第37話 地下の決闘
谷の底は静かだった。鳥の鳴き声ひとつなく、ただ風が地形に沿って低く流れている。
木々は枯れかけ、石は苔に覆われ、地中から突き出した礎石の列が、まるで“ここに何かがあった”と訴えかけてくるようだった。
「……これは、建物の並びだ。道もあったのかもな。すっかり埋もれてるが」
(たしかに……この形。街の区画みたい)
アカネの足が、ひときわ大きな石板の前で止まる。
苔を払うと、そこには古びた文様が刻まれていた。かつての紋章。竜を掲げた、堂々たる意匠。
「これ……! 間違いねぇ。ここが、グラードンの……!」
悟は思わず、腰に下げた風鋼の刃に触れる。
この刃と同じ時代、あるいは同じ技術で作られた兵装が、この場所で生まれたのかもしれない。
と、アカネが鼻をくんくんと動かした。
(……金属の匂い。土の下に……まだ、何かある)
「どこだ?」
(こっち。地面の奥……石畳の下)
悟は足元にあった土を払い、石の縁に沿って手を入れた。わずかに、下へと続く空洞があった。
洞か? 倉庫か? あるいは、地下室のような何かか。
悟はアカネと目を合わせ、小さく頷いた。
「掘ってみよう。時間はかかるが……この先に、まだ“記憶”が残ってる気がする」
(うん。ここには、まだ……竜の匂いがある)
朽ちかけた文明の下に、眠るものがある。
風が、それを忘れていなかった。
崩れかけた石畳の隙間に手をかけると、下へと続く空洞が確かに存在していた。
悟はアカネの背から飛び降り、小さく呼吸を整えた。
「アカネ、ここから先は俺一人で行く。お前が入るには狭すぎる」
(……気をつけて。風の匂いが、奥で滞ってる。動かない空気って、何かある証拠)
「ああ、任せろ。何かあったらすぐ戻る」
そう言って、悟は腰の風鋼の刃を確かめ、崩れた縁に足をかけてゆっくりと降りていった。
中は想像以上に狭く、湿っていた。土と金属と、古い油のような匂いが鼻を突く。
壁は粗削りな石で、天井は低く、しゃがんだ姿勢で進まなければならない。
それでも、悟は風の通りを感じるようにゆっくりと歩みを進めた。
ギィ……。
小さな音を立てて、奥の壁がわずかに揺れる。否、そこには古びた鉄扉があったのだ。
「……扉か。こんな場所に、まだ残ってるとはな」
錆びついた取っ手を握ると、金属の粉がパラパラと崩れ落ちた。
力を込めると、鈍く唸る音と共に、扉が軋みながら開く。
その奥には、石造りの細長い部屋。
そして……朽ちかけた武器棚の列と、祭壇のような台座が見えた。
「これは……」
風が、わずかに吹き込んだ。
その瞬間、棚の奥に立てかけられていた一本の槍が、かすかに揺れた。
悟の胸が高鳴った。
ただの残骸ではない。これは、まだ“生きている”。
槍の柄に手をかけた、その瞬間だった。
カチリ。
乾いた音が響き、悟の足元の床が、まるで砕けるように崩れた。
「っ!?」
次の瞬間、重力が悟を引きずり込む。崩落とともに石片が舞い上がり、視界が暗転した。
落下の衝撃を受け流すように地を転がり、悟はすぐに身を起こした。咄嗟に風鋼の刃を抜いて構える。
そこは、さらに深く沈んだ地下の広間だった。
重苦しい空気が、肌にまとわりつくように広がっている。いや、これは……瘴気だ。
ギギ……ギシャッ……。
呻くような音と共に、影が蠢いた。
人の形をしているが、その皮膚は朽ち果て、骸のように歪んでいる。かつての竜騎兵のなれの果てだろうか、剣や槍を手に、不自然な歩みで迫ってくる。
悟は迷わず、風鋼の刃を横に薙いだ。
風が刃に纏い、斬撃とともに唸りを上げる。
一体、二体とアンデッドが倒れるが、次々と立ち上がる骸たちに、終わりは見えなかった。
「ちっ、キリがねぇ……!」
だが退かない。
悟は戦闘機の機体越しに感じてきた風を、いま自身の刃に乗せて戦う。ただ前を見据え、道を切り拓く。
数十体のアンデッドを退けたその先、黒く染まった石のアーチが口を開けていた。
そこへ駆け込み扉を閉める。そして、そこに待ち構えていたのは、ただ一人。
重厚な竜騎兵の甲冑を纏い、槍を手に静かに立つ者。顔は兜に覆われ、目は見えない。
だが、そこから漏れ出す瘴気がすべてを物語っていた。
その男は、無数の戦場を駆けた気配を纏っている。
「……我は、ラキア・ガルド。この地を、守る者」
声は低く、空洞に木霊する。
だがその声に、意志の温度はない。瘴気に蝕まれた肉体が、ただ役目をなぞるかのように立っているだけだった。
槍を構え、無言のまま踏み込んでくる。
悟もまた、風鋼の刃を構える。
瘴気を撒き散らす槍と、風を纏った刃が、闇の地下で交差した。
静かに、決闘が始まった。




