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第40話 仮面へ示せ

 大気が澄み渡る高空を、紅竜の翼が力強く切り裂いていく。

 陽光を反射して煌めく雲海を見下ろしながら、悟はアカネの背にしっかりと身体を預けていた。


 槍《竜樹槍》。

 かつて竜騎兵団が振るった、竜と騎士の絆の証。

 その重量感は、風鋼の刃よりもずっと重く、だが確かな安定を感じさせる。


(悟、どこに向かう?)


「風の郷だ。“風の断層”がまた開く。あそこしかない」


(フィーネのお姉ちゃん、待ってるかな)


 悟は頷いた。

 風を読み、空の異変を感じ取れる者、フィーネ。

 彼女が再び“風の郷”に留まっている可能性に賭けて、ふたりはあの静かな山岳地帯を目指していた。


 高空の気流は複雑で、何度も乱れが生じた。

 突風が翼を煽り、時にルートを見失いそうになる。だがアカネは以前とは違う。

 疾風サイズに成長した今、風に呑まれるのではなく、風を読むことができる。


(……わかる。こっちが、風の道)


「助かる。俺はまだ、お前みたいに風を感じられないからな」


 アカネの翼が少し傾き、滑らかに旋回する。

 その動きに合わせて悟も重心を移動させ、騎乗姿勢を微調整していく。


 眼下には、幾筋もの稜線と、かすかに蛇行する川。

 地上を旅していた頃の記憶が蘇る。だが今や彼らの進路は空路。

 かつては何日もかかった道のりを、いまはひと飛びで越えられる。


 だが、それでも急ぎすぎる必要はなかった。


 悟は、意図的にアカネに速度を落とさせた。

 この空の旅が、次の戦いの準備であり、ふたりのための“静かな時間”でもあったからだ。


「……やっぱり、空はいいな」


(うん。空って、広くて、気持ちがいい)


 ふたりの心は、しっかりと繋がっていた。


 やがて、山の連なりが深まり、見覚えのある稜線が目に入った。

 空から見ても、その地は異質だった。人の気配がなく、風だけが通り抜ける場所。


 “風の郷”。


 風を祈る巫女たちが暮らしていた、かつての聖地。

 だが今、その姿は変わり果て、石の祠も、風車も、すでに静寂のなかにあった。


「……誰も、迎えにこないな」


(……悟、それって)


「ああ、わかってた。けど、なんとなく……ちょっと寂しいだけさ」


 アカネが静かに翼をたたみ、ゆっくりと地へ降りていく。

 そこには、誰もいないはずのはずだった……だが、ひとりだけ、待っていた。


 風にたなびく白衣。柔らかな銀の髪。


「……やっぱり、来たのね」


 フィーネが、祠の影から現れた。


「バルセイルには戻らなかったのか」


「風を読むには、ここが一番だから」


 それだけを言って、彼女はそっと空を見上げた。


***


 夕暮れが迫る空に、金と紅の彩りが混じる。


 風の郷の高台に立った悟は、槍《竜樹槍》を手に、黙って空を見上げていた。

 アカネはその傍らで翼を休め、鼻先で微かに空気の流れを読んでいる。


「……この静けさ。嵐の前触れ、だな」


(風が……ちょっとだけ、震えてる。呼吸するみたいに、ざわざわって)


 フィーネもまた、祠の屋根に登って風を読んでいた。

 彼女の視線は西の空、空と空の継ぎ目にあるかのような一角を、じっと見つめている。


「“風の断層”……また、開こうとしてるわ。今度は以前より、深く、大きく……」


 風の断層……空に裂け目が生じる現象。

 瘴気と異形を呼び込む“空の傷痕”は、決して自然のものではない。


 悟は無言で頷き、そっとアカネの首元に手を添える。


「行こう。終わらせるんだ。俺たちにできる範囲で、少しずつでも……」


(うん……悟。今なら、きっと飛びきれる)


 フィーネが最後に言った。


「もし、あの裂け目の向こうに“落ちた星”の核があるのなら……空の理が、完全に壊れる前に、止めて」


 悟は、しっかりと槍の柄を握り直す。


「俺は、空を飛ぶ。仲間が見たかった空を、未来へ繋げるために」


(あたしは、炎で照らす。その道を、迷わないように)


 紅竜が吠えるように、翼を広げる。


 祠に満ちていた風が、ふたりを包み込むように吹き上げた。


 高く、高く、風の断層が開くその瞬間を目指して。

 悟とアカネの影が、紅の空に吸い込まれていった。


 高く、高く……風の断層が開く、その瞬間を目指して。

 悟とアカネの影が、紅の空に吸い込まれていく。


 風が騒ぎはじめていた。

 東と南、西と北、四方の気流が交錯し、空の一角が僅かに軋むように揺れる。


(来る……あの時の、あの場所だ)


 悟の中で、胸の奥がざわめいた。

 風が裂ける。空が反転するように、かつてと同じ光景が広がった。


 そして、そこに、何かが立っていた。


 白い仮面。無機質な姿。意思を持たぬようで、何かを問うような佇まい。

 あの時、自分たちを“拒絶”した存在。


「……やっぱり、お前がいるか」


 アカネの背で、悟はすでに手を伸ばしていた。

 鞍に取り付けていた《竜樹槍》を引き抜き、すぐさま構える。

 仮面の姿が風の裂け目の前に立つや否や、悟の眼が鋭く細まった。


「来い……今度は、俺たちの番だ」


(あの時とは違う。あたしも、悟も)


 仮面が空を切るように動いた。

 刃が煌き、突風のような斬撃が走る。


 悟は一瞬でアカネの動きに同調し、

 突き出した槍でその斬撃を受け流すと、反転するように旋回。


 空を裂いて振るわれた《竜樹槍》の一閃が、仮面の間合いを割り裂いた。


 対する仮面の動きは、異常なまでに速かった。

 剣のような刃を空中で振り抜き、悟たちに襲いかかる。


「はっ!」


 悟は咄嗟に槍の柄で受け止め、その勢いを利用して旋回。

 アカネが風を裂いて一気に上昇すると、仮面の死角へと飛び出す。


 風鋼の刃では届かなかった間合い……

 しかし今の悟には、それを超える《竜樹槍》がある。


 槍が、空を裂く。


 アカネの咆哮と共に、紅の空に銀光が閃いた。

 その一撃は、仮面の胸を穿ち、深く突き立った。


 仮面が僅かに揺れ、やがて静かに崩れ落ちる。

 霧のように、音もなく、空に還っていった。


「……超えた、な」


(うん……今度こそ、ちゃんと前に進める)


 風が収まり、空が静けさを取り戻す。

 風の断層が、音もなく“開いた”。


 悟とアカネの影は、紅き裂け目の向こうへ、その先の、“影の空域”へと、吸い込まれていった。

 

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