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第36話 亡国を探して

 朝の空気は澄んでいた。

 羊皮紙を手に、悟は紅竜の背へと乗り込んだ。

 カリナ村の空に、ふたつの影がゆっくりと浮かび上がる。


「……行こう、アカネ」


(うん)


 紅き竜が翼を広げると、風が巻き起こった。村の人々の頬を風が撫で、幼い子どもが目を輝かせながら手を振る。ティア、セナ、ライガ、かつて共に戦った仲間たちが、見送りの丘に立ち、黙って背中を押してくれていた。


 ゆっくりと翼がはばたく。

 地面が遠のき、村が小さくなっていく。


 太陽が昇る空へと、悟とアカネは滑るように上昇していった。

 

 空は晴れわたり、雲の白さが、かえって進むべき先を曖昧にしているように感じた。


「……いい風だな」


(うん。今日の空、きれい)


 アカネは新たな翼を広げ、風を大きく受けてゆく。騎乗用に作られた鞍が身体にぴたりと馴染み、悟は背にしっかりと安定していた。脚元には固定用の足場があり、両手は自由。風鋼の刃は背中に固定し、視界は全方位に開かれている。


 かつて、金属の翼で戦い続けた少年は、今、竜と共に風の上を進んでいた。


 眼下には、朝霧のかかる山々。いくつもの谷を越え、森の海を渡り、時間はゆっくりと流れていく。途中、広い湖が現れた。群れをなして飛ぶ白い鳥たちとすれ違い、薄雲を抜けながら太陽の光を浴びる。


 風が頬を撫でる。だが、悟の目はその先、遥か遠くへと向けられていた。


 羊皮紙に描かれた曖昧な輪郭。それを頼りに、彼らは今、地図にすら載っていない空へ向かう。


 悟を背に乗せ、紅竜の身体が空へと昇っていく。山並みを越え、森を見下ろし、空を抱くように飛ぶ。


「ああ。……じゃあ、少しずつ登ろう。高度をとりながら、まずは風の流れを探る」


 風化しかけた羊皮紙に描かれた線……正確な地図とは呼べないその記録に導かれ、ふたりは“記されなかった空”を旅する。


 眼下には、複雑に入り組んだ谷と丘陵が連なっていた。まばらな雲が浮かぶ中、高度を上げるたび、風の層が変わる。


(ちょっと右、こっちの風の方が、地図に合ってる気がする)


「……感じるか? この流れ、地形の合間を縫ってるな……古い街道の名残かもしれん」


 アカネが角度を少しずらす。紅色の翼が雲をなぞるように旋回し、長く伸びる山稜の上を滑るように進む。


 広大な大地が、風に撫でられてざわめいていた。

 廃れた砦、潰れた石橋、わずかに残る道跡……その一つひとつが、過ぎ去った文明の痕跡。


 悟は空の下を見つめながら、時折、アカネの背に手を置いた。


「……これが、グラードンの息吹か。滅んでもなお、ここに“道”は残ってる」


(風の声が、静かに呼んでる気がする……“こっちに来て”って)


 昼と夜の境を滑るように進みながら、ふたりは目的地を急がなかった。

 風を頼りに、わずかな違和を拾いながら、羽ばたきと静寂の旅を続けた。


 数日が経ち、ようやく、羊皮紙にあった風の渦に似た地形が見えてきた。


(悟……この先、風が急に変わってる。たぶん、あの奥だよ)


「……ああ、見えた。あの尾根の向こう……風が“乱れている”場所がある。きっと、そこだな」


 悟はアカネの首元に手を添えると、深く息を吸った。


「もう少しだけ、ゆっくり飛ぼう。ここからは、探索だ」


 風に耳を澄ませながら、ふたりは速度を落とし、高度を下げた。

 ゆるやかな降下とともに、視界にはまだ見ぬ“かつての王国”の片鱗が現れようとしていた。


 滑空するアカネの背で、悟は風鋼の刃に触れながら、眼下の地形に目を凝らした。

 まだ明確な“遺跡”の姿はない。だが、風が告げていた、何かがある、と。


「アカネ、あの山肌……平らに削られてる。あんな地形、自然にはできない」


(うん。見て、あそこ……石が並んでる。まるで、建物の基礎みたい)


 風に洗われた尾根の上、崩れかけた石の輪郭が見えた。

 かつての城壁か、あるいは砦の土台か。いずれにせよ、人工の手が加わった痕跡に違いない。


 アカネは翼を傾け、速度をさらに落とす。

 草をなびかせるほどの風圧を和らげ、羽音さえ沈めるように降下していく。


「高度、もう少し落とそう。あの谷に下りて、歩いてみるか」


(……うん。風の音も、ここから変わってる。低くて、少し重い)


 地面に近づくにつれ、風の層が変化した。湿り気を帯びた風が、アカネの鱗を撫でる。


 かつてこの地が、大国として栄えていた時代があるとするならば……

 その余韻すらも、いまは風に溶けて、ほとんどが土に還っていた。


 アカネは岩棚の上に静かに着地する。悟はそっと地に降り立ち、風を感じるように目を閉じた。


「……歩こう。ここからは、足で辿る。地図にあった“風の渦”は、この近くにあるはずだ」


 谷の底へと続く獣道を、ふたりはゆっくりと進み始めた。


 風の道が教えてくれる、過去の記憶。

 廃れた文明の断片が、静かにその姿を現そうとしていた。

 

ここまで読んで頂きありがとうございます。

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