第三話 姉弟の絆(1)
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気が付くと家のベッドに寝かされていて、使い古されくたびれた魔光石に天井板が仄かに照らしだされていた。頬にドクッ、ドクッと鈍痛が走る。
「気が付いたか?」
横からエルの緑色の瞳がのぞき込んだ。
「ちょっと、顔近い!」
慌ててエルの体を押しのけると、なんだよ、という顔でこちらを睨まれた。
頬が腫れているのが分かる。きっと青あざもできているはず。エルを避けたのは・・・醜く歪んだ私の顔を見られたくなかったから。
ここは貧民街の私たちの家。細長い部屋1つで、入り口の扉から数歩分のスペースがあり、その奥にベッドが二つ。部屋の幅が狭いので、二つのベッドはぴったりくっつけられている。ただそれだけで、その他の家具は何もない。
この街に流れ着いた夜、寝る場所を探してここに潜り込んだ。それ以来、だれも出て行けと言って来ないので今でも住んでいる。
私は一方のベッドに寝かされ、エルはもう一方のベッドで、胡坐をかいて私の顔を見下ろしている。
「痛むか?」
不満そうな顔をしながらも、濡れた布を頬にそっと被せてくれた。冷たさが心地良い。
「姉貴ならもうちょっと上手く避けられただろ?後ろに飛ぶとか。相手に気づかれない程度に。」
「そう。それしようと思ったんだけどね・・・お腹すいて上手く動けなかった。」
ははっ、と笑おうとしたら頬に激痛が走って顔をしかめた。
「お腹すいたって・・・」
はぁ、とエルは深いため息をついた。
「そうじゃないだろ?今日、無理して気力をいっぱい使ったからだ。」
今日はいつになく焦っていた。エルは弟だけれど、剣の腕も、気術の技量も私より上だ。それに谷での訓練で、エルだけ気術制御の精度が向上しているのが分かる。でも少しでもその差を埋めたくて、今日の鍛錬ではだいぶ無理をした。
いつもより重い突きを目指して、水魔法を施したレイピアを何度も、何度もエルに突き込んで、気力を普段よりだいぶ多く使ってしまった。
気力は生体エネルギーだから、使い過ぎると体が動かせなくなり、更に消費しすぎると昏倒することもある。
「うん、ちょっと疲れてたかも・・・明日はあまり無理しないようにするよ。」
「明日って・・・明日は寝てろよ。こんなケガして。」
エルは、私の頬に被せられている濡れた布を心配そうに見つめた。
「大丈夫。殴られる事なんて良くあるじゃない。それにお金稼がないと、明日もパン食べられないよ。」
「でも今回のケガは今までで一番酷い。歯も骨も折れてないみたいだけど、さっき口から血が出てた。」
舌で探ると、頬の内側にしっかり裂傷が出来ている。でも出血はしていない。
「血は止まってるみたい。大丈夫。それより・・・そういえば私、どうしてここに居るんだっけ?」
「あそこを離れてすぐに気を失って倒れた。」
路地に入ってギルドハウスが見えなくなったところで、地面がグラグラ揺れ出したところまでは覚えている。
「ここまで運んでくれたの?」
エルはコクリと小さく頷いた。
「・・・ありがと。」
「あのな・・・」
するとエルは腕を組んで私を睨んだ。
「ありがとうじゃ無いだろ。分かってるよな。」
そうだね。やっぱり怒るよね・・・
「あの鉄屑、売っても銅貨5枚だ。姉貴は銅貨5枚に命かけたんだぞ。正気か?」
「だって・・・あれ取られたらパン買えないじゃない・・・」
「食堂のゴミ箱を漁っても良かっただろ。それに結果どうなった?パンも買えない上に、顔にでっかい青あざまで作ったんだぞ!」
”やっぱり青あざ出来てるんだ・・・しかも大きいやつ・・・”
エルの言う通り、確かに迂闊だった。街中では決してトラブルに巻き込まれてはならないし、巻き込まれそうな危険があったら全力でそれを避けなければならない。
街の住民に貧民が傷つけられても、例え殺されそうになったとしても、誰も助けてくれない。街の治安を守る衛士だって助けてくれないし、ともすれば虐げる側にまわる。
エルのお説教は全面的に正しい。心配もかけたし・・・それに何より、エルまで巻き込んでしまった。
素直に謝ろう。
「それはそうだけど・・・」
素直に謝りたい・・・
「でも・・・」
謝りたい・・・のだけど、姉としての矜持が頭をもたげる。
「でもあんただって悪いでしょ。なんであそこで出てきたのよ!」
素直な謝罪の言葉が喉の奥に押し戻されてしまった。
「あの状況、自力で何とかできたのか?」
「当たり前でしょ!隙を見て走って逃げるつもりだったのに。私が本気で走ったら、あんな奴ら絶対に追い付けないわ。」
一瞬、あの時の足の震えの記憶が蘇り、恐怖で体の芯が小さく震えた。でもそれを悟られぬよう、勢いに任せて反撃に出た。
「それをわざわざ、あんたが出てくるなんて。しかも剣を抜いて・・・あそこであの禿げ頭が暴れてたら、あいつを殺してたかもしれないでしょ?」
殊更、目に力を込めて睨み返す。
「あんた、そしたらどうなってたか・・・分かってるわよね!」
さっきのエルの口調を借りてやりこめた。
もし貧民が街の住民を殺したら、必ず探し出され、捕まえられてその場で処刑される。
「走って逃げるって・・・」
チッと舌打ちすると、エルは顔を背けて口を閉ざした。そして私も黙ってエルと反対側の壁を見つめた。