三十一話 砦跡
魔物使いが斃されて、精神支配から解放された魔物たちは散り散りになって森へ逃げて行った。この街道沿いに、もはや魔物の気配は感じられない。
マリエラ様の兵士たちと合流するために、エルは動けない私を背負ってくれた。するとそのすぐ先にトロルの巨大な屍が横たわっているのが見えた。
”すごい、一人で倒したんだ・・・”
でもその驚きはすぐにどこかへ行ってしまった。背負われながらエルの首筋に顔を埋めていたら、その温もりでそのまま眠ってしまったから。
気が付くと、古い石造りの建物の中に寝かされていた。傍らにエルが座っていて、すぐに目覚めた事に気が付いてくれた。
「体に力が入るようになったか?」
右腕に力を入れてみると何とか持ち上げられて、手の平を顔の前に掲げて何度か握って開いてをゆっくりと繰り返した。
「だいぶマシになった。」
掠れ声だけれど声も出せた。少し眠れたから、僅かばかりだけれど体力が回復したようだ。
「・・・ここは何処?」
そこは石壁に囲まれた幅広な回廊のような場所だった。
私が寝かされている床には磨かれたスレートが敷き詰められているのだけれど、地盤が歪んだためか、それらは滑らかに波打っていた。
少し先で回廊は終わっていて、そこで壁が闇を塞いでいた。そしてその反対側の五十mほど先に出口があって、そこから森に潜む虫の音と、外気の冷たさが入り込んでいた。その間の両側の壁には戦士の石像が等間隔で立っていて、私のすぐ横に立つ石の戦士が、瞳の無い虚な目で私を見下ろしていた。
ここは森の中にある古い砦跡たそうだ。
魔物たちは逃げ散ったけれど、新手が襲撃してくる可能性もあるため、防衛が難しい街道に留まるのを避けてここまで移動して来たのだそうだ。レンジャーがこの砦の事を知っていたらしく、みんなをここまで案内した。
「ありがとう。」
エルが背負って運んでくれた事に掠れ声でお礼を言うと、彼は黙って頷いた。
回廊の奥の壁際には仄かな灯りが見えて、そこにマリエラ様と団長が座っていた。
“二人は無事だったんだ”
それを見て安堵した。でも、その前に座って彼女を守る兵士は十人も居なかった。
「団長に回復ポーションをもらった。起き上がれるか?」
それに頷いて起き上がろうとしたけれど、首を起こすのが精いっぱいで、エルは私を抱きかかえて座らせてくれた。
「血が失われているから、造血して体力が回復する事をイメージしろ。」
そう言って私の口の前までポーションを運んでくれた。
「そんな高価な薬、いいの?」
回廊の反対側の闇から数人分の不規則な呼吸の音が聞こえる。負傷した兵士たちが横たえられていているようだ。
「あいつらは意識が無い・・・」
エルはそう言ってその闇を睨んだ。
ポーション瓶の口近くには紫色の紙縒り紐が巻いてある。それに回復魔法の術式が仕込まれていて、瓶の中の魔力水を飲むことでその術式が発動する。
でもこのポーションを使用するときには、体の状態をどのように回復したいかをイメージする必要がある。それが具体的で正確であるほど効果が高くなるけれど、傷を治したいとか、痛みを取り除きたいといった漠然としたイメージでもある程度の効果がある。この点、治癒魔法より効果は低いけれどずっと汎用的だ。
でも意識を失った者に飲ませても効果は無い。
彼らは何もイメージすることが出来ないから紙縒り紐の術式が発動しない。だから無理矢理ポーションを飲ませても、魔力水の魔力が消費されずに体内に取り込まれ、魔力中毒を起こしてしまう。アンナの魔法の水でお腹を壊すのは軽度の魔力中毒だ。でもポーションの濃密な魔力水で中毒を起こせば、瀕死の怪我人にとって命取りになる。
だからあの兵士たちには、自力で死の淵を乗り越えて意識を取り戻さなければ、治癒師のいない今は何も手を施す術はない。
