真っ赤に染まっていくのが自分でもわかります。
「……あ、アルスのバカ……生意気ですよ」
精一杯の強がりも、震える声のせいでまったく説得力がありませんでした。
見上げれば、アルスが「してやったり」と言わんばかりの、ひどく男らしくて、意地悪な笑みを浮かべていたのですから。
◇ ◇ ◇
ダメ。これは本当にダメ……元弟子の圧が強すぎますっ!
昨日の今日で、私の心臓はすでに限界突破寸前です。
「……アルス、ちょっと落ち着きなさい? ほら、深呼吸。スー、ハー。ね?」
私は家の台所で甲斐甲斐しくお茶を淹れてくれるアルスから、じりじりと距離を取りました。
昨日、あんなに格好良く魔獣を片付けた男が、今は「さあ、お菓子もどうぞエルフレア様」と、新妻のような手つきでクッキーを差し出してきます。このギャップが一番心臓に悪いんですよっ!
「落ち着いていますよ、至って冷静に。……貴女を王都へ連れ帰り、婚姻届を提出し、外堀を埋めて、二度と俺の前から消えられないようにするための……完璧な計画を練っている最中なんですから」
「計画が物騒すぎますよ! そもそもですね、アルス。よく考えてみてください」
私は人差し指を立てて、必死に「師匠モード」を装いました。
「私、アルスよりも十以上も年上なんですよ? 世間一般で言えば、もう立派な行き遅……いえ、熟した大人なのです。あなたはまだ若いのですから、王都に行けば、もっと若くて、可憐で、それこそ本物の『聖女様』みたいな女の子たちが、魔王を討伐した英雄であるあなたの帰りを首を長くして待っているはずです!」
そうですよ。私なんて、だらしない隠居女なんだから……。
そう自分に言い聞かせる胸の奥が、なぜか少しだけチクりと痛みました。
「年齢? 立場? ……そんなものが、俺の五年間を否定する理由になるとでも?」
アルスの声のトーンが、一段下がりました。
彼は手に持っていたティーカップをテーブルに置くと、ゆらりと立ち上がりました。
「ひゃっ……!?」
逃げようとした私の背中に、冷たい壁の感触。
逃げ道を塞ぐように、アルスの両手が私の顔の横に叩きつけられました。
こ、これは……壁ドン!?
しかもこれ、ただの壁ドンじゃありません。
彼の指先から、微かな、けれど緻密な魔力の糸が伸びて、私のローブの裾を壁に縫い付けています。
「……これ、私が教えた『影縫い』の応用……っ!?」
「ええ。『捕らえた獲物は、魔力を封じてから確実に仕留めなさい』……そう教えたのは、貴女ですよ。師匠」
アルスがじりじりと顔を近づけてきます。
あまりの至近距離に、彼の長いまつ毛まで数えられそうです。
私が教えた「逃がさないための技術」を、私を逃がさないために使うなんて……!
皮肉すぎて、でもその執念が、たまらなく愛おしく感じてしまうのが悔しい。
「俺をこんな『一途すぎる男』に育てた責任、取ってくださいね?」
「せ、責任って……」
アルスの真剣な眼差しを直視できなくて、顔を逸らしてしまいます。
ですが、彼はそんな私を許してはくれません。
「俺の目を見てください。他の女なんて、視界に入れたことさえない。俺が欲しいのは、五年前からずっと……貴女だけなんです」
彼の熱い吐息が頬にかかり、思考が真っ白に溶けていきます。
かつて「可愛い弟子」だったはずの存在が、今や私のすべてを支配しようとする「一人の男」として、眼前に存在しています。
「……エルフレア様。貴女が『はい』と言うまで、この術は解きませんよ?」
「うぅ……。この、教え子……! 恩を仇で、じゃなくてこんな形で返すなんて……反則よ……っ!」
私は顔を覆ってしゃがみ込みたくなりましたが、壁に縫い付けられたせいでそれすら叶いません。
……完敗です。私の教えた魔法は、私を捕まえるために、これ以上ないほど完璧に機能していました。
「わ、わかりました! わかりましたよ、もうっ! 王都でもどこでも、ついて行きます!」
私は真っ赤になった顔を両手で覆い、半ばヤケクソ気味に叫びました。
壁ドンされたまま、アルスの吐息が耳元をかすめる度に、私の魔力回路はショート寸前。
元七賢者のプライドは、彼の甘い囁きと、鍛え上げられた胸板の厚みと、一途すぎる愛に完膚なきまでに粉砕されました。
「……本当ですか、エルフレア様? 今、確かに約束しましたね?」
「ええ、ええ! でも、いいですか? 結婚はまだ保留ですよ! まずは『お試し期間』からなんですからね。私があなたの隣にいて相応しいか、じっくり、ねっとり、慎重に見極めさせてもらいますからね!」
「『ねっとり』ですか。……ふふ、望むところです」
アルスは満足げに目を細め、ようやく『影縫い』の術を解いてくれました。
自由になった途端、私はへなへなと地面に座り込みます。あぁ、もう……私の可愛い弟子は、いつの間にこんな「悪い男」になってしまったのでしょうか。
きっと、魔王討伐の旅が彼を変えてしまったのでしょうね。
私が想像できないほど過酷な旅だったのでしょう。許すまじ、魔王……ッ!
