陰キャな兄と陽キャな弟
外はもうすぐ春が来るとは思えないほど寒かった。マフラーをしてくればよかったかもしれない。そう言えば、今朝のニュースで寒の戻りと言っていたような気がする。
二人で寒い寒いと文句を言っていたら学校にはすぐ着いた。卒業式も終わったというのに学校に来るというのは何だか不思議な気分だ。
「先生、落ちました。浪人します」
職員室に入り担任の席まで行くと、俺は開口一番そう言った。
担任の禿げた男性教師は、少しだけわざとらしく眉をひそめてから、「そうか。いや、お前なら来年絶対受かるよ。大丈夫だ。頑張れ」と言葉を並べた。父よりも歯切れがいい。さすが長年教師をやっているだけのことはある。薄い頭部もくたびれたクッションもだてでだはない。
きっとこの人は、何回も同じようなことを、色んな人に言ってるのだろうけれど、ともかく今この場において、この人は俺のことをしっかり見てくれている。それがわかったから、もう十分だった。
「先生、お世話になりました。ありがとうございました」
頭を下げて、職員室を出る。身の引き締まる思いだった。次ここに来るのは受かったときだ。俺はそっと戸を閉め、気持ちも新たに職員室に背を向ける。
しかし、覚悟の余韻はあっという間に消し飛ばされる。
暇そうに保健室の前に貼られたお知らせを見ていたリンは、俺に気が付くと
「はやくね? え、お前、はやくね?」
と人を小ばかにするように笑った。
「もっとあるでしょ。『先生、一緒に海を見たあの日のこと、絶対忘れません』とか『俺みたいなクズが卒業できたのは、先生のおかげです』とか」
「どこの不良だ、俺は。台無しだよ、ばか」
リンに限らず世の女子は連ドラを観すぎだと俺は思う。
「え、なに、台無しになったら困るような素敵なお別れができたの?」
「うるさいな。いいんだよ、男の間に言葉はいらないんだよ」
「なにそれ、なんかキモイ」
彼女はさらりと男が一番言われたくないことを言ってのけた。
「ひでえな。ほら、次。予備校行くぞ」
悔しいから、俺はリンの頭をガシッと掴んだ。リンは「触んなボケ」と笑いながらその手を払う。幼稚園時代から変わらない、いつも通りのやり取りだった。
駅の近くに集まっている大手の予備校をいくつかめぐり、パンフレットを集めた後、リンが疲れたと言い出したので喫茶店に入った。
パンフレットに並ぶゼロの多さに俺たちは深いため息を漏らした。
「嘘ですわよね、奥さん。どうしてこんなにお金がかかるのかしら。これじゃあ浪人するより就職したほうがいいに決まってるわ」
「今さら就職なんてできるわけないわ、奥さん」
感情のこもらないツッコミでも十分らしく、リンはケヒャっと短く笑った。
「いやでもさ、なにこれ。一日中授業で、しかもこの額とかありえないっしょ。金払って勉強するとか、あたし損するだけじゃん」
「お前それ予備校で言ったらドン引きされるからな、気を付けろよ。友達できないぞ」
「けっ、負け犬どもとつるむ気はねえぜ」
「あーあ。お前は俺とつるんでくれないのか、寂しいなあ」
「え、何言ってんの、きも」
「お前、ひでえな」
何度言われても、やはりキモイと言われるのはショックだ。というか、本日二度目だ。
「で、どこが一番お得そう?」
リンは細かくチェックするのが面倒くさくなったらしくパンフレットを脇によけ、目の前の糖分の塊、もといクリームたっぷりのコーヒーと格闘しはじめた。
「うーん、やっぱ予備校行かないで自分で勉強するのが一番安いな」
「当たり前だろぅ。でもお前、それじゃ師匠も仲間もつくれねえだろぅ」
両手をフレミングの法則の形にして、ラップ調にリンはそう言った。
「友達作りに行くわけじゃないだろ?」