「それに団長が言ってた。リズが動けるようになれば俺も動ける。だから一本のポーションで戦力を二人分回復できる。リズに飲ませるのが一番効率良いって。」
そう言われて、馬車の中での二人の様子を思い出した。
「団長さんとお話ししたの?」
エルは不思議そうに見返したけれど
「ちゃんとお礼言った?」
そう聞くと頷きながらポーションの瓶を唇に当ててくれた。
ポーションが口から流し込まれるとすぐに体が温かくなり、真綿で優しく包まれるような感じがした。その間、血が増えるイメージは難しかったので、体が普段通りに動く様子を思い描いた。
やがてその真綿が溶けるように消えてゆくと、私の手足にしっかりと力が入るようになっていた。普段よりは体が重たい気がするけれど、それでも剣を持って十分戦えそうだ。回復ポーションを飲むのは初めてだったけれどその効果に驚いた。
「あの時、確かに刺されたよな。リズの体に刃物が付き立てられたのが分かった。でも今はその傷が無くなってる。どうなったんだ?」
「治癒魔法を使ったみたい。」
私の横に並んで膝を抱えたエルに説明した。
「刺されて気を失った後、意識を取り戻したら急に気力の流れが視えるようになって・・・アンナと瞑想して練習してたでしょ?あれが出来るようになったの。」
エルが風の盾や縮地の連続使用を練習している横で、私も本当は水魔法の練習をしたかったのに、アンナに言われてずっと瞑想させられていた。
「それで治癒の魔法陣を発動したら怪我が治ったの。どこまでが夢でどこからが現実なのか曖昧なんだけど・・・」
でも、エルと離れたくないと強く思ったことは言わなかった。
「それに、あの時どうやって治癒の魔法を使ったのか、はっきりと思い出せない。」
あの時、体内の気力の流れがこの目で見るようにはっきりと感じられた。そしてそれが当たり前のように思えたのだけれど、でも今はあれをどうやっていたのか、思い出せないし再現も出来ない。目を瞑って気の流れに意識を集中しても、今は何も感じ取れない。
「そうか・・・でも、とにかく良かった。」
そんな私の要領を得ない説明を聞いて、それでもエルは短く答えて、深く安堵のため息をついた。
「心配かけたね。ごめん。」
その肩にそっと寄りかかると、エルもこちらに肩を寄せた。そして、言葉もなく暫く二人でそうしていた。隣の闇の中に横たわる兵士たちの苦し気な吐息を聞いて、未だ死の淵にある彼らに申し訳なく思いながらも、その同じ場所から帰ってこられた自身の幸運を静かに噛み締めていた。
「もう一ついいか?」
エルが遠慮がちに私の顔を覗き込んだ。私の体力を気遣ってくれているのだろう。私はそれにコクリと頷いて返した。
「魔物使いを倒した時の事だ。止血しようとリズの傷を探してたら、突然リズが見ているものが魔像のように見えたんだ。」
市やお祭りで、魔力持ちの吟遊詩人が歌の内容に関わる景色や絵画などを、魔法で宙に写しながら唄うことがある。それを魔像と呼ぶけれど、そんな魔像付きの歌が唄われると、どこであっても人だかりができるほどに人気を博す。
「・・・それで見たんだ。後ろであいつが俺の心臓を背中から刺そうとしてる姿を。きっとあれはリズが見ていたものだ。それに景色だけじゃない。リズの思考も同時に共有できた。」
まるでその目で見ているように、私が何を見て、そして何を想っているのかがはっきり分かったのだそうだ。だから魔物使いの刃を咄嗟に避けられて、その後正確にその首を捉えられた。
「あれもリズがやったのか?」
けれど、それにも答えられなかった。
「体も動かなくて、それに声も出せなくて、でもエルの気力が視えたから、それに向かって魔物使いが後ろに迫ってるのを必死で伝えようとしたの。」
でもどうやって視界と思考を共有できたのか、そもそもそうやって念じたことが理由なのかも分からなかった。あの時のように、今はエルを取り巻く緑の気力は視えなかった。結局、街に帰ったらアンナの意見を聞こうと言う事になったけれど、二人が無事だった事に改めて安堵したら、理由なんてどうでも良くなってしまった。
