第十七話 魔術師アナベル(1)
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私たちは暫く、籠を背負ったまま女性が入って行った扉を見つめながらその場に立ち尽くしていた。まだ足が震えて動けない。中から出てくる冒険者達は、そんな私たちを怪訝そうに見ながら通り過ぎていく。
「お礼を言いに行こう。」
やっとのことで、掠れ声でエルにそう声をかけると、私たちはギルドホールの中に入って行った。
受付カウンターの前には冒険者たちが並んでいたけれど、さっきの騒動で時間が経っていたから、その行列はいつもより大分短くなっていた。
ホールを見ると、手前の壁側の長机にさっきの女性が座っているのが見えた。籠を背負ったままその隣まで行き、私がお礼を言おうとしたとき
「荷物を置いて座りな。」
彼女が先に口を開いた。言われるままに、籠を壁際に置いて彼女の向かいの椅子に二人並んで座った。
「あんた達がリズとエルだろ?」
見ず知らずの女性にいきなり名前を呼ばれ、私たちはそのまま固まってしまった。でもそれを見て、答えは肯定だと理解したようだ。
「受付のラシーヌは知ってるね?」
恐る恐る、私はコクリと頷く。
「あんたたちの事で、ラシーヌから頼まれ事をされてるんだ。だからあの子も交えて話をしたいんだが、今は受付で忙しそうだ。手が空くまでここで一緒に待ってもらう。いいね?」
口ぶりからラシーさんとは知り合いのようだけれど、頼まれ事とは何だろう?
そもそも、どうして私たちの事が分かったのだろう。ラシーさんから、黒いフードで顔を隠した二人とでも教えられたのだろうか?確かに、そんな見習いは私たち以外に居ないけれど・・・でもそうすると、さっきは私たちと知っていて助けてくれたんだろうか?
分からない事ばかりだけれど、助けてもらったことでもあるし、何よりさっきの苛烈な魔法の事を思い出したら頷くしかなかった。
本当は女性にお礼だけしてここを辞そうと思っていたのだけれど、こうして一緒にラシーさんを待つことになり、そしてその代わり、彼女にお礼を言う機を逸してしまった。
警戒しながら様子を盗み見ていると、女性は誰かが隣の席に残していったコップを手に取って、中の液体を足元に捨てると、ハンカチでコップの淵を拭って自分の目の前に置いた。
すると、空になったコップの上に青い魔法陣が現れて水の玉が出来上がると、それがコップの中にストンと落ちた。
鎧の炎や水塊のときもそうだったけれど、彼女からは詠唱の声が聞こえなかった。所謂、無詠唱魔法を使っているのだろうか?そうだとしたら、この人はかなり高位の魔術師だ。
でもそんな事を考えながらコップの中の水を見たら、さっきの事もあって喉がカラカラに渇いていることに気がついて、私はゴクリと生唾を飲んだ。
「欲しいかい?」
いきなり声をかけられて驚いたけれど、思わずコクンと頷いた。
「あげないよ。」
でも女性はそのコップを手に取って、喉を鳴らしながら一気に飲み干してしまった。
ふぅー
満足そうな表情で、空になったコップを机に置いた女性と目が合うと
「魔法で作った水や氷には魔力がたくさん含まれてるからね。慣れない子が飲んだらお腹を壊すのさ。だから魔力を抜かないといけない。」
そしてもう一度魔法の水玉をコップに落とし、それに手を翳すと青い煙がうっすらと立ち上がった。魔力制御でコップの水から魔力を移動させているようだ。
差し出された水は透明な普通の水に見えた。フードの中でマスクをずらし、それを恐る恐る口に含んでみたら、冷たくて仄かに甘くて、体を縛る緊張が僅かに解れるのを感じた。
そうしたら、少し心に余裕が出来て、改めて女性を観察することが出来た。
切れ長の目の中に見える瞳は黒と赤の色を含んでいて、女性が視線を移す度に黒から暗赤色へと色を変える。不思議な瞳色だ。
肩より長い髪は真っ黒で緩く巻かれている。その髪の黒さとは対照的に肌は白く、唇に差された紅の鮮やかさが尚引き立てられていた。
誰が見ても、華やかな美人だと言うだろう。
でも目じりには皴が、頬にはシミも見えるから、齢は三十代半ばだろうか?でもその口調や、さっきの言葉・・・彼女が激高したキーワードの事を考えると、ひょっとすると四十に近いのかもしれない。
頭には黒いとんがり帽子を載せ、袖有りの紫色のローブを纏う姿は魔術師然としている。
帽子のつばや、ローブの襟、袖口や前立てに、小さな魔法陣が金糸でびっしり縫われていた。その帽子とローブからは魔力の微風のようなものを絶えず感じるから、これが武器屋の店主が言っていた、魔法の裁縫師の仕事だろうか。
「ところで・・・」
女性は改まって机の上で手を組んだ。
「さっきは何であんな事をしたんだい?」
彼女が向ける目は静かな怒りを含んでいた。
「あんた達の境遇については、ラシーヌから少しばかり聞いている。」
そして少し間を置いてから静かに言った。
「だからと言って、あんな事しちゃダメだろ。」
”らだしねぇ”
さっきの冒険者の呟きを思い出した。その呟きには怒りが含まれていて、それは私たちに向けられていた。
理も無い言いがかりに抗う度胸も無い、不甲斐ない私たち。
”でもどうしたら良かったの?”
抗った先には、いずれ破滅が待っている。
”ああするしか無かった。そしたらあいつらに馬鹿にされ続けるだろうけれど、でもそれを我慢し続ければいい。今までずっとそうしてきたんだし・・・”
けれど、それをどう言葉にして返したら良いか分からず、無言のまま俯いて机を見つめた。




