その46 《テーマ・特撮》 『アイアンキング』についてうすく語ってみる
アイアンキングが好きです。
というか、静源太郎がカッコイイです。
アイアンキングはカッコ悪いです。
アイアンキングに変身する霧島五郎も魅力がありますが、この作品の魅力はやっぱり静源太郎のカッコよさにつきます。
アイアンキング自体は、隠密剣士や黄金バットのように、窮地に陥った主人公を助けるために現れる、物語上のヒーローとして位置づけられています。
当然、本来ならば戦闘シーンでの花形となるはずなのですが、そうはならないのがこの作品のおもしろいところです。
隠密公安官のような立ち位置の源太郎をサポートするのが、事故で瀕死の重傷を負ったためアイアンキングに改造されてしまった五郎なのですが、物語の上では完全に脇役です。
一分間という活動時間の短さもあって、止めを刺しきれないアイアンキングを助けるように、結局静源太郎が止めを刺します。
役割が逆です。
アイアンキングは巨大ヒーローでありながら、源太郎のサポート役、否、単なる引き立て役と化してしまっているありさまなのです。
とにかく最後の最後まで源太郎がカッコよく、特撮番組というよりは、アクションスターが活躍する昔の日本映画を見せられているようです。
毎回、ゲスト女優とのロマンスもあり、子供向けではないでしょ、これは。
源太郎が止めを刺すのも、豪華なゲストのギャラのために、特撮代をケチったせいではないかと勘ぐってしまいます。
き~りのお~、なかからあ~、という最後のフレーズだけ何度も口ずさんでしまうほど子門真人の主題歌は昭和特撮でも一推しのカタルシスですが、らしからぬエンディングの方が印象に残ってしまいます。
けれんみのある敵ロボットも捨てがたい魅力があります。
たった26話の中で敵対勢力が三組織も出現するのですが、自分的には平凡な怪獣戦となってしまった後の二勢力より、最初期の不知火一族戦のロボット軍団に魅力を感じてしまいます。
特撮ものの敵人間体といえば宇宙人が定番で、ロボットが出てくる時は、それこそピーガッシャンのいかにもなロボットだったはずです。
それが宇宙人そのものといっても通りそうなスマートな敵ロボットばかりで、ヒーローのライバル的なイメージ解釈も勝手にしていたのだと思います。
敵ロボットの中には実際、アイアンキングの没案も混ざっていたようですし。
こうやって書き連ねると、ガッカリ特撮の匂いさえしてしまいますが、この作品の魅力はそんなささいなものではありません。
敵勢力を壊滅させるのが目的なので、そのアジトを突き止めるためにロードムービーの体で物語が進み、そこで出会う人達との交流によって話が展開していきます。
その上で、コメディリリーフ的な五郎の存在が光ってくるのです。
五郎がアイアンキングであることを源太郎は知りません。
にも関わらず、源太郎は少し(かなり?)頼りない五郎を仲間として認め、ともに行動するのです。
それは源太郎にとって五郎が癒しのようなかかせない存在となっているからに他ならず、二人の軽妙な掛け合いは名コンビそのものです。
いろいろチープな部分を差し引いても、アクションコメディとして観てもおもしろい作品だと思います。
ということで。
ではまた。