そこへ団長が近づいてきた。
先の戦闘で失われたんだろうか?鉄兜は被っておらず、頭に包帯を巻いていた。手に持った魔光石の角灯には布が巻かれていて、その隙間から僅かな灯りだけが漏れている。追手が来たときに、こちらの位置を知られないための配慮だろう。
「目覚めたか?」
膝を抱いて座る私にその角灯を向けた。私が頷くと
「ポーションは飲んだか?」
片膝をついて私たちの前に座った。
「はい。高価な薬を有難うございました。お陰で何とか動けそうです。」
「そうか・・・」
ボソリと言って頷くと奥のマリエラ様をチラリと見た。
「俺は外を見回ってくる。お前たちはお嬢様の近くにいてあげてくれ。」
団長が立ち上がり、それに続いて私たちも立ち上がったのだけれど、少しふらついてエルに支えられた。まだ足元がおぼつかない。
団長はそんな私たちの前で姿勢を正した。
「もう少しで全滅するところだった。お前たちが魔物使いを倒してくれたおかげでお嬢様の命をお守りする事ができた。」
そして胸に手を当てて深く頭を下げた。
団長はそのまま足早に出口へと歩いて行き、唖然としてそれを見ていた私たちは、慌てて胸に手を当てその背中に目礼を返した。
***
マリエラ様の前に置かれた角灯にも布が巻かれていて、その隙間から漏れる灯りが辺りを仄かに照らしていた。彼女の後ろの壁に奥へと続く通路の入り口が見えたけれど、すこし先で天井が崩れて通れなくなっていた。
「リズ、目が覚めたのね。本当に良かった。」
マリエラ様は私の姿を見ると、嬉しそうに声をかけてくれた。でも闇に浮かぶ彼女の顔は酷く憔悴していた。
「ここに座って。」
そう誘われて、私たちはマリエラ様の隣の床に座った。
「二人とも、生きていてくれて有り難う。」
彼女は私たちに向き直って目礼した。
「いえ、マリエラ様がご無事で良かったです。」
彼女の言葉に返すと
「リズ、私の事はマリエラって呼んで。それに、前から言おうと思ってたんだけど、敬語は必要ないわ。私たち、同じ平民でしょ。」
そう言って微笑んだ。普段なら恐れ多くて固辞するところだけれど、私に向けた彼女の顔には、頬に涙で化粧が流れた痕がしっかりと残っていた。
「分かった・・・マリエラ。」
居心地が悪かったけれど、何とかそれを口にすると、彼女は本当に嬉しそうに微笑んで頷いた。それは彼女がこれまでに見せたどの笑顔よりも自然で、これが本来の彼女の表情なのだろうと思った。
それから、彼女は正面の闇に目を向けた。
「ねぇ、ここって大昔の砦の跡でしょ?ローグタウンができるずっと前の時代の。その頃、森の中にこんな砦がたくさん作られていて、街を守るための防衛線が築かれてたって習ったわ。」
“そうか・・・ここは六百年前の、アウラ・ロア族の防衛線なんだ”
父さんから、ローグタウンが建設される前の先住民族たちの歴史を学んだ。
ローグタウンの前身となった街は、アウラ・ロア族と呼ばれる先住民族が築いた。
でも森の中には多くの部族が割拠していて、しかも街は今のような堅牢な城壁を持たなかったから、彼らは森の中に砦を築き、街を守る防衛線を何重にも構築した。
ここは彼らの街を守るための防衛線の砦の一つ。
「ほら、あそこ。」
彼女はそう言って回廊の出口を見やった。そこから覗く夜の闇は、僅かな月明かりのおかげで建物内のそれより明るかった。
「あの出口から戦士たちが戦いに出て行ったんだわ。その時、右手を拳にして心臓に当てていたはずよ。それは心臓を贄にして必ず勝利を掴むという誓い。」
そう言って、マリエラは華奢な手を拳にして左の胸に当てた。
「戦士たちは、どんなに過酷な戦いの時も、どんなに勝ち目のない戦の時にも、命を捧げて戦いに勝つと誓約して出て行った。そしてその命を賭して、家族や仲間、大切な人たちを守るって誓いながら出陣して行ったの。」
