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ありがちなコンプレックス

 

 思っていたよりもずっと早く時間は過ぎて、春が来た。偏差値が高い私立ばかりを受けて全落ちをしたリンにも春は来たし、国立一本に絞って全落ちをした俺にも春は来た。


 不合格の人間だっているというのに桜は容赦なく咲き誇る。恨めしい限りだ。


 花粉症だからだろうか、街にはマスクをした人が多くいた。でも人間なんて、みんな何かしらのアレルギーを持っているようなものだろう。


 見栄っ張りで自分を着飾るくせに、イヤホンで耳を塞ぎ、マスクで顔を覆い、冷たい瞳で足早に街を歩く。けっきょく何をどうしたいのかわかりゃしない。承認欲求なんて、みんな大なり小なり持っているものだろうけれど、それを大っぴらにできる時代だからこそ余計その歪さが際立つ。繋がりたいのか、繋がりたくないのか、人間サマはよくわからない。


 人でごった返す四月の駅のホーム。そこに立っている一人のイケメンを俺は目の隅で捉えた。ただイヤホンをつけて立っているだけなのに、どうしてこいつはこんなにも絵になるのだろう。朝の混雑したホームで、なぜこいつだけがこんなにも光って見えるのだろう。


 俺は自分の気配をぎりぎりまで悟られぬようにそっと近づき、ミライの肩を叩いた。


 俺に気が付くと、ミライはゆっくりとイヤホンを外した。その姿がまた様になっていて、なんだかイライラした。


 差しだされた弁当を受け取り、すぐさま身体を翻す。来た道を引き返そうとする俺の背中にミライが声をかけた。


「母さんが、心配してたよ」


 わざとめんどくさそうに、もたもたと振り返る。ミライはさっきと同じ場所に立っていた。


「こないだ電話したとき、声が変だったって。そのうちまた電話すると思うから、あんまり心配かけないようにしなよ」


 俺はどうにか格好がつく言葉を探したが、無駄だった。


「わかった」と一言だけ言って、すぐさま階段へ向かう。


 悔しいのか。恥ずかしいのか。みっともないのか。苛立っているのか。


 この感情の名前を、俺は知らなかったし、知りたいとも思わなかった。




 リンは昔からの付き合いだから知っているが、俺は弟に対して苦手意識を持っている。幼い頃から薄々気付いてはいたが、両親の離婚と、ミライとの別居に伴い、その感情は劣等感とでも呼ぶべき明確な形を持つものとなっていた。


 ミライは県内有数の進学校に通っていて、バスケ部のレギュラーで、男女問わずたくさんの友達がいて、たしか彼女もいて、カフェでバイトをしている。


 比べて俺は、自称進学校、つまり中堅校を卒業し、今は浪人生だ。高校時代は帰宅部でバイトもしておらず、もちろん友達もほとんどいない。彼女は言わずもがな。付け足すならば、本、マンガ、ゲーム、アニメ、映画、といったおおよそ他人に趣味とは言えないような類の、サブカルチャー的趣味しか持っていない。


 事実を羅列するだけでもこれだけスペックに差があるというのに、その差は客観的事実に留まらず主観的人間性にまで波及する。どうしたらあんなふうに明るく、自信たっぷりに、かつフレンドリーに振る舞うことができるのか教えてもらいたいものだ。いや、もちろんそんなことは一ミリも思っていないが。


 ともかく俺は弟が苦手だ。


 あらゆる面において自分よりも優れている、同じ血の流れる存在というのは、誰しも相手にしづらいだろう。


 そして、そういう存在と比較されることは、誰にとってもつらいことだ。


 父と離婚した母は、ミライを連れて家を出た。家庭に無頓着だった父に母が愛想を尽かしたことは息子からしても仕方ないことだと思うが、子どもを片方だけ連れていくというのはいくら何でも薄情な話だ。


 昔から、母はミライの方ばかり可愛がっていた。そして同時に、それを隠そうともしていた。たとえばミライの好きなオムライスをつくった次の日には、必ず俺の好きな酢豚をつくるとか。ミライがテストで百点をとったときは、俺に見えないところでミライをほめちぎるとかだ。


 一つ一つはたいしたことではないが、積み重なれば幼い子どもの心に傷跡くらいは残せる。だからまあ、母が自分ではなく弟を連れて家を出たことは理解できた。困るのは、時間が経てば少しは気持ちの整理がついてくるというのに、それさえも許してもらえないことだ。


 罪の意識に苛まれた母は、何を思ったのか毎日俺の分まで弁当をつくり、ミライに持たせるようになった。俺はそれを毎朝駅で受け取るたびに、ミライと顔を合わせ、惨めな思いをしなくてはならない。


