ロードリック疫病神を拾う
城門を破り、暫くは全力で馬を走らせる。
だが追手が迫る様子も無かったため、ロードリックは宿場町へと続く街道を外れ、茂みの中へと馬を案内した。
適当な広い場所を見つけ、そこで馬を停めると馬から降りて次いでリアティスを降ろす。馬を近くにある木に繋いで振り返ると、リアティスは降ろされた草っ原の上にちょこんと座りこんで、ロードリックを見上げ微笑んでいた。
「助けていただいて、本当にありがとうございました」
「ああ…いや…」
畏まって礼を言われて、却って返事に窮する。座っているリアティスに対して、立ったままでは威圧感があるだろうと、リアティスの前に同じように座って目線を合わせた。
リアティスは出会った時とは打って変わった明るい笑顔で、嬉しそうににっこりと笑いかけた。
「あたくし、リアティスです。リアティス・ガードランドと申しますの。あなたは?」
自分の胸元に手を置いて名を名乗ると、次いでロードリックに名を訪ねる。
それを受けて、ロードリックはひとつ嘆息する。
(まぁ…覚えてはおるまいか…)
昔、このような身分に落ちる前、リアティスに会ったことがある。
とはいえ、随分と以前のことだ。リアティスも十前後の頃だろう。
隣国グセナローエン、かつてのローエンシュタイン王国の王太子であったロードリックは、訪問先であったこと国でリアティスの家であるガードランド公爵家の世話になった。
その時にまだ幼いリアティスに出会ったのだ。
天使のように愛らしい、美しい少女だった。
訪問中の一か月の間、歳が近いからか気心が知れ良く慕ってくれた。リアティスはロードリックを兄のように慕い、よく一緒に遊んで仲良くなった。
その頃から見る者をひきつれる美しさがあったが、今はそれ以上だ。
天使や妖精も叶うまいというほどに、リアティスは澄んだ美しい少女に成長していた。
それに比べ、今や自分は落ちぶれ、リアティスの目にはわからぬほどに変わってしまったのだろう。
少しの歳の差であれ、幼いころのことを忘れてしまったとしても致し方ないと思う。
ロードリック自体、あの頃の思い出にしがみついて生きているわけではないのだから。
何より、ロードリックの髪の色は、かつてリアティスと出会ったころとは違っている。
ローエンシュタイン王家の特徴である銀色の髪は、今は黒く染められている。ロードリックがローエンシュタインの廃された王太子だと知られれば、いらぬ騒ぎ、災いがあるだろう。
だからロードリックは王族、王太子の地位を追われてからはずっと髪を黒く染め続けているのだ。
それは解くことのできない魔法、呪いにも似ている。
だが、ロードリックはその立場を悔やんだことは無い。自ら望んだ自由だったからだ。
「ロック。流れの傭兵だ」
通称を名乗る。本名を名乗って、もしリアティスが自分のことを思い出したらと思うと、昔の立場との違いを少し寂しく思いそうだからだ。
「ロック様!短くて覚えやすうございますわ。良いお名前です事」
「……」
名前が短くて褒められたのは初めてだ。
馬鹿にしているわけではなさそうだが、不思議な感覚を持つ少女に成長したように思う。
逃げられた事に安心しているのか、リアティスは少し浮かれた様子で妙に機嫌が良かった。
(あんなに泣いていたのに…)
一体なにがあったというのか。
尋ねると、リアティスは笑みを無くし、少し戸惑ったように、悲し気に瞳を伏せた。自分を力づけるように両手の指を組む姿は聖女のようだった。
「実は、意に添わぬ結婚相手から逃げたいんですの。とても嫌な方で…。もしよろしければロック様、あたくしをグセナ側の国境まで送ってはくださいません事?」
「わかった」
即答で引き受けた。
ロードリックにとってもリアティスは妹のような存在だった。その妹が困っているというのならば助けてやらねばなるまい。
「送るのは構わんが、何か頼るあてはあるのか?」
「ございません事よ。一度行ってみたかったんですの」
ガクッと体勢が崩れた。なんと世間知らずな、能天気な娘なのだ。
こんなに美しい姫君があてもなくフラフラとしていたらどんなことになるか、わかっているのか。
幸い、グセナは祖国でありロードリックのほうにあてがある。政変の際、ロードリックを助け共に落ち延びた乳母夫婦がいるので一時そこに預けよう。
ロードリックのそんな心配りも知らず、リアティスが続けて言った。
「もちろん、お礼はいかようにもさせていただきますわ」
「礼…?」
(まさか体で払うとかいうんじゃないだろうな)
ロードリックがそんな馬鹿な事を考えていると、リアティスが徐にすっと立ち上がった。
ドレスを両手で軽く持ち上げ、両の踵と爪先をトントンと二回ずつ鳴らす。この辺りの王国の正式なダンスの作法だ。
見上げているロードリックの視線の外から、パラパラという音が聞こえ、視線を落とすとリアティスの足元にはそれだけでひと財産というほどの、宝飾品の数々がドレスの中から落ちてきた。
リアティスはちょこんと頭を横に傾げてお辞儀をすると、一歩後ろへと下がってまた座り込む。
「実家からガメて参りましたの。おかげで捕まってしまいましたけれど」
(…ガメて?)
