答え合わせと新たな疑問
人気のない裏道まで曲がったところで、僕らは同時に立ち止まった。 胸の奥に溜めていた空気を、ようやく吐けた気がする。 部長は歩きながらも平然としていたのに、角を曲がった瞬間だけ、肩の力が抜けた。 僕は膝に手をつきそうになるのをこらえ、唾を飲み込む。
二人でゆっくり息を整え、部長がつぶやく。
「危なかった。最初に未開封の方を手に取られなくて助かった」 声がかすかに震えていた。
たしかにそうだ。ただ、僕の中ではまた別の驚きがあった。まさかこの1時間の間に、心臓が何でできているか分からない人間 の弱った場面を2回も見ることが出来るとは思わなかった。
そんなことを考えながら、僕は疑問に思ったことを聞いた。
「なんで合成泉の方は未開封だったんですか。詰め替えたなら開封してますよね」
「キャップリングだよ。あれが切れてるか切れてないか。中身の量に問題が無かったら、まずそこで判断する。」
僕は思い出す。担任の指がリングに触れたときの、確かに、“液体”じゃなく“輪”を見ていた。
「でも、リングって一回切れたら――」
「戻せない。普通はな」
部長はカバンの口を少しだけ開け、満タンのボトルのキャップを指で弾いた。
音が鳴らない程度の、小さな動作。
「だから“普通じゃない”方法で戻す」
僕は喉が乾いた。
「……溶かしたんですか」
部長は否定しなかった。
代わりに、淡々とした声で言う。
「リングは薄い。素材も単純だ。熱を当てれば、くっつけることが出来る。馴れれば、まずバレない」
だから、詰め替え作業にあんなに時間がかかっていたのか。ということは...
「……部長、この事態を想定していたんですよね」
僕がそう言うと、部長は一度だけ顎を引いた。肯定とも否定とも取れる、曖昧な動き。
「前に化学系の企業の簡易泉関の点検時に、チェックが厳しくなったって噂を聞いてな。念には念を入れておいた。さすがに2つ目のボトルに手をかけられたときはヒヤッとしたがな」
言い方が、いつもと同じだった。
大げさでもなく、武勇伝でもなく、「雨が降りそうだから傘を持つ」みたいな調子。
でも、僕は知っている。
部長がこういう“念”を積み重ねてきた理由を。
部長は路地の角に背中を寄せ、通りの先を一度だけ覗いた。人の流れ、車の音、視線の行き先。確認が速い。慣れている。
「……泉田。行くぞ。呼吸を整えろ。ここに長くいるな」
「え」
「ここに長居するのもおかしい。いまは“見つかった後”みたいな顔をせずにすぐに出るぞ」
その言葉で、僕は自分の顔がこわばっているのに気づいた。
部長は僕の表情を、機械みたいに読んでいる。
部長は腕時計を見た。
「親が戻るまで、余裕はある。でも、俺が想定していない事態が起きる可能性もある」
部長はそう言って、カバンの位置を持ち替えた。
わざと、自然な仕草に見える速度で。
急いで部長の横に並ぶ。
僕の目には、さっきの担任の指がまだ残っている。
キャップリングに触れた、あの一瞬。
「……部長って、いつもそうですよね」
思わず漏れた。歩きながらする話題ではないとわかっているが、言わずにはいられなかった。
「そうか?」
「その場の勝ち方じゃなくて、次の手まで先に用意してる。僕は今日だって、点検がオフって聞いたから安心しかけたのに」
部長は、少しだけ口角を上げた。でも笑ってはいない。
「安心は擬態と相性が悪い」
「……相性ですか」
「安心すると、雑になる。雑になると、そこからほころびが出る。俺が安心していいのは仲間の前と目標を達成できた時だけだ」
僕は、部長の横顔を見る。
この人は、いつからこうなったんだろう。
いつから、こんなふうに未来を前倒しで生きるようになったんだろう。
部長がひと気のない道を出る前に言う。
「行くぞ。大通りは避ける。カメラの向きが甘い道を通る。……さっきみたいに“想定外”が来ても、顔に出すな」
僕は頷いて、ついていく。
——この人は、どこまで先を見ている?
そして、その先にある目標とは何なんだ?