 もちろん、この歳になってまでそんなことに拘っているのがくだらないことくらい、百も承知だ。


 気にするな。人は人。自分は自分。そんな言葉、もう何百回も自分に言い聞かせてきた。

 でも、どうしても黒い影が付き纏う。俺にとってそれは、心の一番深いところに関わる、とても重要なことなのだ。




「くそっ」

 思わず、小さく吐き出した。途端に他人の目が気になって視線を下に落とす。ただでさえ狭い車内で隣に独り言をつぶやく変なやつがいるなんて、周りの人はたまらないだろう。


 予備校までは電車で二本。三十分ちょっとで着く。単語帳でも見ていればすぐ着く距離だが、通勤ラッシュの時間と重なると如何せん混みあっていて、それどころではない。


 パーソナルスペースが広めな俺にはほとほと大量輸送の乗り物は向いていなかった。見ず知らずの他人とどうしてこんなにも密着しなければならないのだろう。ちょっと肘があたっただけでもすぐにイライラする俺にとって現代社会は生きにくくて仕方がない。


 すぐ傍のおばさんのきつい香水の匂いにめまいを感じ、大学生になっていれば朝早く出かけずに済んだのにと悔やまずにはいられなかった。


 家族にも、リンにも言っていなかったが、本当は中堅の私立大学には合格していたのだ。センター試験を利用する方式で、真っ当に試験も受けず、一度もその大学を訪れないまま受かっていたから、あまり受かったという感触はない。でも受かってはいた。本当は、俺は全落ちではなかった。


 そこは俺なんかには十分すぎるほど、良い大学だった。受かったと言えばきっと、そこに行けばいいとみんなから言われ、父は浪人を許してくれなかったかもしれない。


 それなのに、人生最大の嘘をついてまで浪人を決めたのは、ミライならもっと上の大学に合格すると思ったからだ。


 こういうみみっちいプライドが一番みっともないことくらい、もちろんわかっている。


 でもこれから先の人生で、あいつに負けたと思い続けるなんて、絶対に嫌だった。せめて最終学歴くらいは。そういうわかりやすくて、一般的なところくらいは、ミライと対等でいたかった。


 それにリンと一緒なら、一年勉強をするくらい、なんてことはないと思っていたのだ。


 思いが通じたのだろうか。駅の改札を出たところにリンがいた。


「よっす。偶然だね」


 俺は小さく手を上げて応えた。


 予備校はオフィス街の中にあって、道は広く、綺麗にタイルで舗装されていたり、たくさんのお洒落なお店が並んでいたりと、ずいぶんいい場所にある。


 ちょっと歩いただけで、さっきから携帯を耳にあてているスーツの人と三回もすれ違った。ナイスミドルの街というか、ともかく俺には合わない街だ。


 今日のリンはヒラヒラした服とジーンズという春らしい爽やかな装いだった。見たことがない服だからきっとおニューなのだろう。リンは基本、制服以外ではスカートをはかない。短い髪とネコみたいな目をしたボーイッシュなリンにはズボンが良く似合う。


「いやあ、今日から私たちの新章が始まるわけだね。なんか、ドキドキだね」


「俺は憂鬱だよ」


 空は綺麗に晴れ渡っていて、街路樹は緑の葉をつけていた。俺の心はこんなにも曇っているというのに、至極ムカつく話だ。


「ええっ、なんでよ? 新しい物語の幕開けだよ。わくわくすんじゃん」


「そういう気分じゃない」


 朝からテンションの高いリンは、きっと低血圧の俺の気持ちなんてわからないのだろう。


「ダメダメ、ヤマトただでさえ暗いんだから、もっと自分のいいとこ出してかないと。第一印象って重要だってこないだテレビで言ってたし」


「俺にいいとこなんかないよ」


「はいはい、そんなことないでちゅよぉ。がんばりまちょうねぇ」


 口ではそんなことを言いつつも、リンは俺の顔を覗き込んできた。丸く、少しだけつりあがった綺麗な目が、こっちを真っ直ぐ見つめている。


 途端に恥ずかしくなってきて、俺は目線を逸らした。


「悪い、なんでもない」


「はいはい、気張っていこー」


 リンに背中を叩かれながら、俺は真新しい綺麗なビルへと入った。


 予備校は外だけでなく、中も綺麗で新しかった。リンが「やべえやべえホテルみてえ」とはしゃぐ気持ちもわかる。


 手触りの良さそうな手すりの付いた広い階段と、広い廊下。暖色系の照明と、足音が響かないようにするためのカーペットの床。模試で行く大学に似ている。それともやはりホテルだろうか。いや、なんとなく、大きな病院にも似ている気がする。ともかくリラックスして勉強できそうだ。というか、ただ勉強するだけなのに勿体無いくらいの環境だった。


 受付は二階で、入ってすぐの一階には机と椅子が並べられており、自習もできるようになっていた。上の階にまた別に自習室があるのだから一階は不要なのではと思ったが、よく考えたら一階に受付をつくると混雑するからとか、まあ理由があるのだろう。ガラス張りで外から丸見えの一階は、光がたくさん入るし、予備校の顔としてはもってこいだ。


 大きくて揺れない、しかも速いエレベーターに乗り、目当ての教室へと向かい二人で「すげえ」「やべえ」を連呼しながら、指定の教室に入る。


 教室には白い机にメッシュ素材で黒の軽い椅子が三つずつ連なっていて、それが横に五列、縦に十列ほど並んでいた。席が決まっていないので俺とリンはとりあえず後ろの方に座ることにした。いよいよ初授業だった。






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