その言葉づかいは一体…。
動揺するロードリックに構わず、リアティスは膝の上に数十点の宝石類を拾い上げると、ドレスの隙間からポシェットのようなものを取り出し、それを袋いっぱいに詰め始めた。
(どうりで抱き着かれた時重かったわけだ)
呆れることだが納得はできる。
「どうぞ」
袋に詰め終わったそれをリアティスが差し出す。ロードリックはそれを受け取らず、手のひらで押し止めた。
「いらん。これからアンタのほうが生活に不自由が出て困ることになるんだ。その時に使え」
「あら、あたくしでしたら女ですもの。裸一貫、一から始めて大丈夫ですわ」
「………」
返す言葉が無い。
先ほどから薄々感じてはいたが、この娘…リアティスの言動はおかしな物が目立つ。華奢で澄んだ美貌を持つリアティスの口から聞くとも思えぬ言葉を放つ。
人を外見で判断するわけではないが、リアティスの場合、外見のインパクトが大きすぎた。
幼いころはこうじゃなかったように覚えているが、逞しい、変わった娘にリアティスは成長したようだった。
「とにかく、いらん。礼は貰うが、たかだか女一人送り届ける楽な仕事にこんな法外な額受け取れるか」
「楽、で済むといいのですけど」
リアティスが含む物を覗かせて笑った。
ロードリックがどういうことかと尋ねるよりも早く、リアティスが口を開いた。
「ところでロック様」
「ロック、でいい。俺も名前を呼ぶ時は呼び捨てにする。様なんぞつけられる身分でもないし、そんな呼ばれ方は目立つからな」
「了解いたしましたわ。ではロック…は、どのようなご用件でこちらに参られたんですの?いらしたばかりだったとお見受けいたしましたけれど」
「王太子が結婚するんで宴があるっていうのでな。大きな宴がある時は商人や貴族の出入りが多くなる。仕事口を探しに来たんだ」
「まあ!そうでしたの!」
リアティスは顔を輝かせ、パンッと両手を叩いた。
「それは二重の喜びですわ」
どういう意味かと視線で問いかける。リアティスは無邪気に笑って答えた。
「どうせ宴も結婚式も取り止めですもの。仕事にあぶれずに済みましたの事よ」
「なに?」
「あたくしが、そのお相手ですもの。王太子妃なる筈だった、リアティス・ガードランド公爵令嬢ですわ」
自分の胸に手を置いて、リアティスは楽しそうに笑う。宴が潰れるであろうことを、とても喜んでいる様子だった。
「あたくしが逃げたんですもの。宴も何も、あったもんじゃありませんわ、きっと」
驚愕に開いた口が塞がらなかった。
つまり自分は、王太子の婚約者である女性を逃がす手伝いをするという事だ。
国を挙げての面子という物がある。追手も当然かかるだろう。王太子に恥を搔かせたリアティスもただでは済むまい。もう決定していたことを覆したのだから。
『楽、で済むと良いのですけど』
済むはずもない。
ロードリックは沈痛な面持ちで、盛大な溜息を吐いた。
「どうかいたしまして?」
「いや…」
無邪気な問いかけに頭が痛くなった。
これからの苦労を思うと気分が重くなる。
「何がそんなに嫌だったんだ?王太子か?」
疑問に思い尋ねる。
名門貴族の姫君なのだ。王太子との婚約は最も望ましいもののはずだ。
「そうですわね。王太子殿下は国王陛下の言いなりでアホウと評判の方でしたけれど、アホウのほうが操りやすいのですもの。別に問題ありませんわ」
あっさりとリアティスが毒舌を吐いた。
「縁談なんて腐るほどありましたし、是非にと言われて一番良いのを引いただけですのよ。もともと父も王室に入れたがっておりましたもの。せっかく名門貴族の娘に生まれた上にこの美貌なのですもの。女と生まれたからには天下を取ってやろうと思うじゃありませんか」
