その52 《テーマ・漫画》 『女性作家が描く少年漫画キャラの違和感』についてうすく語ってみる
このテーマについて、常々思っていたことがあります。
予防線のようで卑怯かもしれませんが、くれぐれもヘイトではないことを御理解ください。
まず、女性作家が描く少年漫画だからといって、決してつまらなくはないということです。
むしろ、女性の視点でなければ描けない女性像なんかもあったりして、最近ではキャラのワンパターン化が目立つ男性作家陣よりも惹かれることが多いほどです。
ぶっちゃけると、男性作家陣の作り出した女性キャラは、不自然なほど男性にとって都合のいいキャラが多く、一個の人間としては完成していないような気さえします。
すべてに当てはまる法則ではありませんが、一歩引いた目線でこれをとらえた一握りの作家さんは、まさに天才と呼べるのではないでしょうか。
当然、自分が思い描く女性像は、自分にとってめちゃくちゃ都合のいい女だらけです。
でもそういうキャラを他人から出されても、感情移入はできないのです。
男ってば、ほんとに勝手な生き物よね……。
個々の名前は出しませんが、今売れている女性作家陣は、そういった、男からも女からも好かれる女性キャラを作るのが上手な気がします。
むしろ、女性作家が描く女性キャラこそが、自分の求める理想のヒロイン像であるといっても過言ではないかもしれません。
主人公がいなければ何もできない、ただのかわいいだけのヒロインではなくて、自分のため、人のために考え、自分自身の意志で行動できる本当のヒロインは、女性の方がうまく作れるのかもしれません。
もしくは女性の心をもった男性作家とか。
反面、すべてではありませんが、男のキャラには、若干の違和感を感じてしまいます。
これは少女マンガでいうところの、女性側から見た完璧な王子様であったり、男視点の理想の女キャラの位置づけに近いからではないでしょうか。
具体的にいうと、自分達が高校生の時、友人と朝顔を合わせても、おはよー、おはよー、としっかりあいさつを交わしたりはしませんでした。
おいっス、うっス、という、確認程度の感じでした。
そういうやり取りが入っていると、はは~ん、このマンガの作者は女の人だな、と名探偵っぽく察してしまいます。
だいたい当たっています。
男性同士のやり取りがやけに多く、女性キャラ同士のからみが少ない場合もその傾向が強いです。
最初の方はあえて押さえているようですが、キャラがこなれてくるにしたがって、お気に入りの男キャラ同士のからみが増えてくる傾向にあるようです。
そこまでくると確定です。
いや、別にいいんですが。
かなり昔の作品ですが、塀内夏子さんのオフサイドというサッカー漫画が大好きで全巻揃えていたのですが、この作品も後半は女性目線全開のキャラ構成になりはて、ややガッカリした記憶があります。
大好きだっただけに、余計にガッカリしてしまいました。
連載初期の頃は試合の描写もていねいで激アツだったのに、キャラに魂が宿るのと反比例するように、ズドーンドカーンのような大雑把な試合展開が多くなったのも残念な感じでした。
何がいいたいのかというと、別にキャラを掘り下げるのは決して悪いことではないのですが、そういったことでキャラ崩壊が起きやすいからです。
俗にいう、この人はこんなことをいう人じゃなかったのに、というやつです。
綾波レイにはぽかぽかするとかいってほしくないです(しつこい)。
聞かなかったことにしておいてください。
この手の破綻は男性作家でもよく起こる現象ですが、女性作家の方がより顕著な気がしてしまいます。
特にお気に入りの作品の場合にはより強く感じてしまい、興ざめしてしまいます。
自分の場合はこのタイミングで購入を控えることが多いのです。
あえていうなら、女性作家が自前の男性キャラで遊びだしたら要注意です。
自分が好きだったキャラがどんどん遠くに離れだし、どのキャラも同じに見え出してきます。