「さっきと言ってること逆じゃんか。いや、たしかに友達つくるのが目的じゃないけどさ。志を同じくする戦友は必要でしょ。てか、そもそも自分で勉強して受かんなかったんだから自覚しようよ、私たちは救いようのないバカなんだよ。これはもうプロフェッショナルの力、すなわちお金の力を借りるしかないでしょうよ」
こいつとひとくくりに救いようのないバカとか言われるとムカつくが、たしかに後半はまあその通りだと思った。
「だよなあ。まあでもそんなに値段変わんないんだよな。説明会とか行くのも面倒だし、やっぱ有名どころにすっか」
「けっ、どうせお前も権威主義者だよ」
「はいはい、お前変な難しい言葉は知ってるよな」
どやぁ、という顔をしているリンを鼻で笑っていると、緑のエプロンが視界の隅に映った。嗅いだことのある匂いがして、反射的に顔を上げる。
「よっ」と軽く手を上げ、柔らかく微笑む若い男。よく見知った顔だった。
菊池未来。俺の弟がそこには立っていた。ミライは白いシャツに緑のエプロンをつけていた。
「ミライ君じゃん、久しぶり。ここでバイトしてたんだ。かっこいいね」
「ありがと。リンちゃんも可愛いよ」
「いやぁ、照れるね」
二人は顔を見合わせて笑った。ザ・陽キャの挨拶というかんじだ。俺はあからさまに自分の表情が固まっていくのを感じた。
「そうそう、もうちょっとだけ静かにしてね」
「あ、ごめんごめん。兄貴がご迷惑おかけしました」
リンが無理やり俺の頭を下げさせた。その手を払いのけて、自分のコーヒーに手を伸ばす。グラスの結露した水滴がやけに冷たく感じられた。
「ううん、二人が仲良さそうで何よりだよ」
自信に満ちた人間特有の、余裕たっぷりの声がつむじに降りかかった。
「なんか用?」
なんとかコーヒーを飲み下し、そんな言葉を吐き出す。
人と目を合わせることが苦手な俺も、さすがに弟の目くらいは見られる。母親似の優しい瞳が、父親似の俺の瞳を見つめ返してきた。
「別になんも。見えたから挨拶しに来ただけだよ。じゃ、ごゆっくり」
ミライはそう言うと、奥へと戻っていった。きっとこれから、他の店員たちと、「あれ誰?」「ああ、兄貴だよ」「うっそ、似てないねぇ」なんていう会話をこれからするのだろう。考えただけでも気分が悪くなってきた。
リンは手を振ってミライを見送ると、「ミライ君、ここでバイトしてたんだねぇ」と意味ありげに言った。「知らなかった」と俺はどうにか返事を絞り出す。当たり前だ。知っていたら、来るはずがない。そしてもう二度とこの店に来ることもないだろう。
「カフェ店員ってまたおシャンティーなチョイスだよね、ミライ君らしいっていうかさ」
肯定するだけの会話さえも億劫になってきて、小さく頷き返す。
あいつは俺とは違う。カフェでバイトなんて、俺には生まれ変わってもできないだろう。
一刻も早くここから立ち去りたかったが、リンの手前そうすることもできず、ただただ居心地の悪さを持て余していた。
「なに、怖い顔してんの? リア充な弟と自分を比べてしょげてんの?」
思わずむっとして、反射的に声の主を睨みつけてしまう。けれど、リンは何もかも見透かしたような、どこか母性を漂わせた笑顔を浮かべ、俺の眼差しを優しく受け止めてくれた。
飲み物を端によけて、テーブルに頭を乗せる。
窓の外からは西日が差し込んできていて眩しかったので、そっと目を閉じた。
「わかってんなら、言うなよな」
そう言い返すのが精いっぱいだった。
リンはケラケラと笑った。
まったく、ひどい奴だ。
お読みいただき誠にありがとうございます。
休日祝日には欠かさず投稿していこうと考えているので、
いったんGW中は毎日投稿しようと思います。
引き続きお読みいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。