4.クソガキと私②
「というか、なんであんたが俺の好みに口出ししてくんだよ」
「えぇ? そういう子好きでしょ?」
だって将来学園で運命的な出会いを果たすあの子は、守ってあげたくなるような可憐で優しい女の子なんだから。
そう言ってやりたいけれど、このクソガキはそんな自分の将来のことなんか知らない。父親も、結局は婚約に許可を出したので陛下にも私が言っていた未来については報告していないらしい。それでいいのか? ちゃんと陛下に忠誠誓ってる? 大丈夫?
私がそう断言すると、クソガキはクッキーを摘んでいた手の粉をナプキンで拭き、立ち上がって──私が寝転がるソファへと座った。
私は肘掛にもたれかかった体制で寝転がっているが、それでも余裕があるソファは安易にクソガキが座るのを許した。因みに、こうやって座るのは初めてではない。
「別に好きじゃない」
「将来好きになるわよ」
「……」
納得がいかないのか、クソガキは無言で私を睨みつけた。それに私は、静かに視線を返す。
わたくしの悪役令嬢化を阻止する一番の方法は、主要メンバーに近付かないことだ。例えこの婚約が破棄されてもエミーリアの身分を思えば、別の好条件な婚約が連なることだろう。それも阻止しなければ、悪役令嬢化を回避できたとは言いづらい。
確かにこの一年で、だいぶエミーリアの性格は矯正されてきた。しかし、恋は人を狂わせるのだ。表面は優しくしていても、バレないようにえげつないことをするかもしれない。腹黒もビックリの所業を、可愛いエミーリアちゃんがやるとは思いづらいが──やはり、未来はどうなるかわからない。
「……あんた、歳はいくつだ」
「は? 馬鹿なの? 今年で9歳になったわね」
「違う。エミーリアじゃなくてあんただ」
「はあ?」
頭がついにイカれたのかと思えば、意味不明な質問だった。
こうして時々、こいつは私に質問してくる。それに私は適当に返すのだが、エミーリアは素直に返事をしてしまう為意味がない。エミーリアの好きな物や嫌いな物は完全に把握されている。その上で贈り物をしてくるので、エミーリアのクソガキに対しての好感度は爆上げだ。
「何その質問」
「いいから。あんたは何歳なんだよ」
「だから9歳よ」
「その身体のことじゃなくてあんたに聞いてんだ」
……驚いた。こんなにハッキリ、『私のこと』を聞いてきたのは初めてじゃないだろうか。
というか、やっぱり私がエミーリアじゃないって気付いてるんだね。二重人格にでも思われてるのかな。いやでもこの世界には確かそういう医学はなかった気が……もしかして悪魔とでも思われてる? エミーリアに取り憑いて婚約解消を求めてくる悪魔? あ〜、そう考えると逆に解消しないかもな……。
ぼーっとしていたら、クソガキが何やら真剣な目で私を見ているのに気付いた。こんなに真剣な表情は初めてではないだろうか。
「何歳だっけ……」
「歳も覚えてないババアか」
「違うわよ! ええと……16だったかな……今年で17になるかな?」
私がエミーリアに入った──創られた、かもしれない──のは、今日から一年と少し前だ。
その時私は16歳だったはずなので、歳が止まっていると考えなければ今年で17になる。このクソガキと初顔合わせが『私』の誕生だから──うわ、あの日がある意味『私』の誕生日? 勘弁してくれ。
「……8歳差は大きいと思うか?」
「20も離れた男に嫁ぐ子もいるんだから、そんなこと言ったらその子が泣くわよ」
「……女が20離れた歳下の男に嫁ぐことはあるのか?」
「天地がひっくり返っても有り得ないわね。まあ女の遺産目当てだとか、資金繰りのためにあるかもしれないけど、基本的に婚姻は家と家との繋がりの為でしょ? 子供を成して家を継がせるのが目的なんだから、基本的に女が男より歳上なのは有り得ないわ。周りよく見てごらんなさい。女性が歳下か、よくて同じ歳でしょ」
