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偽装

瓶は目立つ。

部長はそう言って、僕に背を向けたまま部屋の端へ移動した。

「偽装する。三十分だけ黙ってろ」


言われたとおり、僕は余計なことをしない。しない方がいい。

擬態の癖が、ここでも役に立つ。何もしていない顔で、時間が過ぎるのを待つ。

部長は作業台の上に新聞紙を敷き、瓶を一本ずつ持ち上げては、何かを確かめるように見つめた。

ラベル、キャップ、量、匂い。僕には分からない手順を、呼吸のように繰り返している。

時計の針が進む。

窓は閉め切ってある。部室の空気は熱い。汗が背中を伝うのに、僕は拭かない。動けば音が出る。

やがて部長が、こちらに振り返った。

「……詰め替えた」


差し出されたのは、ペットボトルが二本。

一本は中身が半分ほどでもう一本は満タンだった。

どちらにもスポーツ飲料のラベルが貼られていた。

印刷の色が、光の加減で妙に鮮やかに見える。

僕は迷わずカバンに入れた。

「中身が半分の方はスポーツドリンク、満タンの方が合成泉だ」

「なんでスポーツドリンクがあるんですか?」

「念のためだ。必要ないことに越したことはない」


そのあと部長は、合成泉を作った痕跡を淡々と消していった。

ビーカーを洗い、ガラス棒を拭き、シンクの水滴を乾いた布でさらう。

秤の皿も、粉末の袋も、開封痕がない位置に戻す。

黒板の式を消し、床の隅に落ちた紙片まで拾う。

「……いつも念入りに掃除をしすぎじゃないですか」

「痕跡は、いつか“噂”になる」

部長はそれだけ言って、部屋の灯りを落とした。


僕らは部長の後に続いて部室を出た。

廊下の空気が急に冷たく感じる。静かに扉を閉める音が、やけに耳に残った。


昇降口に向かう廊下の先に、簡易泉関かんいせんかんの透明なゲートが見えた。

いつもなら、ここはほぼ素通りだ。今日は点検の日で機能がオフだと部長は言った。だから怖いはずがない。怖いのは、機械じゃなくて人間の方だ。


そして、そこには本当に人が立っていた。

体育教師でも生徒指導でもない、見慣れた白いシャツの担任。腕を組んで、ゲートの横にいる。

「泉田。……ちょっと荷物、見せろ」

声が平坦だった。平坦であるほど、拒否できない。

僕はカバンを開ける指が震えないように、深く息を吸った。

「抜き打ちの手荷物検査ですか。いつもはあっても朝だと思うのですが」

言いかけた僕を、担任は視線だけで黙らせた。

「今日は簡易泉関の点検だからな。その間は、念のため私たち教員が目視で確認はする。最近、変な噂があるからな」

変な噂。僕らのことか、誰か別のことか。

担任は机代わりの金属台を指で叩いた。

「出せ」


僕はカバンの中からペットボトルを二本、そっと取り出して台に置いた。

光の下で、透明な液体が揺れる。


担任は半分の方を手に取って、裏返し、ラベルを眺めた。

そして、おもむろに蓋を開けた。

「先生、それ――」


言いかけた僕の声は、喉で折れた。

蓋が回る。開ける必要があるか? 点検がオフなら、開けたって意味がない

――そう思った瞬間、担任はボトルの口を機械の投入口に当てた。

今まで見たことがない卓上の機械だ。

画面が立ち上がり、白い文字が表示された。

『〇〇スポーツドリンク』


――まずい。液体を判別する機械だ。

担任の視線が、満タンのボトルへ移る。

指が伸びる。蓋に触れる。

鼓動が速くなる。もう一つを開けられたら終わる。


担任の指が、もう一本の蓋を回そうとしたとき――

「先生」

部長の声が、横から割り込んだ。

低くて、静かで、妙に落ち着いている。

「そちらは開ける必要がないと思います」


担任が部長を見る。

部長は怯えていなかった。怯えていない“擬態”が上手すぎて、逆に怖い。

「このボトル、どう見ても未開封じゃないですか」

担任の眉が動いた。


「未開封?」

「はい。見てください、キャップリング。開けたらここ、切れますよね。切れてない。つまり、開けてないんです」

部長は淡々とした顔で言い切った。

まるで、ただの理科の授業みたいに。

まるで、検査の手順そのものを守っている側みたいに。


担任はボトルのキャップリングに指をかけた。

ほんの一瞬だけ、ためらう。


僕はその瞬間に分かった。

これは理屈の勝負じゃない。空気の勝負だ。

担任が「面倒だ」と思うか、「疑うべきだ」と思うか。どちらへ傾くか。


担任が口を開く。

「……じゃあ、なんで二本持ってる」

喉が鳴った。僕が答える前に、部長が一歩だけ前に出た。


「化学室、暑いじゃないですか。熱中症に備えて二本買ってました」

部長は肩をすくめる。ほんの少しだけ、面倒くさそうに。


「一本は飲みかけ。もう一本は予備です」

一瞬、沈黙。

担任の目が、キャップリングに戻る。

未開封を示す小さな輪が、まだ切れていない。

「そうか。なら問題ない」


担任はそう言いながらも、蓋から手を放す。

僕のカバンの中をもう一度ざっと見て、ボトルを台に戻した。

「行け。ただし、寄り道するな。真っ直ぐ帰れ」

「はい」


部長の手荷物検査も終わり、校門を出た。

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