望まぬ再会。
「…あ」
商談から帰ってきて視線を上げると、見慣れたスーツが自販機コーナーの中に見えた。ほぼ無意識に、少し駆け足になりながら近づく。
あのあとは会ってなくて、ただ水族館を回ってご飯を食べて帰った。ホテルに入るかもと思っていたから、どこか残念に思う自分もいて、でも体目的じゃなく連れて行ってくれたことが嬉しい自分がいた。
早く、話したい。そんな思いを胸に、あと少しのところまで来て、けれど。
斑鳩、と呼びかける前に、反射的に足が止まった。
「水族館、どうだった?」
早乙女の、声だ。斑鳩が、一人じゃない。
なんで、二人で…?
そんな思いが、つ、と頭をよぎる。
「最高だった!お前と行けてマジでよかった」
「ね、あたしも!めちゃくちゃ楽しかった。また行こうよ」
「いいな。え、じゃあ今度はどこ行く?」
「遊園地とかもいいよね!」
…もう、無理だった。嫌だ、これ以上聞きたくない。
固まったような足を必死で動かして、音を立てないようにその場を離れる。
なんでだよ。
わかってたじゃん。
よかった、ね。ほら、デートってことだろ?
じゃあ、結ばれたってことだろ?喜ばしいことだろ…?
なのに。
なんで、なんでこんなに胸が痛いんだよっ…!
ぼろぼろと、頬を涙がこぼれ落ちる。あの人がいなくなった時より、何倍も胸が痛くてキリキリした。心に空いた穴が、ずっと大きい。
わかってた。わかってたさ。期待なんてしなきゃよかった。
どうせ報われないのなら、こんな惨めな気持ちになるのなら。恋なんてしなきゃよかった。
好きになるのが怖いだことなんて、もう十分に知っていたのに__。
◇◯◇
昼休憩で軽く食事を終えたあと、自販機に向かう。光島さんは今、社内にいない。寂しい。
おとといの水族館は、もしかしてもう少し何か最後にした方が良かったのだろうか。こう…ホテルに泊まるとか。
でも光島さん、ちょっと疲れてたっぽいしなぁ。それに最初が泊まりって重くないだろうか。
また今度行ける機会があったら聞いてみよう。そう思って何を買おうか迷ってるところに、後ろから声がかかった。
「やほ」
「ほー」
チケットをくれた張本人だ。デートはどうだったのかと訊こうと振り返ると、同じ目が返ってきた。
「斑鳩、デートどうだった?」
「そっちこそ」
早乙女の恋路も気になる。聞き返すと、むぅと言われた。
「あたし?そんな大したことしてないけど…。でもイルカショーめちゃ楽しかったし、ペンギン見てて楽しかったよ」
あとはホテルで誕生日パーティー♡と笑い、そっちこそどうなのよと聞き返してきた。
「水族館、どうだった?」
「最高だった!お前と行けてマジでよかった」
絶対、初めてだったら迷ってたし、一箇所で長く止まりすぎたりしちゃいそうだった。それは早乙女も同じだったようだ。
「ね、あたしも!めちゃくちゃ楽しかった。また行こうよ」
その顔を見るに、早乙女も彼女とまだ色々行きたいようだ。俺も光島さんとまたどっか行きたい。
「いいな。え、じゃあ今度はどこ行く?」
「遊園地とかもいいよね!」
流石に早乙女と行くのはまずいだろうけど、温泉とかも光島さんと行きたいな。
今は無理でも、いつか必ず。
◇◯◇
冷たい風に、耳が痛い。それ以上に、苦しい。
気を抜いたらすぐ溢れそうになる涙が嫌だ。無意識に、手がマフラーに伸びては握りしめる。
『光島さん』
『寒そうだったから』
『いつもありがとうございます』
二人で笑った、小さなクリスマスパーティーのあいつの笑顔。あいつのにおいがする、あたたかい部屋。
あたたかかった。本当に、心の奥にずっと灯るような居心地の良さで、自分一人きりの部屋よりもずっと息のできる場所。
「…はは、馬鹿だ、俺…」
そりゃそうだ。俺みたいな、三十に近い年上なんて、面倒なだけだ。当たりの強い、面倒な上司。こっちが一方的に、ずっと心の居場所にして。
厄介極まりない。早乙女の方が若くて綺麗で、異性で、最初から勝負なんてできるはずないのに。
もう、疲れた。早く寝てしまおう。もう、明日の自分に全部任せてしまいたい。
ポケットの中に手を突っ込んで、冷たい金属を握る。アパートにやっと着いて、でもそこには人がいた。
部屋に行くにはそこを通らなければいけない。声をかけるのも面倒で、すみません、と小さい声を出してどいてもらう。
その人の横を通り過ぎた時、嗅ぎ慣れた匂いがした。
タバコの、嫌な匂い。何度言ってもやめてもらえなかった、タバコ。それ以上に強い、あの人の匂い。
「よう、羽津」
「…!」
後ろから聞こえた声に、今度こそ本当に足が止まった。
嘘だ、なんで。なんで、北斗さんがここに。住所、伝えてないはずなのに。
黙っている俺に痺れを切らしたのか、肩が乱暴に掴まれて回され、壁に押し付けられる。どんっという衝撃に息が詰まるのも感じないくらい、目の前の人の目が怖かった。
「なん、で」
「久しぶりだなぁ。黙って出ていきやがって、覚悟はできてんだろ?」
なぁ?
にや、と弧を描く唇が、怖い。怒ってる。北斗さんが。
「もう今さら出てったことにどうこう言うつもりはねぇよ。オレは優しいからな、感謝しろ。だから帰ってこいよ。飯、作らせてやるから」
じりじりと距離を詰められて、俺がいくら暴れても簡単には逃げられない体勢にされた。好きだろ?尽くすの。バカにしたように北斗さんが笑った。
「お前、飯を作るのだけは上手かったもんな。オレの役にまた立てるんだ、嬉しいだろ?」
じゃあ、これ、オレの家の合鍵だからと言って付箋と鍵を手に押し込まれる。夢だと思いたいのに、手の中が重かった。
「じゃあなぁ」
ヒラヒラと手を振って、北斗さんが行こうとする。
やっと解放されて、ひゅっと喉がなった。耐えきれずその場にうずくまり、吐き気を抑える。頭が割れるように痛くて、Drop寸前だったことに気がついた。
感情が追いつかないまま、玄関に倒れ込む。なんとか鍵を閉めて、でも、靴を脱ぐ気力はなかった。
ぷつっと目の前が真っ暗になる寸前、無性に、斑鳩の声が聴きたくなった。
◇◇◇は時間などが変わることを、◇◯◇は時間と視点人物が変わることを表しています。