「……」
顎に手を当て考え込んでいるクソガキは、周囲にいる既婚者たちを思い出しているのだろう。
政治的な婚姻が基本なこの貴族社会で、恋愛結婚は極稀である。実家を継ぐ必要のない三男とか、実家に余裕のある次女などはお互いの利点が合えば恋愛結婚も可能だが、実現する数は少ない。
例え私がこのクソガキとの婚約を解消できたとしても、先程考えた通り『殿下の周囲の誰か』との婚約話が浮上するだろう。
正直、エミーリアには恋愛結婚をしてほしい。
現実的に数が少ないとはいえ、出来ないことはないのだ。もちろん、エミーリアは王家との婚約がすんなり決まるほど身分が高いので、なかなか難しいかもしれないが──。
(確か、エミーリアが10歳の時に弟が産まれるのよね)
だから家の存続は問題ない。養子をとるかと相談していたエミーリアの両親に進言したら、物凄く喜ばれた。
なるべくエミーリアには幸せになってもらいたい。それが『私』の存在意義なのだから、そう願うのも当たり前だろう。
今のエミーリアの幸せはきっと、『殿下と結婚すること』だろうが──……ごめん! それだけは! それだけは阻止させてエミーリアちゃん! あなたの未来の幸せのためなの!
きっと大人になればわかるはずなのだ。だからエミーリアには別の幸せを願ってもらって──そうすれば、今度は全力でその幸せを後押しするから。
「8歳下の男についてあんたはどう思う」
「ええ? 私? 私に聞いてるわけ? エミーリアじゃなくて?」
「あんただよ」
驚きだ、まさかまだ質問してくるなんて。どんな風の吹き回しだ?
「まあ8歳下なら……えーと? 小学3年生か。子供にしか感じないねぇ。私が20なら12歳でしょ?小学6年生じゃん。犯罪臭半端ない」
「何言ってんのかわからないんだが」
「つまりは『恋愛対象としては対象外』ってことよ」
「……」
どうして私のことを聞いてきたのかは不明だが、私はある意味存在しない存在なのだ。……うん? なんか変だけど、まあ意味はわかるでしょ?
エミーリアが気絶した時にだけ現れる人格の『私』は、存在しない人間だ。私がいくら主張したとしても、この身体と主要人格はエミーリアだし、エミーリアの悪役令嬢化が阻止されれば私は消えるだろう。そんな確信がある。
憑依したのか、人格形成されたのか不明だが──エミーリアが真に幸せを掴んだら、この二重人格も治るだろう。
まあそんなこと、このクソガキは知らないと思うけど。
「……大人になれば、8歳差なんて気にならないよな」
「えっ、うーん、相手が20、私が28……いやキツいでしょ。無理無理」
「さっき20歳差でも大人になれば気にならないって言ってただろ」
「いやぁ見た目だけはね。結局は本人次第なんじゃない? で、私は“気になる”」
「……」
それを聞いて何かを考え込んでいたクソガキは、ばっと顔を上げて身を乗り出したと思うと──
ちゅっ
「─────は?」
私にキスした。
いや、え、は? 何やってんの? 馬鹿なの? いくらクソガキでもおまえ王子様だろ? 何やってんの? 死ぬの?
私は目を見開いてすぐ傍にある無駄に綺麗なクソガキの顔を凝視した。若干クソガキの頬が赤くなっているのは見間違いではないだろう。
「今日はやっぱ帰る」
「え、あ、そう」
「またな」
「もう二度と来なくていいよ。ていうか来んなアホ」
「ほんと不敬だなあんた」
ひらりと手を振り、唐突にやって来たクソガキは唐突に帰っていった。
そして静寂。
私は呆然と、クソガキが出ていった扉を見つめて──ああ今日も婚約解消してもらえなかった──零れた言葉は、本当に私が喋ったのかと思うほど弱々しかった。
「…………いやなんでだよ……」
私は茫然となりながら、閉まった扉を見つめていた。