その7 《テーマ・アニメ》 『エヴァンゲリオン』についてうすく語ってみる
エヴァンゲリオンが好きです。
すでに語りつくされ、もはや教典とも言えるコンテンツなので、その筋の方々に比べたら所詮ニワカです。
なので、極めて個人的な観点からのみ語ってみます。
実のところ、所見は他のアニメと勘違いしていて、敬遠していました。
自分らの地域では朝の7時半ごろという、みょうちくりんな時間帯に放送していて、仕事支度をしながらうっすらとその時間帯のものを眺めていたと記憶しています。
そこで偶然第一話を目にして、80年代後期のオリジナルビデオっぽい雰囲気を漂わせつつの、いきなりのシリアスな展開に、これはおもしろいかも、と思ったのですが、第二話を観てガッカリしてやめてしまったのです。
これが大いなる勘違いだったわけですが、オチとしては、見る曜日を間違えていたのでした。
エヴァンゲリオンは確か木曜日の朝にやっていたのですが、出勤前の煩雑状態での視聴だったためよく覚えておらず、別の曜日のアニメを観てしまっていたのです。
エヴァンゲリオンとは似ても似つかぬ、オタク向けのほのぼの展開ファンタジーだったと思います。
その二話にしていきなりの世界観崩壊っぷりに、やっぱり駄目だったと、視聴打ち切りを決めてしまったのでした。
今思うと本当にもったいなかったのですが、あまり執着もない段階で、しかもタイトルもよく似ていて、紛らわしかったせいだと思います。
確か、なんちゃらのエルハザードとかいうやつだったかと。
それがまた舞い戻れた理由は、やはりアレのおかげでした。
例のヤツ。
そう、ヤシマ作戦です。
前後編のいきなり後編だけを観てしまって、最初はわけがわからなかったのですが、流し見していたはずがいつしかグイグイと引き込まれていって、ラストのあのシーンで、視聴継続を確定させられたのでした。
笑えばいいと思うよ、のシーンで、それまでつかみどころがなかったこの作品の世界観の中に、個人の力ではどうすることもできない、熾烈なバトルフィールドに巻き込まれてしまった二人の過酷な運命の果て、を予見してしまったのです。
時はまさに終末思想真っ只中、世界滅亡へとつながる物語の展開を、その1シーンだけで見せつけられたようでした。
いわゆる、イチコロ状態だったのです。
余談ですが、もし再視聴がもう一週遅れてジェットアーロンの回だったのなら、きっとがっかりのままだったと思います。
悪くはないのですが、前後のない状態でのボトルショー(ストーリーの展開上、切り捨てても問題のない息抜き回で、映画化の場合はほぼカットされる)は、あまり印象に残らないものです。
エヴァンゲリオンはすべてのシーンに意味があって捨てるところがないとはいえ、やっぱり退屈な部分も確実にあります。
次の関門はおそらくてんとう虫のサンバでしょう。
その後、中盤ごろまでは、一話完結のスパロボアニメ展開へと変遷していくのですが、学園ものをうまく織り込んだ、王道かつ、やや平和なバトルものとしても見ごたえのあるものでした。
序盤であんなに苦しんでいたけど、途中で投げ出さず仲間を信じて続けてきてよかったねシンジ君、と言ってあげたくなるような神展開です。
それゆえに、トウジへのブッコワシあたりからの悲劇が際立ってしまいます。
人生においてかなりの繁忙時期だったため、ビデオに録画してまで観る気がせず、たまに観ようと思うとまたなんちゃらのエルハザードだったりして(お好きな方がいたらごめんなさい)、初見はかなりの話数を見逃してしまいました。
トウジとレイの会話シーンだけをたまたま見て、この二人はアチチだったんだ、と勝手に思い込んでいましたし。
一話一話に象徴的なシーンが盛り込まれ、パズルのように入り組んだストーリーは噛むたびに味が出るスルメのようです。
ストーリーが複雑な上難解で、謎本もかなり出ていて、友人達とあ~だこ~だ持論を言い合ったりしたものでした。
考えるだけであれもこれもとパンクしそうになってきますが、真実が露呈してくるにつれ、なんとなく魅力が薄らいだような気もしていました。
何か思い出したらまた続けます。
ということで。
ではまた。