“アウラ・ロアの誓約”
その当時、魔物は森に溢れ、それに部族間同士の対立も激しくて、アウラ・ロアの戦士たちは戦いに明け暮れていた。その戦いに赴く出陣式で、彼らはその誓約をした。それも父さんから習っていた。
「でも見送る仲間たちは、心臓に掌を当てて見送った。あの像のようにね。」
そう言ってマリエラは足元の角灯を隣の壁に向けた。角灯に巻かれた布の隙間から漏れる僅かな光に照らされて、闇の中、壁際の戦士の石像が仄かに浮かんだ。ここが防衛線の砦なら、この石像は誇り高きアウラ・ロアの戦士だ。
「ほら、右手の掌を左胸に当てているでしょ?」
戦士像はかなりデフォルメされていて、その手はバランス的に人間のそれよりだいぶ大きく造られていたけれど、その掌は確かに、心臓を守るように左胸に当てられていた。
「見送る仲間たちは、彼らの心臓が守られる事を祈ったの。彼らが望む栄光の勝利を掴み、その上で生きて帰ってくることを祈った。彼らの家族や、恋人や、大切な人たちの思いも込めて、生きて帰って来て、そしてまた再会できることを願ったのね。」
でもマリエラは、そこで視線を落としてすぐ前の闇を見た。
「でも私の戦士たちは・・・」
そこには蹲る兵士たちの真っ黒なシルエットが、回廊出口の外の闇の前に浮き出てて見えた。どれも膝を抱え、疲れ果てて深くうなだれている。
「多くが帰って来られなかった。」
囁くように言った。
マリエラはしばらく目を瞑り、やがて大きな吐息をつくと、それから堰を切ったように話し出した。
「魔物に何重にも囲まれて責め立てられたの。最初はそれを返り討てていたのよ。オーガだって何匹かいたけれど、みんなの連携で倒してた。殆どこちらの被害は無かったし、もう少し頑張れば魔物は逃げ出すって誰かが言ってた。」
普通なら、魔物の群れに囲まれても、それを防衛していれば遠からず囲いは解かれる。魔物は基本、仲間の情など持たず、群れは単純に個の集まりでしかない。そして群れの行動はその勢いに任せるだけで、人族の軍隊のように指揮官の元で理知的な連携を取る種は限られている。だから隣の同族が次々討たれるのを見て死の恐怖が伝染すれば、勢いはすぐ削がれ、群れとしての行動はすぐに瓦解する。
「でも・・・」
マリエラは両手を強く握った。
「いつまで経っても魔物の勢いは止まなかった。魔物使いに統率されてたから、魔物は逃げ出さずに死兵になったの。そして・・・」
魔物たちの捨て身の攻撃を受け続け、返り血で真っ赤になった兵士たちが、疲れ果てて力尽き、次々と押し寄せる魔物たちの中に引き摺り込まれて血飛沫を上げた。
マリエラの周りには結界が張られていたけれど、気が付くといつの間にかそれも消えていて、そして結界師の姿も見えなくなっていた。彼も乱戦の中で命を落としたようだ。
数時間前に言葉を交わした、疲れた様子の結界師の顔が思い浮かんだ。きっと魔力を使い果たして昏倒し、そのまま味方の兵士や魔物たちに踏みつけにされながら命を失ったのだろう。
「たくさん死んだわ。彼らの大切な人の為じゃなく、私のために・・・こんな私なんかのために・・・」
「マリエラ・・・」
膝に顔を埋めるマリエラの背を、私は思わず抱きしめた。腕の中の彼女は同年代のただの少女だった。
「でもね、これで終わりじゃ無いの。いえ、まだ始まったばかり。これは本当に最初に過ぎないの。これから私のためにもっと、もっと多くの人が死んで行くわ。そしてその人たちの屍の上を、私は歩いて進んで行くの。」
マリエラの体は震えていた。
「怖い。本当に怖いし恐ろしい・・・」
そう言って彼女は、私の腕の中ですすり泣いていた。
その時・・・
キンッ!
回廊の外で鋭い金属音が響いた。そしてその直後、団長が回廊の中に飛び込んで来た。
「敵襲、敵襲だっ!!」