「そりゃ普通男のセリフだ」
「そうですの?」
そうだと思いたい。一般的ではないだろう。いい覚悟だとは思うが。
「その覚悟があるのに、どうして逃げ出したんだ?」
不思議に思って尋ねる。するとリアティスがあっさりと答えた。
「腹が立ったからに決まってますわ」
多分、何とも言えぬ表情をしたのだろう。
リアティスは自分がこんな状況に陥った理由を事細かに話し始めた。
理由はこうだ。
リアティスはその絶世の美貌で王太子アルドアを魅了し、アルドアの熱烈な求婚に答える形で王太子妃として王宮に上がる事になった。
実際の挙式までに様々な儀式を執り行う為、式の一週間前に王宮に王宮に入ったのだが、そこで問題が起きた。
リアティスの美貌に惹かれた国王オルテガが欲心を抱き、アルドアを懐柔し、リアティスを我が物にしようとしたのである。
国王の言いなり、馬鹿と評判であるアルドアは父王に逆らうことで王太子位を剥奪されることを恐れ、自らの妻となる美姫を父王へと売り渡したのである。
オルテガ王はアルドアが了承したことをリアティスに伝え、その身をを求めた。
「それで?」
「むかっ腹が立ったので、応じるふりをして花瓶で頭を殴って逃げましたの。ついでにアホウ王太子も探し出して、同じようにぶん殴ってやりましたわ」
無事でよかったと思う反面、なんて執念深いんだとも思う。初めは純粋にオルテガ王とアルドア王太子に腹を立てていたのだが、リアティスの逞しさにそれもやや薄れた。
「大変なことをしたとはわかっておりましたの事よ?ですから城をおん出て、取り敢えず金目の物を持ってどこかトンズラかまそうと実家に駆け込んで金品を物色していたところを近衛に見つかったんですの」
こういうのも火事場泥棒というのだろうか。
リアティスは大変に逞しく、尚且つ行動力に溢れていた。
「それでまた事情を知った父があっさりとあたくしを近衛に引き渡したのにも腹が立ちましたので、階段から突き落としてしまいましたけど、大丈夫、ピンピンしてましたわ」
無邪気な悪意を覗かせて、リアティスが晴れがましく笑った。
「そうか…」
王太子妃として王宮にあがって、国王と王太子を殴り倒して、実家から金品を盗みだして国外に逃亡しようとしている。
まるで美しきテロリストだ。
そんなかなり問題のある美姫を、ロードリックは護衛するのだ。
………知っていたら引き受けなかったかもしれぬ。
そんなロードリックの思いに気が付いたのだろう。リアティスは両手を地面について、ズイッと顔を近づけてきた。顔には脅しかけるように、満面の笑みが浮かんでいる。
「引き受けて、下さいますのよね?」
「ああ」
言わされた気がする……。
「それはようございました」
リアティスが朗らかに笑う。
その背後に悪意を感じとって、ロードリックは思わず身構えた。
「いえ、きっとこの件を引き受けて下さらなかったとしても、あたくしを連れて逃げた時点で、きっとロックはもう脱走を手引きした仲間だと勘違いされてると思いますの。ほら、あたくしはこの美貌ですし、目立ちますの事でしょ?街ゆく皆様もじっと見てらしたし。ロックはロックで黒ずくめの恰好な上ハンサムなんですもの。ようございましたわ。知らずに王都に戻れば、きっと近衛に捕まって拷問の刑にされるところでしたもの」
沈黙を続けるロードリックに、リアティスは力づけるように微笑みかけた。
「お互い、無事でなによりですわね?」
………とんでもないものを拾ってしまった。
リアティスの、その完璧な美貌で隠された悪魔が姿を見せ始める。
そうは思っても後悔先に立たず、最早逃げることも敵わぬ。
これからの旅の道行きを思い、憂鬱になるロードリックだった。