悪イ夢ノ話デス
ある日のことだった。
専門学校の授業中、急に立ち眩みがして、そのまま倒れてしまった。
立ち上がろうとしたら足がしびれて、またコケて倒れる。立ち上がれない。
意識がブラックアウトする──。
──目覚めると、まず見えたのは見知らぬ天井。
白く無機質なそれはあまりにも不気味で……。
「目覚めましたか」
優しく声をかけられた。
白衣の女性が俺を見つめてくる。
全てを察した。
ここは病院だ。
俺はあのとき気絶して病院に搬送されたのだと気がついた。
目覚めたのなら、もう大丈夫だ。
「早く、書かないと」
シナリオライターのバイト。小説投稿サイトの連載。専学の授業も受けないと。レポートも書かねば。
やらないといけないことが山積みなんだ。こんなところで寝ているわけにはいかないんだ。
寝る時間や休む時間がもったいない。
「俺は、もう大丈夫です。早く帰して」
「それは出来ません」
「どうしてですか」
「……あなたは、一言で言うと、限界なのです」
「……は?」
一瞬、絶望に顔が歪んだのを自覚した。
「睡眠不足からくる貧血、栄養失調、さらにストレスによる……」
「ふざけんな!」
俺はまだやれる。このくらい、病院にかかる必要などない。気合いでどうにかなる。
そんなことで音を上げているんじゃ、社会に出てやっていけるはずがない!
「……ストレスによる精神異常など」
俺が異常だと? ふざけるのも大概にしろ!
「あなたはしばらく休まないといけないのです」
「バカを言わないでください。医者に見せたんですか?」
「その上で、言っているのです」
嘘だろ?
嘘だと言ってくれよ。
「いやだ!」
「駄目です」
「俺には、まだやるべきことがいっぱいあるんだ! そうだ……シナリオの納期が明日だ……早く、早く、書かないと……」
俺は目の前の女にすがるように、早口で捲し立てるが。
彼女は、残念なものを見るような目で首を横に振った。
その瞬間、目の前が真っ暗になって──発狂した。
「落ち着きましたか?」
数人の人間が俺を取り押さえている。
動きの止まった俺に、さっきの女が話し掛ける。
「ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」
「わかりましたか? いま、あなたは心も体も恐ろしく疲弊している状態なのです」
「ええ。でも、それでも休めないのが普通でしょう。このままだと、最低限も普通に生きてはいけない」
「いま普通と言われている状態が異常なのです」
もうわけがわからない。
「とにかく、パソコンを取ってもらえますでしょうか。仕事ができなくなった旨を依頼人に報告しなければならないのです」
「わかりました」
俺を取り押さえる人間が離れ、俺はベッドに戻る。
女は俺のパソコンを持ってきて、それを受け取った俺は膝の上にそれを開く。
カタカタとメールを打ち、送信ボタンを押したのち、ツイッターに自分が入院したことを書き込んだ。
ツイッターは案の定反応なし。
しばらく待つと、一通のメールが着信。
見ると、今の仕事の依頼人から。
《もういい。キャンセルだ。もう二度とあなたには頼まない》
そういう旨の、どこか怒りが感じ取れるメールであった。
だからこんなことにはなりたくなかったのだ。
そして、小説執筆に取りかかろうとした。しかし。
いきなり腕が動かなくなった。
いきなり腕が、重く、硬く硬直したのだ。
「動け! 動けッ!!」
叫んだ。しかし動くことはなく。
パソコンが女によって閉じられる。
すると、動くようになった。
「小説執筆も禁止ですね」
またも、俺は絶望した。
翌日、ある女が俺の見舞いに来た。
専門学校の友人。二つほど歳上の同級生である。
「大丈夫?」
彼女を見たとたん、こんな言葉が自然と漏れた。
「お姉ちゃん」
うっかり、である。それも、最悪の。
「うわ、キモっ」
顔をしかめた彼女は、一目散に逃げていった。
それから先、誰も見舞いに来ることはなかった。
もう、なにもできなくなった。
もう、生きる意味がなくなった。
どうすればいいのか。
俺の脳は一つの短絡的な答えを示した。
すなわち、死。自殺。
実に天才的な考えだと思った。俺はふらふらとベッドから立ち上がり、窓際に立つ。
しかし、そこに見えたのは、上から下まで張られた柵。
しかも、そもそも窓は開かない。強化ガラスを割れるほどの筋力は俺にはなかった。
どこかに、俺を殺せるものは。
探して、探して、しかし、どこにも見つかることはなかった。
俺は、壁に頭を打ち付けた。
大きな音が発生。それと共に、鋭くじんわりとした痛みが脳に浸透した。
それは、あたかも麻薬のように、俺に不可思議な快感を与える。
狂ったように壁で頭を殴り。拳で頬を殴り。
だが、それも長くは続かず、すぐに看護士に止められた。
程なくして、病室が変更された。
壁と床が柔らかい素材で作られた部屋であった。
さらに、俺は簡易的ながら拘束された。
しかも、排泄用に介護用のテープ式おむつをつけられた。
俺は全てを失ったといってもおかしくない状態となった。
俺の精神が崩壊して、幼児退行を引き起こしてしまうまで、それほど時間はかからなかった。
ついに完全に壊れてしまった俺は、誰からも見向きもされることなく、ただ独りで、排泄物を垂れ流しながら泣きじゃくるのであった──。
「はっ!?」
──というところで目が覚めた。
そうだ、俺はそもそもまだ専門学校に入っていない。バイトもしていない。高校を卒業した直後だ。
俺は、おむつという特殊な性癖を持つだけのただの男。今日も、寝る前に漏らしたおむつをつけて寝ていたのだ。
そのせいか、ひどく現実的な悪夢を見てしまったようだ。
濡れたおむつを替えようとしたが……しばらくそのまま寝転がっていた。
「わたし、これからどうすればいいのかなぁ……」
リアルな夢に涙をこぼしながらこっそりと漏らしたその言葉が幼女のような口調になっていたことに、誰も気づくことはなかった。