◇ ◇ ◇
数日後。
村中の人々に見送られ、私はアルスの用意した豪華な馬車に揺られていました。
外では騎士団が整列し、まるでお姫様の輿入れのような騒ぎです。
「……ねえ、アルス。やっぱり派手すぎません? 私、ただのニートですよ?」
「エルフレア様は自分の功績を過小評価しています。人類を救った賢者様を、馬の背に乗せるわけにはいきません。……それに、こうしておけば、貴女に手を出そうとする不届き者への牽制にもなりますから」
そんな物好きな人は、あなた以外にいませんよ……。
それに私の功績って、魔王軍を前線に押しとどめていただけのものです。
被害が出なかったのは誇らしく思っていますが、魔王討伐を果たした勇者に比べれば大したことはないでしょう。人類を救ったなどと言われると、なんだかムズムズしてしまいます。
ですが、向かい側に座っているアルスの目を見れば、否定することもできません。
その目は、戦場を渡り歩いてきた勇者としての険しさと、私に向ける甘い独占欲が絶妙に混ざり合っていて……。
(……あーあ。本当に、大きくなったのですね)
私はふと、師匠時代の癖が顔を出しました。
緊張をほぐすため、そして「まだ私の方が上よ」という密かな抵抗を込めて、私は身を乗り出し、彼の黒髪に手を伸ばしました。
「よしよし、アルス。そんなに気負わなくても、私が……」
「……っ」
髪を撫でようとした私の手首が、空中でがっしりと捕らえられました。
え、嘘、速すぎ……。
「エルフレア様。いつまでも、俺を子供扱いしないでくださいと言ったはずです」
「あ、あら……ごめんなさい、つい癖で……」
手を引こうとした瞬間。
アルスは私の指先を、自らの唇へと引き寄せました。
そのまま薬指の付け根に、熱く、深いキスを落としたのです。
「……ひゃっ!?」
「これは、予約です。お試し期間が終わる頃には、ここに本物の指輪をはめさせていただきますから」
青い瞳が、獲物を狙う獣のようにギラリと光りました。
昔は「えーん、師匠ぉ」と泣きついてきた彼が、今は余裕たっぷりに私を翻弄しています。
……これ、王都に着く頃には、私の心臓が爆発して再起不能になってるんじゃないですかね?
私は窓の外に顔を向けて、火照った頬を冷たい風にさらしました。
これからの生活は、きっと穏やかな隠居生活とは程遠い、騒がしくて、心臓に悪い日々になるに違いありません。
……やっぱり、可愛くない弟子。
──でも、世界で一番格好いい男の子。
「……覚悟しておいてください、アルス。私を攻略するのは、魔王を倒すより難しいんですからね」
「ええ。一生かけて、貴女という強敵を攻略させていただきます」
私の強がりを、アルスは楽しげな微笑みで返します。
甘く響く彼の笑い声を聞きながら、私は(たぶん絶対に勝てないであろう)新しい戦いの始まりを確信したのでした。
最後までお読みくださりありがとうございました!
よければ下記のチャーコさんの作品もいかがでしょうか。本作と関連性はありませんが、影響を受けさせてもらっています(本人了承済み)
『盲目王子の専属侍女── 一歩先を導く侍女と追放王子の逆転劇』
https://ncode.syosetu.com/n9177ls/