ひたすらクールでカッコよかったキャラが、ちぇえ~、ずるいじゃん、とかいい出します。
作者にとっては自前キャラの隠れスキル部分を引き出すことも魅力増しと考えているのでしょうが、自分的にはケンシロウやラオウが死闘の最中に、ちぇえ~、ずるいじゃん、とかいっちゃったら、もうどうでもよくね? と思ってしまいます。
愛着がわくとそのキャラが気に入られたいと願うのは仕方がないのかもしれませんが、そういうのは二次創作家にまかせておいてほしいものです。
公式では表現しきれない妄想路線を実現するのが主たる目的の二次創作ならば、ゾロとサンジや銀さんと土方が互いを褒めあったりするのもアリっちゃアリです。
女性が描く男性像は、女性にとっての理想でもあるはずなので、贔屓したい気持ちはわかります。
ですが、自分的にはそういった男性キャラは、なんとなくものたりなく感じてしまいます。
少しいい方が悪いかもしれませんが、薄っぺらく見えるのです。
その薄っぺらさは、作者がキャラをかわいがればかわいがるほど加速してしまいます。
加えて、稀有なキャラ造形ができるはずなのに、男性キャラをかわいがるあまりに、せっかくのカッコいい女の子達がストーリーのはざまに埋もれていくのが、なんだかもったいないです。
恋柱の人にはもっと活躍してほしかったです。
逆に、女の子同士のからみが異常に多いのは、オタク系男性作家の特徴です。
実はそういった傾向は男性作家の女性キャラいじりの方がよりひどかったりもしますが、彼らの(我々の)目的は最初からそれなので、なんとなく許容してしまいます。
自分もそういった感情を抑えられず、死なせるために作ったキャラがメイン化して生き延びてしまうという現象を止められません。
まったくもって、どの口がいうか、です。
きっと女性読者は、男性作家陣の描くあまたの都合のいい女キャラに対して、同じような感情を抱くのでしょうね。
ある種のヘビーユーザー達がいわゆる百合方面を好むように、女性の読者の中には薔薇を好まれる方がみえます。
そういった方向性の作品の中にもおもしろいものが多いので、すでにしっかりと市民権を得ています。
最初からそうならオーケー。
でも途中でそっち方面に雰囲気がシフトし始めると、とたんに物語にヤオイの匂いが漂い始めたりします。
そうすると、自分的には潮時かなと思ったりします。
それまでがおもしろかっただけに、とても残念な気持ちになります。
そして、女の子同士ならばまだ許せても、男性作家なのに男キャラ同士のいちゃいちゃを描いたりしだすのは、さらにいかがなものかと。
その究極が、ドカ○ンプロ野球かもしれません。
御大が嫌々描いている様子もなさそうでしたし(むしろノリノリ)、初期の作風が好きだった自分にとっては実に微妙な感じです。
こんなことばかりいっていると、おまえは女が描く漫画に偏見を持っているのか、といわれそうですが、自分としては逆だと考えています。
ちょいちょい述べているように、誰が描いてもおもしろいものはおもしろい。
でも女性名だと少年誌ではなかなか売れないので、わざわざわかりにくい名前をつけさせる風潮があると聞きました。
むしろこだわっているのは、それを作者の方に強要する編集サイドなのではないでしょうか。
ヤマバCMのように誰もが不快に思っていても、それが業界のセオリーだからということで、続けるしかない状況によく似ています。
本人の意向ならば仕方ありませんが、そういった小手先のごまかしで相手を騙そうというあざとさが大嫌いです。
それがひっかかりとなって、男だ女だと気にしなくてもいいことが気になってしまうのです。
男が、女が、ということ自体がナンセンスなのはわかっています。
その上で自分が例外だと勝手に思っている作者さんがいます。
高橋留美子さんのバランスは、誰にも真似できない領域ではないでしょうか。
特にファンだというわけでもないのに、ぺらぺらに語ると怒られそうなのでやめておきます。
ということで。
ではまた。




