見送る
リアティスの背中が闇に溶けるまで見送った。
ガイウスはひとつ溜息を吐く。
これでもう、あの妹と会うことは無いのだと、感傷じみたものを感じた。
幸せになってくれればいいと、心からそう思う。
あの妹の行動力、傍若無人さならば、どんな障害も乗り越えるだろう。
地面の上に胡坐を搔くと、ガイウスは自分を縛る縄に対して窮屈そうに身を捩った。
自分で縄を外そうとしたが、リアティスが先とは違ってしっかりと結んだが為に、もがけば更に体を締め付けるだけだった。ガイウスはその痛みに顔を顰める。
(これも父上の書斎にあったっていう、SМ大百科を見て覚えた技じゃないだろうな)
自分を縛る縄の、何もかもが疑わしく感じる。
家に帰ったら、父上に本当にそんな本を所有しているのか、是非を問わねばなるまい。
「見つけたら焼却処分だな」
ガイウスは小声で呟いた。
リアティスが見つけたという本をどこに隠したのか、探すのも一苦労だろう。
いろいろ雑多な事に思考を巡らせた後、ガイウスは暗い闇に眼を向けた。
「フェンリル!いるか!」
「いつもお傍に、若君」
ガイウスの呼びかけに、闇の中から白い人影が現れた。
真っ直ぐな長い白髪の髪、若葉色の瞳。夜めにも目立つ白ずくめの恰好をした端正な顔立ちの青年である。姿形に似合わぬ硬質な声をしていた。
フェンリルはガイウスのもとに歩み寄ると、胡坐を搔いたガイウスの傍らに片膝を着いた。短刀を取り出して、ガイウスを拘束している縄を切る。
「すまないな」
礼を言うと、ガイウスは自由になった腕を軽く回した。
フェンリルが手を貸そうとしたのを断り、ガイウスはその場を立ち上がると、災難にあった宿屋を見やった。
「向こうはどうなっている?」
「まだ伸びておりましたが、縄を打ち直し、武器を取り上げておきました」
「そうか」
「応急処置ながら、手当も済ませてあります」
「そうか、よく気が付いてくれた。やらねばならぬと思っていたところだ」
ガイウスは労を労うと、宿屋に向かって歩き始めた。フェンリルがそれを追う。
「あの二人、いかがなさいますか?」
「何か適当な役職でも用意しよう。何時王太子位を剥奪されるかわからない馬鹿王子につくより、新国王の後ろ盾となるガードランド公爵家についた方がどれだけ得か、教えてやらんとな」
ガイウスの言葉にフェンリルが頷いた。
「当分はお前に身柄を預ける。あの警備隊長共々、面倒を見てやってくれ」
「わかりました」
「その後で、口止め料代わりに金回りの良い閑職を用立てよう。ガードランドに与すればこそという事をわからせねばな」
その一代で財を成し大富豪となったのと同じように、政治手腕にも秀でていた父であるガードランド公爵は、政敵とみなした相手に対しては情け容赦無く、一族諸共徹底的に排除し、潰すことで勝ち上がってきた。
ガイウスはそれとは少し違う。政敵の味方を奪い、手足を捥いでいく事こそがガイウスの常套手段だった。
「宿屋の主人にも気の毒な事をした。後で充分な見舞金を出さねばな」
仕方のない事とはいえ、さぞや迷惑であったろう。
「若君」
「何だ」
呼び掛けられ、ガイウスは振り返ることなく答えた。フェンリルが続けて言う。
「リアティス姫を、お引止めしなくてもよろしいので?」
フェンリルの問いかけに、ガイウスは嫌そうに眉を顰めて振り返った。フェンリルの方が背が高い為、ガイウスが見上げる形になる。
「お前、アレに喧嘩を売りたいのか。俺は御免だ」
「…は、しかし」
リアティスの本質を知らないフェンリルに説明するように、ガイウスは嫌々口を開いた。
「あれはガードランドの人間として働く事は出来ん。志しが同じなら、あれ以上頼りになる女もそうそういないが、そうでない以上、王室に放り込めばガードランド公爵家を自ら破壊しようとしているのと同じだからな。そんな真似は出来ん」
「私が言っているのはそういう意味ではありません。若君」
柔らかさのないフェンリルの声に、ガイウスは視線だけでどういう事かと先を促した。
「最愛の妹君を手放す事に、悔いは残らぬものかと」
「無い!そんなものは!」
ガイウスがきっぱりと言い切った。
「遠く離れてせいせいしているところだ。おかしなことを言うな」
ガイウスはそう吐き捨てると、黙ったままのフェンリルを残し先に進んだ。フェンリルが後に続く。
「アレならば、例え戦場の只中に放り込んでも、必ずや生き残り幸せになって、ついでに嫌がらせをして周りを混乱の渦に巻き込んだ挙句、他所へとトンズラするに決まっている。遠く離れている方がよぼど安全で安心していられる」
ガイウスは早口に言い切ると、口元に笑みを浮かべた。
「アレが幸せになる事を、俺は確信している。傍に居る者は災難だろうがな」
「信頼しておられるのですね」
リアティスの表面しか見たことのないフェンリルにとっては、半分も理解できない言葉だったが、ガイウスのその言葉から確かな親愛の情を感じて答える。
「何年共に暮らしたと思っているんだ。アレの実力は家族の中で俺が一番よく知っている」
ガイウスはそう言うと、不機嫌そうに顔を歪めた。
「知りたくもなかったがな」




