第38話 力の証明
……硬い。
風鋼の刃を握る手が痺れていた。
それは、技の冴えでも、戦場の読みでもない。
純粋な「力の差」だった。
鋼を撓ませる突き。地を割るような踏み込み。竜の背に跨って幾千の空戦を駆け抜けてきた者の技は、悟にとってあまりに重く、深く、鋭かった。
「くっ……!」
槍の刃先がかすめただけで、風圧が身体を吹き飛ばす。振るわれた槍は地面をえぐり、壁を穿ち、重い咆哮のような唸りを残す。
これは、機体に乗っていた頃の空中戦とは違う。
悟は思った。
風を感じ、機体を操り、敵機を撃ち落とす。だが今、自らの足で立ち、自らの腕で刃を振るうこの戦いには、まるで違う“間合い”があった。
(俺は……ただの兵だった。お前みたいな騎士じゃねえ……)
血が滲む。膝が割れる。立つたびに全身が軋んだ。
それでも、悟の目は次第に見えていた。
ラキアの槍、その重みと、軌道と、構えから導き出される次の一手。
(……距離を詰めろ。槍の刃先に飲まれるな。柄の中程に入れ!風を……“読む”んだ)
槍が突き出される瞬間、風が変わる。
柄が横薙ぎに振るわれるとき、風が巻き込まれる。
空中で敵機と踊ったあの記憶が、悟の肉体を支配していた。
「はああああっ!」
地を蹴る。風を断つ。
刹那、風鋼の刃が、槍の一撃を受け止めた。
火花が散る。押し負けそうな圧に、踏み込みで対抗する。
再びラキアが槍を振るう。
悟が一歩、内側へと潜る。
槍の間合いが、死の空間ではなく、読みの範疇へと変わっていく。
(……掴んだぞ)
その感触は、何時間も続いた死闘の果てにようやく掴んだ“真”だった。
そして、次の瞬間……
風鋼の刃が、ラキアの兜を正面から叩き飛ばした。
カラン
空洞に転がった金属音と同時に、ラキアの動きが止まった。
兜の奥にあったのは、もはや顔すら失われた、朽ちた頭骨。
けれど、その空洞から、どこか懐かしさすら感じる声が漏れた。
「……力示し者よ。我の役目は、ここまでだ」
槍の先が地に垂れ、全身を包む鎧が、崩れるように溶けていく。
「……竜の終の地。そこに、竜騎兵の……真の力……置いて、きた……」
ラキア・ガルドの肉体は、瘴気の風に溶けるように、静かに灰へと還っていった。
戦いは、終わった。
悟はその場に膝をつき、深く、静かに息を吐いた。
風が、静かに通り抜けていった。
ラキアの魂が風へと還ったあと、悟は、静かに奥へと歩を進めていった。
崩れかけた石の回廊を抜けた先……そこには、果てが見えぬほど広大な空間が広がっていた。
まるで、大空の一部が地下に封じ込められたかのような錯覚。
だが、その静寂の中に佇む“何か”が、空間全体に残る風の記憶を語っていた。
骨。
白く風化した巨大な骨が、無数に転がっていた。
翼を広げたまま崩れたもの。守るように身体を丸めたもの。何かを背に隠すように倒れたもの。
悟は立ち止まり、そのうちの一体にそっと手を添えた。
「……お前らも、戦ったんだな」
あまりにも静かなその場所は、まるで墓標のようで、祈りの場所のようで、そして“竜騎兵団”という名の栄光が失われた証そのものだった。
今、空を駆ける竜は数えるほどしかおらず、共に戦う騎士もいない。
だが、かつては確かに存在したのだ。風を切り、空を守った竜と人が。
「……こんなにいたんだな。竜って、もっと……遠い存在かと思ってたよ」
アカネの姿が脳裏に浮かぶ。
もしもこの時代に生まれていれば、彼女もまた、ここで……。
それを思うと、胸の奥が締め付けられた。
やがて、悟の視線の先に、ひときわ大きな空洞が口を開けていた。
まるで地上へと繋がる巨大な“竜の門”。
天井の高みにぽっかりと空いたそれは、外の光を吸い込みながら、空気の流れすら変えていた。
上昇気流。
竜たちがここから飛び立っていたのだ。
悟は、風を感じながら、顔を上げた。
「アカネ……聞こえるか」
そう、胸の奥で語りかける。
「俺は、ここだ」
言葉にすると、胸の奥でふわりと暖かな気配が反応した。
(悟……無事だったんだね。今、行くよ!)
アカネの声。
次の瞬間、空洞の上から、風を巻いて紅の影が飛び込んできた。
疾風のような滑空、そして一気に翼を広げて減速し、優雅に着地する。
「アカネ!」
(悟!)
アカネの翼の風が竜たちの眠る空間を撫で、そっと、再び風を起こす。
その風は、まるで亡き竜たちに捧げる祈りのように、優しく、そして静かに吹き渡った。




