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腐ったパンは美味しくない

 恐らくパンと思われる〝ソレ〟を口に運んだ。

 無数の蛆が口の中で踊るかのような不快感が私を襲う。胃の中から飛び出そうとして来る嘔吐感をグッと抑えて、前歯で噛み切った。

 手に持っていた〝ソレ〟を机の上に置いて、目を背ける。

 断面からイソギンチャクのような白い触手が無数に這い出てくるのだ。細い胴体を上下に動かし床にボトボトと落ちていくのを、初めて食べた時に見てしまった。

 口の中に含んだ〝ソレ〟は吐瀉物のような食感と泥のような味がする。

 二、三度、噛んだところですぐに飲みこんだ。

 喉元を過ぎてしまえば、口の中に不快感が残るだけだ。こんなものでも食べなければ、飢え死にしてしまう。

 ペットボトルに入った緑色の液体をグッと飲みこんだ。

 夏の猛暑日に放置してしまったお茶のような味だけど、口に残っていた不快感を多少なりとも取り除いてくれた。


「もう……帰りたい……」


 こんなことになるなら、千佳の誘いに乗らなければよかった。私はあまり乗り気じゃなかったのに、千佳が半ば強引に誘ってきたせいだ。

 とはいうものの、その千佳は私の代わりに一人でこの世界から戻る方法を探してくれている。先ほど食べたパンらしきものも千佳が持ってきてくれたものだ。辺りにはゾンビのような腐った体をしている人間が闊歩しているにも関わらず。

 ――私には怖くて出来ない。


「私も頑張った方が良いのかな……」

 

 窓からそっと外を覗く。

 昨日降った雨のせいで辺り一面、赤く染まっていた。こちらの世界の雨は赤い色で、しかも鉄のような匂いがする。まるで血のようだ。

 地面に溜まった赤い水たまりからカエルが飛び出した。それが普通の雨の色だと言わんばかりに、元気よくゲコゲコと声を上げている。

 私は座り込んで、壁に背を預けた。

 この廃家から出られそうにもない。

 しばらく何も考えずに、座り込んで目を瞑っていた。

 目を瞑っていれば、怖いものを見なくて済む。現実を見なくていい。瞼の裏の暗闇だけが私の逃げ場所だ。

 ――不意に入口の扉を叩く音が聞こえた。

 体がビクッと震えて、目を開いた。

 恐怖でガクガクと震える自分のからだを抱きしめる。だめだ。怖くて力が入らない。

 息を殺して、扉の前に立っている人物の行動を待った。


「俺だ、開けろ」


 聞きなれた声にホッと胸を撫で下ろす。立ち上がって、入口の扉が開かないように置いていたテーブルをずらした。

 ギギギ、と耳障りな異音を立てながら木製の扉はゆっくりと開かれた。

 そこに私の親友である辻堂千佳が立っていた。

 ショートカットの黒髪に袖なしセーラー服デザインの服と短いスカート。ほっそりとした腕と脚は日に焼けて健康的な色合いをしている。


「悪いな、こんなもんしかなかった」


 廃屋に入った千佳は私にビニール袋を手渡してくれた。さっそく中身を確認してみる。薄い透明な袋に見覚えのある食品メーカーのデザインが描かれている。全国どこのスーパーマーケットにも置いてあり、朝ごはんには白米よりもこちらを食べているという人も多いと思う。

 私たちの世界で食パンと呼ばれるものだ。

 けれど、こちらの世界の食パンは未開封なのに紫に変色している。耳以外の部分はゼリーのように弾力があった。見慣れたデザインの袋に入っていなかったら、食パンだとは気づかなかったかもしれない。

 腐っているわけではない、と思う。腐敗臭が全くしないからだ。

 とはいえ、食欲をそそるものではないのは確かだ。昆虫が食べられるものだと知っていても、とうてい食べたいとは思えないのと同じような感覚に近い。


「まずいとは思うが、ちゃんと食べておけよ。死んだら、どうしようもねえ」

「うん……」

「それじゃあ、俺は探索を続けるからな。外は危ねえ。絶対にここから離れるなよ」

「分かった……」

「不安そうな顔をするな。ここから出て真っ直ぐに行ったところに洋館を見つけた。そこにこの世界から脱出出来そうな手掛かりがあったから、こんな馬鹿げた世界も終わりだ」

「そ、そうなの!?」


 自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。


「ああ、そのためにも結乃はここにいてくれ。まだ亡者がうろうろしているから危険だ」

「千佳も気をつけてね……」

「ああ。俺に任せておけ」

 千佳は自信に満ちた表情で自分の胸を叩いて、再び亡者が蔓延る外へ飛び出していった。 その背中が見えなくなると、入口の扉の前にテーブルを戻した。扉から一番遠いところの壁にもたれ掛かるようにして座った。ささくれ立った木の床がちくちくとお尻に当たって痛い。


「やっぱりすごいなあ……」


 人を食べる亡者がいるにも関わらず、臆することなく外へ飛び出していく。ガサツな性格で男っぽいところもあるけれど、私にはそれがいつもかっこよく見えていた。友達と同時に憧れのような存在だ。千佳のようにしっかりと自分の意見を言えて、勉強もスポーツも出来るようになりたい。

 いつもそんな風に思っているのに、私はまた安全な場所で膝を抱えている。千佳なら何とかしてくれる、と頼り切ってしまっている。


「ほんと私ってダメだなあ……」

 

 自虐しても私の足は外へと向かって動かない。ダメな人間だと自覚をすることを免罪符にしてしまっている。

 早く元の世界に帰りたい、と呟いて千佳の帰りを待った。

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